Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

江沢民序列、新華社報道

2013-01-23 14:29:42 | 時事
軍の重鎮だった楊白冰・元中央軍事委秘書長の葬儀を放映していた中国中央電視台(CCTV)の映像で、江沢民の花輪が胡錦濤ら3月に引退する最高指導者と十八大で政治局常務委員になった新指導部メンバーの次に映し出された、と書いた。西側ニュースサイトで、江沢民が十八大後に「他の引退同士と同様の扱いにしてくれ」と党中央に書簡を送っていた、との話を掲載したところ、新華社のサイトが23日未明に同様の話を伝えた。

このニュースサイト(博訊だったか?記憶が薄い)の正しさが証明された形だ。
新華社は、22日付で、記者が関係方面から得た情報によると、党の十八大の後、江沢民同志が中央に対して、今後、党と国家の指導者の儀礼の際の序列で、自分を他の同志と同じように配してくれ、と求めたという、と共産党人として高尚な品格と固い節操と寛大な心を体言した、とベタホメした。

察するに、総書記職を習近平に譲った胡錦濤は、3月5日から始まる全人代で国家主席職も退くことになり、江沢民のように当面軍事委主席にとどまることもせず完全引退となることから、もしかすると、胡錦濤にも同様に、引退してからもでしゃばるな、オレと同じように序列で現指導部のトップの次に置くようなことは辞退しろ、と江沢民が自分と一緒に胡錦濤を引きずり下ろそうと暗に牽制したのかもしれない。

江沢民の序列低下

2013-01-22 16:51:08 | 時事
18回党大会を経て習近平総書記の指導部が発足して以降、最初の大きな冠婚葬祭として中央政治局委員、中央軍事委員会秘書長、元中央書記処書記を務めた楊白冰の葬儀が21日、八宝山革命公墓であり、荼毘に付された。1月15日に93歳で死去した楊白冰は兄の楊尚昆・元国家主席とともに軍を牛耳り天安門事件直後の小平を支えて軍掌握に全力を挙げたが、江沢民総書記になってから、軍を我が物にする、との危惧から次第に遠ざけられ、中央政治局委員になったが中央軍事委員会からは離れ、実権は奪われた。

中央電視台(CCTV)のサイトにあるニュース映像とニュース原稿を見ると、ここで胡錦濤を筆頭に、現段階の中国共産党の序列が判明した。序列2位は次期最高指導者の習近平・党総書記、前政治局常務委員から呉邦国・全人代常務委員長、温家宝・国務院総理(首相)、賈慶林・全国政協主席ときて、次期首相の最有力候補の李克強・中央書記処書記に加えて、旧中央政治局常務委員会には属していなかった劉雲山・現中央政治局常務委員までが、お辞儀して遺族に握手する映像が流れた。前政権の中央政治局常務委員のうち全人代常務委員長、国務院総理、全国政協主席は団体のトップなので3月4、5日に開幕する政協、全人代を経て交代するので理解できるが、旧トップ9に入っていて新トップ7にも入っている総書記の習近平、首相になる李克強についで、旧トップ9には入っていらず、新トップ7に入った劉雲山が映像つきで紹介された。
いうまでもなく、「南方週末」事件処理について書いたときに、前党中央宣伝部長にして新トップ7でも宣伝を担当する中央政治局常務委員になると紹介した。習近平・総書記が目の上のタンコブと思うどころか、かなり上位に出世したのではないか。

と思ったが、この後、指導者たちの花輪が紹介されて、胡錦濤、習近平、呉邦国、温家宝、賈慶林、李克強に続いて、残る新トップ7が張徳江、兪正声、劉雲山、王岐山、張高麗の順番に紹介された。
劉雲山はたまたま暇だったのだろう。

これが新指導部の序列だろう。これに続いて江沢民の花輪が紹介された。


江沢民は18回党大会の後で、党中央に私のマスコミへの露出度は普通の引退党員と同じにしてくれ、と書簡を送った、と報じたニュースサイトがあったが、以前は一部の現役指導者より前に紹介されていたものが、とりあえず現最高権力グループより後に紹介されたことで、引退幹部、実権低下との見方が有力だ。


