Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

ザ・グレート・ウォール(長城)見ました

2017-05-06 17:57:33 | 映画鑑賞


中国の張芸謀監督の中国米国合作映画「ザ・グレート・ウォール(長城)」を見た。4DXという椅子が揺れたり風が耳元に吹いたり背中に熱気があたったりと、テーマパークの出し物のような効果を付加したちょっと料金が高いやつで見た。

人工衛星から見える唯一の建造物・万里の長城が作られた理由が、従来言われている北方騎馬民族の漢民族居住地区への侵入を食い止めるためのもの、ではなく、60年に一度現れて全てを食い尽くす化け物「饕餮(とうてつ)」をくい止めるためだというのだ。

この辺からネタバレです。

ルネサンス期の世界三大発明(火薬・羅針盤・活版印刷術)はいずれも中国で発明されたものだが、その火薬の爆発力を手に入れようと、ヨーロッパからシルクロードを経て中国に潜入、その秘密を持ち帰ろうとしていた傭兵ウィリアム(マット・デイモン)とトバールが、偶然の戦闘で饕餮の腕を切り落としたことから、捕らわれた中国の防衛隊の中で、饕餮の力をそぐ秘密を解明し、一緒に戦うことになる。

都が汴京(いまの河南省開封)というから、梁あたりの時代設定だろうか。そもそも北方の女真族、金の侵略を受け、北部をほぼ占領された時期だ。

この饕餮が、中国の腐敗汚職官僚を象徴しているとして、映画のストーリーを、汚職官僚を壊滅させるべく王岐山を使って奮闘している習近平政権を示しているという説があるらしいが、ま、たぶん違うと思う。いまや張芸謀は徹底的な体制派映画監督と見ていいと思うが、そこまでヨイショしたストーリーではないと思う。

かえって、饕餮という恐ろしい怪物、本当にゴジラ映画とかを見慣れている日本の我々にとっては、あまりイマジネーションの沸かないつまんない怪物のデザインで、これが張芸謀の、あるいは現代中国人の少数民族観なのだ、とするとうがちすぎだろうか。
チベットしかり新疆ウイグルしかり、中国共産党政権にとって、少数民族問題は目の上のタンコブで、おそらく万里の長城を作った秦以降明までの中国人は異民族を饕餮のような感覚で見ていたのだろう、と想像してしまう。

で、それを結局、中国のきれいな女優(景甜)演じる司令官と良い関係になったマット・デイモン、つまり白人の男性が中国の危機を救う、というストーリーが、良いのか悪いのか、米中合作映画ゆえのストーリーなのかも知れないが、愛国映画にはなっていない。

中国の汚職官僚を白人男性にやっつけてもらう、というのなら、愛国ではないだろう。それこそ、かつて胡錦濤派の大番頭で失脚した令計画・元党中央弁公庁主任の弟で米国に亡命申請したとされる令完成が米国政府に持ち込んだとされる中国共産党のトップシークレット、習近平の醜聞などもあるとされる情報をもとに、中国官僚主義の腐敗を米国が解決する、といううがった見方にはならないだろうし、そんなことをしたら映画も上映できない、張芸謀もただではすまない。

軍隊を攻撃や防御の種類に応じてコスチュームを色分けするのは張芸謀映画の定番。もはや珍しくもなく、手の内見たり、という感じで、戦闘シーンも金かければ出来るでしょ、っとCG満載。司令官とマット・デイモンが「信任」という言葉をキーワードにしているが、それがないのが今の社会でしょ、と言う程度で、メッセージが伝わるほどでもない。

もうちょっと簡単に、できの悪い怪獣モノ、強いて言えば異民族に対する今も存在する見方、を反映しているのではないかと思ってしまう。映画があまりヒットしなかった、というかコケたというのも理解できる。

シン・ゴジラみた

2016-08-03 17:12:00 | 映画鑑賞


シン・ゴジラ見てきた。ネタばれになるのでご注意ですが、総監督がエヴァンゲリオンの庵野秀明ということで、ゴジラはまるで人類未知の敵、使徒のようなもので、人類が科学力でそれに立ち向かう、という部分はエヴァと同じ。日本政府が全国力、全精力を傾けて血液凝固剤を作り、それでゴジラを退治する。

