Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

元宵節

2010-02-28 00:00:01 | 飲食
正月十五元宵節(zhengyue shiwu yuanxiaojie)

明日28日は旧暦(農暦)の1月15日。中国では元宵節(げんしょうせつ)といって、春節期間を終える日。一家団欒をこめて満月に見立てた湯圓(タンユアン)を食べる。もち米で作られたダンゴの中に胡桃やゴマなどの甘いアンが入る。熱湯で茹でて、お粥のようにして食べる。
大学2年の冬、北京で1ヶ月間の語学研修をした時にちょうど、この元宵節に当たり、街頭にたくさんの乾燥した湯圓が積み上げられ、売られていたのを覚えている。確か、留学生食堂でも出たはずだ。

成都で1年間学んだときは、日本人留学生の姉貴分が甘いものがダメなのに、中国人家族に招待され、人質として僕も参加、彼女の分まで28個食べたこともあった。他のごちそうもあったのに、湯圓だけでお腹一杯になってしまった。

今年は、28日の元宵節当日は仕事で食べられないので、前日の今日、近所のいつもの餃子屋さんで食べてきた。韓さんに、「どこで買ったの?」と聞いたら、東京だって。最近は横浜中華街とか、東京・池袋西口の中国系食材屋などで中国直輸入製品が冷凍されて売っている。冷凍餃子が怖くなければ、お湯を沸かしてちょっと茹でるだけで、元宵節を堪能できますよ!


それ以外は、まず、豚肉ホタテ蒸し餃子。こんなにスープが入ってたっけ、というぐらい中身はジューシーだった。まるで小籠包だね。鎮江香酢(黒酢)をつけていただいた。

それから、魚を揚げて酢豚状にした「糖酢魚塊」。本当は一匹丸ごとが好きなんだけど、食べ過ぎです。酢の名産地、山西省の大同近く、応県の木塔そばのホテルの食堂で食べたやつは抜群にうまかった。酢といえば山西省だな。


長崎で食べたもの

2010-02-23 14:43:47 | 飲食
長崎に行って新地中華街の湊公園でおもにランタンフェスティバルのイベントを見ていたのに、2度の食事はいずれも中華街のお世話にはならなかった。あまりにも日本風中華で代わり映えしないから。どこへ行ってもちゃんぽんと角煮まんだ。
で、昼食は「夕月」という店のカレー。数日前に長崎に先乗りした同僚の強い勧めがあった。長崎に来てカレーもないだろう、とも思ったが、ま、敬意を表して。写真でもわかるように、色が赤オレンジっぽいのが特徴で、といってもトマト仕立てという味でもない。スパイスの関係なのか、カレーっぽい味はしている。バターが効いているようだが、わりとさっぱりした味付け。根強いファンもおり、持ち帰りのパックもあるようだ。


もうひとつ、長崎老舗の割烹というか日本料理店「吉宗」もリストにあげていたが、中華街の湊公園での龍踊を見終えて移動してくると、すでに閉店。午後8時までだって。祭り期間中なのに非協力的なんだなあ。
ということで、眼鏡橋方面へ。すぐそばのちゃんぽんで有名な店は昼間は行列が出来ていて「材料がなくなりました」と途中で客を断ったりしていたが、夜は閉まっていた。この店にはかつて一度入ったことがあったが、それほど感動するものでもなかった。長崎県民に聞くと「一番うまいちゃんぽんは『リンガーハット』だ」と嘘とも本当とも思えない冗談をよく言う。ま、当たらずも遠からずなのだろう。

で、眼鏡橋近くの日本料理屋に入った。結構当たりでおいしかった。長崎なら角煮は定番とのことで頼んだ。悪くはない。角煮、というか東坡肉(トンポーロウ)は杭州の天外天のが最高だったから。それを超えるものはなかなかないよね。

キャベツと牛肉は、牛肉の佃煮のようなすき焼きのような醤油と砂糖で甘めに煮たような味。甘みが強いなあとは思ったが、食べられないほどでもなく、まあ、おいしくいただけた。シュガーロードの出発点・長崎だから、甘めなのだろうか。鶏肉はうまく焼けていて、塩味だけだが味が濃すぎることなく皮がパリッとしていてうまかった。ふろふき大根もよかった。味噌は恐れていたような甘さではなく、大根そのものにダシがよく染みていた。かなり大きな大根だった。

これ以外に定番とされる茶碗蒸しも食べたが、写真を撮るのを失念。茶碗蒸しを食べ比べたり食べ歩いたりしたことがないので、味はよく分からないが、まあ普通の茶碗蒸しだった。あと刺身の盛り合わせ、ノンアルコールビールを頼んで5000円ほど、かなりリーズナブルな店でよかった。

