Takepuのブログ

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映画「透析(再生の朝に)」みた

2011-05-23 02:05:34 | 映画鑑賞

中国の死刑判決と臓器移植を描いた問題作「再生の朝に-ある裁判官の選択-」(原題・透析-Judge-)を観た。「馬背上的法廷」でデビューした撮影監督出身の劉傑監督作品。実際に起こった事案をモデルに映画化したらしい。エンドロールで法律解釈の顧問やロケ地の人民法院などの協力を得ていることから、ストーリーの中身なども現実に即したものなのだろう。なかなか面白く、現代中国を皮肉っぽく、あるいは死刑廃止を、との西側の批判に応えるように政策的に描かれているように見えて、その意図を探るのも面白かった。

ここからネタばれです。

舞台は1997年の河北省涿州市。娘がひき逃げされたと公安から報告を受ける地裁の裁判官が、公安の建物から出ると自転車が盗まれていた。盗んだ自転車を街中で売っていた男と遭遇する。男は逮捕され、この男の裁判を担当することになる。3万元以上の高額窃盗は当時の刑法では死刑になるという。ただ、近く新刑法が公布されることが明らかになっており、裁判官たちの合議で、旧刑法はこんなに物価が上がる時代の前の法律であり、今では3万元がそれほど高額窃盗というわけではない、新しい刑法を反映して死刑を回避すべきだ、との声も出る。ただ、主人公の弁護士は頭が固い法律家らしく、現状では現状の刑法を正確に運用することが法律家の責務だ、と主張、判決は死刑となる。控訴。二審制の中国では次で運命が決まる。
ここで超金持ちの企業家が登場、彼は腎臓を病に冒されていて透析をしている。腎臓移植を待っているが、なかなか適合する腎臓がない。この死刑囚の腎臓がマッチすることが分かり、腎臓移植の同意書を得ようを弁護士を通じて画策する。家族にも「死刑回避の弁護をするから、もし駄目なときは腎臓提供に同意してくれ、20万元払うから」と持ちかける。死刑囚は自分が死刑になっても家族に20万元残せるなら、と移植に同意する。二審判決も死刑。主人公の裁判官が死刑の手続きを済まし、企業家も病院に待機し腎臓移植を待ち、死刑囚は街のはずれの刑場に連行され、まさに銃殺される直前、裁判官は副所長に「死刑中止」を提案。企業家から何らかの経済的援助を得ていた裁判所側はこれを渋るが、最後は裁判官が大声で「死刑中止だ」と一方的に中止させ、大目玉をくらう。
ただ、結果として「新しい刑法を考慮し人権に配慮した、新中国にふさわしい行動だった」と大きな責めを負わされることなく、腎臓移植は駄目になり、物語は終わる。

現代中国に特徴的な貧富の差、富豪が賄賂を使って公的機関を思うがままに動かしさらに利益を得る、西側の人権団体からかつて指摘されていた死刑囚の内臓を移植のために使っていたという話、西側にしばしば批判される中国の死刑の多さや人権軽視の判決・・・・などなどを盛り込んだ政策的意図を持つ作品だ。

当然最後は死刑になって、無事腎臓移植がすむのかと思っていたら、どんでん返しがあるのは、こういう中国映画の常。最後に死刑回避をしたストーリーになったのは、西側の死刑への批判を考慮したのは間違いないだろう。

ただ、この映画のもうひとつのテーマの仇、復讐という意味では、なぜ娘がひき逃げされたのか最後まで明らかにならなかった。公安当局が裁判官という職業ゆえ、判決に不満な誰かが復讐のために娘をひき殺したのではないか、と説明するくだりがあり、もしかしたら、この富豪が盗難車を使って娘をひき殺し、因果応報、裁判官は回り回ってこの富豪の腎臓移植に手を貸す、あるいは貸さない、というように関連づいているのかも、とも思ったが、そこまで話をくっつけてはいなかったようだ。

なかなか考えるところの多い映画だった。

写真は日本の公式サイトの、予告編動画のページ。


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