Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

毛沢東が後継に、と思ったのは?

2011-05-31 14:43:18 | 時事
29日の新華社のサイトに「毛沢東がトウ小平を再起用した内幕」とする文章が掲載された。いくつかの部分で、毛沢東が犯した誤りを過小な表現にして、一方でトウ小平の評価を大々的に記し、あたかも毛沢東からトウ小平にストレートに権力が継承されたかのように読者を導こうとする思惑が見える書き方だ。

乱暴に要約すると、文化大革命末期の1974年7月から75年4月、毛沢東が北京を離れ、武漢、長沙、南昌、杭州で過ごしていたとき、失脚中だったトウ小平を中共中央副主席、国務院第一副首相、中央軍事委副主席兼人民解放軍総参謀長として復帰させることを決めた。そもそも劉少奇、トウ小平を後継に考えていたが文革に際して失脚、その後文革を利用してのし上がった「四人組」の一人、王洪文を党副主席に登用し後継に考えたが能力が及ばないと判断、失脚していたトウ小平を呼び戻すことになった、というものだ。

「内幕」によると、毛沢東は1957年11月にソ連を訪問したときには、国家主席の職を辞す準備をうすうす考えていて、フルシュチョフとの会談で「後継者は?」と問われ「第1に劉少奇、第2にトウ小平」と答え、後継者として劉少奇、トウ小平を念頭においていた考えを示していたと書いている。

ただ、当初から劉、トウを念頭においていたなら、なぜ毛沢東は1966年8月、党の第8期十一中全会で「司令部を砲撃せよ。私の大字報(壁新聞)」を配布、劉、トウらを実権派としてあからさまに攻撃したのか。
また、76年1月8日、周恩来首相が死去し、その葬儀でトウ小平は弔辞を読んだあと表舞台から姿を消す(3度目の失脚)。晩年の毛沢東がもしまだこん睡状態でなく判断能力があったなら(同年9月9日に死去)、なぜ江青ら四人組にやりたいようにやらせたのか、なぜトウを守れなかったのか。

時代背景を説明すると、1950年代、毛沢東は社会主義システムの完成を急ぐあまり(過度期の総路線)、集団化による急速な工業力発展と食料増産をたきつけた大躍進政策を実施、実際は、うそで固められた統計数字で結果を伴っておらず、基本的な食糧生産をないがしろにして農村を粗鉄作りに動員した結果、大凶作を招くこととなり、数千万人の餓死者を出す事態を招いた。毛沢東はこの責任をとり1959年に国家主席を劉少奇に譲り、政治の表舞台から身を引く。劉少奇とその片腕となったトウ小平は疲弊した経済立て直しに奔走、人民公社政策で「働いても働かなくても収入は同じ」と悪しき平等主義に染まり生産力が低下していた農業面で、「三自一包」政策と呼ばれる生産責任制を導入、農業生産を回復させた。
「三自一包」とは「自留地、自由市場、損益の自己責任」と「包産到戸」の略で、人民公社による集団農場でなく、自らの責任で耕した土地で作った作物を(公社に上納するのでなく)自由市場で売り、その損益は自ら負うというもの。「包産到戸」=農家請負制=は、各農家ごとに一定量を上納した余剰部分は自ら売って現金収入を得ることができる生産請負責任制。当初は毛沢東によって「資本主義の復活だ」と批判されたが、この時期に劉少奇たちが農業建て直しのために「三自一包」政策をとったことで人民を飢えから救った一方、後の文化大革命で「走資派」(資本主義の道へ走る輩)と批判される原因となる。

