Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

久しぶり小籠包

2010-09-19 23:03:32 | 歴代中国旅行



蟹の季節はまだかいな?
ずいぶん涼しくなってきたけど上海蟹が美味しくなるまでまだあるなあ。ということで、今はお預け。
それまでの「つなぎ」に南翔饅頭店。黒豚の小籠包と蟹味噌入り、季節の野菜のXO醤炒め、鶏肉の甘酢かけ、ビール一杯。
鶏肉の甘酢かけ(油淋鶏)の酢は、工業的に作られた酢みたいな味がした。店長に聞いたら、ブレンドして上海の酢のような味にした、というが、すっぱさが強すぎる気がした。

小籠包はそれなりに満足。食べ過ぎないように6個にとどめた。

ビールはもっと飲みたい理由があったんだけど、ま、いいや。

アバターな景色

2010-02-06 14:05:03 | 歴代中国旅行
こないだ酷評した映画「アバター」。本物の絶景はCGに勝る、とか豪語しちゃったので、“パンドラ星”や“ハレルヤ山”を彷彿させるような写真の一部を紹介する。


これらは中国内陸の湖南省の世界遺産「張家界」。張家界地区と武陵源地区と大きく2つに分かれ、ロープウェイや野外高層エレベーターで山の上に登り、ニョキニョキと隆起した岩山を見ることが出来る。当然、空中には浮いていない。

こんな絶景ポイントがいくつもあり、僕が行ったときは夏で、ロープウェイは1時間20分待ち。中国人民たちと一緒に行列を作って並ばされた。丸2日、登ったり降りたり、沢歩きをしたり、足が棒になるぐらい歩き回った。少数民族の土家(トゥーチャ)族が住む辺境の町。
アバターのように岩がアーチ状になっているところはもちろんないが、岩に大きな穴の中を通れる、天門山も近くにある。半日で観光できる。ロープウェイとバスを乗り継ぎ、心臓破りの石段をずーっと登っていくと、岩に大きな穴が空いているところまでたどり着ける。かつて、中国の冒険野郎が小型飛行機でこの穴をくぐりぬけたことがある。そのくらいの大きさ。

この滝は四川省北部にある世界遺産「九寨溝」。まるで入浴剤を入れたかのようなエメラルド色で透き通った池や、いくつもの滝で有名。こちらはチベット族の居住地区だったところ。九寨溝は滝だけでなく、いくつものや森やフラワーハイキングや、秋になると紅葉が信じられないぐらいきれい。九寨溝で2日、やや離れたところにある絶景ポイント・黄龍を1日観光するというのが普通のコース。

張家界も九寨溝もいまやすぐ近くに飛行場ができ、上海や北京など大都市から容易にアクセスできるようになっている。もはや秘境でもない。その代わり、神秘性は薄れてしまったかもしれないけれど。中国人の観光ブームでベストシーズンには観光客があふれ、うるさくて興ざめなところも少なくない。

アバター張家界騒ぎ

2010-01-29 21:54:56 | 歴代中国旅行

「タイタニック」を興行成績で抜いたという映画「アバター」。見てないんで内容については何とも言えないが、中国では大盛り上がり。全盤西化(全面的西洋化)を恐れる当局は、周潤発(チョウ・ユンファ)主演の“国策”映画「孔子」を上映するためにアバターの上映期間を切り上げたなどと報じられ、人民は怒っている。
で、アバターのスタッフは奇岩で有名な世界遺産、湖南省の張家界の写真を撮り、それを映画の山のCGの参考にしたとして、張家界村の幹部が、アバターのモデルとなった、もともと「南天一柱(乾坤柱)」と呼ばれていた山を「アバター・ハレルヤ山」と改名したという。さらにキャメロン監督を張家界の名誉村民にしようなどとの構想も持ち上がっている。
これに対して、ネット上で「西洋かぶれ」「中国伝統文化への冒涜だ」「金の亡者め」などと炎上しているという。

