Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

映画「一九四二」観た

2013-02-27 22:33:25 | 映画鑑賞

日中戦争期の1942年、300万人の餓死者と1000万人を超える難民を生み出した河南省で、敵軍だった日本軍が難民に軍糧を与えて命を救ったという史実に基づく映画「一九四二」を観た。原作の「温故一九四二」(劉震雲作)にほれ込み、18年前から映画化を検討し何度も脚本を書き直していた中国映画のヒットメーカー、馮小剛(フォン・シアオガン)監督の手による。別名「ミスター正月映画」とも呼ばれるように、「集結号」、「非誠勿擾1、2」、「唐山大地震」など年々大ヒットを飛ばし、今回は中国映画としては破格の2億1000万元(約26億円)の製作費を使ったという。

撮影に着手したようだ、という第一報や、完成した、ネット上に予告編が出ている、などの続報も、このブログで紹介してきた。

昨年11月のローマ国際映画祭で、併設賞の部で、呂楽が撮影賞、馮監督が金の蝶 (ゴールデン・バタフライ) 賞を受賞し、11月29日から中国で封切られた。当初はそこそこの反響だったが、観客動員的には、興行収入記録を作った「非誠勿擾」やそれを更新した「唐山大地震」のようにはいかなかったようだ。

映画は思いのほか、日本軍による残虐シーンが目立つ。
この辺からネタバレになりそうなので、映画を観て楽しみたい人はご遠慮ください。

まず、河南省の凶作について丁寧に描かれ、故郷を捨てて流民となる様子が延々と続く。食料のために娘を売ったり、老人が自ら命を立とうとしたり、軍人が難民を見捨てて、「難民が死んでもそこは中国だが、軍人がが死んだら日本に土地を取られる」と、食料を渡さなかったり、腹黒い官僚が蔣介石政権がついに供給した臨時の調達食料を横流ししたり、ありとあらゆる中国人の醜い部分や、不条理なまでに権力に虐げられる絶望的に無力な庶民の姿が描かれる。これを助けようとするのは中国人でも日本兵でもなく、中国映画得意の白人のジャーナリストで、のちにピューリッツァー賞をとった(ただし中国取材でではない。のちの米大統領選の報道でだという)というセオドア・ホワイトというタイムの記者がわが身を省みず河南省で難民と一緒にいて日本軍の空襲を受けたり、米国人神父に相談したり、蔣介石に直接飢餓について報告、進言し、人間の遺体を食らう犬の写真を見せたり、宋慶齢(孫文夫人にして中華人民共和国名誉主席)に相談したりと、いろいろな手を使って、結局蒋介石をして河南省に緊急援助させる。
空襲のシーンでは体の一部がぶっ飛んだり、空襲で子供や老人が死に嘆き悲しむ肉親などが描かれる。

中国の絶望的なシーンが続くことで、観客は相当へこむみたいだ。馮監督は国民党政府の無策を描き続けることで、共産党を支援しているとは思えないが、現実の中国社会に対する批判をしているようにも見える。露骨にそれをやりすぎると、検閲で引っかかってしまうので、この映画では共産党の人間はまったく登場しない。

ただ、微博などでは、1942年には300万人死んだが、1962年は、なぜそれより餓死者が多いんだ、との書き込みがある。これは1958年から毛沢東が空想的な大増産運動を発動させた。1959年には農業生産はほどほどに、鉄鋼生産で英国を追い越せ、と農民に耕作を放り出させ、山の木を切り、粗鉄生産に従事させた。これによって中国の農業生産は激減、1960、61年ごろには数千万人もの餓死者を出した。62年、毛沢東は大躍進政策の失敗を認め、国家主席を劉少奇に譲り、劉少奇とトウ小平による経済調整政策、もうすこしいうと、農民の自主性を促す請負制度(三自一包)を導入して、生産性を高めた。1942年の飢饉は天災だが、のちに1960年代は「天災でなく人災」といわれた。「馮監督はこのときの飢餓こそ映画にしてくれ」との書き込みさえあった。