「内幕」では、劉、トウは、当時の“左”に偏った誤った指導方針を正したことで、半隠居状態の毛沢東と袂を分かってしまった。この機に乗じて林彪、江青が党の実権を握ろうと劉、トウを迫害し、劉は獄中で死亡、トウは江西省で労働改造させられる。この間、党規約に毛沢東の後継者と記された林彪・党副主席は71年に毛沢東暗殺を計画、失敗しモスクワに逃げる途中、飛行機が墜落して死亡(林彪事件=913事件=)する。毛沢東は精神的に大きなダメージを受けて病に伏せ、弱った体で後継者を探そうと切迫していたという。73年の第十期党大会で38歳の王洪文を副主席に抜擢する。ただ、林彪のときに痛い目にあったため、後継者として明文化することは避けた。王洪文は上海で造反派のリーダーとして騒ぎを起こすことに長けていただけで実務能力にはきわめて乏しく、中央政府の日常業務は周恩来首相に任されるようになった。ただ、周首相の負担が増えて持病(膀胱がん)が悪化し、毛沢東はトウ小平の復活を決断した、としている。
74年7月17日、毛沢東が中央政治局会議を主催し、トウ小平復活に強く反対する江青の野心を批判したという。そのやり取りの中で、「最後に毛沢東は江青を指してこう言った。『彼女は上海閥をもくろんでいる。諸君注意せよ!』」と語ったと紹介されている。
「内幕」によると、毛沢東が中央政治局会議の席上、「上海閥」の問題を初めて提起したのがこのシーンだという。同時に、江青、張春橋、姚文元、王洪文の4人に対して「決して四人の小派閥を作るな」と警告し、その中に王洪文が入っていることで、十全大会で選び出した後継者に大いに失望していることを示した、としている。
王洪文は、毛沢東がトウ小平復活を考えていることを察知し、妨害工作を始めるが、毛沢東は、トウ小平の党副主席、第一副首相、軍事委副主席兼総参謀長の任につくことを正式に提案、それ以外に、王洪文、張春橋、姚文元に対して江青の背後で物を言うな、と警告している。

文革期ゆえそうなのだが、「上海閥」を文革の諸悪の根源のような書き方をして「上海閥」のイメージを貶めている。もちろん「上海閥」といえば江沢民を連想する。別に江沢民批判まで盛り込まれているとは思えないが、なんだか変である。

毛沢東は結局は四人組の考えに乗り、トウ小平の3度目の失脚を招くが、この「内幕」のエピソードは意識的に毛が四人組の行いを批判的に見ていた、と読者を誘導するような表現になっているように思える。

また、この「内幕」には、トウの2度目の復活の後、もう一人の後継者として75年1月に副首相になった華国鋒にはまったく触れられていない。華国鋒は周恩来の死後、トウのいない国務院で総理(首相)となり、76年9月の毛沢東死後、「あなたがやれば私は安心だ」と毛沢東が言ったとされる遺言を唯一のよりどころとして権力を掌握、党主席、首相、中央軍事委主席の3権のトップに就任を掌握する。ただ、1978年に再々復活したトウ小平との権力闘争に敗れ、トップの地位から退く。この降格は文革による激しい奪権闘争に嫌気がさしていた中国で批判を受けぬよう、トウが巧みに華の地位を徐々に下げていったもので、最終的に2002年に81歳で引退するまでヒラの中央委員の地位は維持した。これは中国共産党の「70歳定年制」の規定の唯一の例外となったようだ。
華国鋒は、毛沢東の死後、四人組逮捕を発動して文革を終わらせたこと、トウ小平の権力掌握に自ら身を引いて協力したと見られること、これらの論功で定年を過ぎても中央委員の特権を維持されたと見られる。名前をあえてはずしたことで、華にマイナスイメージが及ばないように、またこの76-79年の華国鋒時代、つまり文革後の文革時代をなかったものにしようとする意図があるのではないか。

「内幕」は「中国共産党新聞網(サイト)」からの転載で、原文は「党史博覧」からのものだという。

地方選挙の立候補を当局が妨害

2011-05-29 01:33:02 | 時事
香港有力紙「明報」は、江西省新余市の区レベルの人民代表選挙に立候補しようとした女性工員を身柄拘束、立候補を阻止したと報じた。報道によると、この女性活動家は鋼鉄工場に勤める48歳。09年以来、退職者の待遇改善を求めて活動してきた。中央指導者に直接陳情しようと何度も北京を訪れ(上訪)、昨年7月に北京に行って10月に戻ってきたところを「不正常な上京による陳情」と10日間拘束された。
この女性は、工場から一定の条件を勝ち取り工員たちの評判がよいことから、区の人民代表選挙に立候補し、さらに良い条件を勝ち取ろうと、ブログなどで自らの経歴や医療保険の整備などを訴えていたという。市当局は、10日間拘留されたことで立候補資格を失う、と指摘してきたが、この女性は「選挙法には政治権利剥奪された場合を除けば、満18歳以上の誰もが立候補する権利があると書かれている」と主張、「彼ら(当局)は私が立候補名簿に入ることを恐れており、それだけでも私はすでに勝利した、との証明だ」と話しているという。

