Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

「賽徳克・巴萊」地元・台湾のアカデミー賞でもいまいち

2011-11-28 02:23:16 | 映画鑑賞
27日、台湾のアカデミー賞である第48回「金馬奨」の各賞の発表があり、魏徳聖監督の「賽徳克・巴萊」(Seediq・bale=セデック・バレ)は、最優秀劇情映画賞と最優秀音楽賞、最優秀音響効果賞、最優秀助演男優賞、年度台湾傑出映画制作者賞の5冠にとどまった。

もっとも注目される最優秀男優賞、同女優賞はベネチア映画祭で女優賞をとった「桃姐」(A Simple Life)の劉徳華(アンディ・ラウ)と葉徳嫻(デニー・イップ)に、最優秀監督賞も「桃姐」の許鞍華(アン・ホイ)監督で、魏徳聖監督は、金集めのために撮った「海角七号」で5部門で賞を獲ったのに対して、今回、満を持して撮りたい映画を撮った「賽徳克・巴萊」は地元・台湾の映画祭で5部門もとどまるという皮肉な結果になった。観衆が選ぶ最優秀作品賞も獲ったようだ。中央通信は6冠と書いている。
このほか、中国大陸の映画で、体制批判を含めた風刺的で暗示的なセリフにあふれている、と評判になった「譲子弾飛」も最優秀脚本賞と最優秀撮影賞を獲得したのが注目だ。甄子丹(ドニー・イェン)や金城武、「ラスト・コーション(色戒)」の濡れ場で注目された湯唯も出ている「武俠」も最優秀視覚効果賞と最優秀アクション賞、最優秀美術賞を獲っている。

魏監督は監督賞や新人賞などを落としてがっくり、という感じか。中央通信によると、ベネチアで賞をとった余勢をかって、桃姐の評判がいいことからあきらめムードだったという。

日本の植民地時代の台湾で起きた、最大にして最後の反日暴動といわれる霧社事件を描いた映画で、台湾と日本の歴史について学んでもらえたら、と思ったが、台湾の人々もそういう重い、かったるいテーマの映画には、ちょっと触れにくい所もあったのかもしれない。それよりお手軽で音楽と男女の恋愛などをユーモアを含めて描いた「海角七号」のほうが簡単なのかな。

このなかでは「譲子弾飛」は見たが、当方の乏しい中国語力では、映画が比喩、暗示するさまざまなテーマを聞き出すことは出来なかった。もう一度真剣に見てみよう。それから早くセデック・バレや桃姐を見てみたいものだ。

2011第48屆金馬獎得獎名單
★最佳劇情片:賽克‧巴萊
★最佳男主角:劉華/桃姐
★最佳女主角:葉嫻/桃姐
★最佳導演:許鞍華/桃姐
★最佳原創電影歌曲:完美落地/詞、曲、唱:乱彈阿翔(陳泰翔)/翻滾吧!阿信
★最佳原創電影音樂:何國杰/賽克‧巴萊
★年度台灣傑出電影工作者:王偉六
★最佳原著劇本:席然, 秦海璐, 楊南倩, 葛文, 勇星/到阜陽六百里
★最佳改編劇本:郭俊立, 危笑, 李不空, 朱蘇進, 述平, 姜文/讓子彈飛
★最佳新演員:柯震東/那些年,我們一起追的女孩
★最佳攝影:趙非/讓子彈飛
★最佳視覺效果:姜鍾翊、翁國賢/武俠
★最佳動作設計:甄子丹/武俠
★最佳新導演:烏爾善/刀見笑
★最佳女配角:唐群/到阜陽六百里
★最佳紀錄片:金城小子/三三電影製作有限公司
★最佳音效:杜篤之/賽克‧巴萊
★最佳剪輯:陳曉東/尋找背海的人
★最佳美術設計:奚仲文、孫立/武俠
★最佳造型設計:郝藝/刀見笑
★最佳創作短片:小偷/陳杰
★最佳男配角:徐詣帆/賽克.巴萊

香港でフカヒレ食べられなくなる!?

2011-11-23 11:56:19 | 飲食

香港紙「明報」によると、アフタヌーンティーで有名な、九竜の付け根、尖沙嘴(チムサーチョイ)にある香港の高級ホテル「ペニンシュラ」で、来年1月1日からフカヒレを出さないと発表したそうだ。環境保全が理由で、レストランの収入はガタ減りするだろうが、経営全体への影響は限定的だろう、としている。

香港の飲食業界では、当面は傍観する方向だが、宴席などでフカヒレが出ないのはいかがなものか、との考えから、全面的にフカヒレがなくなるのは難しいだろう、と見る向きもあるようだ。

明報によると、香港ペニンシュラホテルの親会社である香港上海大酒店は、地球上のサメの生態は減少しており、品種によっては絶滅のおそれもあるとして、来年からのフカヒレの予約を即日受け付けないことにしたという。ただ、すでに予約されている分については提供するようだ。ホテルの郭敬文・総裁は「海洋資源を守るため、同業他社も追随することを望む」と述べたと言うが、香港からフカヒレが消えてしまうのだろうか。


