Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

「賽徳克巴莱」来月撮影開始

2009-09-30 00:33:00 | 映画鑑賞

 昨年台湾で大ヒットした映画「海角七号」の魏徳聖監督が、いよいよ「Seediq Bale(賽徳克巴莱)」の撮影に入るらしい。
 今年1月にこのブログで紹介したが、台湾が日本の植民地だった1930年10月27日に起きた台湾原住民タイヤル族による最大にして最後の抗日蜂起事件「霧社事件」を描くもので、台北で購入した「海角七号」のDVDの付録に、この映画の短編プロモーションビデオが収録されていた。魏監督が本当に撮りたかったこの映画の資金稼ぎのために「海角七号」は撮られたという。
 28日の台湾有力紙「中国時報」の電子版によると、4億(たぶん台湾ドル)というから15億円程度の製作費で作るらしい。この映画にビビアン・スー(徐若瑄)が友情出演する。昨日ブログに書いた「非誠勿擾」にも出るなど、最近は香港や中国大陸の映画に多く出演している。みずからタイヤル族の血を引くビビアンはこの脚本に共鳴、本来2000万円程度の出演料を取らず「友情価格」で出るらしい。タイヤル族の酋長の娘で主人公の幼馴染役で出演することになるという。日本語も喋れることから、日本植民地時代のヒロインには最適だとのこと。10月末にクランクイン。製作費が少ないのでどんな映画になるか想像がつかないが、来年ぐらいには作品が見られるのだろうか。

「非誠勿擾」見た

2009-09-29 16:58:18 | 映画鑑賞

 09年正月映画で中国で大ヒット、中国人の北海道観光ブームを引き起こしたといわれる「非誠勿擾」のDVDを入手したので見た。馮小剛 (フォン・シャオガン) 監督作品。非誠勿擾とは「誠実なお付き合いができる方のみお願いします」ほどの意味。主演は中国の怪優・葛優 (グ・ヨウ) と台湾出身のセクシー女優・舒淇(スー・チー)。お見合い相手の一人に、ビビアン・スー(徐若瑄)も出ている。
 馮小剛と葛優のコンビは2003年の「手機」(携帯電話の意味)以来かな。 その後は時代劇とか戦争物を撮っていたが、久しぶりにラブコメディに戻ってきたという感じ。葛優は陳凱歌監督のカンヌ受賞作「覇王別姫」ですごい演技を見せた。舒淇は若い頃、香港の三級片(アダルト映画)でオールヌードと変態的なエッチシーンを披露したこともあったが、98年の「玻璃之城」(メイベル・チャン=張婉婷=監督)でレオン・ライ(黎明)と悲しく美しい愛のドラマを演じるなど、ヌードは封印、アクションや演技で勝負している。
 ストーリーは米国留学帰りで富を手にして、結婚をと思い立ち、杭州や海南島でお見合いデートを続ける葛優が、彼氏との折り合いが悪くなっていた客室乗務員の舒淇と知り合い、北海道旅行に出かけ・・・、というもの。センスのいい話術による笑いは、すっとぼけた表情を見せる葛優の本領発揮というところ。あちこちに笑いの種のトラップが仕掛けられていて、さすが馮小剛という感じ。
 映画の後半は、北海道東部の釧路や阿寒湖、網走や斜里などの雄大な風景が美しく映し出され、またかの地の日本人をユーモアあふれる、いい人に描いていて、ロードムービーといった感じも見せる。日本酒を飲んだ舒淇のほろ酔い加減に染まった表情は、本当に酔ったみたいに色っぽい。中国人は日本酒でも一気飲みなんだなあ、と思ってしまったけど。ウニやイクラに卵の黄味を載せた丼物は北海道を訪れた中国人がみな、試しているんだろうなあ。実は僕は北海道に行ったことがないのだが、北海道に行きたいなあ、という思わせる作品。葛優のあちこちでのお見合いデートを見ていると、結婚したいなあ、と思わせてしまう。
 日本では映画祭のみの公開で、一般公開はまだ。ただ、中国語のユーモア満載の会話をどこまで字幕で表現できるか。北海道に対する感激度も日本人だと中国人ほどではないかも。中国人の日本観、日本人観がこの映画をきっかけによくなればいいなあと思ってしまう。

