Takepuのブログ

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神戸の近代中国跡(2)

2016-04-15 11:39:39 | 中国旅行
諏訪山公園から坂を下って15分ほど歩くと、中華同文学校。阪神大震災の後の応援取材で一度訪れたこともあったが、かなりきれいになっていた。孫文は辛亥革命成功後の1913年、神戸を訪れており、この学校の敷地にあった中華会館や学校を視察したらしい。プレートが塀に掲げられている。



そのあと近くの関帝廟を見て、ちょっと歩いて大倉山の神戸文化ホールの敷地にあるという孫文の胸像を探した。

多くの違法駐輪を避けるように縄張りがされていて、胸像はその中だった。神戸華僑総会が1965年、孫文生誕100年を記念して作ったそうだ。

足が疲れたこともあり、地下鉄で一駅乗って県庁へ。県庁の地には、旧制神戸高等女学校のプレートの隣に孫文の大アジア主義講演の地を示すプレートもあった。1924年11月に孫文がこの地で行った「日本は西洋の覇道となるのか、東洋の王道となるのか」と迫った大アジア主義の講演は、東洋の王道を称えてその最先端を進む日本について、行き過ぎに警鐘を鳴らしたものだそうだ。



最近の研究では、むしろ日本へ皮肉を言いながら批判したもの、とする見解もあるらしい。


県庁から南京町へ。南京町南端の華僑博物館(拝観料300円」)で勉強。横浜中華街を取材した時に知り合った烏勒吉さんが横浜山手中華学校の校長として神戸の同文学校を訪れた写真もあった。烏勒吉さんは横浜の関帝廟の隣にある中華学校が、国民党政権系の教育カリキュラムを進めようとするのに抵抗、1952年に学校に立てこもり、加賀町警察署が介入する事態となった(学校事件)。彼ら大陸の政権のシンパの教員と子弟の保護者は別の中華学校を作るべく活動を続け、横浜には2つの華僑学校ができ、現在に至っている。

そのあと南京町で食事。行列ができていた老祥記で一応「豚饅」も食べた。


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