台湾では最高権力者の総統を有権者の直接投票で選出することができるようになったが、中国ではもちろん国家主席や首相を選挙で選ぶことはできない。日本だって首相を直接選挙で選ぶことはできない。ただ、中国では一定の民主選挙を導入するとして、村長レベルや県級以下の人民代表を直接選挙で選ぶことができるようになってきた。毎年3月に開かれる中国の国会にあたる全国人民代表大会(全人代)が立法や国権の最高機関で、省・自治区・直轄市・特別行政区の人民代表大会および中国人民解放軍から選出された代表(議員)によって構成されている。彼らを選出できるのがその下部の人民代表で県級以下、区の代表は上位の人民代表を選出する間接選挙の方式をとっている。ほとんどが当局が準備した共産党員の候補への信任投票の形になるが、それでも時々共産党員が落選したりして、当局が介入することもあるようだ。

全人代も「ゴム印議会」と揶揄されるように、共産党の指導や方針に対しておおっぴらに反対票を投じることはない。せいぜい最高人民法院報告や最高人民検察庁報告で、「犯罪撲滅や汚職摘発に手ぬるい」と批判票が出て、反対がやや多くなる程度だ。単なるガス抜きに過ぎず、報告そのものが否決されることはない。

このような事例は氷山の一角と思えるが、立候補の妨害に対して毅然と法をもって抵抗する人々がいるのは頼もしく思える。ただ、本当の民主化が実現するのはいつなのか。


Pana系Xacti

2011-05-27 09:45:36 | Weblog

パナソニックが、子会社化した三洋電機(SANYO)の(一部で)人気商品だった縦型動画デジカメ「Xacti(ザクテイ)」の自社ブランド版3機種を発表した。水中撮影もできる「WA10」、高画質モデル「DC15」、廉価版普及機「DC1」の3機種で、三洋電機としての最終モデルと同じ品揃えだ。おそらく見た目の塗装と外部やソフトウエアを多少変えただけで、三洋電機Xactiのモデルをそのまま出しただけに違いない。内臓メモリーが多少多くなったぐらいで、あまり影響はない。
パナの子会社になったことで自社ブランドを急いで出したということだろう。特段愛称をつけていないので「ザクティ」の名は消えることになる。どうせなら、名前ぐらい残せばよかったのに。

三洋電機の最終モデルになかった、筆者が愛用するかつての最高級機種「DMX-HD2000」の後継機は見当たらない。高級機はパナの従来機を使えということなのだろう。「暗いところに強い」というDC15がどのくらいの性能なのか、電池がどのくらい持つのか、気になるところだが、とりあえず今のHD2000とHD1000を大事に使っていくことになるだろう。

性能面を見てみると、パナの新しいテレビから、撮影済みSDカードを差し込むとそのまま見ることができるという。カメラ側の改良というよりテレビ側の問題だろう。そんなのは、かつて紹介したLG電子のBDプレーヤー「BD370」があれば問題なし。とりあえずフォーマットがAVCHDにならずに軽いH264を維持したのは、ユーチューブなどへの投稿に利用しやすい、というメリットをパナ側も認識していたのか。


映画「透析(再生の朝に)」みた

2011-05-23 02:05:34 | 映画鑑賞

中国の死刑判決と臓器移植を描いた問題作「再生の朝に-ある裁判官の選択-」(原題・透析-Judge-)を観た。「馬背上的法廷」でデビューした撮影監督出身の劉傑監督作品。実際に起こった事案をモデルに映画化したらしい。エンドロールで法律解釈の顧問やロケ地の人民法院などの協力を得ていることから、ストーリーの中身なども現実に即したものなのだろう。なかなか面白く、現代中国を皮肉っぽく、あるいは死刑廃止を、との西側の批判に応えるように政策的に描かれているように見えて、その意図を探るのも面白かった。

