Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

南京条約談判所

2008-04-29 02:03:32 | 中国旅行
南京条約。いわずとしれたアヘン戦争後の講和条約。1842年、この締結によって香港はイギリスの植民地になった。南京北西部の「静海寺」に、南京条約の談判をした施設を復元したものがある。ちなみに条約締結は船上だったとのこと。

南京大虐殺祈念館

2008-04-28 01:56:31 | 中国旅行

4月29日、南京大虐殺祈念館の改装が終わったとのことで、見に行った。入り口からこれ見よがしに犠牲者の彫塑。入場無料なので入ると、展示品は写真ばかり。博物館というより、遊園地のお化け屋敷みたいな感じ。外では軍人が団体で参観、記念写真を撮っていたりする。一番最後に小さく、「日本対華ODA援助」というプレートがあり、「1979年からはじまる。中国側が得た日本のODA援助の一部分は無償である。しかし80%は元利を返済する円低利利益借款である。統計によると、中国は1979年から2004年までの25年間に受け入れた日本のODAは、すでに3兆3千億円に達している。中国の経済建設と発展に一定の支援作用をもたらしている」と中国語、日本語、英語で書かれている。日本の首相らと中国の指導者が一緒に写っている写真も何枚か展示されている。バランスをとっているつもりなんだろうけれど、なんか、中国人の参観者は理解できるのかなあ。館外に出ると、骨がたくさん埋められた展示館があり、ここは警備員が厳しく隠し撮りもできる雰囲気でない。最後に女神のような塔のモニュメントがあり「和平」と書かれている。その脇には進軍ラッパを吹く中国兵。中国の起こす戦争は「和平」で、日本人の行う戦争は「悪」なのか? 矛盾だらけのプロパガンダだね。

韓国・西生浦倭城

2008-04-12 03:43:34 | Weblog

日本の桜はほぼ散った。昨年の桜の季節に韓国・釜山郊外の蔚山近くの西生浦倭城に行った。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に日本軍の拠点となった城で、熊本城の主で城造りの名人・加藤清正が造ったという。かなり大規模な城だ。さすが清正。すぐそばまで海が迫っていて、たぶん築城当時は海に面していたに違いない。

釜田洞駅から鉄道で南倉へ。駅舎は1935年に建てられた日本式の構造を残すように改築されている、と日本語の説明プレートもあった。駅から駅員にタクシーを呼んでもらって城に着いた。

城壁が曲線を描き、上に行くにしたがって角度が急になっているのは、熊本城と同じ「武者返し」と呼ばれる、日本城独特の構造。右側の写真は天守閣。
ここは韓国で知る人ぞ知る桜の名所で、ソメイヨシノ以外にヤマザクラなどいろいろな種類があり、訪れたときはちょうど花びらを散らす時期だった。小学生の遠足らしき団体が3つぐらい来ていて、うるさい。「お元気ですか」と日本語で声をかけられたが、これは岩井俊二の映画「ラブレター」のセリフで、韓国人に馴染み深い日本語なのだそうだ。中国人の「バカヤロ」よりは数段ましだ。まだ韓国のほうが民度が高いか。焼肉を焼いたりお弁当を広げて宴会をするグループもあり、僕等も朝出がけに買った海苔巻きとオレンジで昼食。

帰りはバス停でバスを待って、運転手に「釜山に行く?」と聞いたら海雲台だというので乗った。無事帰れた。下の写真は朝食のあわび粥とウニスープ。

言葉が通じないしハングルは読めないので大変だったが、それなりに順調な行程だった。順調でなかったのは帰国時で、高速船が強風と高波のため全便欠航。大急ぎで金海空港を目指したが、その辺の人に聞いても空港の行き方が分からない。釜山駅でインフォメーションセンターのお姉さんがやっと英語が通じて、西面のロッテデパートの対面のバス停から、と分かり、現場に向かうと、ハングルのみで、どれが空港行きか分からない。飛行機のイラストすらない。たまたま英語が分かるタバコ売りのおじさんに教えてもらって何とか空港へ、その場で航空券を購入、やっとのことで帰国できた。あぶない、あぶない。