映画「新宿事件(インシデント)」見た

2009-09-24 22:54:44 | 映画鑑賞

 日本でゴールデンウイークに封切られたジャッキー・チェン(成龍)主演・プロデュースの映画「新宿事件(インシデント)」の香港版を見た。ジャッキーの映画といえばアクションでギャグが入ってみんなで見られる、というものだが、これは「Ⅲ」級指定。エッチシーンや残虐シーンが入った映画が指定される。香港では「Ⅰ」(子供OK文部省推薦風)、「Ⅱa」(児童鑑賞禁止)ラブシーンあり。「Ⅱb」(児童、青少年鑑賞禁止=エッチシーン、暴力シーンあり)、「Ⅲ」R指定、AV並みと分類されている。しかも中国大陸では上映禁止、日本でもR15指定だったらしい。
 なおかつ、ジャッキーはアクション封印。監督は「新不了情(つきせぬ想い)」で可愛く元気な女の子の難病モノを大ヒットさせた香港の巨匠、爾冬陞(イー・トンシン)。俳優陣はジャッキーはともかく、徐静蕾(シュー・ジンレイ)、范冰冰(ファン・ビンビン)という僕のお気に入り女優が出ている。日本から竹中直人、加藤雅也と故峰岸徹や 倉田保昭、長門裕之らすごいキャストだ。
 ストーリーは、ジャッキー演じる鉄頭が幼馴染の恋人を追って中国大陸から日本に密航、新宿の中国人社会の中で苦労しながら生活し、偶然、暴力団と関係を持ち、次第に日本のヤクザの世界に進んでいく。戦闘シーンで手首がぶった切られたり、ちょっとグロなシーンも少なくない。ただ、そういう中でジャッキーは「好い人」を演じていくのだが、ヤクザの世界に身を投じた苦悩のようなものがあまり表現されていない。自分の意に反して仲間たちが黒社会を形成していくが「中国人は自由を与えすぎてはダメだ。管理されるぐらいがちょうどいい」と言ったジャッキーの問題発言が思い起こされるような内容だ。
 徐静蕾、范冰冰どちらも主役をはれる存在感だが、映画の中ではあまり大事に描かれていない。ジャッキーの映画にありがちな、自分よりずっと若い女優を刺身の端的に使う方法はおんなじ。もったいない。
 ジャッキーはハリウッドと対抗するためアジアが結束して映画を撮ろう、とこの作品を「アジアン・プロジェクト」の第一弾としたらしい。観客動員がどのくらいだったかは分からないが、万人受けする内容ではないことは確か。テーマとして目のつけどころは良くて、賞狙いの感じはある。ただ日本で東映のヤクザ映画を見て目が肥えている人々にとっては、中国人の黒社会、というのがどのくらい好意的に見てもらえるか。もう少し中国マフィアに特徴的なシャブやチャカ、偽札などの取引をリアルに描いたほうがよかったのでは。

四中全会と習近平

2009-09-19 01:45:01 | 中国旅行
 15日から北京で開催されていた中国共産党第17期四中全会が18日閉幕した。香港メディアなどで取りざたされていた習近平・国家副主席の中央軍事委員会副主席就任の人事は発表されなかった。序列6位、中国指導者次世代のトップとして、5年に一度、次回は2012年秋に開かれる予定の第18次党大会で胡錦濤から最高権力者としての座を引き継ぎ総書記になると見られていた。その前段階としての軍事委副主席就任のはずだったが、何らかの理由で見送られた。
 そもそも、胡錦濤は1992年の第14次大会閉会後直ちに開かれる一中全会で初めて「トップ7」の中央政治局常務委員の末席に選ばれ、97年の第15次大会の一中全会で序列5位に上がり、98年に国家副主席となり、99年9月の15期四中全会で中央軍事委副主席となった。つぎの2002年11月の第16次大会で江沢民から最高権力が移譲され、一中全会で総書記に登り詰めた。