エヴァンゲリオンのテレビ版にあった、日本全部の電力を使ってポジトロンライフルをエヴァ仕様に変えて使徒をしとめる回と、話の構成は同じでは、と感じた。もちろん、日本だけでなくアメリカをはじめ安保理が関係してくるのだが、官僚だと思ったのだが、実は一介の政治家が長谷川博己みたいにかっこよく専門知識を駆使して立ち回れるかなあ?とも思った。石原さとみの英語も、がんばってはいるけど、米国人だとすると、ちょっとネイティブっぽさはかけているなあ。

台湾映画「KANO」見ました

2015-02-05 09:14:21 | 映画鑑賞
またまた、台湾で大ヒットを記録した映画「KANO」が台湾から遅れること1年、やっと日本で封切られたので見に行った。
本当に台湾人は日本が好きなんだな、と手放しで喜んでいいのだろうか、というほど、日本を近しく表現している。というか、映画のほとんどが日本語で、残りは台湾語、原住民の言葉、客家語も入っていたそうだ。国民党と蒋介石が大陸から台湾に持ち込み強制した共通中国語、いわゆる国語は出てこない。日本映画か、と思うほどだ。台湾でも字幕だったとは思うが。台湾の台湾化、が現実的だと一目でわかる映画だ。一緒に見に行った大陸中国人は、とりたてて統一派というわけではないが、台湾人の日本へのシンパシーを実感したようで、香港と英国の関係も例に挙げ、やはり大陸中国人とはアイデンティティーが違う、と認識したようだった。



と、理屈っぽいことはさておき、上映時間185分、まさか途中で休憩がはいるだろうと思ったが、それもなく、とはいえ、3時間、中座も退屈もすることなく、一気に見終えることができた。
嘉義農林学校野球部監督の近藤兵太郎に永瀬正敏、妻に坂井真紀、台湾の教科書にも載っている嘉南大圳(だいしゅう=ダム)を設計した八田與一技師に大沢たかおを配するなど、魏徳聖監督(今回はプロデュース)が日本植民地時代を描いた過去2作「海角七号」「セデック・バレ」の成功を経て、日本人俳優も一流どころを存分に使っている。監督はセデック・バレでは俳優として中心的な人物を演じたセデック族の馬志翔。KANOが初監督作品だそうで、事前には大丈夫か、と思っていたが、テレビドラマの監督は数本経験しており、魏徳聖らが手伝うのだろうから、ということだろう。
宣伝などでも触れられているが、嘉義農林が日本、中国人、原住民の混成チームであることを、町の有力者(呉明捷の息子が演じているらしい)や、甲子園に出場してからは意地の悪い記者から指摘され、近藤監督が「日本人は守備がよい、中国人は打撃がよい、蛮人(原住民)は足が速い。理想的なチーム構成だ」と気色ばむシーンが見られるが、これは日本を含めているのかいないのか、現代の台湾でも本省人や原住民がある意味不平等に扱われていることに対する抵抗なのかもしれない。また、日本人はかつて平等に扱ってくれた人もいたぞ、という連帯意識なのかもしれない。それで台湾で大ヒットしたのではないか。八田與一も台湾人とも分け隔てなく付き合い、洪水や旱魃のない農地がいまも維持できているダムを作り、変わらず機能していることに対する近代日本の文明力、科学力への感謝と尊敬の気持ちも加わり、今につながる台湾の状況を垣間見られる部分だと思う。中国大陸では植民地根性と批判の対象にこそなれ、台湾人のこのような心情を理解することはないだろう。

この辺から映画の内容に触れてるので、ネタバレ注意です。映画を楽しみたい方は読まないでください。

前半は、試合で1勝もできないダメダメ野球チームが、日本人の鬼監督のスパルタ指導のもと、ぐんぐん実力をつけ台湾島内予選を勝ち進む、という、ありがちなスポ根ドラマに、可憐な少女がお見合いで医者に嫁ぎ、少年のもとを去っていく、という淡い色恋もちりばめている、魏徳聖、というか台湾で万人受けする、あざといほどにわかりやすい構成は、過去2作品と同じ。後半は、甲子園に出場して破竹の快進撃で決勝に進出、指を怪我しながらエースで4番の呉明捷投手が一人で試合を抱え込もうとすると、チームメートから励まされ、チームが一つにまとまる、というベタな展開。血染めのボール、も日本でも何度も描かれてきたストーリーだ。果たして史実だったのだろうか。見に行った映画館は高齢者も少なくなかったが、わかっていても涙腺が緩む構成のようで、観客席のあちこちで鼻をすする音もした。

