Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

香港行政長官に梁氏

2012-03-25 15:55:34 | 時事
香港メディアによると、25日投開票された香港特別行政区の新行政長官に、実業家で親中国の梁振英氏が当選した。獲得したのは689票で、1200人の選挙委員のうち有効投票数1132の過半数を獲得したため、選挙は成立した。次点の唐英文(ヘンリー・タン)氏は285票、民主党の何俊仁(アルバート・ホー)主席は76票だった。写真は「明報」サイトの速報。

先日、中国共産党の統戦部前部長の劉延東・国務委員(副首相級)が香港の隣、広東省深センに来て、梁氏に投票するよう集票活動を行っていた、との香港メディアの報道を紹介したが、中国側の思惑通りの選挙結果になった。
梁氏の任期は5年で2期まで。次回2017年の選挙は香港市民による直接民選で行われる。

これに先立つ23、24日の2日間、香港では民主選挙を求める大学や団体が一足早く模擬投票を行い、香港メディアによると22万人が投票したという。そのうち12.2万人、55%が白票を投じており、今回民主選挙が実現できなかったことに対する抗議の意味があるようだ。その他は梁氏が17.8%、唐氏が16.3%、何氏が11.4%と、本番の選挙結果と同じ順位になった。

そもそも香港で民意選挙が行われている地区レベル代表の選挙でも、投票率は極めて低く、今回も人口700万人の香港で、有権者数は不明だが、「遊び」とはいえども模擬投票にたった3%の22万人しか動員できなかった、ということは、参政への関心が極めて薄い香港で、5年後の行政長官選挙本番での低投票率も予想される。香港の民主派が大声を上げて中国本土からやっと勝ち取った民主選挙の意味付けがどうなるのか、今後5年間の香港の活動を見ていかなければならない。

中国台湾「一国両区」

2012-03-24 23:02:10 | 時事
台湾メディアの報道によると、中国訪問中の台湾の呉伯雄・国民党名誉主席が22日、中国共産党の胡錦濤総書記と会談、初めて直接「一国両区」の概念を示し法理基礎であると語った。独立派の民進党は「中華民国を売った」「中華民国は消滅する」「台湾は中華人民共和国の一地区になるのか」と強く批判している。呉名誉主席の発言に対し胡総書記は「中台両岸は統一に至っていないが、中国の領土と主権は分裂しておらず、大陸と台湾は同じくひとつの中国に属するという事実は変えることは出来ない」と答えてた。

そもそも、「一国両区」は、馬英九総統が2008年9月にメキシコの報道機関の取材に対して述べたもので、今回、呉名誉主席は馬総統に託されて、胡総書記に面と向かって「一中各表」(中国はひとつ、解釈はそれぞれ)の立場と「一国両区」の概念を伝えた、という。

台湾紙「中国時報」の社説には、「我々(台湾)が大陸に提出した一国両区の概念は、合憲合法であり、主流な民意に合致している。さらに重要なこととしては、我々は直接大陸に対して『もし大陸が中台両岸はひとつの中国に属している』(中国の解釈は各自の解釈に任せる)と台湾に受け入れてもらいたいと考えるなら、『一国両区』という中台の政治スタンスを受け入れなければならない」と書いている。
「中国時報」は、中華民国憲法は数々の改正を経ているが、すべて「ひとつの中国」の基礎の上に制定されている。それをうけて立法院は「台湾地区と大陸地区の人民関係条例」をつくり、「一国両区」の概念は憲法に記されている。
また、呉名誉主席が提示した「一国両区」は同時に、「九二共認(92年コンセンサス)、一中各表」を示したことになり、それぞれの表現に差異はあるといえども、求める方向は同じだ。九二共識は1月14日の総統選を経て多くの人民の支持を獲得した。現状を変えるものではない。
中国時報がこのように好意的に報じるのは、もちろん、台湾の多くのメディアが外省人に牛耳られた統一派の傾向の言論を持つからだ。

もちろん、かつて李登輝元総統が提唱した「両国論」や、陳水扁前総統の「一辺一国」とは正反対の考えであり、民進党に限らず「台湾が国連などの国際団体に加盟したり、世界各国と相互に大使(代表)を派遣しあったり、ということは台湾が永遠に中国から離脱するなどとする台湾独立分子の主張だろうか」と反発する書き込みも見られる。独立系のテレビ「民視」などは警鐘を鳴らしたようなニュースを流している。