張家界は数年前に行った事がある。当時は、韓国テレビドラマの舞台になったとして、まわり中ほとんどが韓国からの観光客だった。土家(トゥーチャ)族が多く住む街で、観光地としては割と新しい。世界遺産の条件に合わない奇岩を登る高速のエレベーターを作って景観を損ねてしまい、ユネスコの視察の際には、それを大きな布で隠して事なきを得たという。
なんか、もともとマスコミを使って町おこしをしようとの考えが強い村なのかもしれない。

五台山が世界遺産

2009-06-27 21:14:46 | 歴代中国旅行

昨夏に訪れた山西省の仏教名山・五台山が中国で38番目の世界遺産に登録された。新華社によると、スペインのセビリアで26日に開かれたユネスコの第33回世界遺産委員会会議で世界文化遺産として批准を受けたという。これで中国では、文化遺産が27、自然遺産が7、文化と自然混合遺産が4となったという。

五台山は山西省忻州市にあり、4世紀から19世紀まで北魏、唐、宋、元、明、清朝の仏教建築と、仏教聖山としての独特の景観が見られる。チベット仏教寺院も結構多く、菩薩頂と呼ばれる一番高い位置にある寺は、今もチベット僧が修行している。マニ車も作られている。きらきら光った堂があるのは、顕通寺の銅殿。中国人は金色にキラキラ光るものが好きだから。赤い蓮の花を模した中に仏像が安置されているのは羅睺寺。白い大きな塔が目立つのは塔院寺。

世界遺産になる前に行っておいてよかったなあ。昨年訪れたときは、大型観光バスで訪れた信心深い中国人団体観光客が結構いたが、あまりまともなホテルもレストランもなかったような。チャーターしたタクシーの運転手が連れていってくれた安旅館はあまりきれいでなく、当初予定の2泊を1泊にして逃げ出した。参観時間もそれほどかからず、半日で移動してしまった。五台山は麓に、仏光寺と南禅寺という寺があり、小さいが中にはすばらしい仏像があった。この辺は世界遺産には含まれないのかなあ。参観客も僕等以外におらず、このような寺のほうが保存が必要だと思うけど。

山西省の近所の、といってもかなり離れているが、大同の雲崗石窟と平遥故城は世界遺産に登録済み。日本の遺跡の世界遺産登録はハードルが高そうだけど、中国の遺跡には大甘のような気がする。

中国麺いろいろ

2009-02-15 17:05:45 | 歴代中国旅行

中国の食べ物で最も日本人に馴染み深いものは麺だろう。とはいっても、ラーメンは中国にはない。拉麺は引っ張って伸ばす麺。中国には包丁で切る麺も、手でちぎって沸いた湯の中に放り込む麺もある。そもそも中国で麺というのは、細長いそば状のものではなく、材料に小麦粉を使った餃子や饅頭(マントウ)、焼売、焼餅など麺食の総称。米が材料だと米線(ミーシエン)とか、米粉(ミーフェン)と呼ばれる。一番上の写真は上海の沈大成の雪菜蹄膀湯麺(高菜と豚すね肉の煮込みスープ麺)。

新疆ウイグル自治区などにいるウイグル族は「ラグ麺」が大好物だ。練った小麦粉を寝かせておき、ひも状にしてから両端を持って引っ張ってはまな板に「バン」と音がするほどに強く叩きつけ、引っ張っては叩き、を繰り返してコシをだし、茹で上げた麺に羊肉とトマト、ピーマンなどを煮込んだソースをかけて食べる。「ウイグル族の男たちはこればかり食べてるから太るのよ」と現地の女性が話していた。


麺専門店ではなく普通の食堂で麺を食べたい、というと乾麺など市販の麺を茹でて持ってくる。青菜や目玉焼きが入ることが多い。中国ではやわらかめに茹でる傾向がある上、いわゆる日本のうどんと同じでかん水を使っていないので、油断しているとあっという間にスープを吸ってドロドロになる。スープがおいしければそこそこ食べられる。

焼きそばは雲南省の梅里雪山のふもとの街、徳欽で食べた。かなり油っぽかったが、味は良かった。

麺といえば山西省。左は王家大院前の大衆食堂で「地元の麺」と言って出された。かなり短くてポソポソしていた。右は平遥古城内の食堂で出された「クーローロー」と呼ばれる地元の麺。黒酢やミートソースのようなタレをつけて食べる。

