Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

パラグアイ戦を半年前から予測

2010-06-28 14:07:53 | Weblog
すげーな岡ちゃん。大分でやった2月のベネズエラ戦はパラグアイを想定したものだったんだって。そのためにマッチメークしたらしい。スポニチの当時の記事をネット検索した。

残念ながら、皮算用のタヌキ獲っちゃったんだよ。スポニチさん。あ、失礼、先見の明があったということか。まあ、この段階で何を言ってもしょうがないけど。ま、指揮官ならいろんなタイプのチームと戦って、チームに経験させたいんだろうけど。

そのあと、1次リーグに備えて試合を組んだ。よく言われるW杯直前の4試合に4連敗、というのは、
4月7日  日本 0-3 セルビア
5月24日 日本 0-2 韓国
5月30日 日本 1-2 イングランド
6月4日  日本 0-2 コートジボアール
のことだけど、イングランドはオランダでしょ。コートジボワールはカメルーン。韓国はあんまり関係ないけど、セルビアはデンマーク、と大体、仮想敵としていいマッチメークが出来ていたはず。仮に勝ってたとしても、うぬぼれ、油断してろくなことはなかったのでは。06年W杯ドイツ大会直前にドイツに負けたとは言えども先制して善戦したのがそのいい例では。

で、何度も写真を載せているけど、この試合、見に行った。といっても小笠原を代表復帰させたり、久しぶりに稲本が入ったり、国内組で、今の戦力とは違うけど。DF陣は先発が徳永と、今の駒野と違うだけで、ほぼレギュラーだったから、そういう意味では参考になったんだろうなあ。メンバーは、
GK楢崎
DF中澤、闘莉王、長友、徳永
MF遠藤、稲本、中村憲、小笠原、大久保
FW岡崎

徳永は駒野に、中村憲剛は平山に、岡崎は佐藤寿人に、地元サービスで小笠原から金崎に、大久保から香川と、代わっている。2010年国内最初の、国内組だけの組み合わせなら、まあ、小笠原以外はこうだったんだろうなあ。阿部を試していないだけだ。

僕は当時どんな風に見ていたかというと、
(当日のブログ)
(以下抜粋)試合はスコアレス・ドロー。攻撃を久々代表復帰の小笠原に委ね、荷が重かったかな。トップ下の中村憲剛がほとんど機能せず、2トップの岡崎、大久保に決定的なパスがほとんど渡らなかった。大久保はまた暴力沙汰。選ばない方がいい。遠藤もまだこれからか。
ベネズエラは中盤のチェックが結構きつく、前半、中盤はボールは回せるが、ラストパスが出せない。まだパスの精度が足りない。
稲本は良かった。これまで代表のボランチというとバックラインの前で守備をする傾向が強かったが、稲本は両サイド(特に左の長友)が高い位置で攻撃参加する際は、完全にバックラインのセンターに入りカバーリング、闘莉王がサイドに流れる。サイドバックの攻撃参加を促すような動きが出来ていた。稲本は体が張れるので最終ラインでも安心して見ていられた。
長谷部マコが入ればボランチは稲本に任せて、マコに本来の攻撃的な仕事をやらせることも可能になるだろう。
左の長友は合格だが、右が難点。徳永は守備に時間を割かれ、ほとんど攻撃参加できなかった。替わって入った駒野もスピード不足。ビビってるのか前に出られない。このポジションには内田もいるが、守備が弱すぎ。
あとから入った攻撃陣。佐藤寿人はともかく、平山も金崎も秘密兵器にはなれないだろう。
今年第一戦だったが、問題点は依然変わらないし、解決への道は遠そうだ。
(以上)

まあまあ、的を得ているのでは。稲本の役割を評価しているのは、我ながら達観だと思う。現在はここに阿部が入っているわけで、稲本もボランチのスーパーサブとして、2試合でいい仕事をしている。大久保はもともと嫌いなので評は辛い。遠藤も、このときはまだ胃袋の雑煮が消化されきれないまま試合に臨んだような感じだったが、しかし、全体として、ここまでよく解決したなあ。問題はベネズエラとしたような硬い守備のうえ、得点に結びつくような前の動きができるか。パラグアイはベネズエラと違って長身選手がいるが、高さを封じることができるか、そしてパラグアイの守備網をこじ開けることができるかだ。

中国の反応

2010-06-26 14:44:04 | Weblog

日本と韓国が16強入りしたW杯南アフリカ大会。
一方でアジア予選で敗退した中国。国際試合でラフプレーを連発、フランスのジダンから「もう中国には行かない」と言われたり、国内リーグでも審判に蹴りを入れたり、八百長事件で足球協会のトップが捜査当局から事情聴取を受けるなど、地の底に落ちている中国サッカー界がうらやましがっている。新華社は「中国サッカー、赤面しないのか」と、上海有力紙「解放日報」の記事を転電している。