限りなく中国が香港やマカオを特別行政区として抱えている考え方に近いのではないか。それを台湾側から「各表」「2つの政治実態」を認めてもらうための「善意」とするなら、自爆的行為なのではないか。

一方の中国側の報道は低調で、人民日報系の「環球時報」は台湾のメディアの報道を引用して呉伯雄の発言を紹介した上で、胡錦濤が「両党と両岸は引き続き強力に政治相互理解を進めることが、とりもなおさず今後も両岸関係が良好に発展する鍵であり、推進力になる。相互理解を深めるためには、九二共認を堅持し、台湾独立に反対することだ」との発言を紹介した。

さらに新華社などは呉伯雄が24日、河南省にある黄帝の故郷を訪れ、焼香したと写真付きで大きく報じている。黄帝は、神話上の中国を統一した最初の皇帝であり、中華民族の始祖だとしている。旧暦3月3日にあたるこの日に、黄帝が生まれ、後に都が定められた地とされる河南省新鄭市で、中国内外の中国系住民代表が参加し、儀式が開かれている。

この辺を強調して報道するのも、台湾にいる住民も「中華民族」である、という部分を強調するためだろう。台湾人は実際には「中国人ではなく台湾人」とのアイデンティティーを持ち、中台関係についても「現状維持」を支持するのが大多数だ、という現実に目を向けず、政治的に物事を解釈する大陸側の意図が見える。

香港の行政長官選挙決まり?

2012-03-21 10:33:15 | 時事
今月25日に選出される香港特別行政区のトップ、行政長官はどうやら梁振英・前行政会議召集人に決まったようだ。21日付香港紙「明報」は、「宗主国」の中国共産党中央の前統一戦線工作部長(統戦部長)の劉延東・国務委員(副首相級、中央政治局委員=序列17位)が香港に接する広東省深センを訪れ、高級ホテルの「紫荊山荘」で一部の選挙委員と面談し、梁振英氏への投票を呼びかけた、と報じた。一部の選挙委員が紫荊山荘に入っていくところを写真に撮られた、と報じている。

統戦部長とは、共産党とそれ以外の党外民主諸党派勢力との協調、融和を図る部署のトップで、海外での祖国統一工作なども担当する。国務委員としては教育、科学技術、文化・メディア、体育、香港・マカオ担当で、行政長官選挙の調整にはうってつけの人材だ。中国共産主義青年団中央書記処書記を務めたこともあり、胡錦濤系列の「団派」だ。

当初、大本命と言われていた香港特区政府ナンバー2だった唐英年(ヘンリー・タン)・前政務長官は、夫人の邸宅に違法建築の豪華な地下室があることを指摘され、当初否定していたが最終的に地下室の存在を認め、香港マスコミにたたかれ、世論調査でも梁振英氏に大きく水をあけられている。中国の中央政府も最初は唐英年を支持していたが、それは江沢民派、あるいは太子党の習近平・国家副主席の系列が推していたもので、これだけのバッシングで見放されたようだ。

香港行政長官選挙は、香港を舞台にした太子党と団派の代理戦争だとの話もあり、江沢民派の太子党が推す唐英年氏に対して、団派は梁振英氏を推す構図がささやかれており、梁振英氏側にも不正事案が取りざたされて、両者ともクリーンとは程遠い候補者なのだが、今回の薄熙来解任事件もあり、団派が香港でも優勢となったのかもしれない。

そもそも香港特区政府のトップ、行政長官は2012年からは香港の有権者による直接投票で決められるはずだったが、さまざまな圧力がかかり、今回は1200人の選挙委員による間接選挙で選ばれる。選挙委員も中国当局の息のかかったものが選ばれており、中国中央政府の意向が大きく選挙に反映される。

写真は香港返還前の96年12月に深センで行われた返還後の初代行政長官を決める選挙で、当選してあいさつする董建華氏。97年7月の香港返還以降、行政長官を務めた。当時の選挙委員は中国当局が指名した400人で、上海出身で江沢民・国家主席(当時)と関係のよい董建華氏が選挙前から行政長官になることは確定的だった。あくまでも儀式としての選挙だった。