日中戦争中に日本軍が中国人民に食糧を与えて助ける、というある意味、親日的なテーマは、尖閣諸島問題で反日意識が強い今の情勢下では、中国の観客にはなかなか受け入れにくいのでは、ということなのか、食料を与えているシーンはない。
飛行機の中で日本の将校が「中国人に食料を与えてこちらの味方につけ、蔣介石軍と戦わせよう」と提案するシーンや、捉えた中国人が兵隊でないとわかると食料を与え、はねつけると惨殺してしまうシーンや、蒋介石が河南省主席に「日本人が難民に食料をやるとは思わなかった。日本人に味方し、われわれと戦う難民もいるらしい」と述べるシーンにとどまっている。このへんも検閲を意識していると見られる。

もちろん、原作の「温故一九四二」でも具体的に日本軍が難民に食料を与えているシーンが描写されているわけではなく、一言、日本人が食料を与えてくれたから生き延びた。だからといって日本に精神的に屈したわけではない、というような表現にとどまっている。

日本軍が食料を、という部分のみに注目してこの映画を観ると、がっかりすることこの上ないのだが、そもそも原作からして、またこの映画も、どうして難民は、中国の庶民はこんなにかわいそうで理不尽なのか、そして映画は、なぜ軍人や役人はこんなにも弱いものいじめばかりするのか、私利私欲を肥やすことばかりに一生懸命なのか、との怒りを描いているようだ。

日本で上映されるだろうか。残酷シーンも少なくないので、R指定は間違いないだろう。「唐山大地震」のように最後にそれなりに良い話が用意されていて、希望や安らぎも感じるものと違い、「一九四二」は何の救いもない絶望的な映画だ。「唐山大地震」は封切直前に東日本大震災が発生し、配給会社側が自主的に無期限延期を決めたが、「一九四二」はこの程度の「親日度」でとどまるなら、尖閣諸島とPM2.5問題が渦巻き反中意識が強い今の日本では封切はなかなか難しいのではないか。

烏坎 困窮する民主自治への道

2013-02-21 09:32:02 | 時事

2011年9月に村幹部の不正が露呈、12月に抗議の大規模な村民デモがあった広東省汕尾市烏坎村。村幹部は農民が耕していた農地を無断で開発業者に売り渡し、不正な利益を得ていた。土地を取り返そうと抗議デモを起こし、村民自治組織を作って抵抗した。村幹部は私的な警備部隊を使って彼らを鎮圧しようとし、住民運動リーダーは暴力を受けて死亡した。汕尾市と広東省の党指導部は収束に乗り出し、この村幹部を罷免、村民たちの直接選挙による村自治委員会選出を認めた。2012年3月、村民抗議活動リーダーの林祖恋氏が新村長(村委員会主任)に選出され、「民主の村」と注目され、海外メディアも村を訪れて取材した。住民の不満を革命歌を歌って平等主義を思い起こさせようとした重慶市の薄熙来に対して、自治選挙を認めたのは当時の広東省党委書記の汪洋だといわれている。汪洋は村民自治の動きが共産党を批判、打倒するものではないと判断して、共産党が自治を与える(恩賜)ことで、共産党への尊敬はそのままに、混乱を解消しようとの道を選んだ、と見られている。1989年の天安門事件のように暴力で鎮圧するのではなく、共青団系の民主主義に対する考え方を反映したものだ、ともいわれた。

その中国民主化の萌芽の動きから1年、上海の東方衛視(衛星テレビ)が現地報告した番組を見た。
新執行部は土地の回収に手間取っていたが、一部は回収済み。今年いっぱいですべて回収できそうだ、と番組は伝えていたが、「烏坎村がすでにこの土地を改修した。2012.8.12」と、ペンキで殴り書きした塀に囲まれた土地は更地のままだ。