長崎燈会

2010-02-23 06:36:42 | Weblog

21日に長崎ランタンフェスティバルを見てきた。1000円高速の恩恵を享受した。土曜日は皇帝パレード、日曜日は媽祖行列があるというので、媽祖行列を見ることができた。長崎はもともと福建省出身の華僑が多いと聞いていたので、媽祖信仰は厚いのだろう。ちなみに長崎名物「ちゃんぽん」も福建語で「喫飯(チー・ファン)=ご飯を食べる=」の意味だと、アモイとかで聞いた。
夜になるとさすがにランタンがきれい。中国に詳しい人には釈迦に説法だが、本当は旧暦正月15日の元宵節に灯会は行われる。中に胡桃やゴマのアンが入った米の粉のダンゴ「湯圓(タンユアン)」を食べる。ことしの元宵節は2月28日。福の字をさかさまにしてつるしているのは、「福倒了」(フーダオラ=福が倒れた=)が「福到了」=福が来た=と同じ発音のため。これも釈迦に説法ですね。

媽祖行列は唐人屋敷跡の地区にある福建会館を午後2時45分出発、街中を練り歩いて湊公園には3時20分着とスケジュールは大体調べておいた。2時過ぎにアーケードのある商店街で遅い昼食を食べていたら、中国風のお囃子が聞こえてきたので外に出てみると、ちょうど、龍踊のメンバーら行列の一行が媽祖様をお迎えに行くところだった(下の写真)。

湊公園はすごい人。ちょうど公園についたころ道の脇の縄張りをはじめたので、そろそろ始まるな、と結構いい場所をキープ。爆竹の音と鐘や太鼓のお囃子の中、船のような形の山車に乗った媽祖様をカメラにおさめることができた。行列にはたくさんの留学生も動員されていた。爆竹は去年たくさん燃やしすぎて事故を起こしたらしい。中国と同じだ。ステージ上で媽祖様を御神輿に移してから奉納の踊りなどをしていた。

湊公園で獅子舞が始まる午後6時50分まで時間があるので、唐人屋敷の福建会館でやっていた二胡の演奏を見たり、街をぶらぶらしたり、お茶を飲んでから獅子舞見物へ。すごい人だ。徐々に人ごみを掻き分けて前のほうに移動したが、ビデオ撮影は望遠にせざるを得ないうえ、あちこちにぶつかるので手振れも少なくなかった。
これまた中国に詳しい方はご存知かも。獅子には写真のような南方獅子と、金色の長い毛がたくさん生えた北方獅子の2種類があって、いまはほとんど南方獅子。横浜中華街には今も伝統的な北方獅子が継承されている。マレーシアやシンガポールなどの華人社会で南方獅子が多く、曲芸的な振りで競い合う獅子舞の国際大会も開かれている。横浜にいたときに中華街の青年団が初めてその国際獅子舞大会に参加し、あまりのアクロバティックな舞いにびっくりして、新しい道具を買い揃え、教えを請い、練習を重ねて横浜で舞っていると聞いたことがある。

龍踊(じゃおどり)は長崎の伝統的なお祭りの長崎くんちで披露されるもの。女子高校生たちのチームも出来て活動しているという。長崎の住民がかつて華僑たちから教わり継承してきたそうだ。金色の玉は月で、雨乞いのため、龍を呼んで月を雲に隠そうとする。龍の鼻先で月を振り回して龍を踊らせる。ラッパの音が龍の鳴き声とのことで、面白い音がする。

寅年なので、ランタンのメインはトラの親子。下のほうにトラの子供たちもいた。あと中国四大美人の西施、楊貴妃、王昭君、虞美人の像、西遊記などもあった。関帝が鎮座した祠の前には豚の頭がたくさん。頭には骨を挿して角のようになっていた。

また眼鏡橋のほうに戻って黄色いランタンを見た後夕食。結構たくさん見ることが出来た。観光客が多かったといっても、規模が小さい長崎なので、なんとか移動は出来た。ただ閉まっている店も少なくなかったなあ。

5倍の差

2010-02-20 16:53:10 | 飲食

土曜日朝から勤務ということで、昼食はインドカレー。先日40倍カレーを平らげ「次は45倍に挑戦する」と息巻いていた同僚の口車に乗ってしまい40倍を注文。同僚は裏切って10倍だった。写真、食べかけですいません。

辛い~っ!いつも食べる35倍との差はこんなにあるのか。水二杯飲んで完食。35倍とか40倍とか、厳密に物差しがあるのだろうか。インド人シェフの気まぐれで、今日はいつもより辛かったのでは。そうさしむけると、前回40倍を完食済みの同僚が一口食べ、「前もこんなもんすよ」と冷たく言い放った。本当かどうか分からないが。

