来年1月に実施される台湾総統選で、与党・国民党は馬英九総統の後継として、洪秀柱・立法院副院長=衆院副議長に相当=(67)を党公認候補として確定した。すでに立候補を決めている民進党の蔡英文主席(58)と、台湾初の女性総統をかけて争うことになる。総統選には元国民党の重鎮で、李登輝党主席=総統時代に離党した宋楚瑜・親民党主席(73)も再度立候補をほのめかしており、保守票が分裂し民進党に有利になる可能性もある。
先の台北、高雄など主要都市の首長選挙で大敗した国民党は、当時党主席を兼任していた馬英九総統が党主席を辞任、唯一市長の議席を守った新北市長の朱立倫氏を新主席に決めたが、朱党主席や呉敦義・副総統、本省人(台湾本土出身)で庶民に人気のある王金平・立法院長(衆院議長)はいずれも立候補を固辞、洪女史が世論調査などで公認候補に必要な支持率を取れず、結局臨時的な措置で自らのところに候補要請が来るだろうと見込んでいた男どもの予想が外れ、洪女史が正式に国民党の総統選候補に確定した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/84/5ce6d434e5e58f779773057eae23a940.jpg)
そもそも朱主席はせっかく当選した新北市長を任期途中で辞任し総統選に回るとなれば、「無責任」「新北市を見捨てるのか」との批判も受けただろうし、党勢からいっても今回は民進党の蔡英文女史(58)には勝てないだろう、自らの経歴を傷つける必要もなかろうと、立候補を固辞したのではないかと見る。洪女史は事実上の捨て駒だろう。ただ、天下の国民党が一定期間の総統選挙について、勝利の可能性は極めて薄い、ということで、党首でなく、党内ナンバー4、5、6あたりの候補者を立てるということは、党としてプライドはないのか、と言いたい。朱立倫主席は、それほどまで自分を守りたいのか、ということだ。確かに馬英九も台北市長時代にインタビューしたが、そのとき、総統選には立候補しない、台北市長の二期目の任期が残っているから、任期を全うしなければ台北市民に失礼だ、との考えを示した。朱主席の考えもそれに近いものがあろう。ただ、台湾の最高権力者を選出する選挙の候補人として、与党がナンバー4、5、6あたりの人材を候補者とするのは、有権者に対する冒涜だと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/7b/c93bd7157fe75f1e2707ca2d05cc2cfc.jpg)
で、洪秀柱とはどんな人物なのか。中文資料に当たってみると、
父親の出身地は中国浙江省、本人は台北生まれ。位置付けとしては外省人だ。父親は大陸では専売局に勤め、1946年に台湾に入り台湾糖業公司の工場の副管理師となり、白色テロの時代には拘束され、その後無罪判決が確定したが、「思想的に動揺がある」との理由で政治犯が送られた緑島で3年間の感化教育を受けた。その後、釈放されたが政治犯とのことで就職できなかったという。貧しい家庭状況のなか、洪秀柱は「家には三日に二度は警察が訪れていた」と回想している。四人兄妹の2番目で、父親のえん罪を晴らすために裁判官の道を目指し、中国文化学院(1980年に大学に昇格)法学部に入り、家庭教師のアルバイトや奨学金で家計を支えたという。1970年に卒業、司法試験に落ちたため、教員不足を解消するための台湾当局の教員養成プログラムを受講し教員となった。
国民党の外省人と言えば、特権階級や裕福な家庭のエリートが少なくないが、洪秀柱は父親が受けたえん罪やその結果被った貧しい生い立ちから、馬英九らとはやや違ったスタンスをもっている。国民党に対して手放しの賞賛、というわけではないが、「国父孫文が創設した国民党は、優良な主義思想を持つ組織だが、一部の不心得者が権力を乱用し私利私欲に走り現在の局面を迎えている。私は国に身を捧げるために入党する」と1981年に入党、1990年に立法委員(国会議員)となる。
洪秀柱の政策で注目されるのは両岸関係に関する「一中同表」。馬英九総統は現在は中国ベッタリの評価が固まっているが、これまでの対中関係の原則は「一中各表」。すなわち、「一つの中国の原則は尊重するが、一つの中国は大陸側は中華人民共和国、台湾側にとっては中華民国。一つの中国、という大原則さえ尊重すれば、中国がどちらを指すかはそれぞれ(各)の解釈(表現)でよい」というもの。
洪女子の「一中同表」は、もっと大陸よりの考えだ。すなわち、大陸と台湾は相互に承認しあい隷属関係にはならず、憲法の民主価値と民意を受けるとの条件下で、中華人民共和国と政治協議を進め、中台両岸の平和協議を締結し、中台両岸が安定的に発展するようにする。短絡的に言えば、「一つの中国」の概念について、中国大陸側の歩調を合わせる、ととられかねない。馬英九総統よりさらに大陸にコミットした考え方だ。