ここからネタばれです。

舞台は1997年の河北省涿州市。娘がひき逃げされたと公安から報告を受ける地裁の裁判官が、公安の建物から出ると自転車が盗まれていた。盗んだ自転車を街中で売っていた男と遭遇する。男は逮捕され、この男の裁判を担当することになる。3万元以上の高額窃盗は当時の刑法では死刑になるという。ただ、近く新刑法が公布されることが明らかになっており、裁判官たちの合議で、旧刑法はこんなに物価が上がる時代の前の法律であり、今では3万元がそれほど高額窃盗というわけではない、新しい刑法を反映して死刑を回避すべきだ、との声も出る。ただ、主人公の弁護士は頭が固い法律家らしく、現状では現状の刑法を正確に運用することが法律家の責務だ、と主張、判決は死刑となる。控訴。二審制の中国では次で運命が決まる。
ここで超金持ちの企業家が登場、彼は腎臓を病に冒されていて透析をしている。腎臓移植を待っているが、なかなか適合する腎臓がない。この死刑囚の腎臓がマッチすることが分かり、腎臓移植の同意書を得ようを弁護士を通じて画策する。家族にも「死刑回避の弁護をするから、もし駄目なときは腎臓提供に同意してくれ、20万元払うから」と持ちかける。死刑囚は自分が死刑になっても家族に20万元残せるなら、と移植に同意する。二審判決も死刑。主人公の裁判官が死刑の手続きを済まし、企業家も病院に待機し腎臓移植を待ち、死刑囚は街のはずれの刑場に連行され、まさに銃殺される直前、裁判官は副所長に「死刑中止」を提案。企業家から何らかの経済的援助を得ていた裁判所側はこれを渋るが、最後は裁判官が大声で「死刑中止だ」と一方的に中止させ、大目玉をくらう。
ただ、結果として「新しい刑法を考慮し人権に配慮した、新中国にふさわしい行動だった」と大きな責めを負わされることなく、腎臓移植は駄目になり、物語は終わる。

現代中国に特徴的な貧富の差、富豪が賄賂を使って公的機関を思うがままに動かしさらに利益を得る、西側の人権団体からかつて指摘されていた死刑囚の内臓を移植のために使っていたという話、西側にしばしば批判される中国の死刑の多さや人権軽視の判決・・・・などなどを盛り込んだ政策的意図を持つ作品だ。

当然最後は死刑になって、無事腎臓移植がすむのかと思っていたら、どんでん返しがあるのは、こういう中国映画の常。最後に死刑回避をしたストーリーになったのは、西側の死刑への批判を考慮したのは間違いないだろう。

ただ、この映画のもうひとつのテーマの仇、復讐という意味では、なぜ娘がひき逃げされたのか最後まで明らかにならなかった。公安当局が裁判官という職業ゆえ、判決に不満な誰かが復讐のために娘をひき殺したのではないか、と説明するくだりがあり、もしかしたら、この富豪が盗難車を使って娘をひき殺し、因果応報、裁判官は回り回ってこの富豪の腎臓移植に手を貸す、あるいは貸さない、というように関連づいているのかも、とも思ったが、そこまで話をくっつけてはいなかったようだ。

なかなか考えるところの多い映画だった。

写真は日本の公式サイトの、予告編動画のページ。

三峡ダムで干ばつ深刻と国務院

2011-05-22 11:20:44 | 時事

中国でタブーとされてきた三峡ダム批判が当局側から出た。中国網の日本語サイト「チャイナネット」が19日、ダムが干ばつや深刻な水質汚染の原因であり国務院が改善を求めた、と報じた。中国網は中国外文出版発行事業局が管理するニュースサイトとのこと。

 ...中国国務院は5月19日、三峡ダムプロジェクトが長江の中流、下流地域に悪影響を及ぼし、三峡ダムの下流 に位置する3つの省では干ばつが深刻になっていると発表した。中国では、三峡ダムプロジェクトの弊害が次第に明らかになっている。あるメディアが三峡ダム地域の水質汚染について取り上げたことで、三峡ダムプロジェクトは再び議論の的となっていた。これをうけ、国務院は、三峡ダムプロジェクト関連の水環境問題の改善を図るよう指示した。中国国務院の温家宝総理は18日、国務院常務会議を招集し、「三峡後続事業計画」および「長江中下流地域水質汚染改善計画」について討議を行った。会議では、人間本位の視点から環境保護や持続的な発展を考慮しつつ、プロジェクトへの資金投入を拡大、ダム周辺地域の経済・社会と環境のバランスのとれた発展を実現すべきだとの考えが強調された。...「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年5月19日

そもそも三峡ダムは孫文が提唱したにもかかわらず、その時々の政権は、規模や投資額のわりに十分な効果が見込めるのかとの多くの疑問を持たれ、また環境汚染や生態系破壊を招くとの批判を受け、計画実現には至らないでいた。ところがモスクワ動力学院で水利を専攻した李鵬首相(のちに全人代常務委員長、引退)が長老たちを説得して建設にこぎつけた。89年の天安門事件で戒厳令を発布したとして内外に評判の悪い李鵬だが、2001年8月、三峡ダムの建設現場を訪れたとき、ここでだけは李鵬を絶賛していた。