 習近平も07年の第17次大会後に序列6位になって08年に国家副主席となった。この順番に沿って今回の四中全会で軍事委副主席になるはずだ、というのが香港メディアの見方だった。
 香港有力紙「明報」は、この結果が出る前の18日付紙面で、消息筋の話として今回の四中全会で習近平は軍事委副主席に任命されるが、10月1日の建国60周年の軍事パレードまで伏せられ、その後開かれる中央軍事委員会拡大会議で対外的に公表される、と報じた。ただ「明報」は、このようなやり方は、胡錦濤のときのような慣例を破るものだ、と異例との見方を示している。一応18日現在では「アタリ」だ。10月1日が楽しみだが・・・。
 また、別の見方として、著名な中国ウオッチャーの劉鋭紹氏は香港メディアに「党内に異なる考え方があるとの反映で、加えて習がまだ政治的に功績を挙げておらず、胡の後継者にするとのコンセンサスを得られなかった」との見方を示した。

 なるほど、胡が国家副主席で軍事委副主席になる前の99年5月、コソボ紛争におけるNATO軍(事実上米軍)の空爆でベオグラードの駐ユーゴ中国大使館が誤爆され死者が出て、学生らの反米感情が高まり抗議デモが激化し北京の治安が悪化したことがあった。このとき泥を被るのを恐れ逃げまくっていた江沢民に代わり事態を収拾したのは胡錦濤だった。中国政府を代表してテレビ演説し、学生たちのデモは「愛国的熱情の表れ」と認めた上で「過激な行為をつつしむように」と訴え、学生デモは収束していった。
 ひとつ間違えれば「政府のお墨付きをもらった」とデモがさらに激化し、趙紫陽が89年の天安門事件で学生デモを利用し損ない、保守派に追い落とされた二の舞になる可能性もあった。胡錦濤はぎりぎりのところで踏みとどまり、長老らの評価を得て軍事副主席、江沢民後継への道を得た。
 それに比べて、習は上海閥の一員として江沢民に推されて今の地位におり、北京五輪の総責任者として大会運営を仕切ったといっても開会式で数々の「やらせ」が発覚、国際的評判を落としたなど、まだ胡のような苦労をしていない、と劉鋭紹氏は言いたいのではないのか。

 それでも、今回の四中全会で習は「新形勢下の党建設を強化、改善する若干の重要問題についての中共中央の決定」の討論稿を説明するなど、露出度が極めて高く、胡の後継者候補ナンバー1であることは間違いない。汚職がはびこり少数民族暴動などを的確に処理、指導できない現状を改善するため中国共産党の統治能力を高める決定であり、この問題をどう解決するかが習に課せられた宿題なのかもしれない。

「南京!南京!」見た

2009-09-13 03:58:18 | 映画鑑賞

 南京大虐殺を描いた、いわくつきの中国映画「南京!南京!」のDVDを入手し見た。結論から言えば、大騒ぎした割にはとりたててかわり映えしない作品だった。
 というか、日本兵を日本人が演じ、「バカヤロ」以外のまともな日本語のセリフを喋り、彼らの人間的な部分を描いた作品ということを中国人が評価するなら、そんなの当然日本では昔からやってらあ、やっとそんなまともな感覚の映画を中国人が作ったのか、ということだ。反日教育に凝り固まった中国人に、日本兵にも感情があったことを伝えることは出来るのかもしれない。
 でもそれならもう少し考証を正確にしてほしい。ヘルメットも当時の日本兵のものとは形が違うし、太鼓をたたいて踊るシーンもあるが、いかにも映像的に映えるものを、とでっち上げた感じ。中国人は「鼓童」「鬼太鼓座」みたいなのが好きだから。日本では村祭りなどであのような太鼓をたたくところはないだろう。
 日本兵が孫文像を倒して引きずり回すシーンも、孫文を知らない無知で無教養な日本兵がいなかったとは言い切れないが、少なくともあの像は孫文の盟友で莫大な資金を援助し孫文の革命を支えた日本人実業家、梅屋庄吉が孫文の死後、私財を投じて中国に贈った4体のうちの1体だ、ということを観客に知らせるべきだ。1928年に贈られた第一体目は、南京郊外の中央軍官学校の構内に建てられていた。映画のように南京市中心街ではない。現在は南京の孫中山紀念館にあるのだから、壊されたというのは事実に反するのではないか? 当時の朝日新聞記者が中央軍官学校にある孫文像を確認した記事を書いている。残りはマカオと広州郊外の黄浦軍官学校跡地、中山大学にある。黄浦軍官学校のは実際に見た。
 観客に、特に孫文を「国父」(中華民国建国の父との意味)と仰ぐ台湾人を考慮して、孫文を虐げる日本人を共通の敵、ととらえさせようとする魂胆が垣間見える。
 薄幸の娼婦の話などはいうまでもなく熊井啓監督の「サンダカン八番娼館・望郷」の方が圧倒的にスケールがでかい。比べるのも失礼だ。留学中の1986年冬、旅行先の洛陽で夜行列車の出発時間が来るまで、と見た記憶がある。ということは中国でだってこのような設定は認識しているはずだ。オールモノクロの作品だって、姜文監督で香川照之出演の「鬼子来了!(鬼が来た!)」がやってる。新鮮味はない。何か、それぞれのシーンがどこかで見たことあるなあ、というパクリの寄せ集めのような気がする。
 「南京!南京!」については新華社が11日、トロント映画祭で初めて北米で上映され、涙を流す観客もいたなど好評を博したと報じた。史実に反した内容で情緒的に日本兵を描いた映画を国を挙げて持ち上げるのか。事情を知ったら、中国当局が主張する「30万人虐殺」説さえ、信頼を欠く数字に思われてしまうのではないか。