店を出て、街をぶらぶらしていると便意が。しまった!明日長崎行けないか。一瞬焦ったが、実際は異常なかった。

で、念のため「とろけるクリ-ミーたまごプリン」やヨーグルトドリンクなどを購入、中和(消化、消火か)を試みた。なんとか胃袋の火事は収まった。明日の朝が心配だ。

五輪で長島のトラブル

2010-02-19 12:54:04 | 時事

バンクーバー五輪のスピードスケート1000メートル。500メートルでは日本今大会初の銀メダルを獲得した長島圭一郎がスタートする際に変なホイッスルのような音が聞こえ、長島は滑走をやめてしまった。一緒にスタートしたロシア選手はかなり滑走したため、20分後に競技再開、機械故障でさらにスタートが遅れ、長島は「身体が冷え切ってしまった」と37位に終わった。
言い訳になるわけがない。日本の新聞などでは「トラブルが重なり残念な結果になった」などと他人事のように書いているが、完全に長島本人のミスだ。なぜ、あそこで自分で勝手に判断し、スタートをやめてしまったのだろう。長島のフライングと判定されたが、滑り続けたロシア選手を止める人もなく、フライング、あるいは発信音が起きたとして競技停止をジェスチャーで示す審判員もおらず、失格となっても仕方がない状況だ。審判が何かで止めない限り滑り続けなければならないのは、スポーツ競技の選手としては当然のことだろう。日本人選手はあまりに競技に対するプロ意識に欠ける(もちろん、スケートのプロじゃないんだろうけど)。

かつて、東京五輪前にサッカー日本代表の臨時コーチとして西ドイツから呼ばれ、釜本や杉山を育て「日本サッカーの父」と言われたデットマール・クラーマー氏は、日本チームとともに日本食を食べ、箸を使い、日本文化を理解し溶け込もうと努力したというが、特に練習で「残心」という言葉を強調したという。剣道用語で、一本決まったと思ったあとでも、さらに次の対応を考え攻め、守りの気持ちを持ち続けるということだという。シュートが決まったと思っても、プレーを止めず、次のプレーの準備をしろということだ。
日本サッカーのために、遠く東洋の日本の美学、禅の心をサッカーに応用する巧みな教えだ。

ただ、いまの日本サッカーを見ても、50年近く前のクラーマーさんの金言が血肉になっていないことは極めて残念だ。接触プレーで倒され、プレーをやめてレフリーにファールを要求する。守備陣がオフサイド、あるいはファールだ、とレフリーにアピールして勝手に自分だけプレーを止め、その間に相手選手にシュートを打たれ点を奪われてしまう。いうまでもなくレフリーが笛を吹くまでプレーを止めてはいけない。
日本サッカーでしばしば見られる残念なシーンだ。クラーマーさんが見ていたら激怒するに違いない。クラーマーさんの教え子の川淵前会長らはなぜ、そんな簡単なことを言わないのだろう。

ボクシングの世界はこの「残心」がちゃんと行われているようにも見える。かつてのチャンピオン、具志堅用高はダウンを奪っても表情一つ変えず、コーナーに戻って集中した表情で相手の様子をうかがい、KOが宣告されて始めて大喜びする。

さまざまなスポーツで日本では、かつてクラーマーさんが重ねて強調したこの「残心」という、いわば競技者としての常識が身についておらず、これが一流になれない理由ではないか。何があっても滑り続けたロシア選手の方が競技者としてあるべき姿だ。ロシアなどでは当たり前に競技者の身についているのだろう。

春節食べまくり

2010-02-14 23:59:06 | 飲食
恭喜発財、万事如意!
きょうは春節。昼も夜も食べまくったーっ。
昼は南翔饅頭店。まず、黒豚小籠包。間違いないです。

そして蟹味噌小籠包。今回は前回みたいにスープに苦味が出るようなことはなかった。ただ店の人は、スープが少なかったようだ、調査します、と言っていた。誠実だ。顔がすごい真剣でビビッた。

三角のは、蟹味噌春巻き。硬くて滑って箸でつかみにくかった。結構サクサクで歯ごたえあり。悪くない。

中身はこんな感じ。マヨネーズのような味。ちょっと蟹味噌の風味を消しちゃうかな。味はいい。



で、昼も夜も中華はいかがなものか、ということで成り行き上、夜は久しぶりにタイ料理。まず、ご存知生春巻き。ナンプラーの塩味も合うし、中には香菜。上に載っているミントの葉がいいアクセントになってさっぱり。

青パパイヤと干し海老のサラダは、初めて青パパイヤを食べたときには、見た感じ大根みたいで油断したら、実際すごーく辛い。タイ料理恐るべし、という感じだった。ここのは干し海老のうまみが辛さを消す感じもあった。レタスに包んで食べると合うなあ。健康的! 口の中に辛さは残る。

鶏肉(ガイヤーン)はうまし。タレの味が肉の中までしみこんでいて、表面は香ばしくて頼んでよかったーって感じ。つけダレはマヨネーズみたいなカレー味と、ナンプラー系の2種類あって、別々の味が楽しめる。もちろん何もつけなくてもおいしいけど。

最後はレンコ鯛の蒸し物。中華ならさしずめ「清蒸鯛魚」だ。中華ならタレは紹興酒に醤油、オイスターソースだが(自分で作れるもんね)、これはキノコやネギ、キャベツなどが入ってココナッツミルクのような甘さもある。濃厚。


