参観最終日は撫順に行く。目的はもちろん、戦犯収容所だ。シベリア抑留から戻された日本の戦犯とともに、満州国執政にして清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀と弟の溥傑も収容されていた。
ホテルは2日目からは瀋陽北駅近くの「東横イン」(瀋陽東陽閣飯店)=今は閉鎖=に移動。コインランドリーがあったり朝食にみそ汁がついたりと実に快適。
ホテルの裏側に長距離バスの乗り場があって、即スタート。40分ほどで炭坑の街・撫順駅前着。この駅舎も日本人の手によるものだ。
早速、タクシーで撫順戦犯収容所に行く。隣は今も監獄のようで、監視塔がある。当時収容されて教育を受けた旧日本兵たちは、今もここを訪れて交流しているようで、彼らの資料や手記がたくさんある。
溥儀はかなり模範囚だったようで、床屋の修行などをしていたという。妻の婉容が訪ねてきたときに泊まった部屋があり一緒に過ごしたとみられ、待遇は良かったようだ。
ここの部屋は10人程度が一緒に暮らし、オンドルの上に薄い布団を敷いて寝る。ホーローの食器や、部屋の角のプライバシーなしのトイレなど、監獄なんだなあと実感する。
大きな会議室には、映画を見るための映写機もセットされている。最後に出所する際に、ここで集会が行われたと解説がある。集合写真や周恩来の写真も貼られている。
続いて、すぐそばの高爾山という山の上に塔があったので行ってみる。北遼時代のもののようで、かなりよい。日露戦争のときはこの辺まで来たとの説明がある。
続いて、露天掘りで有名な炭坑のそばまで行ってみる。蒸気機関車があちこち走っている。大きなアリ地獄のようだ。
平頂山虐殺事件の跡地が紀念館になっているとのことで行ったが閉館中。
昼食は「狗肉」の看板があちこちにあったが、母親が犬肉を拒否したため、朝鮮族が多いこともあって普通の焼き肉に挑戦。それなりにおいしかった。主食として母親は「薄味湯麵」、僕は「辛湯麵」と頼んだら、母親にはおいしそうなうどんが来たのに対して、僕のは単なる韓国の辛ラーメンに卵を入れたものが来た。中国まで行って辛ラーメンを食べてもなあ、とへこんだ。
帰りも駅前からバスに乗って瀋陽の大きなスーパー前を通ったので下車、お土産のお菓子を買う。