李鵬は革命家の両親を戦争で亡くした革命孤児で、子供のできなかった周恩来首相夫婦の養子となった、いわば筋金入りの太子党の頭領だ。いまの温家宝首相と太子党との確執を想像してしまうのはうがち過ぎだろうか。

現在、三峡ダムの下流域の水不足は深刻で、水力発電がままならないこと、そもそも電力需要が激増していることから、中国では日本を上回る電力不足に見舞われ、輪番停電(計画停電)している地域もある。今回の報道と国務院の対応は、この状況を受けたものだ。実事求是に基づいた状況判断だろう。それだけ中国の水不足と電力不足が深刻だということだろう。
折りしも温首相は21日訪日、宮城県の被災地の避難所を訪問し、女川の中国人研修生を津波から救い自らは犠牲になった会社専務に感謝と哀悼の意を示し、日韓両首脳と一緒にサクランボを食べて日中両国に農産品の風評被害を払拭しようとし、またSMAPと会談し北京公演に期待を示したりと、少し前なら反日派にぶったたかれるような親日的な日程をこなしている。中国国内での日本のイメージアップに寄与しているといえるだろう。尖閣問題のときに反日を利用して胡錦濤・温家宝らを攻撃した(と僕が考えている)太子党の考え方と真逆だろう。温首相が攻勢をかけているように見える。
北朝鮮の金正日総書記が訪中しているが、呉邦国・全人代常務委員長とともに温首相も中国を空けている。金総書記より日本をとったということなのか。一方で、日中韓の会談が開かれるタイミングで訪中し、日中韓の結束を分断しようとの意図が金側にあったとの憶測を示す報道もある。

三峡ダムの写真は2001年8月に訪れた工事中の三峡ダム。李鵬の写真は引退直前の02年来日時のもの。周恩来の像は故郷の紹興の故居にあるもの。

スペイン料理

2011-05-20 22:28:18 | 飲食
住む街の大型ショッピングモール脇の高級ホテル内にあるスペイン料理屋に行った。いつもはもっぱら1階の飲茶食べ放題か、地下1階にある上海の名店、南翔饅頭店の支店で済ますのだが、到着が午後3時過ぎ、いずれもランチからディナーへの切り替え時で閉まっていた。たまには違う趣向をということで、スペイン料理にしてみてた。ただ、車を運転していったのでワインはなし。ガーン。
生ハムの盛り合わせ。金華ハムよりさっぱりしているが、奥が深い。レーズンや胡桃などが添えてあり、なるほどうまくマッチする。


フォアグラ。僕はあまり好きではないのだが、クリーミーでした。


エビのガーリック風味オリーブオイル揚げ。僕は油っぽいのはちょっと。食べるや否やツラの皮が油っぽくなってきた。


和牛ヒレステーキ。黒胡椒と塩だけで、気取ったソースはなく、僕はこのようなシンプルなステーキが好き。焼き加減も良かった。


イベリコ豚。これはうまかった。アブラも重くなく、甘い感じがする。肉の塊を30分程度焼いた後切って出しているよう。焦げ目がついているのは周りだけ。広い面はしっとりとしている。


デザートはアイスクリーム。バニラとマンゴーとクランベリーかな。オレンジとパインも乗っている。落ち着くー。


もうひとつはどんぐり味のティラミス。どんぐりってよく判別できなかったけど。ティラミスはティラミス。


この日のメニューは3800円で冷菜、温菜、副菜、主菜、デザートを選べる。イベリコ豚や和牛ステーキはプラス500円とか、1000円とか、で結局セットメニューの6500円並になってしまった。あと、スパゲティーの写真を撮るの忘れた。豚の内臓と豆が入ったトマト味の細いスパゲッティーだった。アルデンテだった。全体的に十分満足だった。ワインを飲まなかった以外は。ペリエを頼んで炭酸があったので、ビールっぽい感じはした。次はバスで来よう。