劉雲山と習近平の関係

2013-01-17 14:15:47 | 時事
保守派と目される劉雲山・中央政治局常務委員(前党中央宣伝部長)が後任の中宣部長になった劉奇葆・中央政治局委員(中央書記処書記、前四川省党委書記)と組んで「南方週末」問題を引き起こし、改革派に歩み寄った習近平総書記の目の上のタンコブなっている、との中国の政治学者の話を紹介した。
ところが、ちょっと違う動きが出てきている。劉雲山が中国共産党中央党校の校長に就任したことが確認された。16日付の中国各メディアが報じた。写真は16日付人民日報1面。

15日に中央党校の卒業式が挙行され、校長の劉雲山・中央政治局常務委員が卒業証書を手渡した、とだけ記されている。校長として演説したなどとの記載はない。

中央党校校長の前任者は習近平・党総書記。その前は曽慶紅・元国家副主席。江沢民が総書記になったときに上海から連れてきた江の懐刀にして今でも太子党を裏で操る黒幕だ。胡錦濤・国家主席(前党総書記)は曽の前に校長になっている。校長経験者はみんな偉くなっている。

中央党校は、中国共産党中央委員会直属の高級幹部養成機関で、共産党の理論を学ぶ場で校長の思想的な影響力は大きく、また卒業生たちは確実に党幹部に成長していくため、広くて深い人脈を作ることのできる重要ポストだ。総書記になったばかりの習近平が、中央書記処書記時代に兼任していた中央党校校長の職を劉雲山に渡したということは、習が劉を重要視しているあらわれ、と香港各紙が見解を示している。
もはや「目の上のタンコブ」どころか、運命共同体、ぐらいの位置づけなのかもしれない。「南方週末」事件を経て、習側が劉側になびいたのか、あるいは互いに手を結ぶ何らかの出来事、契約があったのか。汚職や腐敗が積もり積もって中国共産党一党独裁統治が危機を迎えている中、安定団結を求めたのか、今後の政局運営をみていかないとわからないが、興味深いニュースではある。

中文ニュースサイト「多維新聞」は、「日本のあるメディア(朝日新聞ですね)は『南方週末問題の中宣部の処理に対して習近平が不満を示した』などと報じて、二人の劉は習と不和だとのレッテルを貼ったが、中央党校校長に劉雲山がなったとのニュースは、このような伝聞が事実ではないと認めることができる」としている。胡錦濤時代に劉雲山は李長春の元で中央宣伝思想工作指導小組組長を務めていたが、昨年11月の第十八回党大会で、中央政治局常務委員会の構成が9人から7人に減員となったことで、劉雲山は中央書記処書記、中央党校校長、党建設工作指導小組組長、中央精神文明建設指導委員会弁公室主任を務めることになった。習近平と李長春が掌握していた権限を劉雲山が一手に握ったということになる。当面、習が中共の党政軍を全面掌握したという情勢下で、劉雲山は習指導部の核心的なメンバーの一人として宣伝部門の主要な担い手になるということだという。

ということで、これが「南方週末」問題に対して習近平・総書記が新聞社や記者らに同情的なスタンスを示さず、前中宣部長で宣伝担当の政治局常務委員と共闘していく姿勢を示していくなら、言論の自由より共産党一党独裁の維持を最優先するというのが今の政権の立場なのだろう。

「南方週末」事件は権力闘争?

2013-01-09 14:33:56 | 時事
なんだか変だ。広東省の進歩的民間週刊紙「南方週末」が、1月4日紙面で用意した「中国の夢、憲政の夢」という社説を、新聞社の合議で掲載することを決めた後、広東省党委の宣伝部長が介入し、内容を書き換えた問題だ。西側メディアは、中国の言論の自由の封殺だ、と大騒ぎになっている。日本でもボチボチ報道しはじめている。「南方週末」を発行する新聞社の前でデモが続いたり、記者らがストライキを起こしたり、北京の民間紙まで社説問題が波及したりしている。

習近平総書記体制がスタートし、3月5日開会の全人代で国家主席就任を目の前にして、なぜ国内が混乱し、かつ西側社会が中国共産党政権に批判的な見方をするような言論の自由を蹂躙するような事件が起きるのか。習近平総書記や3月に首相に就任予定の李克強らの差し金ではないように思える。確かに保守派にいい顔をしなければ政権安定化は難しい。だから習近平指導部になっても、尖閣諸島周辺海域に今も中国船が頻繁に航行しているのだろう。軍の支持を依然として得られなければ安定した政権を維持できないということだ。それでは、なぜ社説書き換えのような突飛なことが広東省で行われたのか。うすらうすら思っていたのは、ターゲットは胡春華・広東省党委書記なのではないか、ということだ。

