「クンシランっていうお花、知ってる?」「いえ、よくわかりません」「お花には興味がないかな」「いえ、スカートを穿いた花には興味があります」「何を言ってるの~」。もう30年も前の、母と私の会話であるが、私は花のことは無知であり、せいぜいが、美しい・愛らしい・装いが好い・堂々としている~といった短い感想をもつ程度で、母が自慢のクンシラン(母の家の玄関横に連なり咲く)も、その美を讃える言葉が思いつかなかった。 観桜会というのか、お花見というものになじまない。上野公園にビニールシートを敷いて酒を酌み交わし、カラオケで1曲~なんてのは、ほかに娯楽があるだろうにと思ってしまう。 夫婦で、あるいは家族で花見に出かけた記憶もない。私はお祭りが嫌いであり、花見にある、お祭り気分的なものが体質に合わない。 バイト先の先輩達と、花月園競輪(鶴見)に行った。場内の片隅にあるベンチで、予想紙片手に首をひねっていると、隣に座る老人が気になった。老人は中型のノートを手にしていて、覗いてみると「花見苑3日目」という文字があって(花月と花見を間違えている)、その下に細かな字が並び、2-3、3-5(当時は枠番単勝式)の書き込みがある。それが気になって、次のレースで、老人の書いた目をまさかと思いながら100円だけ買ったら、それが的中して70倍の配当を手にした(今と違って、70倍はアナである)。 老人のおかげでナンボか儲け、花月園前の得kに向かう坂を降りると、満開の季を終えた桜の木から残りの花びらが落ちてきた。 あのときの、「花見園」の老人よりも、いまの私は10歳も上の年齢になった。