Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

ラスト・コーション(色,戒)2

2009-02-25 17:14:21 | 映画鑑賞
ネタバレ注意、映画を見ていない人は読まないほうが・・・。
冒頭のマージャンのシーンから「李安、御主やるな」という感じ。目線と言葉の駆け引き。暗殺対象の易が登場したときの微妙な視線。易夫人と麥夫人に成りすました主人公の王佳芝が、途中上海語で話し出す。「あなた上海語できるの?」「母親が上海人だったので。ほとんど忘れましたけど」。陳冲は上海出身、湯唯も杭州出身だから上海語はOKなのかもしれないが、リアル。同郷ゆえの結びつきで易夫人が心を許した、のような部分を暗示している。最初に易夫人を車に乗せるときも、運転手に広東語を使っている。地元・香港で採用した運転手という想定なら(実際は王の同級生で、運転手に扮している)、広東語でなければならない。

1930年代の香港、40年代の上海の雰囲気もいい。この映画を見て影視楽園に行くとその雰囲気の中に浸れる。トニー・レオン演じる特務幹部の役は、実在の人物で、特務機関ジェスフィールド76号の工作員だった丁黙邨では、と思ったが、やはりそうだった。王佳芝のほうは、父親を中国人に母親を日本人にもつ女性工作員・鄭蘋茹がモデルというが、ちょっと環境や設定は違うようだ。というか、鄭蘋茹の生い立ちがあまりに複雑なので、李安は2時間半の映画の中で語れる程度にシンプルにしたのかもしれない。
そうはいっても複線が絡み合って、緊張の中、2時間半はあっという間に過ぎる。
中国語の字幕を見て気がついたが、色戒の戒は「欲望を警告」の意味だけでなく、「指環」(中国語で「戒指」)の意味がかけられているのかもしれない。最後に易が王に贈った指輪に、易の気持ちと、王が易を暗殺対象としてでなく、激しい性愛を通じて本当に愛してしまった気持ちを反映させたのでは。

湯唯が映画初主演とは思えない出来。梁朝偉も渋く悲しげで、時に適当に悪人顔で醜く、最後に見せる優しい表情も良い出来だ。王力宏は完全に食われた。
完全な美人というより、きっと素顔は大学生のときのメークのように可愛い女の子なのだろうが、李安監督の芝居のつけ方の手腕なのか、偽夫人として妖艶さを芝居している様子、易を愛してしまった本当に妖艶な感じとの使い分けは絶妙だ。湯唯が出たCMが中国で放送禁止になったり、次回作がなかなか決まらないのは、この映画で全てをさらけ出してしまったからか。ヌードの後ろ姿は失礼ながら結構貧相だった。

ラスト・コーション(色,戒)1

2009-02-25 16:11:00 | 映画鑑賞
米アカデミー賞といえば、台湾出身のアン・リー(李安)。アジア人で初めてオスカーの監督賞を獲った。06年第78回の「ブロークバック・マウンテン」で、カウボーイの同性愛を描いた映画だった。07年製作、日本では08年公開だった「ラスト・コーション(色,戒)」が僕にとっては強烈だった。ベネチア映画祭の金獅子賞(グランプリ)を獲っている。ここ数年見た中ではベストの映画だ。日本でもDVDが発売されたので、映画館で見逃した人が見るチャンスがあると思って書いてみた。

舞台は事実上日本の占領下に置かれた1940年代初頭の上海と、その前の導入部に1930年代の香港。戦乱を避け上海から香港に逃げてきた女子学生・王佳芝(湯唯=タン・ウェイ)は、同級生の鄺(王力宏=ワン・リーホン)が発案した抗日演劇の成功に味をしめ、夏休みに学生たちで貿易商とその夫人らを装い、現代中国が「日本傀儡政権」と呼ぶ汪精衛(兆銘)政権幹部の易(梁朝偉=トニー・レオン)を暗殺しようと計画し、夫人(陳冲=ジョアン・チェン)に近づく。易は抗日組織摘発の特務機関を仕切っている。夫妻は上海に戻り、計画は終わったかに思えたが、上海に戻り日本語を勉強していた王佳芝を、国民党の特務になった鄺が探し出し、再び易家に接触する。易と王は互いに惹かれあい、逢瀬を楽しむことになり、王はスパイの仕事を超えた愛情を持ち始め・・・、といったストーリー。
写真は松江区の映画セット村「影視楽園」内の撮影用偽ガーデンブリッジ。