ロイターが、昨年11月の十八回党大会後に広東省委書記になったばかりの胡春華氏が直接事態収拾に乗り出した、と伝えたことで、香港メディアなどもこれを引用して、中国当局は早期収拾に力を入れ始めた、などと報じている。胡春華書記は、南方週末の編集長を解職させ、返す刀でこの党委宣伝部長の更迭も検討している、と広東省高官筋の情報を紹介している。

ここにおいて、これは党中央の保守派が胡春華書記を追い落とすとまでは行かないが、一定の試練を与えてイメージダウンをはかろうとしたのではないか、との考えがそれなりに現実的に思えてきた。胡書記は今回の十八大でトップ7の中央政治局常務委員会入りはかなわなかったが、多くが江沢民派だった今回のトップ7の多数が共産党の引退規定に引っかかる年齢ギリギリだったため、習近平総書記時代の10年間の最初の5年で引退する可能性が極めて高い。胡春華や、前任の汪洋、李源潮ら、胡錦濤・国家主席の出身母体、共青団派の俊英たちは、江沢民派の中央政治局常務委員が引退したあとトップ7入りして、胡錦濤引退後5年にして、共青団派がイニシアチブを握ることができるのでは、との見方がある。特に胡春華は次の次の総書記との呼び声も高い。

海外メディアを探してみると、今回の党大会で中央政治局常務委員に昇進した劉雲山と、今回、四川省党委書記から中央政治局委員となり、劉雲山から党中央宣伝部長を引き継いだ劉奇葆の2人が宣伝部門を牛耳り、習近平の目の上のタンコブになっている、との中国の政治学者の見解を香港紙が紹介している。

劉雲山も劉奇葆は共青団出身なので団派という枠組みだが、胡錦濤派といえるのだろうか。もし2人の主導で新聞社説書き換えが起きたのなら、胡錦濤や特に温家宝首相らの考えとはかなり違うと見られる。特に劉雲山は江沢民時代に中央政界入りしたことから、江派の息がかかっているとの見方がある。劉奇葆は胡錦濤と同郷の安徽省出身。改革開放政策のとっかかりとなる農業の生産請負制度を安徽省で行った万里(のちに副首相、全人代常務委員長)の秘書をしていたという。経歴的には改革派だが、その後「人民日報」の副編集長をしていることから言論的には保守的な考えを持っているともいえる。万里は改革派という位置づけだが、1989年の天安門事件に際しては、最終的に小平擁護、学生弾圧、戒厳令発布の側に回った。

社説書き換え問題は、中国の民主化を云々する、ということ以上に、中央新指導部が発足して以来、改革派と保守派の「第一回暗闘」だという。習近平総書記は12月初旬、広東省を視察している。深セン、珠海など経済特区として改革開放経済の尖兵となった地域、すなわち小平が晩年、南巡した地域を周り、改革開放政策を堅持する姿勢を示した。生まれたばかりの習近平指導部が改革を志向するような態度を見せたことから、保守派が揺さぶりをかけ始めた、というのがこの事件の真相なのではないか。

そして次代のホープ、胡春華の経歴に傷をつけて、将来の中央政治局常務委員会入り、そして党総書記就任を妨害する意図があったとの可能性も考えられる。そのため胡春華自らが事態の沈静化に乗り出したということか。事態がこれ以上大きくなって改革派対保守派の闘争が激化しないように、また、自らの経歴への影響を最小限にとどめるためにも、早期収束に乗り出したのではないか。

言論の自由、報道の自由がほとんど認められてない中国において、このような社説書き換え事件はしばしば、とは言わないまでも時々は起こる。所詮その程度の言論の自由、報道の自由しか認められておらず、また急に西側と同程度まで自由化する可能性も低いのが中国なのだ。だから、特に西側各国は中国に対してセンシティブになるかもしれないが、その裏にうごめく権力闘争のことを考えると、あまり中国当局を強く攻め立てるのは得策でない。