ビールはタイのシンハーとベトナムのバーバーバー(333)。料理にはさっぱり辛いシンハーかな。味わうなら濃厚なバーバーバーか。

あ、満腹になってしまって、デザート頼むの忘れた。痛恨。甘いものは別腹なのに。

で、サッカーの東アジア選手権。中国に盆と正月が一緒に来たというか、きょうは旧正月だ。で、まぐれの優勝。日本は予想通り韓国に1-3と完敗で3位。点が取れないのは重症だね。闘莉王と中沢のセンターバックが欠けたら、サブはどうするとは思ってたけど、僕は阿部がいいとおもうが、闘莉王退場で岡田はやっぱり岩政を使ってた。何をやってもダメだな。ご愁傷様。

趙紫陽回想録

2010-02-14 02:45:00 | 時事

恥ずかしながら、昨年夏前に香港に行って中文版を買う予定だったが、そのときは「豚インフル」のおかげでチケットをキャンセル。キャンセルのためだけに2万円取られた。で、忙しさにかまけてそのままになっていたら翻訳が出た。遅まきながら、読み出したら止まらない。一気に読み切った。
サブタイトルには「天安門事件『大弾圧』の舞台裏」とあるが、89年から失脚に向けてはいろいろな資料が出ているので、あまり新鮮味はない。日本人に目を引かせるためには、六四がいいんだろうな。

最も興味深かったのは、84年の「経済体制改革に関する決定」前後の趙紫陽総理による経済改革のプロセスが理路整然と描写されていること。広東省、四川省での実験から中央に引き立てられ、農業の請負制導入にお墨付きをつける。最大の難関は価格体系改革。不合理な価格体系を是正して、膨らみ続け国家財政を圧迫する財政赤字を解消させたいという考えは小平も理解しており、趙紫陽の仕事を支持していたという。結局、価格改革は途中で断念する。趙紫陽が主張した預金金利の引き上げを李鵬と姚依林が徹底的に妨害、骨抜きにし、中国経済はインフレを招く。私事ながら学生時代の研究テーマ、というか卒論テーマだったし、その考え方が間違っていなかった、と今更ながらうれしくなった。この時期、この過熱の状態を最も正確に分析していたのは日本だと趙紫陽が認識していたのも面白い。

もうひとつは、胡耀邦について。87年1月に失脚するが、小平との確執は80年代初頭から始まり、86年夏には決着がついていたという。趙紫陽との仲も実はそれほどよくなくて、ある意味、政治改革について理由もよくわからず突出していた胡耀邦に対して、趙紫陽は極めて慎重なアプローチを目指したこと。ただ、経済改革を貫徹するためには、次第に深刻になる腐敗を防止するためにも、法制改革、政治改革が不可欠だと自覚していたこと。
これに対して、小平の政治改革に対する考え方は、あくまでも一党独裁を手放さず行政改革どまりだったと推察していたこと。
胡耀邦失脚以後進められた反ブルジョワ自由化政策も、経済改革を停止させず維持していくための趙紫陽の決死の努力だったと明かす。なるほどと思った。

江沢民時代以降の経済改革も、事実上「趙紫陽なき趙紫陽路線」といわれるほど、趙紫陽時代の改革の考え方は継続して進められていた。ただ、六四以降、政治改革についてはまったく手をつけられず、官僚腐敗や貧富の差が激しくなっているのは周知のとおりだ。もし、趙紫陽が健在だったら、もう少し暮らしやすい中国になっていたのに、と重ね重ね残念だ。

趙紫陽が陳雲の考え方を尊重、尊敬していたことも興味深い。いうまでもなく「計画経済を主として、市場経済を従とする」「経済は鳥と同じで、自由にさせすぎるとどこかに飛んでいってしまい、締め付けると死んでしまう。籠の中で飼っておくのがちょうどいい(鳥籠経済論)」と、改革開放には否定的で、小平の最大のライバルと言われた陳雲は、確かに解放直後の第一次五カ年計画で中国経済を立て直し評価された。ただ、そこまでだったというのがこれまでの評価だ。趙紫陽に言わせると、その後の三面紅旗政策は陳雲の望むところではなく、小平よりよほど経済対策の効果について熟知しており、趙紫陽の政策にも理解を示し、趙紫陽は当初、陳雲と小平の橋渡しをしていた、というのは意外な感じもした。

趙紫陽は、李鵬、姚依林を露骨に嫌い、王震、宋平にも文句を言っている。余秋里も寝返った、と批判している。姚依林や余秋里は有能な経済官僚だと思っていたが、この本を読んで考えが変わった。宋平は今の胡錦濤を抜擢した胡錦濤にとっての恩人だが、そうすると、「趙紫陽なき趙紫陽改革路線」に対して、胡錦濤はあまりよい印象を持っていないのかもしれない。

最後に、趙紫陽が最終的に西側の議会制民主主義が現段階ではもっとも進んだ政治システムだとの結論に至ったことも興味深い。西側社会によって作られたような結論にも思えるが、失脚後、十数年間も思索の日々を送っていた趙紫陽にとって、全国人民代表方式でなく、議会制民主主義を選択するとは。共産党の指導のもどで民主諸党派と合議して政治を進める「政治協商」方式に注目していたのも納得できる。毛沢東の新民主主義論、連合政府論が注目された時期もあったが、まさに中国の政治改革のベースになるのではないか、と考える。