袋詰め北京ダック

2011-05-19 13:46:40 | 時事



北京の町中で売られている袋詰め北京ダックは、開けてみると「皮なし、頭なし、羽根なし、ただ臭い肉のかたまりだけ」で、このような偽物北京ダックに、北京の老舗「全聚徳」の名前をラベルに付けて売っている、と19日の「明報」「星島日報」など香港各紙が報じた。「明報」によると、このほか「全居徳」「金聚徳」など人を馬鹿にしたようなネーミングの袋入り“ダック”が出回っているという。

確かに駅の売店などには袋に入った北京ダックのようなものがよく売られている。空港の免税店などでも入手できるが、いずれも結構高い。ダックを食べるなら店に行くのに限る、と思っていたが、お土産にはいいんだろうなあ、と買おうと思ったこともあったが、危ない、危ない。

報道によると、北京の前門、北京駅、北京西駅、西単などで、劣悪な「北京ダック」が売られていて、「ダック特価1羽15元(約200円)、2羽買えば1羽おまけ」などと売っており、販売員は「どうせ人に送るんでしょ。なら安いのがいいじゃん。偽物を買ってもかまわない、食べても死にはしないよ」などと話しているという。

本物の「全聚徳」の北京ダックの袋詰めは68元で、それより安ければ偽物だ、と商品を扱う北京全聚徳三元金星食品公司の王凱総経理(社長)のコメントも載せている。

北京でダックを食べるときはご注意を。
しかし、中国のニセモノ食品は山ほどあって、何を食べていいか分からなくなるほどだ。キャンペーン的に当局が報道している。また食の安全に違反した場合の罰則強化なども報じられている。一応、食の安全について中国当局が改善に着手したと考えていいだろうが、「上有政策、下有対策」。掛け声だけに終わり、色々な逃げ道を作って悪ははびこり続けるのではないか? 安心できる日はいつなのか。

写真は北京の全聚徳王府井本店。

故宮お笑いぐさ

2011-05-18 00:54:03 | 時事

北京の故宮博物院の展示品が8日、盗難に遭い、北京警察当局は3日後の11日に早くも容疑者を割り出して身柄拘束した。17日、盗まれた展示品の一部を公開した。
 新華社のサイトによると、盗んだのは、山東省の貧農出身の20代後半の出稼ぎ工員で、テレビで紹介されていた金色に輝くお宝を知って盗もうと考え、ネットで品定めをして金属製のものなら売れるだろうと思ったという。8日午前、故宮に忍び込み、ちょうど雨で暗くなっていたため夜まで潜み、明かりが消えてから展示場のガラスを壊し、お宝を盗み、逃げたという。

天下の世界遺産、故宮博物院からお宝を盗むとは、中国版アルセーヌ・ルパンか、ルパン三世か、芸術品の値踏みができるようなヤツか、はたまた西側のブローカーと結託していたのかしらん、と想像力をたくましくしていたら、何のことはない、お宝の価値もわからないような農民工だった。17日公開されたお宝を見ると、誰でもわかるような、中国人が好きそうな金ピカの物ばかり。香港の博物館が収蔵する近代工芸品だという。ちょっとガッカリ。動機は金に困って、という。また農民工いじめかよ。中国の貧困というか、貧富の差が産み出した犯罪ゆえ、一概に容疑者を批判するわけにはいくまい。

また、一方で故宮にそんなに簡単に忍び込め、また展示品のセキュリティーも甘いことから、内通者がいたのではないか、との故宮博物館側には不名誉な憶測ニュースまで流れていた。

さらに不名誉なことに、故宮博物館が早期逮捕を感謝する一文を警察側に贈った際、旗に刺しゅうされたその「撼祖国強盛、衛京都泰安」という一文に明らかな誤字があることを指摘された。最初は「間違いではない」と開き直り、その後、謝罪していたという。「撼」の字は本来「捍」でなければならず、翻訳では「祖国の繁栄を維持し、首都の安泰を守る」としたかったのだが、そのまま訳すと「祖国の繁栄に動揺を与え・・・・」となってしまう。中華文化の最高峰であるはずの故宮博物院がなんとお粗末なことか。

写真は人民日報のサイトが掲載した北京市公安局のサイト。右側の旗の文面に字の誤りがあった。

故宮については、施設の一部を金持ちや高級幹部用の会員制クラブにしていた、とのすっぱ抜きニュースもあった。あまりに不名誉なニュースが続き、故宮の当局者、あるいは北京市当局者に何かあるのではないか、と勘ぐりたくもなる。