上海4止

2009-09-11 08:38:11 | 中国旅行
 福寿園でもらったパンフレットによると、

 「福寿園紀念公園」で、2004年に民政部によって人文紀念公園として批准されたという。園内には「新四軍広場」があり、上海当局によって06年に「紅色旅遊基地」(中国革命のテーマパークということかな)として承認されたという。
 墓地の部分には、政治家、軍人、作家、学者、文化人や芸能人たちが多く、案内してくれたお兄さんに「有名人の遺族はともかく、昔の有名人の遺族ってここにお墓を作る資金があるのかねえ」と質問したら、「有名人が亡くなったとのニュースがあれば、こちらから遺族にアプローチして、安く墓地を提供することがある。市当局の関連部門からの支援もある」という。一般庶民にはものすごく高価な墓地のようだが、有名人の墓や記念碑をたくさん集めて、人寄せに使おうとしているようだ。
 鄭蘋如や阮玲玉のように、人々から忘れさられていた薄幸の女性たちは、映画化で注目されたことをきっかけに、その記憶と業績が残るような記念碑が建てられるのはいいことなのかもしれない。

 福寿園についたのが正午前で、昼食を食べ損なったので、市内に戻って茶を買ってから飛び込みで入った「正宗蘇州麺」と書かれた店に入ったら当たりだった。正宗とは正真正銘の意味。頼んだのは「蝦仁悶肉麺」とビール。全部で30元ぐらいだったか。小エビは皿に入って別に出てきた。そのままぶっ掛けて麺に絡ませて食べた。麺はまっすぐな細麺で、中国にありがちなグチャグチャの柔らか麺ではなく、歯ごたえがあった。スープは醤油味でスッキリしていてコクもあった。美味しかった。ビールは三得利(サントリー)の「超爽」。ラベルに富士山が描いてあったので撮影した。サントリーは1984年、中国に最も早く進出した洋酒会社で上海でのビールシェアも高い。95年には現地法人となっている。メーカーと地域と消費者のいずれも得をする、というネーミングが中国人に喜ばれるのだろう。サントリー烏龍茶も現地で売っている。気をつけなければいけないのは、中国人は甘いのが好きなので「微糖」の烏龍茶もある。

 とりあえずサービスカットで、上海で毎回食べる北京ダック。小麦粉のクレープ状のものに甘味噌をつけたダックとネギをのせて巻いて食べる。前回感動した佛跳墙は作れないとのことで、セットの白菜とダックのガラのスープを頼んだが、これもガラに付いた肉をしゃぶるとうまい。


 

