妙に早く目覚めてトイレを往復し、薄明かりで時計を見ると4時45分。後のニュースでわかるのだが、このとき、関越道で大きなバス事故が起きていた。 数時間後の現場の状況を見ると、こんなことがあるのかと感じた。 昼食は、今年初の冷やしウドンにダシ巻き玉子。たしか去年も同じことを書いた気がするが、夏を先取りする味で旨い旨い。あるニュースに飽きるということがあって(たとえば優勝したわけでもないのに、石川遼くんばかり映すゴルフ)、なーんだまたかとなるが、小沢報道にもウンザリだ。 競馬は天皇賞。現役最強ながら、前のレースで逸走し(結果2着)、それでもすべての記者が本命に推すオルフェーブルの走りだけが焦点。 これはいわゆる、観るレースで、観覧料2,000円で3連複の6点買い(すべて、当たれば100倍以上)。結果、オルフェは18頭中12着。 私の馬券もカスリもしなかった。 晩酌のツマミは、昨夜の残りのブリのヅケで、このヅケ用のタレは醤油ではなく、市販のソバツユと味醂え作ると旨い。お試しください。最近、先輩の夢を見ることが多くなった。 先輩とは、年齢のことだけでなく、年齢的に私より下であっても先に遠地に旅立った人達も含む。 この夢のことは明日のブログで。
目覚めから蒲団を離れるまでの約1時間の間に頻尿が続いたので、腰痛で通っている近くの病院の泌尿器科へ行った。家人が早めに午後の1番札を取ってくれたので、ラクな気持ちで出かけたが、到着早々、受付のA子さんが申し訳なさそうな顔で、「午前の残りが2人いるので」と説明に来てくれ、それでも30分も待てばいいのだろうと思っていたら、2時過ぎになって再びA子さんが「ドクターが部屋を離れたので、診察は3時になります。大丈夫ですか?」と更に申し訳なさそうな顔で言いに来た。 診察室から離れるというのは、手術室の緊急手助けだろうから仕方がない。 家人と2人で駐車場に戻って車内で雑談してヒマをつぶした。 結局、受診できたのは午後の診療開始から2時間近く経ったときだった。 と、書くと多くの方は、「なんだ。そのぐらい待つのは普通だ」と思われるだろうが、しかしである。もしA子さんが声をかけてくれなければ、私達は車へ戻るどころか、遅いなぁと苛立ちながら、不愉快な時間を過ごしたに違いない。 もしかするとA子さんは腰痛の(整形外科に通っている)私の車いす姿を気遣ってくれたのかと思うが、いずれにせよ彼女の掛け声に、どれほど助けられたか。ただ、「ありがとう」と言うほかになく、またA子さんの、ちょっとした親切が、ほかの多くの患者さん達の救いになっているであろうことが容易に想像できる。そのA子さんは、CMの子役だった大橋のぞみちゃんの20年後を想わせる、どこか茶目っ気のある、明るい笑顔が特徴の、女性である。
4年生まで通った兵庫県芦屋市の小学校は、空襲が始まる前は集団登校ではなく、途中で一緒になった者同士で、15分~20分ほどの道を歩いた。 たまには私一人に女の子が3人ということもあり、すると、背後から「男と女とイイリマメ(炒り豆)」と冷やかしの声がしたが、それは決してハズカシイといった感じではなく、むしろいい気分だったのを憶えている。 5年生から高校1年までの茨城の町では、近所に子供たちがたくさんいて、不規則な集団登校の形になり、中学の2、3年になると、小学1年生の女の子の母親から、「ヤボさん(私の呼び名)、おねがいね」と声がかかったりしたが、小学校は通学コースのいちばん手前にあったので、「ああ、いいですよ」と胸を張ることができた。 高校2年の春に転居した東京世田谷の家の近所は、大学生から中学生まで、その時間になると、玉電の駅に向かう男女が、それぞれ足早に歩いていたが、私は、実践女学園に通う1年下のA子の家の門扉の開く音にあわせて家を出た。 登下校の時間には、学校の昼休みとは違った楽しさがあるが、その楽しい通学路に暴走車が突っ込むという、取り返しのつかぬ、なんとも痛ましい事件が2日続いて起きてしまった。文科省は、改めて通学路を再点検すると言っているが…。
引っ越したばかりの世田谷の家のトイメンに、ピアニストの天地真佐雄氏の稽古場があって、そこは同時に愛人との住み家だった。 愛人は越山あつ子さんで、当時のNHKの娯楽番組『3ツの歌』のテーマソングを唄っていた。稽古場には多くの歌手達がレッスンに来ていたから、愛の巣といってもオープンなものだった。また、歩いて5分ほどの裏山の登り口に、作詞家の大村能章さんが愛人の歌手、久保幸江さんと住んでいた。越山さんも久保さんも、その辺の主婦たちには見られない、濃い色気があった。俗に謂う、「男をとろかすような」であり、高校生だった私には、なんともまぶしい、オトナの女性だった。 本妻に八千草薫、愛人に都はるみ…と男の理想を語ったのは山口瞳先生、池田弥三郎先生であるが、私は理想の愛人は、どうしても太地喜和子さんを想ってしまう。 山崎豊子さんのドラマ『白い巨塔』をご覧になった方は多いと思うが、あのときの、財前五郎(田宮二郎 演)の愛人役を演じたときの太地さんは、まさにハマリ役だった。 太地さんは、動作も当然だが、声までも愛人っぽいものがあった。彼女亡き後、愛人役にピッタリなのは誰なのか、山口・池田対談にある、都はるみさんは、ちょっとツヨすぎる気がする(愛人は女房よりヤワラカイことが必要だろう)。 と考えてみると、女房役は数多くいるが、愛人役は簡単にはみつからないことに気付く。 ついでに女優さん達でなく、今まで(アチコチの場所で)会ったことのある女性を、女房型・愛人型に分けて考えてみるのも何分間かのヒマツブシになる。
高校3年の終わりごろ、茨城の中学時代の友人から、「A子が、ニューフェイスとして俳優デビュー」と知らされ、やった!と思った。A子は、学年ナンバー1というより、学校でも、あるいは町の女子高生を含めても、随一の美女と言える存在だったからだ。 私が思ったのは、当時の男子高校生の憧れの的だった若尾文子さん、南田洋子さんのような明るさより、どこか影のある雰囲気の役で成功するのではないかということだった。 大映か松竹かなどと想像しているうちに、また友人から手紙が来て、A子は新劇のZ座に入るという。私はガッカリした。 Z座は左翼系として名高く、どこかA子の美貌が活きない気がした。 私はA子に手紙を書こうと思ったが、ある思想に取り込まれた人間には通じないと考えてあきらめた。 数年後、A子は同じ劇団仲間と結婚し、間もなく離婚、劇団も去った。そして、その悲嘆の彼女を受け入れたのが、これも同級生のB子だった。以後、二人は(たぶん現在でも)二人だけの生活を続けている。 私は、男同士の性愛は全く理解できないし、想像することも不可能だ。しかし女性同士の方は、わずかではあるが、わかる気もする。 A子は、左翼思想についていけなかったのだと思う詞、そういう色に染まった男性との生活は、苦難の2文字だったのだろう。 私は(同級生でありながら)B子のことはよく知らないのだけれど、A子が救いを求めたのが男性ではなかったことを(彼女の美貌と重ね合わせて)どこかほっとした気持ちで懐古している。