写真は、5月の香港に行ったときに食べた新同楽のフカヒレ。

ペニンシュラでは「フカヒレなし婚礼」なら一泊無料招待するとして、顧客のフカヒレ離れを奨励するという。

世界自然保護基金(WWF)の香港の責任者は「香港のフカヒレ輸入は世界の50%を閉めており、もし香港でフカヒレを食べることをやめたら、サメの保護への影響は大きく、今回、ペニンシュラが行動を起こし、利益を得られるようなら、他の多くのホテルも追従するのではないか」と期待を込めている。

中環(セントラル)側にある高級ホテルのマンダリンオリエンタルのミシュラン料理長は、フェイスブックに「喜ばしい知らせ。他も追従することを望む」とペニンシュラを称賛しているという。

どうなるだろうか。環境保全の観点からフカヒレ乱獲を戒める考え方もあるし、フカヒレには多くの水銀が含まれていて、特に妊婦などは大量に食するべきではない、との考え方もある。フカヒレの多くが日本の東北地方で加工されていて、香港でも日本産が最高級品とされていることなどから、日本の食べ物の放射能汚染について過度に敏感な香港人たちにとって、今回のフカヒレ料理停止は、福島原発の問題も多少絡んでいるのではないか、とうがった見方もしたくなる。


長崎にて

2011-11-12 11:05:02 | 飲食
長崎でやっている「梅屋庄吉と孫文」展を見るために長崎に行った。昼前に車をすっ飛ばして1時前に長崎の中華街着。
昼食には江山楼のちゃんぽんと角煮まん。ちゃんぽんの具材がぜいたくで、フカヒレとか入っている。取り立てて味はないが。

肉団子の中にジューシーなスープが入っていたり、鶉の卵を油で揚げて表面がカリっと皮のようになっていたりとか、手が込んでいる。

それに比べて角煮はタレが粘りが強すぎる感じがした。当然、箸で切り分けられるぐらいトロトロに軟らかく煮あげてある。


梅屋庄吉展は基本的に写真撮影禁止だが、この孫文像のみ可。梅屋が孫文の功績を後世に伝えようと、4体つくった銅像をCTスキャンして作ったレプリカという。本物の像を広州の黄浦軍校跡地で見たが、高い塔の上のほうにあったので、細かくは見えなかったのでよかった。
この像はこのほか、南京、マカオ、中山市にあるという。中国国宝級。

梅屋展では、辛亥革命に際して梅屋が武漢に特派員を遣わして撮影させた辛亥革命についてのドキュメンタリー映像を見ることが出来る。北京に保管されていて中国以外での公開は初めてという。興味深い展示物もあった。

夕食は長崎の卓袱料理を体験しようと、「ミニ卓袱」といわれる簡易版を食べた。
まずお吸い物が出てくる。これは「和華蘭」として日本食、中華、洋食がごっちゃになった卓袱料理のなかでは、中華の広東料理を意識したものだという。広東料理ではスープが一番最初に出てくる。

モチが入っていて雑煮のよう。魚は鯛。厚めに切ってあるので食べ応えがあった。

女性陣がたのんだ「おたくさ卓袱」のセット。おたくさとはアジサイの西洋学術名で、アジサイを愛したシーボルトの妻タキの名にちなんでシーボルトが命名したものとされている。


これは僕が頼んだやつ。女性向けよりローストビーフが追加されている。これくらいか。焼き魚はむしろ女性向けのほうが多かった。

煮物の種類はこちらのほうがおおいのかな。右上の揚げ物は、おそらく魚の白身を細かくしたものをパンに挟んで揚げたもの。

刺身はハマチとカジキマグロ。これはどちらも同じ。コリコリしていて新鮮だった。

角煮もおんなじ。江山楼のものよりさらさらしたタレで薄味でおいしかった。


デザートには巨峰ゼリー。巨峰の実が入っていた。ゼリーは固めで、もう少し柔らかくてもよかった。

最後に白玉ぜんざい。これがすごく甘い。シュガーロードの出発点・長崎ゆえ、甘いものはより甘いのか。

桜の花びらの塩漬けが入っているが、それを超越する甘さ。半分ぐらい残した。これが長崎の味付けなのだろう。



泰山曲阜6止

2011-11-08 22:22:15 | 中国旅行
中国世界遺産41のうち制覇した30番目と31を番目の泰山と、孔子廟と孔府と孔林のある曲阜。
今回は4泊5日の中国語でいうところの走馬看花(馬上の花見)だった。
少ない時間で効率的に見るには、旅行社にお任せしちゃうのが一番だ。


検討したのは日本の旅行社と、ネットで探した中国の旅行社2つで、メールを出して見積もりをお願いした。いずれも日本語。
コースは中国系の旅行社のネットに載っているオーソドックスな青島から曲阜、泰山、済南で博物館、青島-泰山の途中で殉馬坑、青州などの博物館に立ち寄るコース。日本から青島の直行便があるので、青島への到着時間が午後、青島からの出発便が午前、という条件を出して中国側には見積もりをしてもらった。日本の旅行社は一人予算15万円でできないか?と注文を出した。