上海3

2009-09-10 22:03:01 | 中国旅行

 鄭蘋如の記念碑(遺骨は散逸してしまい未だ発見されてないらしい)があるのは、青浦区の福寿園という高級霊園。グーグルマップで場所を確認したので、地下鉄1号線「人民広場」駅から3回乗り換えて、地下鉄9号線の余(ほんとは下は「示」=she)山駅まで6元。駅前で客待ちしていたタクシーに「福寿園」と告げると、「余山のかい?」と聞かれ、すぐ出発してくれた。駅前の大通りを進み左折、監獄と少年監獄を右手にみて、「福寿園」の看板が見えると左折。

 タクシー料金30元を払って降りると、ガードマンのような人が「ここでは車は拾えないから、待っててもらったほうがいい」といい、運転手に交渉してくれた。親切。小太りの兄ちゃんが出てきて、「どこに行きたいの? 歩いていくのは無理だから案内する」とカートに乗せてくれ、霊園の地図もくれた。政治家や学者、文化人や芸能人の墓や記念碑がたくさんあるようだ。江沢民・前国家主席の師匠で、上海市長や対台湾交流窓口機関である海峡両岸関係協会の会長を務めた汪道涵(おう・どうかん)もここに眠っているという。
 鄭蘋如の記念碑の後ろの立て看板は6月に「一個女間諜」という本が出た際に作られたという。バックの商店の絵は、鄭蘋如が丁黙邨を暗殺しようと、「毛皮がほしいの」とおねだりしてつれていってくれた毛皮店。丁は直感的に身の危険を感じて、金だけ置いて外に待たせてあった車に走って飛び乗り、難を逃れたらしい。
 鄭蘋如について「映画がヒットしたから名前が出てくるようになったけど、何もなければまた歴史の闇に埋もれてしまう。このような記念碑があれば、名前は語り継がれる」と話していた。たしかにそうだ。こんなところにくる酔狂な日本人はいないんだろうなあ、と思った。

 まずテレサ・テンの記念碑を見る。近づくとひとりでにテレサの歌声が流れ始めた。中国語版「北国の春」も流れた。ここの除幕式には家の人々も出席したらしい。続いて、東京裁判で国民政府から派遣された判事の梅汝敖の記念碑もある。中国映画「東京審判」では、七三一部隊や南京大虐殺など日本軍の残虐行為を認めさせたヒーローとして描かれている。内容についてはかなり疑問符のつく映画だが、中国人はこれを見て喝采するのだろう。

 阮玲玉(ロアン・リンユィ)は1930年代に上海で活躍した中国人女優。無声映画からトーキーに移る時代で、上海語だけで標準語を上手にしゃべれないリンユィは活躍の場を失い、失意のまま睡眠薬を大量に飲み死亡する。香港のスタンリー・クワン(関錦鵬)監督がマギー・チャン(張曼玉)を主演に撮った映画があった。なかなかいい出来だった。
 もうひとつは中国映画の巨匠・謝晋監督の墓になる場所。文化大革命で苦しめられ、改革解放後は「天雲山伝奇」、「芙蓉鎮」が大ヒット、香港返還記念の国策映画「阿片戦争」も撮った。「最後の貴族」や「乳泉村の子」は当時の中国としては破格の海外ロケや、中国で人気の栗原小巻を使ったりと、ちょっと勘弁してくれ、という感じで「巨匠、老いたな」と思った。返還直前に香港で開かれた「阿片戦争」のプレミアム試写会では、「钱其琛副首相(香港返還担当、元外相)がこの映画は愛国だ。まったく政治的に問題がないと言ってくれた」と記者たちの前ではしゃいでいた。「钱其琛が保証してくれたからどうなんだ」と反発心を抱いたが、あれだけ文革で痛めつけられたのに、晩年は中国当局の政策に沿った映画を撮り続けていたなあ。案の定「阿片戦争」は、学校や職場で強制的に見につれて行かれされる愛国映画に成り下がって、そんなにヒットしなかった。
 

上海2

2009-09-10 00:35:59 | 中国旅行

 今回の上海行きの目的の一つは、アン・リー(李安)監督の映画「ラスト・コーション(色、戒)」の女主人公・王佳芝のモデルになった女スパイ、鄭蘋如のゆかりの地を回ってみたかったから。最近BSで放映された劇団四季のミュージカル「異国の丘」の中で主人公と恋に落ちる宋愛玲のモデルも鄭蘋如だ。「色、戒」のヒットのおかげで書籍もいろいろ出版されるようになったみたい。