今回の行政長官選挙では、2氏のほかに、民主党の何俊仁(アルバート・ホー)主席も立候補している。が、あくまでも自分たちが主張する民主化を迫るためのもので、投票するのは中国側によって選ばれた選挙委員であり、香港市民ではない。当選する可能性はない。

中国中央政府は、今回の行政長官選挙で誰も過半数をとれず再選挙になることのないよう、劉延東・国務委員を派遣して梁振英氏への集票活動を進めているようだ。
ただ、次回の行政長官選挙は香港市民による直接民選で行われる。そこで大きな揺り戻しがないように、香港市民にも一定の人気があり、なおかつ親中派の梁振英氏に乗り換えたとの見方が有力だ。

孔慶東にも薄熙来禍

2012-03-20 10:11:35 | 時事
孔子の直系子孫という孔慶東・北京大学教授が「香港人は犬」などと言いたい放題のネットテレビ番組「孔和尚有話説」にも、重慶市長を解任された薄熙来事件が波及、一部の番組が配信停止されたという。孔教授は薄解任の15日、番組内で薄熙来と「唱紅打黒」を擁護するような発言をしていた。

劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に抗議する形で中国の“民間”レベルの知識人が中心となってつくった「孔子平和賞」が1年目連戦・国民党名誉主席、2年目プーチン露首相を選出、本人が授賞式に出席せず失笑を買ったが、その首謀者と目される孔慶東教授は、中国の左翼言論を担う一人だが、薄解任事件以降、数々の左翼言論サイトが封鎖されるなど、保守言論への風当たりが強くなっているようだ。

20日の香港紙「明報」によると、「孔和尚有話説」を放送する第一視頻網(第一チャンネルネット)は19日、孔教授が番組内で薄解任を「反革命政変」と呼び、「権利保護」を求め「暗黒」に抵抗しよう視聴者に立ち上がるよう呼びかけた部分を、「設備更新のため一部番組の配信を停止する」として削除したという。

写真は今見られる「孔和尚有話説」のページ

視聴者の意見を書き込む欄も空欄になっていて、削除への意見が殺到しているのか、第一視頻網側が掲載を見送っているようだ。

明報が孔教授に電話連絡を試みたが、誰も出なかったという。第一視頻網は「最近、各地のネットユーザーから番組を見られないとの意見があり、多くのネットユーザーの要求にこたえる形で配信技術と設備を更新し、この期間に一部の番組をしばらく配信停止にした。配信時間については追って通知する」との通告を出したという。

この番組は月曜から金曜の午後12時半から1時間放送されていて、過去には香港を訪れた大陸の子連れ旅行者が、香港の規則に反して地下鉄内で飲食していたのを香港人に注意され、大喧嘩となったシーンを映した動画サイトの画像を見て、「香港人は英植民地根性を引きずる西洋の犬だ」などと発言し問題となっていた。

明報によると、15日の番組では、薄解任で、ほかの誰かが「唱紅打黒」を提唱しにくくなってしまい、「これは億万中国人民の心を傷つけるのではないか」と話した。また、15日が国際消費者権益デーだったことから、「重慶の唱紅打黒は最大の意義のある偽モノ打倒であり、偽共産党や偽政府官僚、偽公僕を打倒するものだ。最近、暴力団摘発や偽モノ打倒の英雄が不当な扱いを受けている。これは公開で反革命政変を発動しているのではないのか」と発言していたという。

言論の自由とか意味はわかるが、政治的にダメを出された人間をあからさまに支持するのは、やはり中国ではKYではないか。孔教授は、海外では笑いを誘うが、中国では支持する人間も少なくない影響力のある言論人なのだから。

映画「月満軒尼詩」見た

2012-03-19 10:59:34 | 映画鑑賞
李安(アン・リー)監督作品「色、戒(ラストコーション)」で、映画デビュー、梁朝偉(トニー・レオン)との大胆な濡れ場ばかりが強調され、一時中国大陸ではバッシングを受け、CM出演も締め出され、不本意な中で香港居住権を得たが、なかなか2作目が見られなかった女優、湯唯(タン・ウェイ)の第2作「月満軒尼詩(CROSSING HENNESSY)」を見た。
共演は香港四大天王の一人にして最も実力派で性格俳優としても活躍する張学友(ジャッキー・チュン)。