日本-青島の航空券はHISで約7万円だった。日本の旅行社はすぐにギブアップのメールを送ってきた。ということで却下。

中国の2旅行社は1人5100元、同5909元。前者は青島地元の旅行社、後者はどうやら桂林にある旅行社が地方の提携旅行社に手配して対応しているようだ。安いことと地元旅行社ということで前者に決めた。料金は日本円で13万円。おそらく日本人の協力者なのだろうか、個人名の口座に振り込んで終了。ホテル、食事、車、日本語ガイド、施設入場料、保険込み。
一人7万円+6万5000円=13万5000円、ということで日本の旅行社がギブアップする価格で実現できた。

ガイドは日本留学経験者で、日本語にそんなに問題はなかったし、車は前述したようにこれまでで一番といえるほどよかった。
ホテルも基本的に四つ星以上で、基本的には大きな問題はなかった。
食事は当たり外れはそれほどなく、自分でレストランの心配やメニュー選びで悩まなくてよいなどは利点だが、もう少し山東特産、青島特産の海鮮などを食べてもよかった。もちろんビールなどはついていないので、自腹で注文する必要はある。
ただ、最終日、青島のホテル、黄海大飯店はひとり138元でビールなどのアルコールも含めて食べ放題のバイキングをしていた。麺などは目の前で作ってくれ、まあまあ美味だった。

服装は、一番心配していたのが泰山山頂での御来光見物だが、ホテルの部屋のロッカーにはホテル備え付けのオーバーが置かれていた。中国軍用の綿大衣をおそろいで着ている団体もいたが、いずれもホテル・旅館備え付けだったのだろう。
僕らはミニヤコンカのときとほぼ同じ装備で、上は発汗温熱長袖シャツの上にフリース、登山用の超軽量コンパクト・ダウンジャケット、ゴアテックスのウインドブレーカー。下はユニクロのヒートテックのズボン下に、普通の登山用ズボン、そのうえにスポーツ用ウインドスーツの下をはいた。まったく寒くなかった。日が昇る前だが、山道もそれなりに明るく、特に懐中電灯などは必要なかった。

泰山曲阜5-3

2011-11-08 15:47:30 | 中国旅行
済南での夕食。これもホテル内だったが、一番特徴がなかったかな。

豆腐にちょっと味がついた冷菜。ビールのつまみにはよさそう。ただ、この後の料理がなかなか来なかった。

なぜか二番目にうどん、そば?が出た。スープは醤油味でカニカマ(本物のカニかも)のようなものも入っていた。
ちょっと故郷の煮込みうどんを髣髴とさせるような。実はうまかった。ぺろりと完食した。

これは、郷土名物料理なのだろう。粉文化の山東では、北京ダックをくるむような餅(ビン)にいろんなものを包む。孔子廟のそばのホテルでの昼食では最初からまいてあったが、夕食では三種類のナス。シンプルなみそ炒め風と、ニンニクを上にかけてたっぷり利かせたもの、荒めに細かくしたひき肉とナスの炒めたもの、これらを餅で包むのだが、ナス尽くしというだけでは、味や食感にそんなに大差があるわけでもない。ナスだけで北京ダックとか、肉とかもなく、ちょっとつまらない。一応紳士的におおむね片付けたけど、餅に包まなければ、とこだわるほどでもない。これも水分や弾力性に乏しい餅で、包んだ後ちょっと時間がたつとすぐ、ナスの水分を吸って穴が開いたりする。

この日はたまたまあまり空腹でなかったこともあり、麵も食べられたし、これでいいや、とあっさりで終了。もちろん、このあとスープとか主食の米とかも来たが、山東省というのは、料理にそんなにバリエーションがあるわけでもないようだ。


観光としては最終日の4日目、済南から淄博の博物館を経由し青州までの間に昼食をとる。街のホテルのレストランのようで、ちょうど結婚式をしていた。ガイドによると、大きな会場でいくつものテーブルを並べて出席者が新郎新婦を見るのではなく、間仕切りされた部屋ごとに知り合い同士が食事するらしい。ほかの出席者と顔を合わせる機会はほとんどなさそうだ。

で、豆乳のようだがクリーム味のきのこのスープ。シチューの味のようでかなり良かった。きのこの旨みが効いていた。風邪気味だったので一生懸命食べた。

で、これが名物らしい。といっても角煮まんの角煮の代わりにベーコンのような豚バラ肉にちょっと濃い目の味がついている。これとキュウリをはさみ、ミソをつけて饅頭にはさんで食べる。

と思ったら、ミソが結構塩辛かった。ネギもあったほうが良かったし。山東省では結構ネギを食べるらしいが、肝心なときにないというのはちょっと。見た目は豪華風だが、実を言えば結構普通の食べ物だ。