左は、前も載せたチャンポンにそっくりな福建麺。右は謝晋監督映画「芙蓉鎮」のロケ現場となった湖南省の街で。今は映画と同じ「芙蓉鎮」と街の名前を変えて観光地化されている。映画で主人公が作っていた「米豆腐」と称して売っていたものだが、見た目は映画のものとまったく違う。味はすいとんみたいだった。

担々麺は僕が留学した25年前には、四川省成都市に「正宗(本家本元)担々麺」「成都担々麺」が2軒並んで建っていたが、いまはもうない。天秤棒で麺と具材をつるして担いで歩き回ったことから、「担々麺」となったらしい。スープも具もなく貧弱な麺なので、地元・成都でもほとんど廃れたようだ。スープ麺を出すところも出てきている=写真左。台北郊外の士林の屋台で食べた担仔麺(は右)。台南の度小月のものが元祖。一番有名でうまい。

武漢で食べた熱干麺を追加した。蔡林記という地元の有名店だと聞いて食べに行った。武漢の名物らしい。食べたものは芝麻醤(ジーマージアン)がかかっていた。ま、普通の味。知り合いの武漢人に見せたら、「キャー」と声を上げて懐かしがっていた。

06年1月21日杭州

2009-01-27 10:37:41 | 歴代中国旅行

小泉純一郎の靖国神社参拝でもめた中、日中の死生観の違いを表した岳飛墓廟を見たいと、杭州を日帰り観光した。上海の中山北路のバスターミナルから朝6時50分の高速バスで杭州へ。64元。10時ごろに到着。


まず霊隠寺に行く。門をくぐると、元代の石仏が岩にたくさん彫られている。もともと2000年の歴史があるが、現在の建物は主に清朝以降に作られたものだという。それでもかなりの規模だ。日本との友好の証で、日本側が贈った空海の銅像がある。空海もこの寺に寄ったらしい。

寺を出るとすぐ前にある天外天菜館という老舗の食堂で昼食。名物は叫化童鶏(乞食鶏)、龍井蝦仁(海老の龍井茶炒め)、西湖醋魚(淡水魚の黒酢煮)。特に龍井蝦仁はこの店が発祥らしい。叫化鶏が抜群にうまい。鶏1羽に香辛料を加え、蓮の葉でくるみ、それを泥で固め蒸し焼きにする。肉がやわらかく、骨からぽろっと取れる。魚は黒酢の風味が結構強い。甘めの味。

いよいよ岳飛墓廟へ。南宋の軍人、英雄にして文人・岳飛の墓だ。北方の女真族の金と徹底抗戦を主張し、和睦派の秦檜によって謀反の濡れ衣を着せられ獄死したとされる。諸外国に虐げられた歴史を持つ中国にとって、抗戦を主張した岳飛は、その実現性の有無はともかく、英雄の誉れ高い。

一方現実派で金と和睦を結んだ秦檜は漢奸(裏切り者)として、死後も中国人から罵倒され続ける。岳飛の墓の手前には、秦檜と妻らが半裸で後手に縛られ、ひざまづいた像が置かれている。中国人はこれに唾を吐き、今でも罵倒するという。像の上に「文明的に観光を。唾をはくのはやめましょう」と看板がある。秦檜の頭の部分は修理の跡がある。石でもぶつけられたのだろう。
日本人は悪いやつでも死んだら仏になるが、中国人は死んでもその罪は昇華しない、と死生観を紹介するときに取り上げられた。東条英機らA級戦犯合祀を、死んだら仏だ、と言い訳することを中国側が理解できないのはこの死生観のためだ、ということだ。

岳飛墓廟には、岳飛の筆による出師表(すいしのひょう)の拓石がある。優れた書道家でもあった岳飛が、三国志の名宰相・諸葛亮孔明の名文中の名文といわれる出師表を、見事な筆致であらわした名作。岳飛が成都の武侯祠(劉備の墓)を訪れたとき、写し取ったものとされる。
出師表は前後あり、前出師表は、劉備死後、帝位についた息子の劉禅に対し、魏との戦いに赴く孔明が国の治め方を説くもの。「臣亮言先帝創業未半而中道…」と続く。=あなたの臣下・亮が申し上げます。先帝(劉備のこと)は志半ばで亡くなり、いまや天下三分(魏・呉・蜀)されたものの益州(四川盆地=蜀のこと)は疲弊しきっております=のような意味。このあと、劉備の恩によって重用されたことを感謝し、人材を大事にするように説く。
後水師の表は偽物とされている。蜀はとどまらず魏を打つべきだ、との内容。