アン・リーの地元・台湾で観客動員が「海角七号」に抜かれたが、作品の質は圧倒的に「色,戒」の方が上だ。激しいセックスシーンがあって、誰でも見られないことが影響したのだろうか。日本でもR18指定。最初は劇場で見たが、ぼかしが入っていてかえって違和感。香港・台湾版のノーカット・無修正DVDを入手し見たが、別にナニが見えるわけでもなし、その激しい3回のセックスシーンそれぞれに意味がある。
1回目は易が自らの死の恐怖を忘れるためにベルトを鞭のように使ってサディスティックに自分の欲望をぶつける。2回目はお互いの愛情を確認し合う。3回目は完全に主導権が逆転し、易は王に心の安らぎを求め、王は易の恐怖を忘れさせようとしている。中国はこのシーンを計十数分間カットして上映したらしいが、このシーンなくして二人の心理状態やストーリーを理解することなど出来ないだろう。3回目の情事のあと、学生時代に好きだった鄺にキスされても、それをはねのける王は、すでに易を深く愛してしまっている。李安の心理描写への配慮はスキがない。暗く、悲しく、緊張迫られる内容で、ポルノ映画のように鼻の下を伸ばしている暇はない。ところで、湯唯の腋毛がそられていなかったのも、李安監督細かくリアル。
ラスト・コーションは「Last」ではなく「Lust」。「欲望」の意味で仏教用語だそうだ。

李安は2000年「グリーン・ディスティニー(臥虎蔵龍)」でもオスカーの外国語映画賞など4部門で賞を獲っている。ワイヤーアクションを多用した、武侠映画と呼ばれるカンフー映画だが、これもすごい。英語以外の言語の作品ながら作品賞候補にもノミネートされていた。張芸謀が「英雄」を撮った後、「アン・リーを真似したんじゃないか」といわれて、張自ら「中国人はみな武侠映画のDNAを持っている。似たといわれても盗作ではない」と言い訳していたぐらいだ。その後の「LOVERS(十面埋伏)」など一連の中国武侠映画の新たな展開を導いた作品といえる。

中国麺いろいろ

2009-02-15 17:05:45 | 歴代中国旅行

中国の食べ物で最も日本人に馴染み深いものは麺だろう。とはいっても、ラーメンは中国にはない。拉麺は引っ張って伸ばす麺。中国には包丁で切る麺も、手でちぎって沸いた湯の中に放り込む麺もある。そもそも中国で麺というのは、細長いそば状のものではなく、材料に小麦粉を使った餃子や饅頭(マントウ)、焼売、焼餅など麺食の総称。米が材料だと米線(ミーシエン)とか、米粉(ミーフェン)と呼ばれる。一番上の写真は上海の沈大成の雪菜蹄膀湯麺(高菜と豚すね肉の煮込みスープ麺)。

新疆ウイグル自治区などにいるウイグル族は「ラグ麺」が大好物だ。練った小麦粉を寝かせておき、ひも状にしてから両端を持って引っ張ってはまな板に「バン」と音がするほどに強く叩きつけ、引っ張っては叩き、を繰り返してコシをだし、茹で上げた麺に羊肉とトマト、ピーマンなどを煮込んだソースをかけて食べる。「ウイグル族の男たちはこればかり食べてるから太るのよ」と現地の女性が話していた。


麺専門店ではなく普通の食堂で麺を食べたい、というと乾麺など市販の麺を茹でて持ってくる。青菜や目玉焼きが入ることが多い。中国ではやわらかめに茹でる傾向がある上、いわゆる日本のうどんと同じでかん水を使っていないので、油断しているとあっという間にスープを吸ってドロドロになる。スープがおいしければそこそこ食べられる。