トマトと卵の炒め物は定番。というか、「家常便飯」の典型だし田舎料理丸出し、という感じも。味は可もなく不可もなく。栄養はたっぷりだから一生懸命食べた。

これはセロリかな、とタケノコかな、と春雨のようなものを炒めたもの。そんなにしつこい味付けではなかったし、まあ、おかずとしては特に問題なし、

うまくもなく、まずくもなく。自分で注文していたとしても、そんなに大差はなかった。ただ、一番豪華そうに見える料理はネギを加えキュウリをもっと細く切って、肉は味付けを薄くして、ミソの塩を控えめにしたら、それなりには食べられるんだろう。ただ、見せびらかすほどたいした料理でもない。

店を出ると、新郎新婦が客を見送っていた。結構地味な服装、化粧で、最近の地味婚の影響なのだろうか。それともどこかで結婚式だけは挙げてきて、披露宴は地味目にしていたのだろうか。ガイドは、「地域地域で考え方が結構違うから」という言い方をしていたから、それなりに違和感を持っていたのだろう。


泰山曲阜5-2

2011-11-07 22:03:17 | 中国旅行
さて、午後から泰山にロープウェーで登って、夕食は山頂のホテルの中。数年前に行った四川省のミニヤコンカのときは、山の中腹(といえども標高2900メートル)のホテルで、食事がかなりよろしくなかった。今回も多少心配していたら、ここはまあ、そこそこだった。

キクラゲの炒め物。キクラゲなら山の上でも保存が利くし。おかずとしても歯ごたえもあって悪くない。

鶏肉を紹興酒などで煮たものだろうか。意図はわかるが料理の味としてはいまいちだった。でも一応肉も出るんだ。
安徽省の黄山のふもとの町、屯渓でも鶏丸ごと一羽だったが似たようなものを食べたこともある。このときも酒臭さが強すぎてあまりおいしくなかった。

野菜と豚肉の酢豚っぽい感じだった。安心して食べられる。野菜が取れるというのがいい。

魚の白身の団子。おでんの具のようなツミレの既製品を運んで調理したものなのかもしれない。僕は嫌いではなかったが、同行者はお気に召さなかった。ビールも10元とそんなに高くはなかったし、主食は饅頭と茶わんテンコ盛りの米飯が出た。全体的に山小屋の食事としては悪くなかった。
御来光を見た後の朝食も、そんなにひどくはなかった。饅頭や肉まんと豆乳とかだったかな。

下山して孔子廟などのある曲阜に移動、孔子廟のそばのホテルで昼食。中国要人や、韓国の金大中元大統領、台湾の連戦・国民党名誉主席(元副総統)の写真もあった。ガイドたちのテーブルのほうが先におかずが配られていたので文句を言ったら、あなたたちのは特別な料理だから遅い、といわれた。特別料理って、さあ何だ。期待はしていないが。
で、曲阜の名物ですから、と出されたのが下の写真。

中にはチャーシューのようなものが細かく刻まれ、ネギのようなものと一緒に巻かれていた。「餅」(ビン=クレープのような小麦粉をといて焼いたもの)は、ふわふわではなく、硬かった。名物においしいものなし、の典型だった。北京ダックのほうが圧倒的においしい。

豚肉とブロッコリーとタケノコとニンジンの炒め物は、まあ中華では定番でしょう。特筆するほどでなし。

海老と卵の白身のふわふわ炒めもよくみるメニューで、取り立てて珍しいというものでもなし。味も予想通り。

それ以外にもいくつか出たけど、忘れた。印象に残る料理は特になかったということか。孔子さまはそんなにおいしいものを食べていなかったということかも。

泰山曲阜5-1(食べ物編)

2011-11-07 21:40:53 | 中国旅行
最後は旅行で食べたもの。今回は初日の夜と4日目の夜を自分たちで選んで食べた以外は旅行社のお任せだったので、意表をついた選択とか、特になし。山東は粉文化のようで、大体饅頭か肉まんが出た。

で、初日の夜は「ついてないはずですが?」とガイドに言われ、じゃあいいよ。とホテルマンに「外で食べるところある?」と聞いたら「うちのホテルの一階にもありますが、お好みでないなら、少し歩くと隣のホテルがある」というのでの外に出てみたが、閑散としていてタクシーに乗って気合を入れて探さないと無理っぽいので、到着した日ということもあり、ホテル内で済ますことにした。

ロウでできた模型から選ぶ方式で、青島といえば海鮮ということで、サザエを炒めたもの。予想通りの味だった。うまかった。

野菜を取らなければ、と頼んだのがインゲンの辛い炒め物。同行者にも好評だった。四川っぽくて香ばしくてちょっと辛かった。美味。

なんか、やっぱりガッツリ角煮が食べたいなあ、と頼んだ。杭州で食べたものには劣るが、まあ、こんなもんでしょ。香辛料がちょっときつかった。これに水餃子をつけて青島ビールを二本飲んで198元なら安いだろう。ホテル内なのに、ちょっとびっくりした。