中国には世界一流のサッカーファンがいるのに(ホントかよ?)、サッカーの水準は低い。足球関係部門はなぜ、日本や韓国に遠く置いて行かれたのか、W杯の機会を通じて分析するべきだ、としている。
まず、日本と韓国の活躍で、W杯出場枠でアジア地域が4.5となるだろうことに感謝している。日韓のサッカー環境を分析し、芝生のサッカー場をつくり、子どもの頃からサッカーに親しませ、青少年の大会をつくり、普及に努めていることを上げている。
これに対して中国では、子どものサッカー人口は年々減少、サッカー人口も減り、国内リーグの人気は低下の一途をたどっている。だが、ひとたびW杯が実施されると、忽然とサッカーファンが誕生しているという。このサッカーファンが本物か偽物かは問わないが、彼らの情熱は国内リーグには向かないのだという。

日本はかつて中国にも負けた時代があったが、Jリーグが出来てプロ化が進んで以降、全く違った歩みを見せている。ただ、サポーターが成熟してきているか、といえば、首をかしげざるを得ない。デンマーク戦後、渋谷の街で騒いだり、道頓堀に飛び込んだ若者たち。世の中の閉塞感をサッカーというイベントで騒ぐことで晴らしていないか。マスコミもオヤジのにわかサッカー評論家も同様だ。中国も似たようなものかも。他山の石としなければならないだろうなあ。

日本決勝T進出

2010-06-25 15:43:01 | Weblog
引き分けでなく3対1とデンマークに勝って、堂々と決勝トーナメント進出。カメルーン戦、オランダ戦を通じて、岡田監督は選手のコンディションと戦術を見極めてきたようだ。スタート時は「4141」でなく阿部、遠藤の2ボランチ、長谷部を少し上げ気味にした「4231」。引き分け狙いではなく、攻撃し、得点を挙げ勝って決勝トーナメントに行くとの決意と意図を選手たちに示した布陣だろう。ただ、デンマークの攻撃をつかみきれず、前半10分過ぎまでに、長友、遠藤に直接指示して阿部をアンカーとする「4141」に戻す。ただ、攻める意識は変わらず、長谷部は頻繁に最前列まで攻撃に出ている。
カメルーン戦では恐怖心もあったのか、守備を重視しすぎるがあまり、前線、中盤から相手を追いかけてのチェックはあまり見られず、自陣に深くひいてカメルーンの攻撃を待ち構えるやり方。長谷部、遠藤はまったく攻撃に参加できなかった。外にボールを蹴り出すだけ。この教訓からオランダ戦では前に出るようになったが、逆にオランダの猛攻時には守備に戻った長谷部、阿部が最終ラインに埋没して、被弾時にはシュートを決めたスナイダーへのマークが甘くなっていた。
デンマーク戦では、相手の攻撃が怖くてもDFラインを下げすぎることはせず、中盤との間を詰めて相手にスペースを与えないように注意深くラインコントロールしていた。

メンバーチェンジも的確だった。松井を岡崎に、大久保を今野に、遠藤を稲本に替えた。もし岡崎でなく、長身でヘディングに強い矢野だったら・・・。チームは「守りきればいい」と解釈して守りを重視して、デンマークの息の根を止める3点目は入らなかっただろう。全体が自陣に引きすぎて、デンマークの総攻撃を受ける形になり、試合はどうなっていたかわからない。岡崎には足の止まった松井に代わり、前線から相手の出球を抑えるディフェンスをしつこくして、チャンスがあれば点を取れ、と指示されていたはずだ。

2006年ドイツ大会第1戦対オーストラリア戦を思い起こす。1点リードしてジーコ監督は、FW柳沢に代わりMF小野を投入した。ジーコの意図を測りかね、FW陣はボールを持てる小野を基点としてもう1点獲ろうと考えた。宮本以下消極的なDF陣は、小野がひいて1点を守りきろうと思った。その結果、前線とDFラインの間にぽっかりとスペースができ、屈辱的な逆転負けを喫した。宮本が嫌いなわけだからではないが、ジーコ監督の意図は「もう1点取れ」だろう。スピードがなくオーストラリアの攻撃に手を焼き、引いて守っていた宮本は自らの判断ミスと体格的欠点を隠すためにああいっている。ジーコの意図を選手に徹底させなかった監督の手腕のなさ、選手の意思統一の欠如。ドイツ大会を教訓に、岡田監督はきわめて明快な選手起用で答えた。

大久保が疲れたためフレッシュな選手で守備を固めようとした。今野は本来ボランチの選手。試合を終わらせるための交代で、稲本も守備を重視して長谷部の負担を減らそうとの交代だ。オランダ戦で長谷部を交代させてチームが機能しなくなったことを教訓に、長谷部はフル出場、彼をフォローする形で今野や稲本を入れた。(写真は大久保と岡崎。いずれも今年2月2日の大分でのベネスエラ戦。間違っても南アフリカには行ってませんから)