焼きそばは雲南省の梅里雪山のふもとの街、徳欽で食べた。かなり油っぽかったが、味は良かった。

麺といえば山西省。左は王家大院前の大衆食堂で「地元の麺」と言って出された。かなり短くてポソポソしていた。右は平遥古城内の食堂で出された「クーローロー」と呼ばれる地元の麺。黒酢やミートソースのようなタレをつけて食べる。

左は、前も載せたチャンポンにそっくりな福建麺。右は謝晋監督映画「芙蓉鎮」のロケ現場となった湖南省の街で。今は映画と同じ「芙蓉鎮」と街の名前を変えて観光地化されている。映画で主人公が作っていた「米豆腐」と称して売っていたものだが、見た目は映画のものとまったく違う。味はすいとんみたいだった。

担々麺は僕が留学した25年前には、四川省成都市に「正宗(本家本元)担々麺」「成都担々麺」が2軒並んで建っていたが、いまはもうない。天秤棒で麺と具材をつるして担いで歩き回ったことから、「担々麺」となったらしい。スープも具もなく貧弱な麺なので、地元・成都でもほとんど廃れたようだ。スープ麺を出すところも出てきている=写真左。台北郊外の士林の屋台で食べた担仔麺(は右)。台南の度小月のものが元祖。一番有名でうまい。

武漢で食べた熱干麺を追加した。蔡林記という地元の有名店だと聞いて食べに行った。武漢の名物らしい。食べたものは芝麻醤(ジーマージアン)がかかっていた。ま、普通の味。知り合いの武漢人に見せたら、「キャー」と声を上げて懐かしがっていた。

映画「赤壁Ⅱ」を見た

2009-02-07 01:26:56 | 映画鑑賞

「レッドクリフ パートⅡ」(赤壁 決戦天下)を見た。日本では4月封切。
いよいよ、諸葛亮孔明が風を見る。10万本の矢を曹操軍から失敬してくる奇策も、もちろんたっぷり描かれている。
基本的にはなかなか見せるつくりになっている。単に英雄伝説というわけではなく、戦争と人の死のむなしさ、実らない恋、別れなども盛り込まれている。

舞や音楽の部分がかなりしつこく出てくるが、それは周瑜の描き方に対する呉宇森(ジョン・ウー)監督のこだわりなのだろう。写真は湖北省赤壁の古戦場わきにある周瑜像。趙雲子龍を多めに描いているのも監督の好みだな、きっと。劉備玄徳を庶民的な人物として好意的に描いているのもそう。
前回、ちょっとしか登場場面がなかった趙薇(ヴィッキー・チャオ)も、パートⅡでは重要な役割と、一つのエピソードが盛り込まれる。モデル出身で映画初出演、芝居ができないと揶揄された林志玲の芝居も出てくる。
しかし、金城武も、林志玲もあっさりとセリフは吹き替えになっている。その辺はジョン・ウーのほうがシビアだな。以前、張芸謀監督作品の「十面埋伏(LOVERS)」で、劉徳華(アンディ・ラウ)も金城武もセリフが訛りまくり。唐王朝の近衛兵役なのにセリフが広東語訛りや台湾語訛りじゃまずいでしょう。聞くに堪えなかった。
その辺の配慮は赤壁のほうが圧倒的に上。もちろん中村獅童にも変な中国語は喋らせず完全に吹き替え。さすがジョン・ウー。ハリウッド作品にも負けない中国的エンターテイメントになった。ただ、終わり方がシンプル。パートⅢがあるんだろうか、と思わせるほど。
映画館で見たら迫力が違うから、たぶん見に行くと思う。

南翔饅頭福岡

2009-02-06 01:27:00 | Weblog

上海豫園の南翔饅頭店の福岡の支店に行って来た。上海から点心師を招いて実演しながら小籠包を出している。人の多さは違うが、上海の豫園の店とおんなじ。前回まではおばちゃんだったけど、今回来たらにいちゃんになっていた。店の人に聞くと張さんという、やはり上海の本店から来たという。
小籠包は、黒豚、蟹肉、ふかひれ、松茸と4種類食べたが、蟹味噌の濃厚さはあまりなかった。で、前回まではメニューにあった蟹肉豆腐がなくなっていた。