翌日の昼食は泰安市内のホテルの海鮮レストランで飲茶。ここから旅行社のおまかせ。山東で広東風飲茶かよ、と見ていたが、なかなか料理が出てこない。で、飲茶なのに、茶が出てこない。痺れをきらして服務員に聞いてみると、別料金で、鉄観音もプーアール茶も58元とか言ってる。もっと安いジャスミン茶とかはないの?とか聞くと、ないという。茶で現金をかすめ取る方式かあ、と茶は注文しなかった。茶なし飲茶だよ。

肉まんか、あんまんか、と思ったら、カスタードクリームが入っていた。香港でも時々はあるけど。こりゃお菓子だろう。

よくあるクアイが入った餃子。ま、見てのとおり。

鶏の足。中国ではしばしば見るものでコラーゲンたっぷりだが、同行者は気持ち悪がってほとんど食べなかった。ま、そこそこうまかった。骨とか食べるのが面倒くさいので、中国人のように積極的に注文したりはしないが。

香港飲茶の超定番、チャーシューマン。といってもチャーシューの塊が入っているわけでなく、申し訳程度に肉が入っていて、しかもなんか甘い。この辺は定番の香港と同じ系統。

これは骨付き豚肉。これも食べにくいけど、中国人には大人気。飲茶的には可もなく不可もなく、というところか。茶はないけど。
まさか山東で飲茶するとは思わなかったけど。ただ、レストランには料理長がコンテストで賞をもらったみたいで、でかでかと写真が載っていた。こんな田舎町にしてはいいコックなのだろう。日本人は注文が厳しいので、とりあえず脂っこくない飲茶からはいったな、とか思ったりした。


泰山曲阜4(乗り物編)

2011-11-06 22:04:55 | 中国旅行
泰山山頂のホテルの暖房の風を喉にもろに受け、風邪をひいた以外は順調にきた今回の旅。
ホテルから空港へのタクシーも運転手も優秀で予想より早く40分ほどで到着。
高速代とあわせても87元(メーター82元、高速代5元)しかとられなかった。
運転手によっては帰りの交通費とか高速代を要求するものもいるが、今回はきわめて良心的だった。

で、土産を買って出国審査も済ませて、さあ、あとは帰るだけ、順調、順調、と思ったら、乗るべき飛行機が来てない!
キャリアの到着の見込みが立たず、いつ乗客に時間を知らせるか、現段階ではわからない、との場内放送が続くだけ。
やっと1機、待っているゲートに着いた、と係員に聞いてみると、あれはあなた方が乗る飛行機ではない、とあっさり言われた。
延吉行きだった。青島空港は国内線も国際線もゴッチャだ。

ついに弁当が配られた。これにミネラルウオーターと青いりんごが1個。航空券にチェックを入れる。
食いっぱぐれを嫌い、食事に大変な執着を見せる中国人で大混雑するだろう、と、
弁当を用意し始めたのを見てすぐ、早めにゲットし長蛇の列に並ばずにすんだ。
事情を知らない台湾人団体旅行者が列を作っておとなしく弁当をもらっていた。彼らも中国人なんだなあ。
ただ、どうして中国人たちは弁当を食べるのが下手なんだ?
ふたを弁当の下に敷けばいいのに。汁をこぼしたりにも無頓着だし。

どうやら北京の空港が霧で、北京から飛行機が青島に到着しないらしい。
離陸予定時間を3時間経過しても、キャリアは届かず、いつ飛ぶのか、飛べるのかもわからない状態。
キレてる中国人乗客もいるが、空港職員に八つ当たりしてもしょうがない。ここは中国。待つしかないじゃん。
結局、4時間遅れて到着、清掃時間も20分ほどで、すぐに飛び立った。
荷物ちゃんと積めたのかいな?とちょっと不安だったが、ちゃんとベルトコンベアーから出てきた。
中国で飛行機が遅れて弁当が配られたのは2回目。やっぱり時々遭遇するんだ。

2日目に青島から泰安に向かうべく、青島を脱出する際にカーフェリーに乗った。
青島には昨年、青島市中心部と黄島部を結ぶ湾岸大橋「青島海湾大橋」が貫通、通行料は50元とのこと。
全長は41・58キロで全長では現状で世界一だという。
通勤時間帯に大渋滞を起こす青島市内を早々に回避すべく、ドライバーはフェリーを選択。
これはガイドも事前に聞いていなかったという。おそらく大橋の50元より安いのだろう。

で、乗ってみた。ガイドが発見したのだが、「禁煙」とか「徐行」とか、鉄に浮き出て書かれた文字が日本文字だという。
たしかに、中国の漢字では禁煙の煙は「火へんに因」だ。そういえば小豆島に行ったとき乗った船に似ている。