試合が終わった後の岡田監督の会見が興味深かった。
デンマークのパワープレーに対して、複数の打つ手(選手交代)はあったがしなかったのはなぜか?との質問に、「いいボールを蹴らさない、しっかり競る、こぼれ球を拾うという原則を堅持していた。バランスを崩したくなかった」。想像はしていたが、矢野を入れなかった理由がわかった。
大会前と選手起用や戦術が変わった、との質問に対しては「われわれがやろうとしているサッカーの中心となる選手の不調がJリーグを通しても、また代表で集まっても続いた。戻るんじゃないかという期待を何人かの選手に対してしていたが、踏ん切りをつけないといけないというところにきて、起用法、システムを変えた」と中村俊輔について語った。そしてこれは遠藤や大久保も指していると思う。ただ、彼らは徐々に調子が上がってきたと認識して使っているという。
中村については「おそらくそれはW杯という重圧。日ごろ出ている選手の方がそういう傾向が強かったので、いろいろ話をしてみてもW杯の重圧みたいなものを感じたので、思い切ってここは決断しないといけないということで、システム、メンバーを変更した」。ドイツ大会といい、今回といい、中村俊輔は本当にビビリというか、ワールドクラスの選手ではない、本番で活躍できない、という評価が露呈してしまった。そこを見抜いて、中村をはずしたチームを急造で作った岡田監督の決断が、決勝トーナメント進出につながったのだと思う。
アジア予選を突破するための攻撃的な選手も、本戦では通用しない、と組織的な守備を優先したチーム作りを徹底、中村憲剛や内田ではなく、阿部や駒野を重用した。
ただ、フランス大会では三浦カズを見切って最後に外したことで、対マスコミ、対サポーターでしこりを残した。今回はここも学習していて、南アフリカに連れていっただけでなく、負けてもいいオランダ戦で交代出場させて、最終的に「使えない」と判断、引導を渡している。会見でも「もしW杯の重圧とか不調がなければ、前のやり方でもいけたかもしれない」と中村を擁護している。

で、中村がいなくなったあと、右サイドに本田を置くのではなく、1トップに当てたのは、ギャンブルといえどもすごい。オランダ戦はまったくダメだったが、デンマーク戦では本来の1.5列目の選手の本田が、トップでよくポイントを作ってボールをキープ、攻撃の起点になっていた。本来MFの本田をFWにしたことで、タレントの宝庫で過剰気味のMFのメンバーから、長谷部、松井、遠藤、阿部、稲本を効果的、機能的に使うことができた。海外経験の乏しい岡崎では、あれだけボールを収めることはできなかっただろう。

闘莉王もすごい。デンマークがパワープレーになっても、ハイボールをことごとく跳ね返していた。ワールドクラスのセンターバックとしての評価を得られるのではないだろうか。W杯後、長友、阿部などともに海外移籍を果たせるかもしれない。

ただ、問題がないわけではない。岡田監督も会見で「まだまだいろんな意味で世界との差はあると思う。互角に攻め合ったら、うちの選手はそこそこやるが、同じ数のチャンスを作ったら決定力の差でやられる可能性が大きい」。後半、遠藤がゴール前正面でボールを得たとき、シュートチャンスだったのに本田に縦パスを入れてチャンスをつぶした。闘莉王も決定的な場面でシュートを外した。オランダ戦の後、オシム監督の発言として報じられていたが、日本には「殺し屋」の感覚が足りない。
中3日で29日にパラグアイ戦。どう調整、修正していけるのだろうか。FK2本だけで評価されるのではなく、日本サッカーの組織と機能を高めて、世界に新しいスタイルを見せつけてほしい。


ブブゼラって

2010-06-22 03:32:02 | Weblog
ブブゼラって、南アフリカW杯で応援席で彼らが吹いている、ブーブーうるさい民族楽器のラッパのようなもの。トランペットのマウスピースのようなものなのかなあ?唇を震わせて音を出しているような。あまり興味がないのだが、アフリカの民族楽器のくせに、なんか安っぽいプラスチック製。いやーな予感がしたが、きょう見たテレビのニュースなどによると、やはり中国製。浙江省などで大量生産しているらしい。W杯景気でフル生産中らしい。儲かって仕方がないらしい。南アフリカもアホだなあ。こんなものまで中国に持っていかれるなんて。自分の国で作れば稼げたのに。50、60年代の日本みたいだなあ。

で、サッカーの試合を見ていると、グラウンド脇の広告で「哈爾浜Ud酒(ハルビンビール)」や「中国・英利」というのを目にする。ハルビンビールのHPを見つけてみると、W杯公式ビールとか言ってる。バドワイザーじゃないのかなあ。オランダのかつての名選手、フリットを広告塔にしているようだ。W杯で世界中に見せる広告を出しても、ハルビンビールなんて簡単に手に入らないじゃん。それとも、最近アフリカ進出が顕著な中国のことだから、南アフリカでは有名ブランドなんだろうか?それともわざわざ漢字の広告を出しているところを見ると、世界の華僑相手のつもりなんだろうか。
同様に「英利」というメーカーは「yingli」という英語表記もあるが、太陽光発電製品のメーカーらしい。
世界の工場・中国。全然知らないメーカーだけれど、こんなところからヒタヒタと世界進出が始まっていくのだろうか。