キッシンジャー著「On China」

2011-05-17 10:27:46 | 時事
香港紙「明報」は16日、ニクソン米大統領の密使として秘密裏に訪中、電撃的な米中国交正常化へ導いたヘンリー・キッシンジャー元米国務長官の新著「On China(論中国)」が17日、米国で出版され、毛沢東が「王者の哲学者」、周恩来を「優雅」、トウ小平を「憂鬱なまなざしの勇敢なチビ」とするなど、キッシンジャー氏が近距離で接した中国指導者らの印象を記していると報じた。

同書によると、これまで一般的には米中の国交正常化について、ニクソン大統領がベトナム戦争集結への手続きを誤ったことへの国内の批判をそらすために訪中に積極姿勢を示していた、と説明されてきたが、実際に、先に手を打ったのは毛沢東のほうで、ソ連が中国に対して容易に武力を発動できないように、と考えていたという。新著によると、キッシンジャーは当時の中国の指導者たちは実務的な利己主義者で、共産主義を堅持していたといえども、米国と手を結びソ連をけん制したかったようだと見ていた。

キッシンジャーは中国の指導者たちについて、それぞれ別の見方をしており、このうち、周恩来について「会談のときは聖人然とした優雅さと人知を超える知恵を醸し出していた」との印象を示しているが、ニューヨークタイムズの有名な書評家で日系2世のミチコ・カクタニ(角谷美智子)は、周は常に毛沢東の政策に反対意見を出すかどうか考えていて、その結果、自分が排除され失脚するかどうか慎重に考えていた、と見ていたとする。

キッシンジャーは、1989年の「六四」(天安門事件)の後、中国の指導者は一時的に、米国に対して理解不能になったとしている。キッシンジャーは「私も天安門事件の結果に驚いたが、ただ、多くの米国人とは違って、トウ小平の15年もの改革が、伝統的な中国から現代化とグローバル化へ進むなかでの苦しみの過程なのだと観察している」としている。

と、ここまで明報の記事を読んでみて、キッシンジャーの見方は時として独善的でわざと突飛なことを言って注目を引こうとするような傾向があるのでは、と思っていたが、これもそんな感じかなあ、とも思ってきた。歴史の内幕を暴きだすような記述があるかどうか。カクタニはハリーポッターの小説で、発売前にあらすじを書評に書いて大顰蹙を買った、として話題を振りまいたが、キッシンジャーの新著についてはそこまでしなかったようだ。

中台関係の4項目声明

2011-05-14 00:48:53 | 時事
今月10日、中国大陸を訪問中の台湾与党・国民党の呉伯雄名誉主席が、中国共産党の胡錦濤総書記と会見、この席で胡総書記は、「両岸(中台)関係を発展させるための4点の意見」を示した。

中国系香港紙「文匯報」によると、

第一、国民党と共産党はそれぞれ中国は一つという原則「九二共認」(92年コンセンサス)を堅持すること。

第二、国民党と共産党は互いに認め合い中台問題に対処すること。

第三、中台は早期に投資保障協議に署名し、文化教育交流、特に青少年交流を進め、中華文化と中華民族の認識を高めること。台湾側が提案した原発の安全性について、早期に交渉を持つことを希望する。

第四、民間交流を引き続き進めること。

このなかで、第一がもっとも重要で、根幹であるとの認識だ。「92年コンセンサス」とは、1992年に中台の交流窓口機関のトップが香港で口頭で約束したとされる。台湾側は「一つの中国の解釈はそれぞれにゆだねる(一中各表)」と解釈しているが、それについては中国側は認めていないが、話が先に進まないのであいまいなままにしている。

大陸側の人間は台湾の現状を理解していない。共産党が国民党とのみ交渉すれば中台問題は解決できると思っていること。台湾が民主的な政治形態ですでに多党制に移行し直接選挙を通じた穏健な政権交代により、カウンターパートが国民党以外になる可能性があるとの認識が欠如していること。台湾人イコール中華民族ではなく、台湾的アイデンティティーを持っていて、大陸の中国人とは別の価値観、国家観を持っているとの認識に欠けていること。共産党が国民党側の肩を持つことで不快に感じる台湾人が相当数いると気がつかないこと・・・・など。