脚本家、岸西(アイビー・ホー)の監督2作目、2010年作品。
「色、戒」の役とは正反対な、ちょっとダサい商店街に働く女性。ダサい風の中に、ふとみせる髪をかき上げるしぐさや笑顔、本を読む姿が可愛らしく、ちょっと艶っぽく、なかなかいい女優だなあ、と再認識した。これで、「色、戒」のタガが外れて、どんどん映画に出られるようになればいいなあ、と期待している。

ストーリーは(この辺からネタばれです)、父親を早くに亡くして母親が経営する電気屋を手伝う40過ぎの頼りない男、ジャッキーが周りから結婚をせかされて心配され、道(軒尼詩道)をはさんだところにある便器屋さんで働いている湯唯と、お見合いの食事をして、そのあと、お茶を飲んで本の貸し借りだけで特に進展しない。
それぞれに実は元カノ、彼氏がいて、張学友はすでに別れたカメラウーマンで、個展を開くなど成功してるにもかかわらず、彼女のほうが張学友に未練があるらしい。また付き合ってくれ、ともいわれるが、張学友は湯唯のことが気になっているのか、いないのか、煮え切らない返事をする。
湯唯の彼氏は、刑務所にいて、なんかワイルドな感じ。出所して一緒に暮らし始めるが、本が好きな湯唯とは実はあまり趣味が合わず、テレビでスポーツやカンフー映画を見て喜んでいる教養なさげな感じで、徐々に湯唯はもてあまし始めてくる。

ポスターに書かれた字を見てなるほど、と思ったけど、宅男(オタク)の張学友と剰女(独身女)。現実的にいえば、張学友演じるさえない、たよりない歳を食った男に、「書呆子」で地味とはいえどもなかなか可愛い若い湯唯ちゃんがくっつくのはありえないだろう、と思ってしまうが、これは湯唯ちゃんのヌードにノックアウトされた香港のオタクが見て、希望を抱く映画なのだろうか。はたまた張学友ファンの剰女が現実を感じる映画なのか。
脇役たちも芸達者で、ファッショナブルだったり暴力的だったりITを多用するような今の香港映画ではなく、なんだか一昔前の香港映画を見たような懐かしさを感じだ。

それは、映画の舞台が香港島側の「湾仔(ワンチャイ)」だからだろう。懐かしい懐かしい。オフィス街で埠頭や議会棟など植民地っぽさがある「中環(セントラル)」や「金鐘(アドミラリティー)」と、大ショッピング街「銅鑼湾(トンローワン)」にはさまれた、雑多な地域だ。返還前から中国大陸に関する店や安くてうまい食堂、特に北京系の食堂などが少なくなく、大陸からの移民者が多かったのだろうか。
海側に行くと香港返還式典を行った会議展覧中心(コンベンションセンター)があるなど開発されているが、その辺を外れるとごちゃごちゃした下町風のところが多い。中国大陸へのビザ発給を受ける外交部の出店がある入境大楼や、確か、時々大陸映画を見に行った映画館もこの辺にあった。香港では珍しい北京餃子のうまい安食堂もあったなあ。映画の舞台となる店があるところは、ヘネシーロード(軒尼詩道)とジョンストンロード(荘士敦道)が交わるところ、ああ、電車(トラム)が金鐘(アドミラリティー)から一度ヘネシーロードを外れて、またヘネシーロードに戻るところだなあ、「298」と看板がかかった電脳市場があるところだ、と懐かしく感じた。
しかし、あんなに人の多い湾仔でよくロケできたなあ、とも思う。香港映画のいい意味で泥臭さも感じる。
がんばれ湯唯。次の作品も期待してます。

一夜明け、重慶の反応

2012-03-16 07:05:43 | 時事
重慶市でやりすぎと見られるほど暴力団・汚職撲滅運動や革命歌を歌う活動を通じて保守派長老に取り入って猟官活動をしていた薄熙来・市党委書記が15日、重慶の職を解かれたと発表された。