開発業者からの投資も呼べず、2年前に前執行部が開発業者と結託して作ったと見られる、形だけ高級別荘地も雑草が生え、ゴーストタウンとなっている。映し出された帳簿に書かれた土地収益はゼロ。

前執行部に息のかかった業者だろうから、民主選挙で選ばれた新執行部に非協力的なのは当たり前。投資をしないようにあちこちに手を回して、村を兵糧攻めする魂胆だろう。
村民は、民主選挙が実施されたときは熱狂的に新村長を支持する様子だったが、熱しやすく冷めやすいかの国らしく、土地や土地収益金の分け前がなかなかもらえないとなると、すでに現執行部に対して文句をいうなど、不平不満もつのっているようだ。

林村長は弱りきっている。病気で長期間休養していた、との外電情報もあったが、この東方衛視の報告には出演していて、「自分が村長になってもならなくても、自分自身に利益はないし、玄関をノックされたり、電話が鳴ったりするとビクビクする。今は後悔している。若手で能力がある人がいれば、出来れば代わってほしい」と弱音を吐いている。

広東省の研究者が番組でコメントする。「新執行部は行政経験がほとんどない。善人といえば善人だが、必ずしも能力があるとはいえない。共産党と政府の機関は、民主選挙で選ばれた執行部を放任することなく、具体的な指導をするべきだろう」と。
この辺が番組の、というか中国指導部の本音だろう。西側諸国はカンボジアだったりアフガニスタンだったり、イラクもそうだが、国連が治安維持、監視するなどして民主選挙を実施する。それは有権者に民主主義の考えが成熟していようがいまいが、民主選挙ができれば民主主義国家の仲間入りが出来たとして、一定の評価をしめす。
おそらく当局の意を受けた東方衛視の番組作りはこの辺を勘案して、識者に「民主選挙で選ばれても行政経験が乏しく、結局われわれ共産党が指導しなければならない」と、共産党独裁から離れて村民自治を進めようとする動きを牽制しているのだろう。


烏坎事件が動いていた一昨年末から昨年上旬にかけては、西側メディアもどんどん現地に入り、選挙の様子をリポートしていたが、西側、特に米国が重視する「民主選挙」の結果が、東方衛視の報告どおりとすれば、民主主義の成熟にはまだまだ時間がかかるということだ。
今後、もし、せっかちな村民たちが急いで結果を求めようとすると、あるいは村長がその圧力に負けて民主選挙で得られた地位を放棄し、早々に共産党に返上したとすれば、せっかく手にいれた民主主義を自ら手放すことになる。

あるいは村の収益が得られず村が路頭に迷い、結局共産党の力を借りなければならないように、当局自身が開発業者らに烏坎に手を出さないように声をかけているのかもしれない。

おかれている状況は違うが、ワイマール憲法下で自由・民主を享受していたはずのドイツ国民が、多額の賠償金支払いに苦しみ国内経済が疲弊し、結果としてナショナリズムが高揚、ナチス政権を自ら選び、ファシズムの台頭を招いた、悲しい歴史を思い出す。

烏坎村より西、広州に近い側にある汕尾市の汕尾港付近に行ったことがある。山が迫り平地が少なく耕地に乏しく、あとは海だけ。ほとんどが漁で生計を立てている街だ。汕尾からは多くの密航者が香港を目指し、成功すると単純労働者不足ということもあり首尾よく香港で正規の労働者として登録され一定期間の7年を過ぎると香港居住権を得られた。妻や子供を香港に呼び寄せたが、父親が香港居住権獲得前に生まれた子供は香港居住権を得られない規定があった。香港返還直前、兄弟姉妹でいつ生まれたかで香港にいられない子供がいる家族がクローズアップされ、姉だけ大陸に戻り、祖父母に育てられていた。その子供が汕尾出身だった。その辺の事情を知りたくて深センからタクシーをぶっ飛ばして一時間ほど、汕尾で取材した。

