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11

2015-03-15 11:49:59 | 日記
あの、3月11日から4年が経った。もう4年になるのかと思う人も、まだそんなものかと感じる人もいるだろうが、私はたいていのことは、光陰矢の如しと受け取る性格であって、あの日のあのときのことは、せいぜいが1年ほど前のぐらいの出来事のような気がしている。何か大きなことがあって、それがいつであったかを勘定するとき、私はよく総理大臣を用いることがあって、3,11は管首相、次が野田さんで、今の安倍さんが2年前からだから、4年になるかといった具合だ。 その前の9.11は、2001年(これは憶えやすい)で、今年は2015年。ああ、やっぱり時の過ぎるのははやい。その他に11で思い出すのは、まずタイガースの村山実さんの背番号だ。ザトペック投法と称された、踊るようなピッチングフォーム、額から大汗を流しながらの全力投球が気持ちよかった。そして市川雷蔵をしのばせる美男ぶりに悲愴感すらあって、ファンも多かった。 あの天覧試合での長嶋茂雄さんのサヨナラホームランを、最後まで、「あれはファウルだった」と言い続けたことも、彼に似合っていた。もう1人、巨人の別所毅彦さんもバックナンバーは11ではなかったか。そうそう、早実時代のエースでありながら、11を背負っていた荒木大輔さんがいる。いや、どうも野球の話になると長くなってしまう。

ビール

2015-03-15 11:43:26 | 日記
バイト時代も新婚の頃も、ビール(大瓶1本100円)にトリスウィスキー(720ml 360円)を混ぜて呑んでいた。呑みたいのはビールの方だけど、それでは酔えないから2級洋酒をブレンドしていたわけで、つまりは、酒を呑んだら酔わなければ損だという思いからだった。 いまや、ノンアルコールビールの時代である。この前、胆石の病気をしたときに1本買って来てもらったが、まさに、病人用の味だった。   3月9日、有楽町のニュートーキョーの弊店がった。開業77年の歴史だそうだ。高校時代、慶早野球戦の帰りのそこのビアホールで呑んだのが、私の「ビールはじめ」だった。18歳のガキにはビールの味はわからないと言われるが、神宮球場で大声で唄ったあとだから、喉が渇いていて、旨かった。ジョッキ2,3杯は呑むと嘔吐する同級生もいたが、私はその頃からアルコールに対する抵抗力があった。ニュートーキョーに行くもう1つの目的は、ジョッキを盗むことだった。誰が考えたのか、1つの方法があって、昼間ちょっと雨が降った夕方にレインコートを腕にかけて行き、その袖の中にジョッキを隠すやり方だった。この窃盗は誰がやっても成功したので、やがて、オトナびた一人が、「店の側は泥棒を知っていて、わざと見逃してくれている。このガキどもも、やがては自分の金で呑むような年齢になる。そのとき呑みに来てくれれば、それいいと思っているんだよ」と言い、みんなが静かにうなずいた。

雑談

2015-03-15 11:17:48 | 日記
トシをとると昔話ばかり話す(書く)ようになる、と50代の頃、先輩達によく言われたが、その言葉には、つまらない(くだらない)といったヒビキがあった。私には先輩達の意見がよくわからなかった。雑談(雑文)の価値はどこにあるかを考えてみれば、それが愉しいかどうかに行きつくだろう。その場のおしゃべりが愉しければ、昔話だろうと、昨今の話題だろうと、それは充分に値打ちがあるわけで、たとえば60歳のときの小学校のクラス会があったとすれば、はじめから、昔話をするために集まるのだろう。私も昔のことをよく喋るが、現在も未来も語る。私の今年の年賀状は、「いまお世話になっているリハビリ」を記したものだった。未来についても家人や友人と話す。 私はまもなく黄泉(よみ)の国へ行く。 そこには肉親も友人も、先輩も大先輩もいる。大先輩で会ってみたいのが、大石内蔵助さん、明智光秀さん、山本五十六さんがトップ3だ。山本元帥は、ポーカー不敗神話を語るギャンブラーである。ならば、大東亜戦争が始まったときに、この戦をいつ終わらせるかを当然によんでいたはずで、それが、海軍は1年半なら戦ってみせるという言葉に表れている。山本さんには、ウィスキーを呑みながら、ぜひその辺をうかがいたいと思っている。年寄りだって、未来を愉しく考えることはあるんです。

3月8日

2015-03-15 11:12:03 | 日記
家人が2人の友達と箱根の1泊旅行へ。今夜と明日の朝昼の私の食事(肉じゃが、サンドイッチ、煮魚など)を作ってある。主婦が温泉にゆっくり入るというのも、病人がいると大変だ。 NHK杯将棋準決勝(行方八段 対 橋本八段)で橋本さんが反則(2歩)という珍しい敗着を打った。かなり不利な局面だったが、まさか「故意に」ではないだろうけど。 競馬は弥生賞で、この弥生の2文字を見ると、皐月=ダービー近いし を、思う。ブライトエンブレムから馬連流しで4-5は35.1倍の的中。昨日、オーシャンステークスも馬連33.9倍、三連複97.4倍を当てていて、久しぶりの連勝。1月、2月の負けを取り戻した恰好だ。長女が日曜出勤を早めに切り上げて4時半に帰って来てくれて、歩行訓練→入浴→晩酌→睡眠と、いつも通りに流れるのがありがたい。 先週末のアメリカの雇用統計で、いい数字が出たら、すぐにニューヨークダウは200ドルの下げ。つまりは、景気回復でゼロ金利対策の打ち切りが早まるとの見方からだが、明日の東京マーケットはどう反応するか。 競馬に並んで、3月相場とならないか。

御礼

2015-03-15 11:05:36 | 日記
百貨店の広報部にいる長女は、地方への出張が少なくないが、帰宅すると、お世話になった方々に葉書でお礼状を書くのが習慣になっている。最近はこういうとき電話で済ませる人が多いだろうから、ハガキは印象に残ると思われ、つまりは少しの手間でポイントを上げている気がする。ちょっと世話になった人にでも必ず礼状を書くのは祖父も同じだった。昔だから封書がほとんどだった。もしかすると私を飛び越えて、祖父の遺伝子を長女が受け継いでいるのかもしれない。 5年前の8月24日の午前10時20分、私の胸の動脈瘤が破れた。激痛の中、なんとか電話機を取り、110番のボタンを押した。応答した方に、「119番と間違えたが、痛みで、もうかけ直す力がない。自分は鎌倉市笛田5丁目の…胸が…胸の中にカミソリの刃が粉々になって入っているような痛みが…救急車を…玄関には行けないので裏の部屋のガラス窓を破って入ってください…」というようなことを、痛い痛い!を繰り返しながら告げたようだ。「大丈夫ですか?すぐに救急車を手配します。おうちの方はいらっしゃらないんですね」…その辺で私の意識は薄れ、あとのことは以前詳述したので省略するが、生還してから、110番の恩人にお礼をしたいと思っても出来ずにいる。警察に訊いても、「救急の受け付けは横浜で一括でやっていて、これは仕事ですから御礼は要りません」となってしまう。5分間でいいから、御礼を言いたいのだが、110番の恩人にはつながらない。