16日付の重慶市党委員会機関紙「重慶日報」は、このニュースを2番手で大量に報じている。一面トップは14日閉会した全人代で了承され、15日深夜、新華社を通じて決定稿が配信された温家宝首相の政府工作報告の全文。2番手は、「党中央が市の主要指導者の調整を決定」との主見出しで、重慶市で李源潮・党中央組織部長が主催して幹部会議が開かれ、その席で薄の解任、張徳江・副首相が重慶市党委書記を兼任すること、王立軍副市長も免職となった、などの党中央の決定を報告し、重要講話を行ったと報じている。薄熙来時代からの重慶市長、黄奇帆はそのまま、この会議を主催した、とされており、王立軍の引渡しを求めて米総領事館に駆けつけた、とされる黄市長はとりあえず、お咎めなしのようだ。

この原稿の見出し部分には「薄熙来」「王立軍」の文字はない。意識的に避けているようだ。

そもそも、薄解任をある意味示唆するものと思われた14日の温家宝首相の記者会見の原稿について、重慶日報は15日、温首相が王立軍事件について答え、「重慶市執行部は反省すべきだ」と薄熙来らを批判した肝心の部分については掲載されておらず、「次回掲載」のような書き方で逃げていた。この間、重慶日報の編集部は15日の発表まで自分のところの親分の醜聞については伏せておいたのだろう。16日の重慶日報にも温家宝首相の記者会見の続報は掲載されていないようだ。
中国政府のサイトでも13時45分にロイター記者の質問への温首相の回答を掲載しているのにだ。中国側は温首相の会見と質疑応答についてオープンにしており、なんら操作をしていないにもかかわらず、重慶日報は“自主的”に、王立軍事件関係の部分を掲載しなかったということだ。

ところで、この李源潮もバリバリの胡錦濤派の団派。組織部長だからこういう席に出るのは当たり前だが。胡錦濤にしてみれば、組織部長を団派が抑えておいてよかったねえ、という感じか。組織部長の前任者は、薄としこったとされる賀国強・中央政治局常務委員(序列8位)。団派に近いというよりむしろ江沢民派だ。

同様に重慶市党委書記を兼任する張徳江・副首相も団派ではない。むしろ江沢民に近いとされていたが、その辺でバランスを取ったのだろう。たんなるつなぎ。薄のように重慶に独立王国を建てられる心配もない。

中国共産党は70歳定年制の内規があるようで、現在の中央政治局委員から秋の党大会時に70歳を超える人間を除外すると

習近平 1953年6月  国家副主席=次の総書記=トップ=に内定
李克強 1955年7月  副首相=次の首相に内定
李源潮 1950年11月 党組織部長
張徳江 1946年11月 副首相、新任重慶市党委書記
王岐山 1948年7月  副首相・金融担当
劉雲山 1947年7月  党中央宣伝部長
汪洋  1955年7月  広東省党委書記=薄熙来の重慶の前任者でライバルといわれた。団派
張高麗 1946年11月 天津市党委書記
薄熙来 1949年7月  重慶市党委書記→解任

で、薄熙来を除くと8人しかいないので、残りの8人も多少の入れ代わりがあるとしても、あと最低1、2人は二階級特進で中央政治局常務委員のトップ9に入る可能性があるということだ。胡錦濤はかつて、9人を7人に減らそうとしたことがあったといわれるが、実現しなかった。

薄熙来の重慶市の職が解かれる

2012-03-15 23:15:39 | 時事
ついに、この日が来た。
「唱紅打黒」(紅歌=革命歌=を歌い、暴力団や官僚汚職を摘発する)と、中国で4つある中央直轄市のひとつ、重慶市で辣腕を振っていた薄熙来・重慶市党委員会書記が、重慶の全ての職務を解かれた。すなわち市トップである書記と市常務委員、市委員の職だ。次の異動先を示されるわけでなく解任されるのは尋常でなく極めて異例。薄熙来は党中央政治局委員の肩書きだけは残された。

新華社は「職務調整」ということばを使って、もちろん薄熙来解任、などとは表現してない。

日本のマスコミはわかりにくく書いているが、「薄熙来氏を解任」はある意味間違い、というか正確ではない。「重慶市トップを解任」なら正しい。「薄熙来氏の重慶市での職務を解く」とするのが一番正確だろう。

そもそも重慶市(にかぎらず中国の地方都市)では、市長より、市の行政機関を指導する立場にある共産党の組織「市党委員会」のトップである書記の方がより大きな権力を持っている。市委員というのは市会議員のようなもの。市常務委員は市委員のなかから選ばれた、日常の条例作成や行政の決定権を持つ常務委員会のメンバー。そして書記が市の最高権力者ということになる。