瀬戸大橋が出来るなどして、日本国内で使わなくなったカーフェリーの多くが中国などで第二の人生を過ごしているのだろう。

30分ほどで黄島地区に到着。思いがけなく面白い旅をした。
写真の一番右が今回用意された車。中国の旅行社でよく見られる座席がちゃちなミニバスだといやだなあ、と思ったが、
米国製(おそらく米中合弁だろう)の7人乗りワゴンだったので、シートも豪華でよかった。
ナビも着いていた。結構便利そうだったが、昨年出来た山東省博物館などは当然地図上になかった。
使い勝手はまったく日本と一緒。日本のソフトがパクられたのかも、と思ったほどだった。
高速道路にはETCがあるところもあった。今回乗った車にはETCがあり、クレジットカードというより、
現金をカードにチャージし、料金を払うとそれが次第に減っていく方式のようだった。

最後は、泰山に登るときに乗ったロープウェー。オーストリア製で6人乗りかな。
揺れたり止まったりなどなく、まあ快適。張家界で乗ったときのような行列もなかった。
張家界で降りるときには、スイッチ切り替えで日本語の説明もあったようだが、当然、今回はなかった。

航空機は東方航空。弁当を配られたにもかかわらず、機内食もあった。
行きとまったく同じえびと豚肉ぶっ掛けご飯。何の工夫もなし。
ビールはあったが、つまみのピーナッツなどはなかった。
そういえば青島ビールではなく、合弁のバドワイザーだった。ただ、帰りは冷えていたのにはびっくり。
中国人はしばしば、ビールを常温で飲むのだ。冷えたビールをくれ、というと、ない、と答えられることが少なくない。




泰山曲阜3

2011-11-05 02:02:08 | 中国旅行
4日目は済南から青島へ移動する途中の幾つかの博物館を巡る。
まず早朝、市内の黒虎泉公園へ。あちこちから湧き水が出ていて、庶民たちがペットボトルや大型のタンクに水を入れている。虎の像の口の部分から水がどんどん流れ出ている。本当に水量は豊富なようだ。

一度沸かして、冷ましてから飲んでみたが、柔らかいと言えば柔らかいが、日本の屋久島などで飲んだ銘泉の方がまろやかで甘い感じがした。黒い虎が水を飲みに来た、ということからこの名が付いたらしい。ま、伝説だから。

で、続いて殉馬坑博物館。前日の山東省博物館でも見たが、斉の第25代君主景公の墓に殉じて600頭の馬を生き埋めにして葬ったらしい。ガイドによると、殺したのではなく麻酔をかけて並べていったという。景公は大変な馬好きで、馬600頭と言えば、当時の普通の小国では軍馬全体を指すほどの頭数だという。斉国の国力を示すものとして、一国が所有するほどの軍馬を墓に葬ってその勢力を示したのだという。

博物館の建物の入り口には、将来これだけ発掘して大きな博物館になればいいなあ、という希望的観測に基づいた規模を大きくした博物館の縮小模型を置いていたが、どこの馬の骨かわからないような馬の骨だけ600見せられるのもなあ、と思った。
西安の兵馬俑はいろんな種類の兵士の人形や馬や馬車などがあるので、退屈しないで見られるのだが。

斉国歴史博物館は、山東半島にあった強国、斉について説明したもので、文物はそんなにないが、それなりに勉強になった。
写真は、博物館内にあった当時の斉の街のジオラマ。


最後に、青州博物館。これは興光寺という古寺から発掘された多くの仏像が展示されている。北周時代のものや、北魏から東魏のもので、無機質な北魏のものより、複雑な表情を持った仏像が本当にすばらしい。今回の旅行はここが目的だった、といえるかもしれないほどだ。


写真はないが、科挙の殿試の回答、というものもあった。科挙に合格し(状元)、役人となって出世したものが、規制する際に本来はオープンにならない殿試の回答を何らかの方法で国の保管庫から持ち出し、そのまま家に保管して置いたらしい。細かいきれいな字でまったく失敗なく書かれている。文字のあちこちに小さな赤い丸が書かれているのは、皇帝が読んで「重要」と思って印をつけたところらしい。文章は完全には理解できなかったが、皇帝を褒め称えた部分に赤い丸がついていたのには笑った。

で、3時間ほどかけて青島に戻ってきて、今回の旅は終わり。ホテルのそばには青島ビール工場の第一号があった場所の周りにできた青島ビール街という、レストランや飲み屋が連なった町もあったが、風邪気味なので夕食はホテル内で済ませた。翌朝、タクシーで40分ほどかけて空港へ。


泰山曲阜2

2011-11-04 01:52:24 | 中国旅行

実は前回のブログの一番最初の写真を見ていただければ分かるように、10月28日早朝、運よく天候は好転し、御来光はばっちり見ることができた。ただ、前日にガイドが「この石段を登ったこの辺から見ます。明日はホテルの担当者が案内してくれる」とだけ説明し、本人は惰眠をむさぼっていたのだが、実際はホテルのおじさんは、ホテルの入り口を開けて、東の方角を指さし、「あの広場(前日ガイドが言った場所)からは角度が悪くてよく見えない。向こうの(別の)ホテルの前の場所に行ってくれ」と行ったきり、道案内などしてくれなかった。我々は人々が進む方向にたくさんの人がすでに集まっているのを発見、後をついていって日の出直前にその場所にたどり着けた、幸い、雲があり当初の日の出想定時間より遅く太陽が顔を出したので、写真のように雲から太陽が出てくる前から待ちかまえてみることは出来た。
中国人、相変わらずいいかげんで無責任である。