 彼女は父親が日本に留学、日本で知り合った日本人女性との間に生まれた日中ハーフだ。帰国後はクラスメートからいじめられ、中国人であるとの証明を普通以上に見せつけなければ、と特務工作に走ったようだ。
 時の首相、近衛文麿の息子の文隆が、日中休戦工作をはかろうと、父親の意を受けて上海の日本人向け中国語専修学校「東亜同文書院」の学生主事をしながら、当時蒋介石の重慶政府の司法大臣だった鄭蘋如の父親を通じて、蒋介石側と交渉を進めようとしていた。ただ軍の知るところとなり、文隆は帰国を余儀なくされる。
 鄭は重慶政府の意を受け、汪兆銘南京政府の対重慶特務工作機関「ジェスフィールド76号」のボス、丁黙邨(色戒ではトニー・レオン演じる易先生)に接近し、暗殺を企てるが、見破られ捕らえられ銃殺され26歳の短い生涯を終える。
 近衛文隆は、満州の最前線に兵士として送られ、シベリア抑留中に謎の死を遂げる。
 ジェスフィールド76号(極司非爾路76號)は、日中戦争下の上海で日本軍によって設立された対重慶特務工作機関。抗日テロが頻発し、日本軍は中国人による活動家摘発組織をつくり、後に日本かいらいの汪兆銘(精衛)政権が樹立されると、正式な政府機関となり、国民党中央委員会特務委員会特工総部と称した。共同租界のジェスフィールド路76号にあったのでこう呼ばれた。丁黙邨主任はもともと重慶政府の人間だったが寝返った。

 現在の万航渡路が当時のジェスフィールド路だが、番地は変わっているらしい。建物はもうないという。地下鉄2号線の静安寺駅で降り、北に進む道が万航渡路。すぐ左に当時の建物の雰囲気を残した「百楽門(パラマウント)」がある。今は美女がダンスなどを披露するエンターテイメント・スポットになっているという。

 当時をほうふつとさせる建物がそこここに残っている。上海ってすごい。幾つかの歴史的建造物は当局から指定されて保存されているようだ。一部は当時のデザインを残したまま改修したり修理されているようだ。
 翌日は、上海西郊の青浦区の墓地に今年6月、鄭蘋如の記念碑が建てられたと聞いて、地下鉄を乗り継いで行ってみた。

上海1

2009-09-09 02:51:55 | 中国旅行

 総選挙も終わり、9月に入り蟹の季節がやってきた。もちろん目的は蟹だけではないけど連休が取れたので2泊3日、駆け足で上海に行ってきた。2晩とも蟹を食べてしまった。

 1日目は198元で蟹づくしコースだった。食べるのにあんまり集中しすぎて、ほとんど写真を撮ってない。蟹の爪、蟹の足と野菜の炒め、蟹の足、蟹肉の蟹味噌和え、蟹味噌豆腐、ブロッコリーの蟹肉あんかけ、蟹一杯、ワンタン蟹味噌スープ入り、蟹あんかけ麺。蟹以外でチャーシューとさつま揚げのようなつまみ。それぞれ美味だった。麺とワンタンがすごくよかった。写真に映っている野菜との炒め物もよかった。一つ一つはそんなに量は多くなくても完食しきれないほどの種類。蟹は女性服務員がバラしてくれたが、実は味噌がそんなに美味くなかった。値段相応の蟹を使ってるのだろうか。

 で、最後の晩は行きつけの福州路の蟹専門店「玉宝和酒家」。「蟹もうやってますか?」と聞いて、閉店20分前にギリギリセーフで入店。午後8時半がラストオーダーのようだ。蟹肉豆腐、蟹肉とひき肉の団子が浮いたスープの獅子頭(「閉店直前なのに時間がかかる」と言われた)、小籠包、蟹は「9月はメス」といわれているので、メスを注文。閉店間際で客も少なかったからか、蟹肉豆腐はすぐ来た。んまい。