まだ書きたいことは山ほどあるけど、こんな開明的な指導者が、晩年は「日々是犬の世話」などと見出しをつけられて揶揄されたり、ボケてしまった、と写真が流出したり、中国にとって悲劇だ。命を懸けて録音テープを持ち出し、文字にしてくれた努力に感謝したい。

除夕の弁当

2010-02-13 16:48:55 | 飲食

あしたは春節。本来なら今晩は餃子を食べるのだが、仕事なので弁当男子。夕べ、餃子屋さんからテイクアウトした「糖酢魚」をチンして入れ、白菜と金華ハムを炒め、香取慎吾が出ているCMの冷凍餃子を焼いて入れた。餃子といえば、皮から作る僕だが、実家に帰ったときとか、仲間内で餃子パーティーをするときとか、最近は機会が限られている。気合を入れ100個程度作るが、冷凍餃子は時間がないときにはそれなりにおいしいので、冷凍庫に常備している。特に中国に媚びているわけではない。
何かの世論調査で、冷凍餃子事件直後は、食の安全に気を遣い、「安い中国産食品や冷凍食品なんて食べないわ」とか言っていた日本人が、景気が悪くなった今は「やっぱり安さ重視」と変わってきているという。
あしたは春節。一応休み。

春節イブイブ

2010-02-12 23:41:52 | 飲食
今年の2月14日は旧暦の正月、いわゆる「春節」。中国では大晦日(除夕)にあたる日の夜は餃子を食べる。で、明日は仕事なので、今日、近所の餃子屋さんに行って餃子三昧。

まず、オーソドックスな三鮮水餃子。僕は黒酢につけて食べる。

以前、試作品を食べたが、今回新たにメニューに乗ったトマト蒸し餃子。皮にもトマトが練りこんであって写真ではわかりにくいが、ちょっと赤い。具もトマトの味がしてイタリアンな感じ。サッパリ系。

これも新登場の豆腐餃子。具は肉だが、右端の餃子の断面でわかるだろうか、手前の小さいのが豆腐。小さなサイコロ状に切って入っていた。うーん。食べてみても違いがよくわからない。

で、餃子だけではなんなので、よく食べる青梗菜と海老。健康的でしょう。食べ過ぎたら、健康的でも何でもない。
これ以外に糖酢魚も。頼みすぎたので食べきれず、お持ち帰り。明日の弁当のおかずにしよう。明日の弁当に餃子を入れておこうか。電子レンジでチンすれば食べられるだろうか。

中国3-0韓国

2010-02-11 02:02:28 | Weblog

サッカーの東アジア選手権で先日、日本と0-0で引き分け、12年間日本に対して勝ちなしの記録を更新していた中国が3日、韓国に3-0と大金星、国際Aマッチで韓国から初勝利をあげた。新華社は「苦節32年、恐韓症の恥は晴らせた」と報じた。韓国の聯合通信によると、1978年の初対戦以来、中国の11分16敗だったという。
最近、八百長事件で中国サッカー界への風当たりが強い「打黒風暴」の中、中国代表は「谷底」から背水の陣で臨み、日本と引き分け、ついに韓国に勝った、と大喜びだ。

先日の日本戦は中央電視台(CCTV)で何の前ぶれもなく突然、生中継の放送が中止されたという。日本での試合の放映権を購入していたにもかかわらず、八百長事件の成り行きが定まるまで、サッカー中継を自粛したとの話もあるという。今日はどうだったのだろうか。歴史的な勝利を中国人民たちはリアルタイムで楽しむことが出来たのだろうか。

ところで、日本は明日香港戦。まあ、香港には勝つとして、最後に残った韓国には負けるだろう。中国は最後に香港戦を残している。宗主国だから香港にはインチキをしても勝つだろう。ということは、待てよ。日本は1勝1敗1分、中国が2勝1分、韓国は2勝1敗、香港は3敗。ということで、中国が優勝しちゃうかも。日本の地で中国サッカーが復活への足がかりをつかんだ、として、中国足球迷たちは親日派にならないなあ。

一方、台湾では野球とばくで、元西武ライオンズの張誌家投手が起訴されたそうだ。懲役2年を求刑されたという。まだ29歳だって。ほんとに中国人はバクチ好きだね。

日中報告書未公開部分

2010-02-10 04:26:22 | 時事

1月31日に発表された日中歴史共同研究の報告書。中国側の要請で公開しなかった現代史部分の1945年以降について、毎日新聞が入手したという。新聞に掲載されているのは「要旨」だが、抜粋しているところも一部分に過ぎずどこまで省略したのか、知りたいところが明らかになっていない。中嶋嶺雄教授のコメントにあるように、文化大革命のほか、日中共産党の問題、林彪事件などにも触れられていないようだ。あ、林彪は直接日中に関係ないからか。
しかし、東京裁判については日本側の見解は、保守派勢力の主張そのものだ。「東京裁判は敗者に対する勝者の懲罰だった。連合国側が『文明による裁き』『正義』と唱え、問題を複雑にした」と。日本の歴史学界でも少数派の異端の考え方だ。
粟屋憲太郎教授が指摘しているように、日本政府は東京裁判の結果を認めたうえでサンフランシスコ講和条約を結んだわけで、一国の方針、選択として尊重されなければならない。(学生時代、立教大学にもぐりこんで、粟屋先生の許可を得て、一番後ろの席で講義を聴いたっけ。当時粟屋先生は朝日ジャーナル誌に「東京裁判への道」を連載していた)