薄熙来は中国共産党中央(中共中央)の高層指導部である中央政治局委員16人の末席にいた。その16人の上に中央政治局常務委員9人がいて、これが最高意思決定機関となっている。胡錦濤現政権の7人が引退、顔ぶれが入れ替わる秋の党大会で、この9人に入るべく、薄熙来が猛烈な猟官活動をしていたことは以前にも書いた。

薄熙来が「完全な失脚」とは言い切れないのは、この中央政治局委員の職にはとどまっているからだ。香港メディアなどの見方でも、全人代常務副委員長とか、全国政治協商会議副主席など、実権のない名誉職につく可能性はある、と指摘している。

そもそも昨日14日に温家宝首相が全人代閉幕後の記者会見で、王立軍事件についての質問にはじめて答えて「現在の重慶市党委員会と政府は深く反省する必要があり、王立軍事件の中からまじめに教訓を吸い取らなければならない」と、間接的ながらはっきりと薄熙来を代表する市党委員会と市政府を批判した。この段階で翌日の事態はある程度予測できた話だ。

ただ、おそらくトップ9である中央政治局常務委員にはなれないだろう。王立軍の審査が終わり、薄本人にも捜査の手が伸びれば政治局委員の職も、もっとも重ければ共産党の党籍も剥奪される。

かつて中央直轄市のトップが党大会前のタイミングで失脚した例として、北京市トップの陳希同、上海市トップの陳良宇がいる。このときも江沢民と胡錦濤の人事をめぐる権力闘争というか、駆け引きがあったためといわれてきている。

もうレイムダック状態だとはいえども、温家宝総理は政治改革を口にしたり、ロイターの記者の王立軍事件の質問に答えたりと、温州の高速鉄道事故のころの保守派からのバッシング状態と比べて、今の中国では中国共産主義青年団出身(団派)が巻き返しているようにみえる。
習近平・国家副主席の総書記就任がひっくり返るとは思えないが、薄の政治局常務委員会入りがダメになったことから、9人の多数を団派がとることが現実的になってきているのではないか。習は団派のいうことを聞かざるを得ない最高権力構造になるのではないか。王立軍の米総領事館逃げ込み事件が、まさに習近平のお墨付きをつける訪米中に発生したことも習の影響力、というか権力が相対的に低下している理由なのではないか。自分の配下の人間の不始末を、自分が不在のまま政治局常務委員会が開かれて話し合われ、その席に立ち会えなかったこと。胡錦濤ら団派はまさにそのタイミングで習不在のまま政治局常務委員会を開くことに成功し、党内の主導権を大幅に回復したのではないか。

薄熙来がまったくだめになるのか、どうなのか、もう少し様子を見る必要があると思う。



薄熙来が全人代で記者会見

2012-03-10 10:51:46 | 時事
北京で開会中の全人代(全国人民代表大会)と全国政協(政治協商会議)。香港のメディアは多くの省や市が個別に会見を開いたが、重慶市はまだ動きがない、などと報じていたが、9日、人民大会堂で重慶市の会見があったという。
重慶にとっては年に一度の晴れ舞台のはずが、10日付の地元紙「重慶日報」は見た限りまったく報じず。

その代わりに周永康・党中央政法委員会書記(党中央政治局常務委員=序列9位)が重慶の代表団を訪ねた、というニュースをデカデカと報じていた。周永康はかつて公安部長も務めた現職の公安方面の最高責任者。薄熙来・重慶市党委書記も、「永康書記は西南地区で仕事をされていたこともあり(四川省書記)、重慶や四川の発展に尽力された」などと、またもヨイショしまくっていたようだ。成都の米総領事館に逃げ込んだ王立軍・重慶市副市長は党中央規律検査委員会で審査中だから、公安筋のボスが薄熙来に会いに来るということは、審査の結果は薄に不利にはならない、ということか。公安筋のかつての大ボスで引退幹部の喬石が賀国強と薄を手打ちさせた、という情報もあることから、喬石の息のかかった周永康が様子を見に来た、というわけか。