六和塔は北宋時代に立てられ何度も改修されたもの。見下ろす川は銭塘江。1年に一度、潮の加減で川の水が勢いよく逆流することで有名だ。この塔は川の流れを治めるために建てられ、明かりを灯し灯台のような役割もあったという。
帰りのバスは63元。なぜか行きより1元安い。

05年5月2-6日紹興

2009-01-26 03:30:36 | 歴代中国旅行

05年のGW休みを利用して、紹興酒の名前の由来となった浙江省紹興へ行った。
紹興酒はともかく、紀元前の春秋戦国時代の越国の都・会稽だ。臥薪嘗胆の由来となった越王勾践が治めていた。水路の町、歴史の街、酒の町だ。いい雰囲気の古い路地もあって、昔の中国をほうふつとさせる。
中山北路の長距離バスターミナルから高速バスに乗った。約3時間で到着。
文豪・魯迅や中国で最も敬愛されている周恩来総理の故郷でもある。

まずは周恩来の故居。


何はともあれ紹興酒を、と魯迅の小説「孔乙己」の舞台となった「咸亨酒店」を再現した食堂に行く。プリペイド式のカードを購入、紹興酒と東坡肉、臭豆腐をたのむ。酒はドロっとした感じでかなり甘め。台湾のサラサラ系の黄酒とはずいぶん違う。東坡肉はかなり歯ごたえがある。これも甘めだがうまい。臭豆腐は発酵させた豆腐を油で揚げたもので、香港などでは路上で揚げていれば数十㍍先からでも匂いというか悪臭で分かるほどだが、ここでは匂わなかった。厚揚げのようでお腹もいっぱいになる。

魯迅記念館は魯迅の故居や学んだ私塾、植物園などさまざまな施設が公開されている。中国人の魯迅への敬愛のほどが分かる。記念館を出ると、銅鑼や笛の音とともに、嫁入り行列がやってきた。観光用のお芝居だ。
このほか王羲之の故居とか、中国女性革命家で日本留学経験もある秋瑾の家など、この地が中国の古代から近現代まで、本当に文化の発祥地であることが分かる。

越王台は、越王勾践にちなんで後世の人が南宋時代に作ったとされる。「臥薪嘗胆」がある意味抗日のスローガンともなるため越王殿では、1939年3月に、周恩来が抗日演説をした場所としても知られているという。中には「臥薪嘗胆」中の勾践の絵が描かれている。なんか変。

紹興酒もたくさん売られているが、いま飛行機は100㍉㍑以上の液体の持込が禁止されているで、買うのを我慢する。「リーズナブルでおいしいのは?」と聞くと「女児紅」だという。僕が愛飲している銘柄だ。日本でも買える。なーんだ。

「八字橋」は紹興で最古の石橋で、建造は南宋時代の1256年とのこと。三本の川の合流点に架かり、東西南北の4方向から上がることができる唯一の橋で「四面橋」とも呼ばれてるという。
ということで2泊して上海に戻った。

06年夏九寨溝黄龍四姑娘山(5止)

2009-01-25 04:31:12 | 歴代中国旅行

早朝、四姑娘山を望む双橋溝、長坪溝、海子溝の3ルートのうち、ホテルから一番近く、手軽に行ける海子溝(上の写真の手前の丘。3100~3500㍍)を歩く。入り口ほどのものもなく、看板があるだけで誰もいない。勝手に上がっていくと、入り口前の店のおばちゃんが騒ぐ。ここで入場料を払うようだ。70元。なんども切り替えしながら、坂を上っていく。途中に馬がつながれている。背後の山の陰から四姑娘山が現れ始めた。
坂を上りきると、小高い丘のようなところに。「斉戒坪 海抜3440㍍ 鍋荘坪まで2㌔」と石に書かれている。鍋荘坪の第一仏塔(上の写真では三姑娘山の真下あたりに見える白い塔)を目指し片道約2㌔をフラワートレッキング。