もちろん東京裁判には「平和に対する罪、人道に対する罪」など事後法を適用したことに代表されるように、法律的には問題もあった。当時意見書を提出したインド人のパール判事が指摘したのはまさにこの部分で、日本軍の戦争下での残虐行為がなかったなどと主張したわけではない。当時の日本の政治状況下では、東京裁判がなければ、戦争当時の日本政府がどのように戦争を始め、遂行したか日の目を見なかったはずだ。
中国側の方が冷静に「侵略戦争を防止し、世界平和を守るために積極的な試みをした。日本の対外侵略戦争の性格を認め、日本軍の隠された犯罪事実を明らかにした」と、裁判の性格を端的に言い当てている。

ところで、「台湾は古くから中国固有の領土だった。日本が『ポツダム公告』を受け入れることを決定したことは、台湾を中国に返還したことを意味する。台湾は中国固有の領土であるという法理的地位に改めて確認を取り付けたことになる」という部分は、この新聞原稿を書いた毎日新聞記者は気がつかないのだろうが、昨年、日本政府が駐台湾代表を事実上更迭する原因となった「台湾地位未定論」を真っ向から否定するものだ。もちろん日本政府も公式的に同論を認めていない。

靖国神社への歴代首相の参拝の部分については、中国側の主張を読めば、中国側が参拝の何を問題にしているのか良くわかる。ただ、勘違いがあるようだ。「A級戦犯合祀後、首相の参拝は東京裁判を否定する意義をもつとみなされた。戦争被害国の国民に精神的苦痛をもたらし、日中の歴史問題を考察する要だ。60-70年代、中国のマスコミは首相参拝への正面からの批判は行わなかった」。靖国神社へのA級戦犯の合祀がされたのは78年。A級戦犯が問題なら、この年以前の参拝は問題なかったはずだ。昭和天皇は75年を最後に靖国参拝をしていない。元宮内庁長官のメモによると「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と昭和天皇が語ったとしている。「あれ」とはA級戦犯合祀だという。

1989年の「六四」事件(第2次天安門事件)について、毎日新聞では「天安門事件は政治騒動 日本と相違鮮明」としているが、違いがあるのは当たり前でしょ、と以前ブログでも触れた。日本の新聞社は日中の相違を作るのが好きなようだ。

僕が注目するのは、これが毎日新聞による意訳でなく、そのまま表記していたなら「政治騒動」という表現は新しいのではないか、ということ。
2004年、温家宝首相はAP通信の記者に答えて、「前の世紀の八〇年代末から九〇年代初めにかけ、ソ連の解体、東欧の激変があり、中国では重大な政治風波が起こった」と六四を表現している。六四のみを取り上げるのではなく、東欧・ソ連崩壊とからめて表現することで事件を矮小化しているのだ。
六四発生後に小平が「風波」と表現して以降、当初使っていた「反革命動乱、暴動」という強烈な表現から「風波」のような意識的に矮小化した表現を用いてきた。

ちなみに2005年第5版の「現代漢語詞典」(商務印書館発行)によると「騒動(sao-dong)」は「①擾乱、その場所を不安寧にさせること②秩序紛乱、動乱」だ。「風波(feng-bo)」は「紛糾あるいは乱の比喩」。

報告書で中国側は「89年6月4日、中国で政治騒動が起こり、欧米国家は中国に対して制裁を発動したが、日本政府は留保の姿勢をとった」とある。六四事件を単独で表記し、事件再評価に向けて一歩前進が見られているのではないか。あるいは自分の学生たちが犠牲になったことについて、シンパシーを抱いたことによる表現なのかもしれない。また、いち早く経済交流を再開した日本に対して好意的な評価をしているように見える。

年表の表記にも疑問がある。78年に来日した小平の肩書きについて「副主席」としている。この時期、小平は党副主席ではあったが、来日の目的は日中平和友好条約相互批准書交換式への出席である。身分は党の代表ではなく政府代表というのが正しく、小平副首相としなければいけない。「国家副主席」とも混乱する。担当した毎日記者はこの辺に疎いのだろうなあ。


サッカー日中戦

2010-02-06 23:19:30 | Weblog

サッカーの東アジア選手権が始まった。6日、日本と中国が初戦でぶつかり、双方攻め手なく、0-0の引き分けに終わった。W杯イヤーが始まり、4日前の国内初戦、ベネズエラ戦に続くスコアレスドローに、相変わらず大久保や玉田、中村憲剛を使い続ける見る目のない岡田監督に対して怒りを通り越して、あきらめを感じている。