で、せっかく重慶市が記者会見したのに、中国側の報道はきわめて低調だ。新華社もオリジナルの原稿は配信していないようで、記事を探すと北京の大衆紙「新京報」の原稿を引用している。

新京報の記事では、「唱紅打黒」(革命歌を歌い、暴力団や汚職を摘発する)は堅持する、という話が中心で、たくさんの質問が出たはずの王立軍問題には触れておらず、当然、薄熙来の回答などまったくない。

ただ、「薄熙来は記者たちが提示した“敏感”な問題にも一つ一つ答えた」と書かれているだけだ。その“敏感”な問題は、全人代の会議に欠席していた日があったこと、息子の留学費用やフェラーリに乗っている、という問いぐらいで、それぞれ「咳が出たので休んだ」「まったくのうそ。奨学金をもらっている」と答えた程度だ。国内向けには王立軍問題はそれこそ“敏感”事案になっているようだ。

会見の様子を正確になぞるとすると、香港紙「明報」によると、多くの質問が王立軍問題についてのもので、薄書記は「非常痛心」(非常に心を痛め)「用人失察」(監督不行き届き)としながら、重慶の仕事の一部分に過ぎず、「打黒」は継続し、自らの辞任についても否定したという。また、王立軍の精神性疾患についても言及しなかったという。事件について「突然の出来事で予期できなかった」と第三者を演じている。ただ「重慶で起きたことには私に責任がある」と、カッコつけている。

同じ会見でも我々の感覚だとこう報じるはずだ。日本のメディアも同様の内容だ。朝日によると、薄は一時中座してメモを見ながら質問に答えるなど、党中央の方針に忠実である、との姿勢に務めていて「滅私奉公」のポーズをとっているようだ。

午前中に周永康と手を打って、中央政治局常務委員になれるかどうかは別として、自らに責任が及ばないとの言質を得て会見に踏み切ったのだろうか。会見への出席は事前登録制だったとのことで、それまでに(“咳”で欠席していた日だろうか)決着していたのだろう。

賀国強意味深なあいさつ

2012-03-04 17:23:52 | 時事
あす5日開幕する全人代で動向が注目されている重慶市トップの薄熙来。一部メディアが薄の「政敵」と紹介した賀国強・中央規律検査委員会書記=中央政治局常務委員(序列8位)=が3日、重慶市代表が宿泊するホテルを訪ねたという。

賀国強は99年から2002年まで重慶市委の書記を務めており、「昔からの友人もいるし、懐かしい」と、自らが重慶で仕事をしていたことを強調した。その当時の腹心たちを、薄の手下の王立軍が次から次へと汚職の疑いで摘発していったとして、賀が腹を立てて王立軍の不祥事をほじくりだし、結果として王は身の危険を感じて米総領事館に駆け込んで保護を求め、結果として薄熙来の中国共産党トップ9(中央政治局常務委員会)入りが危うくなったという筋書きだ。

重慶市代表ら関係者を前に賀は「今、重慶の気候と北京の気候はとても差異があり、今年の北京の寒い時間は比較的長く、今はまさに季節が移り変わる時期だ。特に長期に乾燥し、雨がなく雪も少ない。朝晩の温度の差が大きく、皆さんは暖かくして寒さに注意して、体の健康維持に注意してください」と話したという。

たくさん全人代や政協の代表が全国各地から来る中で、わざわざ重慶市の代表を訪ねることもあるまい。なんらかの意図があると思っても不思議ではない。

この言葉。「重慶と北京は気候が違う」。「今はまさに季節が移り変わる時期だ」。いうまでもなく、なんて意味深な表現だ。香港や台湾のメディアもこれに注目してそれなりの扱いで報じているように、その裏には政治的な意味がある発言だと分析している結果だろう。ということは薄熙来の運命は風前の灯ということか。

4日付の重慶日報の1面の下のほうに大きくこの賀国強の重慶代表訪問が載せられており、重慶の市長、前の市長につづいて、最後に薄熙来の対応が載せられている。全体的には賀をヨイショしまくりの発言内容だ。

もちろん、こういう場面では普通でもKYでは困るわけで、目いっぱい気を使って「国強同志はわれわれの“老書記”だ」と持ち上げている。もちろん中国語では「老人、じじい」という意味ではなく「先輩書記」の意味だ。「吃水不忘搾井人」(水を飲むときには井戸を掘った人を忘れるな)ともいっている。「先輩」の手下を片っ端から失脚させて、「井戸を掘った人を忘れるな」とは、賀も片腹痛かったかに違いない。

いずれにしても、これで勝負はついた。賀は「もう勝負はついたんだよ。いい気になるなよ」と薄にダメを押し、重慶の人々に「もうすぐ風向きは変わるから、こいつ(薄)についていてもしょうがないぞ」と伝えようとしたのだろう。


薄煕来どうなるか?