中台の指導者による交流、交渉に向けての原則は、1981年9月に葉剣英・全人代常務委員長による九項目提案(葉九点)。83年6月にはトウ小平が、「国共両党の平等な対話」「台湾の司法権独立、軍隊保有の容認」「台湾当局の人事権の独立」など六項目を提案した(トウ六点)。95年1月には江沢民の8項目(江八点)、同年には李登輝の6項目の逆提案(李六点)に次いで、胡錦濤も2005年に3月4日に4項目声明(一つの中国の原則は動揺しない、平和統一を勝ち取る努力は放棄しない、台湾人民に希望を寄せる政策は変えない、台湾独立運動への反対は妥協しない)を発表していた。

今回は、「台独の権化」陳水扁総統が退場し、三通(通信、貿易、交通の直接交流)が実現し、新たな状況下での4項目原則で、胡錦濤があえて提示したのは、呉伯雄へのリップサービスというより、来年実施される台湾総統選をにらんで、台湾独立を提唱する民進党の総統選候補となった蔡英文主席らへの牽制だろう。

台湾の現在の馬英九総統は、国民党の切り札として総統に当選、今回2期目を目指すが、水害処理にもたつき、経済政策でも汚点を残した。唯一の救いは中国との交流促進で景気が徐々に回復基調にあること。ただ、不景気にあえいでいた台湾住民も、喉元過ぎれば熱さ忘れ、中国との経済交流の重要性より、中国側が台湾経済に攻勢を強めていることへの不満や危機感が表れている。

世界保健機関(WHO)で、台湾を「中国台湾省」と表記するよう中国側が強いていたことが発覚したことも、それに輪をかけている。WHOには、中台蜜月の影響とSARS禍を受けて台湾のオブザーバー参加が実現している。馬英九総統は中国側とWHOに抗議して「中国の言いなりでない」とのポーズを示したが、台湾の有権者に「国民党は中国べったり」との印象をもたれすぎれば、総統選の行方に影響を及ぼす可能性は否定できない。

一方で、中国共産党の大敵、陳水扁前総統が逮捕、収監され、民進党での求心力が急速に低下したあと、民進党も台湾独立を声高に叫ぶことをせず、中国との関係改善を模索している。昨年11月の県市長選では、台湾全土での得票数で民進党が国民党を上回った。現状では世論は国民党よりは民進党を押していると見ることができる。

中国共産党は台湾のこのような微妙な有権者の心理を理解できていないようだ。大陸は国民党とのみよい関係を築いている、と見せ付ければ、台湾の住民は安心する、と勝手に思っているようだ。馬英九は、呉伯雄と胡錦濤が握手している写真を苦虫を噛み潰して見ているかもしれない。馬はおそらく中国との関係改善を前面にたてて総統選を戦わないだろう。

台湾総統選は来年1月、国会議員に当たる立法委員選挙とダブル選挙になる見通しだ。もし民進党の蔡英文女史が当選したら、大陸側は台湾政策を根本から見直さなければならなくなる。その可能性はかなり高いのでは、と筆者は見ている。

「温故一九四二」映画化

2011-05-09 02:33:40 | 時事

日中戦争中に、飢餓に苦しむ河南省の民衆を日本軍が軍糧を与えて救ったという史実に基づいたルポルタージュ「温故一九四二」(劉震雲作、1994年)の映画化について、中国のヒットメーカー、馮小剛監督が「今回、準備時間は十分足りている」と話したという。人民日報のサイトで解放日報の記事を引用して報じた。

馮監督はすでに重慶でのロケハンを済まし、脚本も12回書き直したという。昨年「唐山大地震」と「非誠勿擾2」の大ヒットで11億元(143億円)の興行収入を上げ、機は熟したようだ。そもそも馮監督は3000万元(約4億円)程度の製作費を考えていた。大手配給会社の華誼兄弟は2001年、この映画への投資を考えたが、回収は難しいと逡巡していた。その後、馮監督の考えでは製作費は十年前の5倍の1億5000万元となったが、2作品のヒットで7、8億元ぐらいまではなんとかなる、ということになったようだ。

馮監督は、撮影には5カ月かかり、3カ月半から4カ月は毎日数百人の群衆の撮影が必要で困難が伴うとしている。「集結号」や「唐山大地震」撮影当時はみなとても大変だったが今回はさらに難しいだろう、という。
また、重慶のロケハンをしても、大掛かりなセットを作らざるを得ない、という。現在は絵コンテを書いている段階で、5月に準備段階、10月に撮影開始、来年夏に上映となりそうだ。