オランダ戦

2010-06-21 11:41:30 | Weblog

6月19日、W杯2戦目、世界4位のオランダと対戦、0-1で惜敗した日本。健闘したと思う。カメルーンに勝ち、オランダとは、うまくいけば引き分け、悪くても最少失点で負け、というのは想定の範囲内、シナリオ通りだったろう。オランダに2点目を取られなかったことで、1戦目で0-2でオランダに負けたデンマークとは得失点で+1のアドバンテージがある。この結果、日本は3戦目のデンマークに引き分けでも決勝トーナメントに進出できる。デンマークは逆に絶対に日本に勝たなければ進出できない。デンマークは前がかりになって攻めてくるに違いない。
オランダ戦でもうひとつ大きかったことは、MFの阿部が、イエローカードをもらわずに済んだことだ。カメルーン戦でイエローカードをすでに1枚もらっており、オランダ戦でもらっていたら累積2枚で3戦目は出場できなかった。これで阿部はデンマーク戦にも出られる。

見たとおり、W杯本戦に入って日本代表の攻守の要は守備的MFといわれるボランチの3人、特に4人のDFラインの前で相手の攻撃の芽を摘み、DFラインのほころびを埋める「アンカー」の阿部だ。屈強な相手FWにタックルする、というより、試合の流れを読んで危険なスペースを埋めたり、相手のエースを抑えて決定的なパスやシュートを打たせないようにする。そしてマイボールになるや否や、攻撃の起点として、前線、あるいはゲームメーカーに攻撃のお膳立てのパスを送る。極めて頭脳的なプレーヤーだ。この阿部と、もともとのボランチの2人、長谷部と遠藤の連携で相手の攻撃を事前にうまく食い止めている。また、阿部のおかげで長谷部、遠藤の守備の負担が減り、攻撃に時間と体力を割くことができるようになっている。
長友もうまくいっている。相手のエースキラーとして、スピードで負けず相手の攻撃の芽を摘み取っている。1戦目エトオ、2戦目カイトを徹底的に封じていた。それだけでなく、オランダ戦では、前線まで飛び出していってボールを持っている松井や大久保を追い抜く動きからボールを受けようとしたり、相手のマークをひきつけてスペースを作ろうとしていた。
ところが、後半、中村俊輔が松井に代わって入ってから状況が一変。日本からチャンスらしいチャンスが消えた。前半、右サイドをドリブルであがり、攻撃の起点と後方から選手が上がるタメを作ってチャンスメイクしてきた松井は確かに疲れていた。本田もカメルーン戦ほどにポストプレーがうまくいかず、前線でタメを作る必要があった。岡田監督は中村にそれを期待したはずだ。ただ、対人プレーに弱い中村は前線で相手のチェックを受けながら起点になることをせず、しばしばバックパスをして攻撃の流れを止め、スピードを遅らせ、あげくに守備から攻撃の切り替えのときにゆっくりルックアップしながらドリブルしているところをオランダに徹底的に狙われ、ボールを簡単に奪われピンチを招いていた。中村が入ったことで、W杯直前4連敗した悪いときの日本そのままのチームに戻っていた。
途中出場ゆえ、中村は本来自分がハードワークしなければならないが、自分を生かすために回りにハードワークさせるプレースタイルゆえ、自分がボールを持ちきれなくなるとすぐバックパスをする。疲れている阿部や長谷部、遠藤にマークがきつい中でボールを渡すため、そこで流れが止まる。本来なら、松井のように前へ前へ少ない人数でボールを運ばなければならないのに、結局本田を孤立させてしまった。岡田はもう中村を使わないだろう。限界が見えた。

もうひとつ、長谷部がいなくなってからチームとしてまったく機能しなくなった。岡田監督は中村に続いて、岡崎、玉田の2FWを大久保、長谷部と交代した。1.5列目からのプレーを得意とする玉田に長谷部的なプレーも期待したのだろうが、ゲームの中で玉田はまったく姿が見えないほどに存在感がなかった。トップ下でフリーな形でボールを持たせるなら、稲本=写真=を入れて長谷部や遠藤の守備の負担をさらに減らして、遠藤あたりを1.5列目やサイドでフリーな形で攻撃に専念させるような布陣のほうが良いのではないか。ただ、第3戦を見据えて長谷部を休ませたというのなら話は別だが。

デンマーク戦は25日午前3時半キックオフ。デンマークは引き分けではだめなので、ある程度前がかりになるだろう。サイドやDFラインの裏にスペースができるはずだ。そこにうまく走りこんでチャンスメークできるか。引き分け狙い、ディフェンスオンリーではおそらく守りきれず相手に得点されてしまうので、勝ちにいった結果引き分け、となればモアベターなのだとは思うが。