「出してもお話しているとさめてしまうので」とか、もっともらしい言い訳をしていたが、さめても食べたいよ。いいよ、上海に行くよ。また福岡のレベルが下がった。調理師が変わったのかも。写真は上海の蟹専門店、玉宝和酒家の蟹肉豆腐。
でも、日本で上海の小籠包が食べられるとは、幸せだよなあ。あまり客が入ってなかったけど、つぶれるなよ。
3枚目の写真は上海の豫園にある本店。

映画「梅蘭芳」を見た

2009-02-04 04:04:47 | 映画鑑賞

 中国映画の巨匠、陳凱歌監督が、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した「覇王別姫 さらばわが愛」(1993年)以来、15年ぶりに京劇をテーマに撮った映画「梅蘭芳」をDVDで見た。
いうまでもなく中国最高の女形の京劇俳優、梅蘭芳=メイ・ランファン=(1894-1961)の生涯を描いたものだ。日本では3月7日封切だという。梅蘭芳役は黎明(レオン・ライ)。北京出身で香港の四大天王の一人(他の3人は劉徳華=アンディ・ラウ=、張学友=ジャッキー・チュン=、郭富城=アーロン・コック=)。香港の陳可辛(ピーター・チャン)監督の「甜蜜蜜」=邦題・ラブソング=(1996年)で好演した。梅と愛し合う男形京劇役者、孟小冬役に章子怡(チャン・ツィイー)。
梅の京劇の師匠、十三燕役に王学圻。彼は陳凱歌のデビュー作「黄土地(黄色い大地)」(1984年)で、可憐で薄幸の少女に慕われる八路軍兵士を演じた。次の「大閲兵」(1985年)にも出演している。日本からも安藤政信、六平直政が参加している。
音楽は、「覇王別姫」でも組んだ趙季平。
物語は、ネタバレ注意だが、①京劇の伝統と形式を重視する守旧派の師匠、十三燕との戦い②愛人となる孟小冬との出会いと別れ③米国公演④日本軍とのかかわり--の4つのエピソードを盛り込んだ。
実在の人物を描いているため、あまりマイナスイメージを出すようなエピソードは盛り込みにくいのか、「覇王別姫」ほどにはメリハリというか盛り上がりはあまり多くなく、淡々と物語は進んでいく。
梅蘭芳のエピソードは中国人にとっては周知の事実ということなのか、物語の中の出来事について、それほど説明的なシーンは入っていない。中国や京劇のことを知らない外国人には理解しがたいのではないか。
また日本びいきの陳凱歌としては、日本軍の兵士が京劇に理解をもっている、ということをまた物語に盛り込んだ。「覇王別姫」では、日本軍、国民党軍、八路軍がそれぞれ京劇をどのように理解しているか、を比較させ、「中国人より日本人のほうが芸術を理解している」と思わせるようなシーンがあったのだが、そのような刺激的なストーリーはなし。
満を持して撮った梅蘭芳の半世紀を描いた映画にしては、俗人的な盛り上がりに欠け、海外での賞は難しいんじゃないか、と思う。もちろん、賞狙いだけが目的ではないと思うが。
黎明は、僕は好きな役者。口数があまり多くなく、ちょっと間の抜けた感じの芝居はうまい。表情を崩すとあまり美しくないが、ある程度の年齢になったわけで、単なる二枚目を脱するためにはいいんだろう。章子怡はメイクの関係なのか、ブスッとした顔が鞏俐(コン・リー)を連想させる。歳をとったなあと実感。
物語の中で梅蘭芳の京劇理論や思想、方式に影響を与え、自らも梅の才能に惚れ援助を続ける邱如白役の孫紅雷を重要人物として描いている。「我的父親母親」で、都会から帰省し父親の葬式を出す息子役を演じたが、今回は芝居がわざとらしい感じもする。「覇王別姫」だと葛優が演じた評論家と比較してしまうが、葛優が「怪演」だったのに比べると物足りない。十三燕役の王学圻は「怪演」だったが。