Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

台湾総統選は女の戦い

2015-07-24 03:08:48 | 時事
来年1月に実施される台湾総統選で、与党・国民党は馬英九総統の後継として、洪秀柱・立法院副院長=衆院副議長に相当=(67)を党公認候補として確定した。すでに立候補を決めている民進党の蔡英文主席(58)と、台湾初の女性総統をかけて争うことになる。総統選には元国民党の重鎮で、李登輝党主席=総統時代に離党した宋楚瑜・親民党主席(73)も再度立候補をほのめかしており、保守票が分裂し民進党に有利になる可能性もある。

先の台北、高雄など主要都市の首長選挙で大敗した国民党は、当時党主席を兼任していた馬英九総統が党主席を辞任、唯一市長の議席を守った新北市長の朱立倫氏を新主席に決めたが、朱党主席や呉敦義・副総統、本省人(台湾本土出身)で庶民に人気のある王金平・立法院長(衆院議長)はいずれも立候補を固辞、洪女史が世論調査などで公認候補に必要な支持率を取れず、結局臨時的な措置で自らのところに候補要請が来るだろうと見込んでいた男どもの予想が外れ、洪女史が正式に国民党の総統選候補に確定した。



そもそも朱主席はせっかく当選した新北市長を任期途中で辞任し総統選に回るとなれば、「無責任」「新北市を見捨てるのか」との批判も受けただろうし、党勢からいっても今回は民進党の蔡英文女史(58)には勝てないだろう、自らの経歴を傷つける必要もなかろうと、立候補を固辞したのではないかと見る。洪女史は事実上の捨て駒だろう。ただ、天下の国民党が一定期間の総統選挙について、勝利の可能性は極めて薄い、ということで、党首でなく、党内ナンバー4、5、6あたりの候補者を立てるということは、党としてプライドはないのか、と言いたい。朱立倫主席は、それほどまで自分を守りたいのか、ということだ。確かに馬英九も台北市長時代にインタビューしたが、そのとき、総統選には立候補しない、台北市長の二期目の任期が残っているから、任期を全うしなければ台北市民に失礼だ、との考えを示した。朱主席の考えもそれに近いものがあろう。ただ、台湾の最高権力者を選出する選挙の候補人として、与党がナンバー4、5、6あたりの人材を候補者とするのは、有権者に対する冒涜だと思う。



で、洪秀柱とはどんな人物なのか。中文資料に当たってみると、
父親の出身地は中国浙江省、本人は台北生まれ。位置付けとしては外省人だ。父親は大陸では専売局に勤め、1946年に台湾に入り台湾糖業公司の工場の副管理師となり、白色テロの時代には拘束され、その後無罪判決が確定したが、「思想的に動揺がある」との理由で政治犯が送られた緑島で3年間の感化教育を受けた。その後、釈放されたが政治犯とのことで就職できなかったという。貧しい家庭状況のなか、洪秀柱は「家には三日に二度は警察が訪れていた」と回想している。四人兄妹の2番目で、父親のえん罪を晴らすために裁判官の道を目指し、中国文化学院(1980年に大学に昇格)法学部に入り、家庭教師のアルバイトや奨学金で家計を支えたという。1970年に卒業、司法試験に落ちたため、教員不足を解消するための台湾当局の教員養成プログラムを受講し教員となった。

国民党の外省人と言えば、特権階級や裕福な家庭のエリートが少なくないが、洪秀柱は父親が受けたえん罪やその結果被った貧しい生い立ちから、馬英九らとはやや違ったスタンスをもっている。国民党に対して手放しの賞賛、というわけではないが、「国父孫文が創設した国民党は、優良な主義思想を持つ組織だが、一部の不心得者が権力を乱用し私利私欲に走り現在の局面を迎えている。私は国に身を捧げるために入党する」と1981年に入党、1990年に立法委員(国会議員)となる。

洪秀柱の政策で注目されるのは両岸関係に関する「一中同表」。馬英九総統は現在は中国ベッタリの評価が固まっているが、これまでの対中関係の原則は「一中各表」。すなわち、「一つの中国の原則は尊重するが、一つの中国は大陸側は中華人民共和国、台湾側にとっては中華民国。一つの中国、という大原則さえ尊重すれば、中国がどちらを指すかはそれぞれ(各)の解釈(表現)でよい」というもの。

洪女子の「一中同表」は、もっと大陸よりの考えだ。すなわち、大陸と台湾は相互に承認しあい隷属関係にはならず、憲法の民主価値と民意を受けるとの条件下で、中華人民共和国と政治協議を進め、中台両岸の平和協議を締結し、中台両岸が安定的に発展するようにする。短絡的に言えば、「一つの中国」の概念について、中国大陸側の歩調を合わせる、ととられかねない。馬英九総統よりさらに大陸にコミットした考え方だ。

やや突出した危険思想なので、現在は表明することを意識的に避けている。封印している。ただ、一中同表を主張することで、洪秀柱の思想的ベースが理解しやすいと思う。




7月7日は七夕、盧溝橋事件の日

2015-07-08 15:26:43 | 時事
7月7日は北京西南郊外の蘆溝橋で1937年、日本軍と国民党軍が衝突し、日中戦争の戦端となった蘆溝橋事件(七七事変)の記念日。
この橋のそばにプロパガンダ目的で建てられた展覧館(完成前に2度蘆溝橋に行ったので参観したことはない)で開かれた記念式典に、昨年は出席した習近平国家主席が今年は参加しなかったので、
日中関係改善への中国側のサインか、と報じたところもあった。
7月7日付の人民日報には1面には抗日関係の原稿、論文はなかった。


ただ、中央電視台の新聞聯播では、中国共産党トップ7の党中央政治局常務委員全員がこの展覧館を視察した、とのニュースを伝えており、やることはやっている、との見方もあるとは思っていた。
翌日の報じ方をみてみよう、と1日待つと、



7月8日付の人民日報1面は、政治局常務委員が視察する写真付きで、蘆溝橋事件について触れている。
事前に(記念すべき7日以前に)視察したのかなあ、ともテレビを見て思ったが、
人民日報の写真説明には7日、となっている。
会場にまで行って、式典に参加しなかった習総書記以下は何してたのか。
その下には、「抗日戦争精神は永久に民族に記憶される」とする本紙評論員の文章も掲載されている。

確かにトップは党中央の集団工作会議についてで、七七事変は二番手の扱いであるうえ、写真も政治局常務委員がならんだもの。

いまさら、日本批判をことさらにするというより、腐敗が目立つ党の引き締めのために党幹部の教育を図ることで、
習指導部への求心力を強めることが、優先事項であるような人民日報の扱いだ。

ただ、1面にちゃんと報じているように、日本へのけん制は忘れていない。あくまでも安倍晋三首相の戦後70年談話の内容次第で、
日中関係がどうなるか、中国側も談話の内容を見てからでないと、次のアクションはなかなか起こせないだろう。
それでも一時期の反日を利用しての求心力維持、という事態からは一歩進んでいることは、日中関係改善にとって明るい状況かもしれない。