事前に知っていたら…

2010-06-18 11:21:34 | 中国旅行
今回の旅行で、寧夏回族自治区固原郊外の須弥山石窟の裏にあった圓光寺で、窟内の仏像を撮影できることになった。ほぼ真っ暗。こういうケース、普通はカメラのストロボは禁止だし、ビデオに至ってはベタあてすると雰囲気が壊れた映像になりかねないので、特に装備を意識しなかった。愛用のサンヨーXacti1000と2000なら、レンズの開放F値が1.8なので、そこそこ暗さに強いし、と過去の経験に照らして考えていた。
で、今回はほぼ想定外の環境だったので、母親が事前に購入していたLEDのヘッドライトで仏像を照らしてもらい、なんとなく撮影できた。

左が母親が別のところで撮影していて、漏れた光を感じて撮影。ちょっと凹凸感がある。右は直に当てたもの。ちょっと青色がつき、光にまだらもある。いずれもビデオで撮影したものをPCで再生、画面をキャプチャーした。ISO感度は400にしていると思う。

で、帰国後ネット検索すると、業務用でないビデオライトで、意外に軽くて手軽で安価なものがあるようだ。早速、アマゾン経由で購入。エツミ製で税込み3981円。単三乾電池2本利用で本体のみ80グラム。ブラケット付き。

Xactiなら、上部のカバーをはずせばストロボ用のホットシューがあるのでブラケットは不要。つけてみるときわめて手軽に使用できそう。
試しに点灯してビデオのディスプレイでのぞいてみると、いいじゃん。光源ムラもなく、そんなに離れたところでなければ、かなりきれいに撮影できそうだ。しまった、やっちまった。事前に用意して旅行に持っていけば良かった。後悔先に立たず。
昨夏に行った集安の高句麗遺跡の古墳の壁画もこれさえあれば、きれいに撮影できたかもしれないなあ。でも、今回のような撮影環境はなかなかないから、遺跡撮影で使用可能なケースはあまりないかも。ま、夜間撮影で使えるので、いつも持っていることにしよう。

ところで、今回の旅行で、いつもの愛用の一眼デジカメ、フジS3PROは持っていかなかった。ビデオと静止画と二股かけると撮影に忙殺されて観光どころでなくなりかねないと思ったのと、出発直前に左肩に激痛が走り病院で五十肩と診断されたこともあり(旅行中は回復していたが)、重いものを持ちすぎると観光どころではなくなるだろうと、思い切って割愛した。精密な静止画を撮るときはシグマのDP1。一眼デジカメ並みのサイズのセンサーをもつ28ミリ広角のみのコンパクトサイズデジカメ。望遠はXactiで静止画をとればいいや、と割り切った。
結果として、壁画のアップなどきれいな静止画で望遠を使いたいなあ、と思ったことはあったが、結構なんとかなった。それよりXactiの広角用コンバーションレンズは大変役に立った。
思えば、93年に北京に行った時は28ミリと105ミリをつけたニコンF2を2台だけで撮影、そこそこ満足できた。その翌々年の敦煌では、69のフォクトレンダーの蛇腹のクラシックカメラにブローニー版のベルビアを詰め、それ以外はネガフィルムを詰めたツァイスの35ミリレンズがついたコンパクトカメラだけだった。敦煌石窟内は撮影禁止だから、すごいカメラを持っていってもしょうがないんだけど。これもそんなに後悔しなかった。
逆に2001年にアンコールワットに行った時は、気合十分でクラシックなゼンザブロニカS2に50ミリ広角、75ミリ標準、150ミリ望遠と、当時のフジS1PROにズーム2本をリュックに入れて背負った。重くて暑くて死ぬかと思った。
それこそDP1って、このときのフォクトレンダーみたいな感じなのかもしれない。旅のカメラは軽くて動きやすく、でも今回のビデオライトとコンバーションレンズはリュックに入れておこう、という感じがいいのかもしれない。時代は変わったなあ。

旅の食事6上海

2010-06-09 17:27:50 | 中国旅行
最終日6日は朝一番7時35分の飛行機で蘭州から上海へ。10時05分上海浦東着。ここから日本に戻る午後6時の飛行機出発までが上海での自由時間。
行き着けの茶葉問屋街で烏龍茶を購入してから、当然、昼食は南京東路の行きつけの北京ダック屋「燕雲楼」へ。今は上海蟹の季節ではないから。

北京ダック半羽とセットメニューの黄韮とダックの身の炒め物。ちょっと塩気が多い。やはりダックは最高。日曜日の午後だったが、そんなに混んでなかった。これまで生ぬるいビールしか飲んでなかったので、キンキンに冷たい麒麟ビールを2本。ビールは冷たくなければ。