 なぜメスかというと、この時期の蟹は卵を孕んでいるから。オレンジ色の卵が味噌の中で鮮やかに浮かび上がる。味噌の中で独特の歯ざわり、というか少しプリプリした食感を楽しめる。卵の量があまり多くないのは、時期的にまだちょっと早いのだろうか。

 なんとかの一つ覚え、蟹肉小籠包はこの日2回目。豫園の南翔饅頭店の本店の2階で満腹にならない程度、一籠6個入りだけ食べた。その後腹ごなしに書店を巡り、玉宝和酒家に来たというわけ。今回の小籠包は、中のアンの味が濃い目だったなあ。ちょっとがっかり。
 この肉団子入りスープは絶品で、スープがしつこくなく優しい味。以前来た時は野菜は豆苗が入っていたが、この日は青梗菜だった。豆苗に比べてちょっと味が濃いというか、苦味が強くて淡白なスープにはあまり合わなかった。

 最後にご飯を頼んで、豆腐をかけて食べ、スープをかけて食べた。幸せ。ビールを一本飲んで計250元ほど。やはり前夜の店よりいい蟹を使っているのだろうか。

新疆漢族デモ

2009-09-04 04:34:13 | Weblog
 7月5日にウイグル族による大規模なデモが発生した新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで3日、漢族たちを中心にした大規模なデモが発生した。台湾紙・中国時報などによると、ここ数日、ウルムチではウイグル族が針を持って、あちこちで人を刺すなどの事件が頻発していると伝えられ、中国メディアによると、負傷者は470人になったという。地元当局の対応が手ぬるいと、これに怒った漢族約1000人がデモを起こし、警官隊と対峙する事態になったという。なかには「王楽泉(自治区党委書記)は辞めろ」と叫び、地元の最高実力者をあからさまに批判するグループもあったという。
 中国に指導者、首謀者、黒幕のいないデモはありえない。仮に治安に不安を覚えて自発的にデモが発生したとしても、地元の最高指導者を名指しで批判するということは、裏に誰かいて、王楽泉を失脚させようと企んで、デモ隊に言わせていると考えるのが普通だ。
 王楽泉は江沢民・前国家主席に近く、「新疆覇王」とも「新疆土皇帝」とも揶揄され、16年間、新疆ウイグル自治区で権力を掌握して私腹を肥やしてきたとされる。中国トップの胡錦濤・中共中央総書記(国家主席、中央軍事委員会主席)ら共産党青年団出身の「団派」とは対立関係にある。
 いま中国は大変微妙な時期だ。10月1日の国慶節(建国記念日)に建国60周年の式典が行われ、10年ぶりの軍事パレードも行われる。胡錦濤は、毛沢東、小平、江沢民が行ったように、紅旗と呼ばれる中国車のオープンカーに乗り、パレードを閲兵すると報じられている。胡錦濤が軍を完全掌握したと内外に見せ付けるパフォーマンスである。
 その前、9月中旬には中国共産党第17期中央委員会第4回全体会議(十七届四中全会)と呼ばれる中国共産党の重要会議が開かれる。ポスト胡錦濤に向けて、一定の方向性が示される可能性がある。国家副主席の習近平の中央軍事委員会副主席就任が取りざたされている。北京の中南海で駆け引きが続けられているはずだ。
 このため、足を引っ張られるような微妙な政策は行わない。ダライ・ラマ14世の台湾入りを馬英九総統が許可した件についても、当初はあいまいに済まそうとしたようだが、中国人民銀行の幹部の台湾入りを中止して抗議の意を示すなど、「弱腰」との批判を受けないようにした。
 3日、日中歴史共同研究の最終会合について、中国側が突然、延期を申し入れてきたのもそうだ。日中の歴史認識の食い違いを埋めるため2006年に第1回会合を開いた同研究会は、報告書完成に向けて4日に最終会合を東京で開く予定だった。首相に就任する鳩山由紀夫・民主代表の歴史認識を中国側が確認するまで待ったのではないか、とも、国慶節前に微妙な歴史認識問題で国内に議論を巻き起こしたくない、との配慮もあったのではないか、とも考えられている。
 そんな時期のデモだ。しかも江沢民派のスキャンダルまみれの幹部を批判するデモだ。権力闘争の表れなのだろうか。