さて、ホテルに戻って朝食を食べて、7時半にはダッシュで出発だ。今日は日程が込み入っているらしい。
前日は曇っていて見えなかったが、南大門の裏のすぐそばに、まさしく客家の円楼(土楼)のような形の建物があったので、ガイドに聞いてみると福建省の土楼の事さえ知らなかった。オイオイ、あんたは観光のプロフェッショナル、ガイドじゃないのか? 世界遺産だぞ。やはり青島は、山東は田舎だ。で、レストランのようだったので、客家が作ったのだろうか?

でロープウェーで下山し、バスで下まで戻って、待っていた車に乗り込み、約2時間で昼前に何とか曲阜に着いて、孔子廟、孔府(孔子一族の家)、孔林(孔子一族の墓地)を見て回った。この「三孔」観光には専門のガイドが現地で対応して、土産物屋の前ではゆっくり歩いて、観光地の解説は早口で済ます。孔林では「カート、一人20元です。見学料金には含まれてません」と半ば強制的にカートの金を払わされ(実際は広すぎて、短い時間で全体を歩いて回るのは不可能だったが。べつに20元が惜しいわけではないが)、孔子の里にしては極めて生臭い考えのガイドだった。

孔子廟の中にいる孔子の像だが、ガイド曰く、「孔子の顔はすべて見ることはできない。そのように廟が作られている。すべてを見えず一部を隠すことで、孔子の神格性を高めることに寄与している」とのことだそうだ。

孔林の孔子の墓の墓石も「大成至聖文宣王墓」と書かれているが、「王」の字の下の部分は墓石の手前の石段に隠れて、下から拝んでいるときは「王墓」と読めないようになっている、石段を一つあがると「王」の縦棒が長ーい、一番下の「一」まで見ることができる。これも、子孫たちが孔子を陰で「王様」と呼んでいることが、参拝する皇帝にばれて顰蹙を買わないように、一見して「王」と見えないように作っている、とのこと。実際、孔子が死んだときの墓はものすごく小さく、その後、子孫たちによってどんどん大きくされていったらしいが、孔子の意を介したものなのかどうか。

孔子廟のそばのホテルのレストランで昼食。韓国の金大中・元大統領や台湾の連戦・国民党名誉主席(元副総統)も訪れたようだ。連戦と夫人が並んでいる写真が張ってあった。それ以外にも中国共産党の指導者が続々訪れているホテルのようだった。孔子にあやかりたいのかね。
そういえば、中国の民主活動家の劉暁波氏に昨年、ノーベル平和賞が授与されたことに抗議したのか、中国の“民間”学者団体が設立した「第一回孔子平和賞」の受賞者は連戦だったなあ。本人は中国に訪れて賞金を手にすることはなかったが。で、今年は孔子平和賞はボツになっちゃったそうだが。連戦は曲阜を訪れていたことが、受賞理由の一つにあったのかしらん・・・?

その後2時間ほどかけて済南に行き、昨年できたばかりの山東省博物館へ。3階建てのでかい博物館で、展示室より中央の吹き抜けの階段の方が立派だ。ただ、展示していたお宝はすごいものばかりだった。西安の兵馬俑の人型や馬の土製の実物大の像は有名だが、ここ山東省は秦が中国を統一する前からの有力地方国家「斉」のあった場所で、土の人形ではなく、生きた馬や人間を皇帝の墓に殉死させて埋葬していた。その馬車や人骨が展示してあった。その後、秦の西安の兵馬俑の時代を経て、漢代などのやや小さくなった兵馬俑も提示されていた。

これはトラの絵だ。よーく見ると右側の顔がユーモラスだ。当時はこの辺までトラが現れていたのだろうか。あるいは円山応挙のようにトラを知らないで話だけで描いたのだろうか。

人の絵も当時の人々の風俗が垣間見られて面白い。

それ以外に、壁画が描かれた古墳とか、仏像とか、明代の「洪武○年」と書かれていた木造の船。ものすごく保存状態がいい。これは兵隊や軍事物資を運んだ運搬船で、山東の運河を行き来したらしい。かつて福建省の泉州でマルコポーロや鄭和の時代の木造の外洋航海船を見たが、それよりは小さいが、構造は似ている。これは運河を行き来したから、強風や荒波をあまり考慮しなくてもよかったのだろう。
「孫子の兵法」が書かれた竹簡もあった。

従来その存在が疑われ、孫臏が自らの兵法と「孫氏の兵法」の両方を書いたとの説もあったが、これらの竹簡が別々に発見されたことで、孫武が「孫子の兵法」を著わし、孫の孫臏がそれに続いたとの説が証明された、世紀の大発見らしい。