伝統的に出稼ぎ者の多い町、密航者の多い町で、パラボラアンテナを設置し海外のテレビ放送を見られる3階建ての大きな家は、出稼ぎでひと稼ぎして帰ってから建てたものだった。それを見ればまた住民たちは密航して海外で稼ぎたいと欲望に駆られる。失敗して摘発されても懲りずに何度も密航を企てるものもいた。海外とのつながりが多いことから出稼ぎ先で民主的な考え方も体に染み付き、烏坎の民主化運動もそういう人々が思想的にバックアップしたという。

「セデック・バレ」やっと見ることが出来た

2013-02-18 15:20:10 | 映画鑑賞
台湾で大ヒットした「海角七号」の魏徳聖監督が本当に作りたかったという、1930年の霧社事件を描いた映画「セデック・バレ(賽得克巴莱」をやっと見ることが出来た。太陽旗、彩虹橋それぞれ2時間ずつの完全版をDVDで鑑賞した。
ゴールデンウィークに日本でこの計4時間あまりの完全版が公開されるらしい。



映画の内容は、悪くない。中国大陸などでは抗日映画の位置づけだったらしいが、そんな単純な考え方ではないと思う。かなり日本人とその考え方を好意的に描いていると思う。

ただ戦闘シーンや人をぶった切るシーンはかなりえげつなく、日本ではR指定が付くのは間違いないだろう。魏監督はそれも含めてリアリズムを追及して、特に西洋の評論家や子供の観客などのことを考えてバイアスをかけるような映画にはせず、本当にあっただろう、台湾原住民の風俗や習慣を描いたのだと思う。

ただ、CGを多用していて、ややあざといなあ、つかれるなあ、という感じも否めなかった。

この辺からネタばれになるので、見ていない人はご注意。
霧社事件は日本の植民地下にあった台湾で原住民による最大にして最後の抵抗運動であり、その後、日本側も台湾統治のやり方を改めて、日本語と日本名を強制し、日本の先進的な文明を含めて台湾に導入し、その結果、今の台湾の繁栄の基礎を作った、ともいえるのだが、霧社事件を経て、明治維新以降、日本人が「忘れてしまっていた」という「武士道」を思い起こすきっかけになった(と映画は訴えているように見える)という筋になっている。

もちろん、第二次世界大戦の東南アジアの戦場で、ジャングルでのゲリラ戦が得意な台湾原住民出身の「日本兵」は、その幼いときから置かれてきた環境と身上を活かして大活躍するのだが、霧社事件での戦い方にそれを彷彿とさせるものもある。

また、日本の文明に触れ、日本人として生きていこうとする一部の原住民の苦悩も描かれていて、中国では間違いなく撮れない映画、台湾でなければ撮れない作品に仕上がったと思う。

出てくる日本人と、原住民、そしてそこに寄生している漢人の描き方を見ても、漢人への描き方が一番情けない風にしていることも含めて、台湾と大陸が一体でない、別な存在だ、ということを主張しているように思える。日本人の中にも原住民の言葉を操り、彼らと交流している警官を描いている。彼らのような日本人の苦悩を描くだけでも、全然中国大陸とは違う扱いだということがわかる。

いかんせん、暴力シーンがあまりに残酷なことが、国際的な賞から遠のいたと見られる。また、欧州などで見られているのは大幅にカットして短くした簡略版で、それでは原住民と日本人の交流や悩みがうまく描けていないとの指摘もあった。

全体を通じて、ほとんどが原住民の言葉と一部日本語なので、それを中国語字幕で見るのもちょっとつらい。原住民語を日本語字幕で読むと、また少し印象が変わるかもしれない。ゴールデンウィークの上映が楽しみだ。