あと、蟹肉小籠包。日本でも時々食べているが、一応上海に来たら食べないと。スープはセットメニューのものではなくて、また修行中のお坊さんが食べたくて寺の塀を乗り越えて脱走しても食べに行くという「仏跳壁」。実はダックの残りの骨付きの肉の部分も入っていた。キノコや豚肉など海山の材料を素焼きの器に入れて蒸したスープ。久しぶりだったが美味かった。

旅の食事5蘭州2

2010-06-09 13:29:28 | 中国旅行
蘭州に来たら食べないと、と、博物館に行った後、昼食は市内で一番有名な老舗の蘭州馬子禄牛肉麺へ。ホテルのスタッフも、一番有名なのはここ、という。タクシーの運転手からは「並ぶよー」と脅されたけど、ま、行って見ようと訪れた。

牛肉麺2杯と付け合せの牛肉を頼んで食券を購入。麺をもらうほうには確かに行列が出来ている。母親に牛肉をピックアップして席取りをしてもらっておく。自分の番が来る2人ぐらい前に食券を渡す。細麺よりきしめんのように幅広麺が食べたかったので「寛(クワン)」と言って食券を渡す。細い麺は「細(シー)」と言う。厨房の中は粉をこねる人、麺を引っ張って伸ばす人がいて、伸ばした麺を湯の入った鍋に投入、茹でた麺を箸ですくって丼に入れるスタッフがいて、配膳のおじさんがスープと醤油ダレ、牛肉、香菜を入れて客に渡す。

ま、おいしいけど、行列を作るほどではないな。ガイドブックには麺はカンスイが入っていてコシがあると書いてあったが、そんなにコシがあるわけではない。スープをとったあとのものと思われる牛肉はうまかった。コンビーフみたいな食感でもあった。僕らのは五皿分ぐらいありそうだった。全部で30元だった。
夜は空港直近のホテルに移ったので、ホテル内で適当に食べた。ビールがない、というので、近所の売店で買って持ち込んで飲んだ。


旅の食事4蘭州1

2010-06-09 12:48:28 | 中国旅行

天水では、到着前、昼食が3時ごろと遅かったこともあり、あまりお腹が空いてなかったので繁華街の「清真」のソバ屋に入った。母親はパン麺、新疆ではラグ麺と呼ばれるミートソースのような具を後からかける麺。自分は「加肉炒麺片」。スイトンのように薄くちぎった小麦粉片を茹でたものを肉野菜と炒め、絡めたもの。

2杯で12元。うまかったけど、空腹だったらもっと美味しく食べられた。残念。写真は撮らなかった(ケータイで撮っていたのでアップした)。そのあと街で買ったリンゴは歯ごたえがよくなかった。
翌日、麦積山石窟を見て、昼ごろ駅前に戻り、天水駅前のホテルのレストランで列車発車時刻までゆっくり食事。列車は20分遅れで到着し、蘭州へも20分遅れのほぼ午後7時に到着。その日の食事は湖南料理だったが、店員の態度の悪さにむかつき、写真はなし。とても大きな豚の角煮のような肉の塊など、料理はうまかった。やはりビールはぬるい。
蘭州2日目は昼間は炳霊寺石窟で食べた、日本から持ってきた非常食、お湯を入れて食べられるアルファ化米のご飯。母親は勇気があるのか、売店で打っていた冷やし麺を食べた。5元。腹は壊さなかったようだ。

夜はこぎれいな四川料理屋が目についたので入った。葱爆羊肉とエビの揚げたのをあえたもの、ザーサイや葱、芹をあえた冷菜、蟹と大根のスープなど。

麺は担々麺とジャージャー麺。母親のジャージャー麺は手打ちのちょっと太めの麺だった。もちもちしていた。担々麺は市販の乾麺のようだ。あまり辛くないが、一応四川人が作ったような味付けだ。

旅の食事3寧夏甘粛

2010-06-09 12:11:56 | 中国旅行
固原の朝食。ホテル近くの肉まん屋に入った。清真と書いてあるからイスラム料理のはず。ということは豚肉まんじゃないな、と思った。ただ香辛料が強めで、羊の肉のような感じがあまりしなかった。たくさん食べたいなあ、と思うような肉まんではなかった。残念。黒いのは黒米粥。ちょっと甘い。うまかった。

朝ホテルを出発し、須弥山石窟を見る。参観時間2時間半と結構時間がかかったので、石窟を出たのは昼直前。というわりには、運転手がなかなか車を停めて昼食場所を探さない。「まだ昼食を食べないの?」と聞くと、固原、西吉、海原の3地区は中国国内でも一、二を争う最貧困地区で、衛生的にもあまりよくない、と避けているようだ。確かにその後、蘭州のホテルで見た中央電視台のニュース番組で、ボランティアが固原地区に入り、貧しい村の子供に勉強を教えるなどの番組をやっていた。
で、寧夏回族自治区を離れてすぐの町・静寧県で昼食を食べた。午後3時前だった。

家常豆腐と魚香肉糸。豆腐は高野豆腐と普通の豆腐の2種類。田舎の料理では間違いない。茄子の炒め物もこういうときはそんなに外さない。運転手にも好評だった。肉厚でジューシーで美味しい茄子だった。こんな風に作れるといいなあ。