で、午後6時ごろ真っ暗になる手前に、済南を流れる黄河を見た。近くに黄河森林公園があるらしいが、川幅はたいしたことはなかった。山東省までくると、黄河もこんなものか、という感じ。ちょっと見ただけで十分だった。
で、ホテルに戻って沈没。この日は結構ハードスケジュールだった。




泰山曲阜1

2011-11-03 17:18:43 | 中国旅行

写真は、中国の歴代皇帝が神事をつかさどった泰山の頂上近くから見る御来光。前回訪中から1年ぶりぐらいだろうか、遅い夏休みを利用して青島から入り、泰山と曲阜、それから近辺の済南や青州の博物館を10月26日から30日の4泊5日で回った。中国世界遺産41カ所のうち、これで31カ所を制覇したことになる。とはいっても、泰山はともかく、曲阜の孔子の里関連は、予想していたとおりのザ・観光地で、二度と行くことはないだろう。

5日の休みと行っても、飛行機の接続の関係で初日は青島に着いただけ、しかも飛行機が一時間ほど遅れ、ホテルに入ってホテル内で食事をとっただけ。今回は青島現地の中国系旅行社とネットでやりとりし、ホテル、食事、日本語ガイド、移動用の車と全部手配した。日本の大手旅行社にも同様の手配で見積もりを試みたが、予算が足りない、と蹴られた。飛行機代を合わせると、中国側2社は予算内に収まるような見積もりを出したため、地元の旅行社を選択、代金は日本の代理人の口座に入れることで、国際送金を避けることもできた。

2日目は朝8時にホテルを出発し、約4時間半かけて泰山の麓、泰安市へ。泰山に登る歴代皇帝が立ち寄り祈り(封禅)をささげたという岱廟がある。中国三大建築の一つで、その他はこれから行く孔廟と北京の紫禁城という。
封禅というのは、天にささげる祈り(封)と、地にささげる祈り(禅)を合わせたもの。古くは秦の始皇帝の息子が、泰山に来る前、父について祈ったと書かれた文字が残っている。

博物館となっている岱廟の中には、皇帝から孔家への贈り物なども見られ、これは香木の自然な形を利用したという「沈香獅子」。左右一対になっていたが、まったく自然の形のままのものとは、ちょっと信じられない。眉唾なのでは、とも思ってしまう。


岱廟を駆け足で見終わると、車で20分ほどで、ロープウェーで泰山に登るためのステーションに着く。ここからバスでロープウェーの出発点まで40分ほど上る。

ロープウェーは6人乗りほどで、かつての張家界の時のようには混んでいなかった。10月1日からの国慶節休みを避け、あまり中国人観光客の多くない10月下旬を狙ったのは正解だった。泰山上空は雲が多くかすんでいる。ロープウェーで上ると、雲の中に入ってしまい、周りの景色はまったく見えない。今度はかつて黄山に登ったとき、雲海がまったく見えないほど、ドピーカンだったのと逆さまだ。
20分ほどでロープウェーを降りて、歩き始めると程なく、南大門に着く。歩いて下から上ってくる観光客が目指す7000段の石段のとりあえずのゴールだ。行った日は曇っていて先まで見えなかった。
写真は翌日下山する前に通った南大門から見下ろした石段。たくさんの観光客が登ってきていた。


中国の歴代皇帝が登った山ゆえ、中国共産党の指導者もいろいろ来て、字を残している。周恩来夫人の頴超の字。筆で書いたものではなく、ペンで書いたものを写したようで、有名人の字でなければフーンという感じ。

左は全人代常務委員長を務めた喬石、右は89年の天安門事件時に首相で、のちに全人代常務委員長を最後に引退した李鵬の字。李鵬は字を書くところを直接見たことがあるが、趣深い言葉は書かない。きわめて実利的な言葉を書くことで、次の世代から責任を問われないようにしているようにも見える。


香港のテレビや産経新聞によると、死んだことになっていた例の江沢民も泰山に登ったようだ。翌朝御来光を見るために前日に宿泊した山頂のホテルに江沢民の筆が飾ってあった。2006年5月1日といえば、引退後かな。

2004年9月の中共中央16期4中全会で最後に残した党中央軍事委員会主席の任を胡錦濤国家主席に継いだことで、完全引退している。
ホテルは、暖房もそんなに寒くはなかったが、温風がベッドの枕もとにモロにかかり喉がおかしくなり、数日後に風邪を引いていた。

食事も可もなく不可もなく。一応青島ビールを飲んだ。20元だったか。山頂価格ということだろう。ただ、地上で1.5元のミネラルウォーターも山頂で10元程度と、そんなにべらぼうに高いわけでもなかった。日の出は午前6時20分ごろ、ホテルの担当者が日の出が見えるところまで案内してくれるそうだ。モーニングコールは5時50分に来るとのこと。ホテルの裏側で雲が切れて山がちょっと見えたが、天気はどうか。