中国では国内サッカー協会副会長が逮捕されるなど、八百長事件の暗い影を勝利で払拭したい期待もあったが、後半得たPKのチャンスを楢崎の好セーブで逸し、がっくり、という感じ。新華社が速報した試合についての解説記事では「日本相手に公式戦12年勝ちがない」とふがいない代表チームを嘆いている。

新華社によると「後半のPKで得た歴史を書き換えるチャンスは、楢崎のセーブによって無残にも潰えた。12年間、中国が日本に勝てないという記録は仕方ないが続く。中国サッカー界は(八百長問題で)大変な時期にあり、日本と0-0で引き分けたということは期待を抱かせるが、現実的には日本との実力差は広がっていくと認めざるを得ない」と極めて冷静な分析をしている。12年間で7戦して3分け4敗なのだそうだ。
分析では、日本メディアに「恥辱」「災難」などの文字が躍った98年3月に中国が2-0で勝った際、この得点差から「中国が完勝した」と感じるだろうが、このときは中国の呉承瑛、黎兵という攻撃陣の個人技に頼っただけで、日中サッカーの実力差は94年の広島アジア大会から開き始めた、としている。
要約すると、中国が体格に任せて反則まがいに一本調子で攻守に圧力をかけても、体格やスピードに劣る日本は組織で攻め、守り、まったく危機を感じていないと一刀両断だ。高洪波監督(彼も八百長事件に関与したとの疑いで事情聴取されたとの話もある)が得意とする4-2-3-1のシステムでの体格とスピードに依拠するサッカーはもはや古くて限界がある、としている。日本チームのサッカーに対する理解が世界一流水準にどんどん近づいてきているのに対して、中国チームには、これまでまったく進歩を感じさせないと嘆いている。

ま、下には下があるんだね。Jリーグと中国の国内リーグのレベルや運営方法、資金面などを比べても、日本側が圧倒的に恵まれている。と、下を見て満足してはいけない。日本だってこのままの戦術、監督でW杯を戦えるのかね、間に合うのかね、と心配というより、すでにあきらめの境地にある。あくまでもW杯ベスト4を目指すというなら、岡田監督を替えるにはギリギリのタイミングだろう。またドイツ大会のジーコのときのようにサッカーファンを失望させる日は近づいている。そして日本のサッカーブームはますます下火になるだろう。

アバターな景色

2010-02-06 14:05:03 | 歴代中国旅行
こないだ酷評した映画「アバター」。本物の絶景はCGに勝る、とか豪語しちゃったので、“パンドラ星”や“ハレルヤ山”を彷彿させるような写真の一部を紹介する。


これらは中国内陸の湖南省の世界遺産「張家界」。張家界地区と武陵源地区と大きく2つに分かれ、ロープウェイや野外高層エレベーターで山の上に登り、ニョキニョキと隆起した岩山を見ることが出来る。当然、空中には浮いていない。

こんな絶景ポイントがいくつもあり、僕が行ったときは夏で、ロープウェイは1時間20分待ち。中国人民たちと一緒に行列を作って並ばされた。丸2日、登ったり降りたり、沢歩きをしたり、足が棒になるぐらい歩き回った。少数民族の土家(トゥーチャ)族が住む辺境の町。
アバターのように岩がアーチ状になっているところはもちろんないが、岩に大きな穴の中を通れる、天門山も近くにある。半日で観光できる。ロープウェイとバスを乗り継ぎ、心臓破りの石段をずーっと登っていくと、岩に大きな穴が空いているところまでたどり着ける。かつて、中国の冒険野郎が小型飛行機でこの穴をくぐりぬけたことがある。そのくらいの大きさ。

この滝は四川省北部にある世界遺産「九寨溝」。まるで入浴剤を入れたかのようなエメラルド色で透き通った池や、いくつもの滝で有名。こちらはチベット族の居住地区だったところ。九寨溝は滝だけでなく、いくつものや森やフラワーハイキングや、秋になると紅葉が信じられないぐらいきれい。九寨溝で2日、やや離れたところにある絶景ポイント・黄龍を1日観光するというのが普通のコース。

張家界も九寨溝もいまやすぐ近くに飛行場ができ、上海や北京など大都市から容易にアクセスできるようになっている。もはや秘境でもない。その代わり、神秘性は薄れてしまったかもしれないけれど。中国人の観光ブームでベストシーズンには観光客があふれ、うるさくて興ざめなところも少なくない。

アバター見た

2010-02-04 04:52:56 | 映画鑑賞

「タイタニック」を抜き、今年(まだ始まったばかりだが)1番の評判の「アバター」。同僚が「見ろ見ろ」というので、見てきた。3D字幕バージョン。結論は、まあ、単純なストーリーなので3時間近く一気に見られるが、あちこちにアラがあり、映画の水準としては褒められるものではない。嫌らしい、あざとい設定やメッセージがあちこちにあるな、と見ながら不快になるところも少なくなかった。