僕らのほかに観光客はいない。その先まで進んでいくと、朝山坪の仏塔があり、四姑娘山(6250㍍)、三姑娘山(5664㍍)、二姑娘山(5454㍍)、大姑娘山(5355㍍)の四つの嶺の一番右、大姑娘山への登山道に続くらしい。それなりの装備をしなければ登れない。

いろいろな高山植物が咲いている。ただ、希少なブルーポピーはもう季節が終わってしまったようだ。残念。次は初夏に来よう。
エーデルワイスがたくさん咲いている(下の写真)。もうちょっと可憐な花を想像していたが、白く綿毛のようなものが生えているのは花びらではなく葉だそうで、花は真ん中の黄色い部分。

トイレは環境に配慮して、水で流すのではなくビニールが次々と繰り出されて排泄物が奥に取り込まれていく構造のもの。中国、すごいじゃん。鍋荘坪の第一仏塔まで何とかたどり着いた。チベット仏教お決まりのタルチョがたなびく。ここまでで来たルートを引き返し、曽さんの車で成都へ。

昼食は途中の小さな食堂で。回鍋肉(写真)、ジャガイモの千切り炒め、青椒肉糸と麺を食べる。中国で回鍋肉というと、キャベツではなく、ニンニクの葉などと煮豚とか豚肉の燻製の薄切りを炒めたもの。味噌味でもない。うまい。日本では、陳健一の父、健民が、キャベツを使ってアレンジしたのが普及したのでは。

途中、臥龍大熊猫保護区や世界遺産の都江堰はパス。この辺は地震被害で大変だったところだ。高速道路が整備されていて、夕方に成都に到着し、夜はホテルで聞いた店で火鍋を食べる。田ウナギがうまかった。ホテルの対面には伊藤洋華堂(イトーヨーカ堂)。セブンアンドアイになってしまった今では懐かしい昔のロゴが屋上に輝き、品揃えも豊富。留学当時、この店があったら何も困らなかったのに。お茶を試飲したら安くておいしかったので買った。
今回はほとんど富士山ぐらいの高さ。それでも中国では緑がある。日本より森林限界は高い位置なのかもしれない。

06年夏九寨溝黄龍四姑娘山(4)

2009-01-24 16:14:25 | 歴代中国旅行

朝、九寨溝のホテルにドライバーの曽さんに迎えに来てもらい、黄龍へ。4000㍍級の峠越えがあり、山は霧に包まれる。
到着後、昼食用のアルファ化米にお湯をいれる。食堂施設がない黄龍で、登りきったところで昼食にしようとの作戦。だがチケット売り場のパソコンがハングアップ。1時間近く発券ができず、無為な時間を過ごす。こういうときに中国人のせっかちさがクローズアップされるね。怒鳴っても責任者を連れてきてもパソコンが直らなければどうしようもないのに。

無事発券(200元)されスタート、5㌔で500㍍ぐらい登る過酷なコースで、頂上は富士山と同じくらいの高さ。籠屋もたくさん待機。この夏は雨が少なく、一部の道は閉じられていた。空港から九寨溝でなく、先にこちらに来た日本人ツアーは高山病に苦しんでいる。一応我々は、やや高度の低い九寨溝に先に行って数日過ごしているので、ある程度高地順応できているようだ。
それでも酸素を吸いながら、休憩を入れながらゆっくり登っていく。

黄龍古寺は、マニ車があったから一応チベット仏教寺院なんだな。この辺でそうとうゼーゼーハーハー。もうちょっとで五彩池だ。

香格里拉の白水台を見ているから、と思ったけど水の色はこっちのほうが青くてきれい。この世のものとは思えない絶景だ。ただ頭もそうとうクラクラ。お弁当もおいしく食べた。戻る道は黄龍の名前の由来になった金沙鋪地を脇に見ながら。この黄色く細長く続く岩肌に水が流れ落ちていくさまが龍に見えるということで、黄龍と呼ばれるようになったという。ただ、流れる水が少なく、雰囲気はいまいちかな。母親は白髪が目立つらしく、周りの中国人からしばしば話しかけられ、「何歳だ?」「その歳ですごい」と賞賛されながら黄龍を歩ききった。