2012-03-03 01:59:42 | 時事
3月3日から全国政治協商会議(全国政協)、5日から全国人民代表大会(全人代)が始まる。重慶市副市長兼公安局長の王立軍が成都の米国総領事館に入り込み北京で審査を受けている事件で何らかの動きがあるだろうか。
香港紙などによると、重慶市代表が外部と接触できないように宿舎と人民大会堂の間は厳重な警備がしかれ、詰まらぬ事をメディアにしゃべらないように最大級の警戒をしているようだ。

これまでのところ、薄煕来・重慶市党委書記が北京に赴き政治局委員の辞意を伝えたということらしい。太子党の派閥の親分である習近平国家副主席が米国訪問など外遊中で国内にいないときに政治局常務委員会が開かれ、人民日報などでは温家宝首相が全人代で行う政治工作報告の内容を吟味したというが、親分がいないときに薄煕来の処分について話し合ったことは確実。香港紙などの報道によると、薄の対応については習近平の預かりになっていて、習が中心になって調査チームを作り対応を検討しているようだ。
王立軍については、米国総領事館を訪れ国家機密を漏らした・・・ような疑いについては、不問に付すようで、精神的に問題があった、というところでこいつ一人をトカゲのしっぽ切りして終わる可能性が高そうだ。

香港紙「明報」によると、王立軍が成都まで乗用車で来たときに、米総領事館に入れるように橋渡ししたとされる四川省公安局の幹部が今回の異動で交代になっている。重慶市の王立軍の後任も共産党青年団出身、いわゆる胡錦濤派の「団派」だとしており、重慶での権力闘争は胡錦濤が習近平に勝利し巻き返している、という報道もあるが、にわかには信じがたい。

確かに最近になって薄が「唱紅歌、掃黒」(革命歌を歌い、暴力団を排除する)と余り言わなくなっており、「和諧(調和)社会」とか「科学的発展観」など胡錦濤のスローガンをよく口にするようになってきているという。とりあえず、胡に忠誠を誓うふりをして、処分をなるたけ軽くされるように、とおとなしくしているのかもしれない。地元紙・重慶日報や地元テレビ局などではそれなりに露出されており、「失脚」という状態ではなさそうだ。

読売新聞が数日前に、中国の複数の関係筋の情報として、薄煕来が重慶での掃黒の際に、かつて重慶で書記を務めた賀国強・政治局常務委員=党中央規律検査委員会書記=(序列8位)の子分らも摘発したことで、また規律委員会方面の賀の縄張りを荒らした、ということで、薄煕来を懲らしめるために王立軍の周辺を徹底的に洗った、という見方を掲載していた。まあ、ありえる話ではあるが、賀国強はかつて江沢民の懐刀と呼ばれた曽慶紅に連なる派閥の人間で、曽がその後江沢民に見切りをつけて胡錦濤側についたとはいえ、江沢民が事実上指名した習近平の子分である、また江沢民にヨイショをしまくったとされる薄煕来を追い落とそうとするのだろうか。

その辺の構図がちょっとスパッと分かるような内容ではなかった。

日経が広東省烏カン村の村民による汚職幹部摘発要求とそれに伴って勝ち得た民主選挙についてまとめていたが、これが全国に広がる民主化の先駆けというより、村民の不満の矛先が共産党の独裁ではなく単なる汚職幹部で、村民は「上からの民主化」を実現させた共産党を感謝している、ということらしい。いち早く村民のニーズを見極め、混乱を見事に収束させた広東省党委員会の汪洋書記の株が上がったようだ。市政府が上から企業誘致や投資を呼び込むなどの開発独裁で内陸部の雄となった「重慶モデル」より評価が高いという。
胡錦濤がレイムダックになるまえに勢力を拡大しているということか。