「学習粉絲団」突然停止

2013-02-18 14:12:46 | 時事
習近平総書記の「ファン」によるとされる希少な写真をたくさん掲載している、中国版ミニブログ「微博」の「学習粉絲団」が11日をもって突然活動停止になったという。
管理人は無錫で仕事をしている四川出身の大学生、張洪銘と名乗り、「さよなら。楽しかった。きょう、胸に深い思いを込めて去ります。涙を止めることは出来ず、孤独だ。泣き、痛い」などと書き込んだという。「多くの国民に知られて、人々を悩ませてしまった。自責の念にかられ、遺憾に思います」とし、「人々」が誰かははっきりさせなかったという。

9日にAPの取材を受けて身分を明かし、その3日後に活動停止となったという。実質活動期間は11月からの約3カ月。

胡錦濤国家主席や温家宝首相のファンサイト、「什錦八宝飯」も停止している。希少な写真を当局より先に掲載したり、警備上の機密のはずの習総書記の動静を流したりと、当局の記者や役人でなければ不可能なはずの内容にチャチャが入り、胡主席や温首相のときのように「お役目は終わった」ということで、おしまいになったということか。


中国軍の考え方。劉源論文

2013-02-13 02:29:56 | 時事
中国船による日本の自衛隊艦船への火器管制用レーダー照射が、習近平総書記(中央軍事委員会主席)を中核とする中国指導部の総意によるものなのか、あくまでも軍の一部勢力の単独行動なのか、現在では後者ではないか、との考え方が主流になりつつある。事案発生後の2月4日付の人民日報系の商業紙「環球時報」は、中国人民解放軍総後勤部の政治委員、劉源・上将(大将)の報告「さらに長い戦略機遇期(戦略的チャンス)を維持するためには手を出すときには出すべきだ」を掲載した。この時期の中国軍の考え方が反映されているような、ある意味挑戦的な内容だ。



背景として、劉源とは、1950-60年代初頭、毛沢東が人民公社と大躍進政策で失敗した後、「経済調整期」として国民経済を回復させ、毛沢東から国家主席職を手放させて上海での半隠遁生活に追いやり、後の文化大革命で毛沢東や江青四人組の権力闘争の最大標的となった劉少奇・元国家主席の子という、いわゆる「太子党」。習近平総書記とも盟友関係にある。反米感情が極めて強いといわれている。

戦略機遇期(戦略的チャンス期)とは、トウ小平が改革開放の初期に提唱した経済優先の平和路線で、戦争をする可能性が低い国際情勢を見極めて、その間は経済発展に力を入れようというものだ。

劉源論文の内容をかいつまんで紹介すると:
 今回の第18期党大会で再度強調されたように、国際国内情勢を総合的に判断すると、戦略的チャンス期には条件の変化がある。中国の経済建設は何度か途切れさせられてきた。最初は清末の洋務運動が日清戦争によって打ち切られた。二番目は中華民国の時代で、資本主義の発展段階にあったが、日本による中国侵略戦争で途切れさせられた。現在我々の経済建設は鍵を握る時期にあり、偶発的事件で再び途切れさせられるようなことがないようにしなければならない。米国と日本は我々の発展を恐れ、我々に追い抜かれないようにいろいろと策を講じている。当然、長期にわたり戦略的チャンス期を平和的に発展させるために、「手を出せるときに手を出す」ことは排除しない。
トウ小平が説いた「韜光養悔」(冷静に観察し、足元を固め、落ちついて対処し、能力を隠し、ボロを出さず、決して先頭に立ってはならない)や、臥薪嘗胆の越王勾践が恥に耐え続けたのはなぜか、その後の発展で強大になった後にそれらを踏みつけるためだ。だからこのチャンス期とは耐え忍ぶことではない。

と、あとはトウ小平やら胡錦濤やら、いろんな人の言葉を自分にいいように解釈して、つまりは、過去に2度、日本が中国の発展を妨害してきたように、今また日本は中国の発展を妨害している。そうならないように、今は戦う時だ、とたきつけているように読める。