黄龍をあとにして、紅軍の長征経由地や松潘を通り、9時過ぎ、やっと中間地点の茂県のホテルへ。直接成都まで車で1日でいけないため、この辺で宿泊するのが普通らしい。松潘は638年、吐番が唐の姫を嫁によこせ、と唐と戦争した場所で、641年、吐番の初代王、ソンツェンガンポに嫁入りする際、唐の文成公主(皇女)がこの地を通り、先の戦争を嘆いたとのこと。チベット民族と漢民族の融和の象徴として使われているみたいだ。

翌日は工事中のガタガタ道から4500㍍の巴郎山の峠を越え、四姑娘山のふもとの日隆鎮まで移動。巴郎山は絶景。向こうに見える尖がった山が四姑娘山だと誤解。本当はもっと右側の山の陰。ハイブリッド車のトヨタ・プリウスやハイブリッド・エスティマ(たぶん)が4台連なり、この辺をグルグル走っているのを目撃。中国進出を前に、高地対応できるかテスト走行してたのでは。

06年夏九寨溝黄龍四姑娘山(3)

2009-01-24 14:49:49 | 歴代中国旅行

九寨溝2日目はあいにくの雨。ホテルで待機するがあがる気配なし。小雨になったところで出発。フードをかぶり、ホテルの備品のシャワーキャップでカメラを雨から守る。なかなか具合がいい。
前日の老虎海や犀牛海を反対側から見る。雨が霧のようになってマイナスイオンいっぱいだ。山や木が湖に映りこんで、幻想的だ。



観光センターでバスに乗り、日則溝側から五花海、珍珠灘、鏡海方面をフラワーハイキングだ。雨もほとんどやんできた。珍珠灘瀑布は滝の脇を降りていく。水が細かく散らばり霧のようになっている。

歩き続けて、へばり気味。何とかがんばって諾日朗瀑布にたどり着く。でかい。この日の昼食は持ってきたビスケットやフルーツをバス待ちの間に食べる。

火花海わきを歩いて降りていく。湖に龍の模様が映りこんだ臥龍海、盆景灘を眺めながら、帰りのバスに乗った。
もはや「秘境」とはいえないな。中国人だらけ。あげくにチベット族の作業員に「いくら給料もらってるの」とか聞いてる奴もいる。外国人だけでなくて、自国民に対しても金のことしか聞けないのかね、こいつらは。すべての価値観は金なんだろうな。卑しいね。
25年前の留学中に、外事弁公室の先生たちから「九寨溝に行かないか」って誘われたっけ。「どこそれ?」「すごいきれいなのよ。ヘリコプターに乗って行く」とか言ってた。この頃行ってたら本当の「秘境」を堪能できたんだろうな。あの時行っとけばよかったかな。ちょっと後悔。

06年夏九寨溝黄龍四姑娘山(2)

2009-01-24 14:08:47 | 歴代中国旅行

九寨溝入り口までタクシーで数分、チケットを買う。入場料2日有効170元に環境バス券90元分。翌日も不正なく使えるようにデジカメ写真をチケットに印刷する。一人ずつ撮影するのかと思ったら、「お前ら一緒か?」「うん」。パチっ。3人集合写真。ある意味記念になった。

バスは緑色の環境保護車。とりあえず乗る。天気には恵まれた。乗り換え地点でバスがなかなか来ないので、歩いていけるところをまず見ることにする。

樹正瀑布。水も音も、中国人の記念撮影の行列もすごい。老虎海から犀牛海。湖は透けて、中に沈む丸太まで見える。チベット仏教のマニ車が水流で回るようになっている。
とりあえず次のバスに乗れた。則査窪溝に行った。終点は長海。標高3103㍍地点にある、長さ4.5㌔、平均幅200㍍の九寨溝最大の湖=(1)の1枚目写真参照。空気の薄さをかなり実感。湖のふちまで歩いて降りることができ、階段の上り下りで息が苦しい。

