Takepuのブログ

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台湾映画「KANO」見ました

2015-02-05 09:14:21 | 映画鑑賞
またまた、台湾で大ヒットを記録した映画「KANO」が台湾から遅れること1年、やっと日本で封切られたので見に行った。
本当に台湾人は日本が好きなんだな、と手放しで喜んでいいのだろうか、というほど、日本を近しく表現している。というか、映画のほとんどが日本語で、残りは台湾語、原住民の言葉、客家語も入っていたそうだ。国民党と蒋介石が大陸から台湾に持ち込み強制した共通中国語、いわゆる国語は出てこない。日本映画か、と思うほどだ。台湾でも字幕だったとは思うが。台湾の台湾化、が現実的だと一目でわかる映画だ。一緒に見に行った大陸中国人は、とりたてて統一派というわけではないが、台湾人の日本へのシンパシーを実感したようで、香港と英国の関係も例に挙げ、やはり大陸中国人とはアイデンティティーが違う、と認識したようだった。



と、理屈っぽいことはさておき、上映時間185分、まさか途中で休憩がはいるだろうと思ったが、それもなく、とはいえ、3時間、中座も退屈もすることなく、一気に見終えることができた。
嘉義農林学校野球部監督の近藤兵太郎に永瀬正敏、妻に坂井真紀、台湾の教科書にも載っている嘉南大圳(だいしゅう=ダム)を設計した八田與一技師に大沢たかおを配するなど、魏徳聖監督(今回はプロデュース)が日本植民地時代を描いた過去2作「海角七号」「セデック・バレ」の成功を経て、日本人俳優も一流どころを存分に使っている。監督はセデック・バレでは俳優として中心的な人物を演じたセデック族の馬志翔。KANOが初監督作品だそうで、事前には大丈夫か、と思っていたが、テレビドラマの監督は数本経験しており、魏徳聖らが手伝うのだろうから、ということだろう。
宣伝などでも触れられているが、嘉義農林が日本、中国人、原住民の混成チームであることを、町の有力者(呉明捷の息子が演じているらしい)や、甲子園に出場してからは意地の悪い記者から指摘され、近藤監督が「日本人は守備がよい、中国人は打撃がよい、蛮人(原住民)は足が速い。理想的なチーム構成だ」と気色ばむシーンが見られるが、これは日本を含めているのかいないのか、現代の台湾でも本省人や原住民がある意味不平等に扱われていることに対する抵抗なのかもしれない。また、日本人はかつて平等に扱ってくれた人もいたぞ、という連帯意識なのかもしれない。それで台湾で大ヒットしたのではないか。八田與一も台湾人とも分け隔てなく付き合い、洪水や旱魃のない農地がいまも維持できているダムを作り、変わらず機能していることに対する近代日本の文明力、科学力への感謝と尊敬の気持ちも加わり、今につながる台湾の状況を垣間見られる部分だと思う。中国大陸では植民地根性と批判の対象にこそなれ、台湾人のこのような心情を理解することはないだろう。

この辺から映画の内容に触れてるので、ネタバレ注意です。映画を楽しみたい方は読まないでください。

前半は、試合で1勝もできないダメダメ野球チームが、日本人の鬼監督のスパルタ指導のもと、ぐんぐん実力をつけ台湾島内予選を勝ち進む、という、ありがちなスポ根ドラマに、可憐な少女がお見合いで医者に嫁ぎ、少年のもとを去っていく、という淡い色恋もちりばめている、魏徳聖、というか台湾で万人受けする、あざといほどにわかりやすい構成は、過去2作品と同じ。後半は、甲子園に出場して破竹の快進撃で決勝に進出、指を怪我しながらエースで4番の呉明捷投手が一人で試合を抱え込もうとすると、チームメートから励まされ、チームが一つにまとまる、というベタな展開。血染めのボール、も日本でも何度も描かれてきたストーリーだ。果たして史実だったのだろうか。見に行った映画館は高齢者も少なくなかったが、わかっていても涙腺が緩む構成のようで、観客席のあちこちで鼻をすする音もした。

映画では、当時から子供たちまでも「八田先生」と敬意と親しみをこめて呼びかけるなど、街では誰もが知っている、そんな存在だったのだろうか。同じ年に嘉義農林の甲子園での活躍と嘉南ダムの完成が重なったとしているが、史実ではダムは前年の1930年だなどと、いくつか史実と異なる部分を指摘する声もあるが、史実を元にしたフィクションだ、と映画の冒頭でも断っているわけで、観客に感動を与えてわかりやすくする演出だと考えるべきだろう。台湾では甲子園決勝最後の打者が映画のように呉明捷ではなかった、と最後の選手の親族が抗議したとの話もあるらしい。爺さんの名誉を守りたい彼らの気持ちは理解できるが。こだわりすぎるとドキュメンタリーで無味乾燥になりがちだ。魏徳聖プロデューサーはその辺をかんがみ、映画だから興行的に成功させるためにはやむをえないのではないか、とストーリーを組み立てたのだろう。

とはいえ、映画では当初批判的だった新聞記者が決勝までの間に「嘉義びいきになってしまった」と語らせているが、本当は作家・菊池寛が観戦記に「僕はすっかり嘉義びいきになった。日本人、本島人、高砂族が同じ目的のため努力しているということが、涙ぐましい感じを起こさせる」と書いたという史実。実際にこの試合を通じて、当時の日本は「嘉農ブーム」が起きていたといい、その辺の騒動も本当のこと。映画の最後に、選手たちのその後を紹介しているが、エースで四番の呉明捷が早稲田に進学して通算7本塁打の当時の最高記録をうちたて、それが長嶋茂雄(立教大、8本)に塗り替えられるまで続いていた、というのもびっくりだ。長嶋茂雄の記録は田淵幸一(法政大、22本)が塗り替え、田淵の22本は高橋由伸(慶応大、23本)が更新したとのこと。

そもそも球場が広いのだろうが、バットやボールの質がよくなかったためなのか、映画でも本塁打は出ておらず、ダイレクトフェンスで係員が出てきて墨で場所に丸をつけ、サインをさせるぐらい。当時の日本の野球をかなり検証しているなあ、という感じがした。

また、もし日本映画なら選手たちはジャニーズの面々らが演じるのだろうが、細い彼らに比べて、今回の台湾の俳優たちの、いかにも野球をやってますという体格の良さと、投球やスイングなど野球のフォームが様になっているのも感心した。ボールの行方などは一部CGも使っているのだろうが。

本来なら日本で作るべき映画なのかもしれないが、このように台湾で作ったために見えてきたものもたくさんあった。魏徳聖監督恐るべし、だ。



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1 コメント

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Unknown (臺灣人)
2015-02-10 20:49:10
私は日本人です。私の廻りには、「臺灣人は嫌いだが 中國人は 没問題」と謂う變人が多いです。
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