やや突出した危険思想なので、現在は表明することを意識的に避けている。封印している。ただ、一中同表を主張することで、洪秀柱の思想的ベースが理解しやすいと思う。
先の台北、高雄など主要都市の首長選挙で大敗した国民党は、当時党主席を兼任していた馬英九総統が党主席を辞任、唯一市長の議席を守った新北市長の朱立倫氏を新主席に決めたが、朱党主席や呉敦義・副総統、本省人(台湾本土出身)で庶民に人気のある王金平・立法院長(衆院議長)はいずれも立候補を固辞、洪女史が世論調査などで公認候補に必要な支持率を取れず、結局臨時的な措置で自らのところに候補要請が来るだろうと見込んでいた男どもの予想が外れ、洪女史が正式に国民党の総統選候補に確定した。
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そもそも朱主席はせっかく当選した新北市長を任期途中で辞任し総統選に回るとなれば、「無責任」「新北市を見捨てるのか」との批判も受けただろうし、党勢からいっても今回は民進党の蔡英文女史(58)には勝てないだろう、自らの経歴を傷つける必要もなかろうと、立候補を固辞したのではないかと見る。洪女史は事実上の捨て駒だろう。ただ、天下の国民党が一定期間の総統選挙について、勝利の可能性は極めて薄い、ということで、党首でなく、党内ナンバー4、5、6あたりの候補者を立てるということは、党としてプライドはないのか、と言いたい。朱立倫主席は、それほどまで自分を守りたいのか、ということだ。確かに馬英九も台北市長時代にインタビューしたが、そのとき、総統選には立候補しない、台北市長の二期目の任期が残っているから、任期を全うしなければ台北市民に失礼だ、との考えを示した。朱主席の考えもそれに近いものがあろう。ただ、台湾の最高権力者を選出する選挙の候補人として、与党がナンバー4、5、6あたりの人材を候補者とするのは、有権者に対する冒涜だと思う。
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で、洪秀柱とはどんな人物なのか。中文資料に当たってみると、
父親の出身地は中国浙江省、本人は台北生まれ。位置付けとしては外省人だ。父親は大陸では専売局に勤め、1946年に台湾に入り台湾糖業公司の工場の副管理師となり、白色テロの時代には拘束され、その後無罪判決が確定したが、「思想的に動揺がある」との理由で政治犯が送られた緑島で3年間の感化教育を受けた。その後、釈放されたが政治犯とのことで就職できなかったという。貧しい家庭状況のなか、洪秀柱は「家には三日に二度は警察が訪れていた」と回想している。四人兄妹の2番目で、父親のえん罪を晴らすために裁判官の道を目指し、中国文化学院(1980年に大学に昇格)法学部に入り、家庭教師のアルバイトや奨学金で家計を支えたという。1970年に卒業、司法試験に落ちたため、教員不足を解消するための台湾当局の教員養成プログラムを受講し教員となった。
国民党の外省人と言えば、特権階級や裕福な家庭のエリートが少なくないが、洪秀柱は父親が受けたえん罪やその結果被った貧しい生い立ちから、馬英九らとはやや違ったスタンスをもっている。国民党に対して手放しの賞賛、というわけではないが、「国父孫文が創設した国民党は、優良な主義思想を持つ組織だが、一部の不心得者が権力を乱用し私利私欲に走り現在の局面を迎えている。私は国に身を捧げるために入党する」と1981年に入党、1990年に立法委員(国会議員)となる。
洪秀柱の政策で注目されるのは両岸関係に関する「一中同表」。馬英九総統は現在は中国ベッタリの評価が固まっているが、これまでの対中関係の原則は「一中各表」。すなわち、「一つの中国の原則は尊重するが、一つの中国は大陸側は中華人民共和国、台湾側にとっては中華民国。一つの中国、という大原則さえ尊重すれば、中国がどちらを指すかはそれぞれ(各)の解釈(表現)でよい」というもの。
洪女子の「一中同表」は、もっと大陸よりの考えだ。すなわち、大陸と台湾は相互に承認しあい隷属関係にはならず、憲法の民主価値と民意を受けるとの条件下で、中華人民共和国と政治協議を進め、中台両岸の平和協議を締結し、中台両岸が安定的に発展するようにする。短絡的に言えば、「一つの中国」の概念について、中国大陸側の歩調を合わせる、ととられかねない。馬英九総統よりさらに大陸にコミットした考え方だ。
やや突出した危険思想なので、現在は表明することを意識的に避けている。封印している。ただ、一中同表を主張することで、洪秀柱の思想的ベースが理解しやすいと思う。