太子党つながりで薄支持を続けていたとして中央軍事委副主席や党政治局委員に入れなかったといわれる劉源。総書記就任直後に深セン訪問などで、トウ小平の南巡講和のあとをたどり、改革開放とトウ小平路線の継承を内外に示した習近平に対して、軍事的強硬路線をとるよう促しているのではないか。軍内にはその雰囲気、気分を察知する状況があって、習近平は尖閣諸島問題でも「棚上げ」の方向を示しつつあったのを押し戻すように、軍のどこかのレベルの判断で(もちろん現場の兵隊の個人的な判断ではない)、習の意に反したレーダー照射を独断で行ったのではないか。

習近平個人崇拝か?

2013-02-05 12:48:39 | 時事
香港紙「明報」は5日、中国版ツイッター「微博」に習近平総書記の貴重な写真がたくさん出ており、中国当局のメディアが発表する前の地方視察に関する写真だったり、きわめて個人的な図柄があったりと、話題になっていると伝えた。


「学習粉絲団」(習さんに学ぶファングループ)が微博の名前で、十八大のあと、習総書記の地方視察を何度も、しかも官製メディアより早く伝えているという。実際、明報に掲載されている、微博に乗っているといわれる写真を見ると、執務室かどこかで新聞を読む習近平、くつろいだ表情で事務所かどこかにいる様子、母親の写真、青年時代、習仲勲を囲んでの家族らの集合写真など、普通では手に入らないようなお宝写真を、「ファングループ」はどこかからか手に入れて、微博にアップしているのだ。

習近平を「習大大」(中国共産党の根拠地だった延安がある陝西地方の方言で「大大」は「おじさん」という意味だそうだ)、妻で軍所属の有名歌手の彭麗媛を「彭ママ」、母親の斉心を「斉おばあちゃん」と表記しているという。文章のトーンもきわめてウエットな感じ。

筆者は微博のプロフィールによると「西安電子科学大学卒、女性、党員でも役人でもない」としている。明報の問い合わせに対しては取材拒否を貫いていて「関心を示していただいて感謝します。どうかご指導ください。いろいろ広めてもらって、一緒にがんばりましょう」と伝えてきたという。明報が取材した学者の推測では、この女性は新華社の記者か中央の役人ではないか、としている。

米紙「ワシントンポスト」も以前、この微博に関心を示して報じており、その際、「私は単なる草の根であり、習近平を愛し支持しているもので、宣伝隊ではない」と答えたという。ワシントンポストは、習近平やその周辺が、官製メディアだけでなく微博などによる民間のメディアの力を十分認めはじめてきて、このような形での指導者の宣伝を行っているのではないか、と見ている。

別の原稿では、胡錦濤・国家主席と温家宝首相もかつて「ファンクラブ」のような微博ができていて、胡主席のものが「什錦」(五目焼きそばなどの五目の意味)、温首相のものが「八宝飯」という題名がついていて、その後「什錦八宝飯」(五目中華丼)となったが、2008年に更新がとまり、閉鎖されたという。

習近平は、かつて毛沢東や、その手法を真似て一時は毛沢東の後継者、と党規約に書かせた林彪、林彪失脚後に急速に権力を握り周恩来、毛沢東死後にあらゆる権力を掌握し小平の台頭とともに権力闘争に敗れて下野した華国鋒のような、安易な個人崇拝の手法のようにも見える。それくらい自らの権力基盤が磐石ではない、ということだろう。

あるいは習本人が望んでなくても、南方週末問題の黒幕と書かれている劉雲山・中央政治局常務委員と劉奇葆・党中央宣伝部長が親分の意向を勝手にくんで、このような個人宣伝を進めているのかもしれない。

21世紀の今日になって、まるで北朝鮮の故金正日総書記や金正恩・第一書記のような個人崇拝の手法を中国も取っているのを見るとお笑い種だが、何か意味がありそうだ。