続いて山道を歩き、水が青緑色に輝く五彩池。人だらけだ。確かにすごいきれい。
バスでターミナルの観光センターまで行き、レストランで昼食。バイキング方式ですごい混んでいる。

続いて日則溝側にのぼり、箭竹海。張芸謀監督作品「英雄」の撮影現場だ。ジェット・リーとトニー・レオンが湖の上を飛びながら戦うシーンだ。映画で見られた小屋は撮影用とのことで、ない。
熊猫海、スワン海などをハイキング。熊猫海では魚がたくさん泳いでいるのが見える=一番上の写真。ウロコが退化してなくなった、九寨溝固有種だという。

06年夏九寨溝黄龍四姑娘山(1)

2009-01-24 13:22:05 | 歴代中国旅行

06年の夏休みは、3人で中国最後の秘境といわれる九寨溝から黄龍、さらに車で四川省を南下しながら四姑娘山(すーくーにゃんしゃん)を見た。北京五輪を前に、観光地整備を進めるべく道路工事があちこちで行われていた。08年5月に発生した四川大地震の被災地と重なる場所も少なくなく、今から思うと、被害に遭う前の街を見ることができたとはいえ、複雑な感じだ。

移動は、マイルの特典を利用して午前福岡発の便で上海浦東へ、前日上海入りの母弟と浦東空港で合流し、成都経由でその日のうちに九寨・黄龍空港に到着。タクシーでホテルへ。と、ここまで自力で。九寨溝観光を終えて、黄龍への移動から、車をチャーターしてホテルに迎えに来てもらい、中間地点・茂県に一泊しつつ、四姑娘山、成都と回る。車とホテルは成都光大国際旅行社(028-68228797)とメールでやり取りして手配してもらう。車代は1300元×3日=3900元。成都空港で待っていた旅行社の人にホテル代も含めて代金を支払う。

九寨溝の空港に着き、タラップを降りると、ありゃ、なんか胸が……。空港内に医務室がある。「ここの高度は?」「3300メートル」。酸素ボンベがある。「それ、売り物ですか」「もちろん」。一本30元。迷わず買う。

ホテルは、
九寨溝賓館(3星)      :九寨溝鎮 0837-7734847 一泊360元
茂県国際大酒店(準4星)  :茂県鳳儀鎮 0837-7427999   280元
四姑娘山国際大酒店(4星):小金県日隆鎮 0837-2791999   320元
天友国際酒店(3星):成都市二環路西一段 028-85066666   320元

日程:
8月 福岡 上海浦東 MU532  1000-1030
25日 上海浦東 成都 MU5405 1225-1520
   成都 九寨黄龍 3U8613 1750-1830
   九寨溝賓館着
26日 九寨溝観光。九寨溝賓館泊
27日 九寨溝観光。九寨溝賓館泊
28日 早朝、専用車で黄龍へ移動、観光。終了後移動、茂県国際大酒店
29日 四姑娘山へ移動。途中、巴郎山を経由し新四姑娘山荘
30日 四姑娘山観光。成都へ車で移動、成都天友国際酒店
31日 成都 上海浦東 MU5402 0900 1135
    上海浦東 福岡 MU531  1800 2040

02年夏、チベット(3止)

2009-01-20 05:28:09 | 歴代中国旅行


いよいよ念願のポタラ宮。朝一番で工事中ということで裏側から入る。赤いところが政務所で白い部分が住居だという。中には歴代ダライ・ラマの棺や玉座、仏像で迷路のようになっている。白い壁はギリシャかどこかの海岸沿いの住宅のような錯覚さえする。正面は広場のようになっているが、かつては門前町のように住宅が密集していて、最もチベットらしい雰囲気のある場所だったらしいが、中国がお構いなしに開発したらしい。