梅菜扣肉。漬け物と豚肉の蒸し物。ちょっと漬け物の酸味と臭みが強すぎて、あまり美味しくなかった。豚肉はそこそこ柔らかくて食べられたけど。もう少し臭み抜きをすればいいのに。
これ以外に海苔と卵のスープを頼んだ。これも母にも好評だった。今回一度だけ、このとき米飯を食べた。甘粛、寧夏は米より麦の地域だが、米飯はやっぱりそんなにうまくなかった。
天水には7時前に着いた。予想していたより早めでよかった。

旅の食事2固原

2010-06-09 11:22:57 | 中国旅行
2日目。朝ホテルを出発して北石窟寺を参観後、農村を通って寧夏回族自治区の固原に向かう。上の写真4枚はその途中の彭陽県で食べた昼食。

北石窟寺を出てしばらく行くと、男は白い帽子、女はスカーフ姿が増えてきた。回教徒の回族だ。食事のため立ち寄った彭陽県も寧夏回族自治区にちょこっと入ったところだ。せっかくだから麺を食べようと、清真と看板に書いてあるレストランに入ると、メニューは麺しかない。運転手が麺を頼むから、対面の漢族の店に持ってきてくれ、と交渉。漢族のレストランでおかずとスープを頼み、持ってきてもらった麺を食べた。中国の回鍋肉はうまい。ニンニクの茎と油抜きした豚肉も油っぽくなくうまい。炒める前に鍋肌で肉にカリッと焦げ目をつけている。

麺は結構細くて、スープもあっさりとしていた。ただ麺は柔らかくてコシはあまりない。スープは西紅柿鶏蛋湯(トマトと卵のスープ)。上にかけた香菜もよく合う。

午後、かなり早い時間に固原に着いた。博物館を見て、帰りにサクランボを買って食べた。夕食はホテル近くの客でにぎやかな清真の火鍋屋にした。羊肉と白菜、ジャガイモ、シイタケ、ソーセージなどを頼んだ。蟹肉団子、と書いてあったので頼んだら、カニカマだった。あ、写真の鍋の向こう側に写ってる。

見た目は辛そうだが、ほとんど辛くなかった。にぎやかなだけあって、なるほどかなり美味しい。主食に葱卵餅を頼んだが、全部食べ切れなかった。ジャガイモうまー。この日で夜2食め、毎回ビールを頼むが、冷たいのはない。どこへ行っても冷えてない。冷蔵庫に電気がついてるので、やった、と思ったが、電気がついてるだけ。習慣的に冷たいものは飲まないようだ。

旅の食事1西峰

2010-06-09 10:56:49 | 中国旅行
5月31日から6月6日の夏休みも終わり、蘭州から上海経由で帰国した。写真整理も始めた。1週間中国で食べた料理を紹介する。一部中抜けもある。今回の甘粛省と寧夏回族自治区は、蘭州牛肉麺は有名だが、それ以外に特に有名な料理はないようだ。一応イスラム教徒が多いので羊肉とかも少なくなかった。

まず、1日目、西安から車で移動した甘粛省慶陽市西峰での夕食。到着が遅かったのでホテル近くのレストランに入った。骨付きの豚肉をスープで炊いた料理は、肉が柔らかくて味も濃すぎず美味しかった。肉が骨からポロッととれた。インゲンは唐辛子がたくさん入っている割にはあまり辛く無くてよかったが、塩気が多すぎた。

豆腐も上にかかっているタレが塩辛すぎた。豆腐は好きだが、全体的に味が濃いのであまり箸が進まなかった。麺はスープなしで上にかかっている三種類の具を楽しめる。思いのほかニラが美味しかった。最後はまぜこぜになったが、よかった。
最初から混ぜ混ぜして食べてもよかったかな。

蘭州最終日

2010-06-08 23:21:02 | 中国旅行

明日、帰国するという蘭州最終日の5日、緩めの予定でまず、甘肅省博物館に行った。固原もそうだったが入場無料。パスポートなど身分証明書を見せる。
他の入場者は二階に行ったが、我々はエレベーターで三階へ。あとは降りるだけという作戦。恐竜の化石がたくさんあった。ブラキオザウルスのような巨大な草食恐竜のようだ。子供や卵の化石も。奥にはマンモスやサイ、キリンの原型、蹄が三つに分かれた馬の先祖のような動物の化石も。なかなかすごい。

二階のシルクロードの展示が圧巻。飛ぶように走る馬の像や漢代の兵馬俑、木簡や西夏文字で書かれた経典もあった。満足。

そのあと、早めの昼食。本家・蘭州牛肉麺の老舗、馬子禄牛肉麺に。麺と肉皿の食券を買い、行列の後ろに並ぶ。細い麺でなく、きしめん状のを食べようと、窓口で麺にスープや香菜などを入れているおじさんに「寛」というと、麺を伸ばしているスタッフに怒鳴って伝え、彼が伸ばした麺を鍋に投入、別のスタッフが湯切りをして丼へ、最後にスープや醤油ダレをかける流れ作業。味は行列をつくるほどでもなかった。食券の買い方や注文の仕方など、周りの人がいろいろ教えてくれて面白かった。
そのあと白塔山公園へ。蘭州市内を上から俯瞰でも見た。