これはCGで作った、中国の張家界の写真を借りた“美しい”風景に心癒されたり、3Dの効果にびっくりして、「将来3Dテレビ買おう!」と購買欲を触発するように仕向ける映画だ。所詮、張家界だったり、一部は黄山かな。滝がいくつも並んでいるさまは九寨溝を彷彿とさせるし。つまりは“美しい風景”というものを、まったく想像の中からCGを使って描く能力はキャメロン監督にはなく、多くの米国人にとって未知に近い中国の絶景を拝借して、ちょっとCGでいじった程度のお手軽な手法なのだ。中国の本物の絶景を見ている身としては「だからどうした」といった感じ。本物は当然CGに勝る。
3Dは、予告編やアニメの効果のときはなるほど、と思ったが、大したことなかった。時々メガネを外してみたが、つまり、ずっと3Dになっているのは「字幕」だけで、“美しい”風景はほとんど2Dだ。メガネが重くて時々ずり落ちる。

まあ、話のタネのため、一応見ておいたらどうですか。テレビ放映やDVDでは、3D効果などはまだ楽しめないのだろうから。

ここからはネタバレあり。ご注意。

ストーリーはつまり、アメリカ先住民族(インディアン)との戦いと交流を描いたかつての西部劇。設定は「エヴァンゲリオン」、スタジオ・ジブリ作品、特に「ナウシカ」「もののけ姫」といったもののパクリ。自分は寝ていて別の身体に意識を移して行動する、というのは、映画館で予告編しか見ていないが昨年の映画「サロゲート」から設定を借りてきたのだろう。いろんなおいしい要素をつなぎ合わせて、それなりに見飽きない物語を作ったのは評価すべきか。まあお金をかけてたくさんのスタッフに仕事をさせたことによるものかもしれないが、つまりは大衆娯楽作品。

異星人「ナヴィ」はもろ、アメリカ先住民族(インディアン)や、台湾の原住民。主人公のジェイクが成人儀式を受け、身体にペインティングする様子や長い髪、かけ声はインディアンそのものじゃないか。彼らに英語を教えたり、学校を作ったり、とかも。もう少し、違うアレンジは出来なかったのか。「アメリカ先住民族と共存しましょう。彼らの文明を壊滅させたことを後悔、反省しましょう」との露骨なメッセージが受け取れる。興ざめ、不愉快。

DNAを合成して「ナヴィ」の人造人間を作り、それに人間の意識だけを憑依させて意のままに操る、というのは「エヴァ」の設定のパクリでは。エヴァは操縦者がエヴァの体内に入るが、外の機械の中から意識を飛ばしてコントロールする、というのは、代理ロボットに危険な外の行為を代行させて、それを意識上でヴァーチャル体験するという「サロゲート」そのものではないか。

動物と共存したり、森を守ろうとしたり、触覚が伸びてきて命の再生を手助けするなどは、ナウシカが倒れ、オームの触角が伸びて生き返るシーンと同じだろう。動物を飼いならして上に乗ったり、最後に「ナヴィ」に動物たちも加勢して地球人と戦うのはもののけ姫か。

地球人とナヴィの戦いで登場する地球人の武器・火器は、宇宙旅行ができたりナヴィの人造人間を作れるほどの科学力を持っているなら、ちょっと前時代的過ぎるのでは。というより、20世紀風だ。つまりは火炎放射器で森を焼く、ベトナム戦争そのもののように見える。指揮官のステレオタイプな性格設定や、鉱物資源を獲得するためにナヴィの文化や風習も省みず、手段を選ばず武力を行使しようと試みるのも、ベトナムやイラク戦争そのものじゃないか。その時代の兵器そのままじゃないか。帰還兵たちのストレスを発散させるための設定なのだろう。あの戦闘シーンを見ると、ベトナム帰還兵たちは当時の思い出がよみがえり、映画にアイデンティファイ(同一化)できるのでは。あざとい。不快だ。

負傷して下半身不随になってしまったのに、別の身体でヴァーチャルに生活を享受できる、というのは身障者や身体が不自由になってきた高齢者に対するメッセージなのかもしれない。

アバターがストーリーや設定で拝借した、現実の世の中で発生した様々な出来事やネタ元をまったく知らず、一切の予備知識を持たず、目の前のスクリーンで描かれていることのみを楽しむことが出来る無知な観客、なるほど中国でヒットするわけだ。アバターを心から楽しむことができるのは、こういう大衆なのだろう。

別府の泥湯

2010-02-03 12:23:26 | Weblog

別府駅からバスに揺られて久しぶりの泥湯。冬は外気が冷たいので甲羅干しのときに火照りが随分クールダウンできる、っていうか、寒っ!
いつものように10分泥湯に入り、外に出ては甲羅干しを4回繰り返したが、そんなにヘロヘロにはならなかった。風呂をあがっても体のポカポカは続く。

外の風呂も気持ちいい。天気がよくて景色も楽しめた。バスから見える別府湾もきれいだ。