午後からは大昭寺(ジョカン)へ。 ソンツァンガンポが唐の文成王女を嫁に迎えるため建立させたもの。たくさんの信者が五体投地している。

八廓街はゴミゴミっといい雰囲気の下町。仏具やそのほかいろいろな店がある。

細い道を進むと黄色い壁と鉢植えの花が可愛らしい尼僧院のアニ・ツァングン寺。尼さんたちが内職に読経に忙しい。

チベット最終日は、標高4853㍍の地にあるヤムドク湖。エメラルドのようにきれいな湖面と、透き通るような青い空が印象的だ。

夜はチベット料理の店へ。チベットの踊りも演じられている。バター茶は濃いミルクティーのような感じ。やや塩味。料理は「モモ」というヤク肉の蒸し餃子以外はちょっと勘弁。炒った小麦粉を水やバターで練って固めた「ツァンパ」はもうパス。
途中でモスクを見た。チベット仏教ばっかりだと思ったら、イスラム教徒はどこにでもいるんだね。

翌日は成都へ。飛行機が1時間以上遅れた。三星堆遺跡の博物館へ行く。市内から結構遠い。すごい。見に来てよかった。黄金仮面は漢民族の文化とまったく異質だ。そのあと武侯祠に行く。夜は当然、火鍋。本場は辛くておいしいね。

02年夏、チベット(2)

2009-01-20 05:16:11 | 歴代中国旅行

翌日は、沢当から車で移動しながら桑耶(サムイエ)寺へ。チベット初の僧院だという。川を渡るのかと思ったら、ちょっとした流れを渡るだけだった。途中、羊の大群に遭遇。

桑耶寺は仏塔の目のようなものが特徴的だった。車が故障し長居させられる。屋根の上で若い僧がラッパを吹き始めた。今ならビデオがあるから音も入れられたのになあ。

悪路を揺られ続け敏珠林(ミンドリン)寺へ。外側は汚い感じだった。庶民や僧が集っている寺のようだった。ラサ到着。
観光3日目は、ラサの哲蚌(デブン)寺から。ショトゥン祭のときに巨大なタンカがかけられる岩があるところだ。文化大革命中に相当な弾圧を受けたようで、紅衛兵が書いた政治スローガンが消されずに残されている。仏像は美しい。


ノルブリンカは夏の離宮といわれ、1959年3月14日、人民解放軍がチベット侵攻した際、ダライ・ラマ14世が亡命する直前までいたところ。内部の柱時計は午前9時で止まっている。ダライ・ラマ14世が宮殿を出た時刻だという。

午後からは色拉(セラ)寺。修行する若手の僧たちがチベット仏教の教義について問答しあうことで有名だ。ビデオがあったらもっと面白かった。

時間が余ったから行ってみるか、ぐらいで行った蔵医院は面白かった。ガイドは通訳を拒否したが、薬草の産地や効能などを説明する女性が可愛くて活発で、説明を通訳させられる羽目になった。チベット医学は脈を診て病気を診断するので母がやってもらう。中国語と弟の英語が飛び交い、大騒ぎ。薬草茶を購入。写真はチベット医学開祖で「四部医典」をまとめたユトク・グンポの像。

02年夏、チベット(1)

2009-01-20 05:10:09 | 歴代中国旅行

02年の夏休みはチベットへ。当時福岡から成都へは直行便があった。中国国際旅行社(CITS)福岡支社にお任せで、車で回る。運転手もガイドもいまいちだった。

2日朝6時発の一番便で成都から拉薩(ラサ)へ。車でラサよりは高度の低い沢当(ツェタン)で負担軽減を考えた。チベット最古の宮殿・雍布拉康(ヨンブラカン)からスタート。「高山病の影響なさそうだ」と調子こいていたら、母親の指に刺さった棘と抜こうと息をつめてフラフラする。気がついたら唇は真っ青。気も遠くなるような感じ。酸素を吸って事なきを得た。危ない。

昌珠(タントク)寺はチベットを統一した吐番王朝の初代ソンツァンガンポ創建のチベット最古の寺院。真珠で作られた仏陀のタンカ(仏画)がある。

日程:
8月26日CA916福岡1540成都1950
  27日SZ4401成都0600ラサ0750 車で沢当(ツェタン)へ
  28日車で沢当からラサへ
  ~31日ラサ飯店泊
9月1日SZ4402ラサ0930成都1115
  2日CA915成都09001455