荷物をピックアップしてタクシーで1時間以上かかる空港近くのホテルへ。事前に予約しておいた蘭州中川機場快捷酒店は、空港駐車場を挟んで直線距離で空港まで300メートル、歩いて10分程度。ホテル名が大きく掲げられてないので、探すのにちょっと大変だった。近所の売店でスイカを買って食べた。9.5元。翌日朝イチの飛行機で上海へ、夕方の便で帰国となった。

炳霊寺石窟

2010-06-04 23:26:27 | 中国旅行

今回の旅行で見る四つの石窟のうち最後の一つ、炳霊寺石窟は蘭州の南西100キロの永靖県にある。
前夜タッチの差でクローズしていたホテル内一階の華聯旅行社を朝食後覗いてみると、8時前から開いていたので、早速、炳霊寺石窟行きを相談、8時半出発ということになった。往復の車、快速船、入場料、中国語ガイドで498元。もし快速船を相乗りできないと貸し切り代300元がブラスされる可能性もあるという。

ガイドは黄さん、運転手は王さん。昼食用のアルファ化米などを準備し9時出発。火力発電所などがあり、蘭州で最も大気汚染がひどい、というダム地区を通り、2時間で埠頭に到着。幸いにして成都人の兄ちゃん二人組と相乗りできることになった。
船は運転手を入れて6人乗りでとても小さく、大の男が膝を折り曲げ座る。泥色の黄河が途中で青緑色に変わった。奇岩が桂林や張家界のよう。1時間で炳霊寺石窟に着いた。

ほとんどが撮影禁止。個別の仏像に素晴らしいのがあるとは言えども、規模や全体のレベルは須弥山石窟や麦積山石窟に劣るかなあ、という感じ。メーンの一番大きな171窟は修理中で、全体に足場がかけられ、景観を妨げていた。顔の部分は残っていたが、体は彫刻もはげ、ツルツルになっている。改修でどのくらい余計な装飾をつけられるのか、心配だ。

さらに、わざわざ300元出して特別窟の169窟を見たが、300元の値打ちはないな。最後に多くの石窟が並ぶ側と川を挟んで反対側の寺の中に涅槃像があるのを見る。もともとは反対側にあったらしいが、1960年代に、回りの岩を削って移築し、修復したらしい。
参観時間1時間半。移動時間の割には、石窟と奇岩を眺める快速船のクルーズを合わせて、やっと一人前という感じか。

麦積山石窟

2010-06-04 00:15:08 | 中国旅行
ホテルの朝食は肉類はなく、タンパク質はゆで卵だけだった。母親は憤慨していたが、もしかしたら宗教上の理由で豚や牛を食べられない宿泊客を想定しているのかもしれない。
朝8時に出発、ガイドブックなどには「天水南郊55キロ」と書かれているが、車で出発したら道路標識に「麦積山石窟まで26キロ」とある。火車駅のある北道区は繁華街のある中心部・秦城区と17キロ離れているからだろう。

ということで、予定より早く9時前に入場。70元。これとは別に3キロ離れた目的地までのカート代往復10元。もちろん、3キロ歩くつもりなら不要。撮影代は徴収されなかった。

ダラダラと石段を上ると、ほぼ真上にメーンの大きな仏像三体が、岩面からせり出すように彫られている。

個々の小さな洞の仏像も保存状態の良いものが多い。その上には石仏の洞が七つ並んだ部分は伽藍の上部に描かれた飛天が見事だった。極楽浄土の壁画もあった。6段に仏像が並んだ千仏洞もあった。

いずれも写真撮影は可能だが、網や鉄格子で遮られていて、撮影上の制限が多い。修復中で覆いがかけられ、ほとんど見ることの出来ない石像もあった。
当初の予想時間の30分前には参観終了。天水火車駅まで送ってもらい、運転手はお役御免。駅前のホテルの餐庁で列車の時間までゆっくり昼食。駅に行ったら乗るべきK419次蘭州行きは20分遅れているとのこと。ホームに入れられ、駅員は「どの車両でもいいから、とりあえず乗れ!」と叫んでいる。無事本来の12号車に乗車でき、20分遅れの午後2時43分に出発。

世界の車窓からの気分だが、甘肅省は景色が単調だ。麦積山の写真を携帯で撮るのを失念したので、今日のブログの写真は車窓にした。後日アップします。
きっかり20分遅れて蘭州着。事前に調べておいた駅前の華聯賓館☆☆☆に確保できた。159元。夜は街のマッサージへ。98元。結構うまかった。