映画では、当時から子供たちまでも「八田先生」と敬意と親しみをこめて呼びかけるなど、街では誰もが知っている、そんな存在だったのだろうか。同じ年に嘉義農林の甲子園での活躍と嘉南ダムの完成が重なったとしているが、史実ではダムは前年の1930年だなどと、いくつか史実と異なる部分を指摘する声もあるが、史実を元にしたフィクションだ、と映画の冒頭でも断っているわけで、観客に感動を与えてわかりやすくする演出だと考えるべきだろう。台湾では甲子園決勝最後の打者が映画のように呉明捷ではなかった、と最後の選手の親族が抗議したとの話もあるらしい。爺さんの名誉を守りたい彼らの気持ちは理解できるが。こだわりすぎるとドキュメンタリーで無味乾燥になりがちだ。魏徳聖プロデューサーはその辺をかんがみ、映画だから興行的に成功させるためにはやむをえないのではないか、とストーリーを組み立てたのだろう。

とはいえ、映画では当初批判的だった新聞記者が決勝までの間に「嘉義びいきになってしまった」と語らせているが、本当は作家・菊池寛が観戦記に「僕はすっかり嘉義びいきになった。日本人、本島人、高砂族が同じ目的のため努力しているということが、涙ぐましい感じを起こさせる」と書いたという史実。実際にこの試合を通じて、当時の日本は「嘉農ブーム」が起きていたといい、その辺の騒動も本当のこと。映画の最後に、選手たちのその後を紹介しているが、エースで四番の呉明捷が早稲田に進学して通算7本塁打の当時の最高記録をうちたて、それが長嶋茂雄(立教大、8本)に塗り替えられるまで続いていた、というのもびっくりだ。長嶋茂雄の記録は田淵幸一(法政大、22本)が塗り替え、田淵の22本は高橋由伸(慶応大、23本)が更新したとのこと。

そもそも球場が広いのだろうが、バットやボールの質がよくなかったためなのか、映画でも本塁打は出ておらず、ダイレクトフェンスで係員が出てきて墨で場所に丸をつけ、サインをさせるぐらい。当時の日本の野球をかなり検証しているなあ、という感じがした。

また、もし日本映画なら選手たちはジャニーズの面々らが演じるのだろうが、細い彼らに比べて、今回の台湾の俳優たちの、いかにも野球をやってますという体格の良さと、投球やスイングなど野球のフォームが様になっているのも感心した。ボールの行方などは一部CGも使っているのだろうが。

本来なら日本で作るべき映画なのかもしれないが、このように台湾で作ったために見えてきたものもたくさんあった。魏徳聖監督恐るべし、だ。


映画「一九四二」観た

2013-02-27 22:33:25 | 映画鑑賞

日中戦争期の1942年、300万人の餓死者と1000万人を超える難民を生み出した河南省で、敵軍だった日本軍が難民に軍糧を与えて命を救ったという史実に基づく映画「一九四二」を観た。原作の「温故一九四二」(劉震雲作)にほれ込み、18年前から映画化を検討し何度も脚本を書き直していた中国映画のヒットメーカー、馮小剛(フォン・シアオガン)監督の手による。別名「ミスター正月映画」とも呼ばれるように、「集結号」、「非誠勿擾1、2」、「唐山大地震」など年々大ヒットを飛ばし、今回は中国映画としては破格の2億1000万元(約26億円)の製作費を使ったという。

撮影に着手したようだ、という第一報や、完成した、ネット上に予告編が出ている、などの続報も、このブログで紹介してきた。

昨年11月のローマ国際映画祭で、併設賞の部で、呂楽が撮影賞、馮監督が金の蝶 (ゴールデン・バタフライ) 賞を受賞し、11月29日から中国で封切られた。当初はそこそこの反響だったが、観客動員的には、興行収入記録を作った「非誠勿擾」やそれを更新した「唐山大地震」のようにはいかなかったようだ。

映画は思いのほか、日本軍による残虐シーンが目立つ。
この辺からネタバレになりそうなので、映画を観て楽しみたい人はご遠慮ください。

まず、河南省の凶作について丁寧に描かれ、故郷を捨てて流民となる様子が延々と続く。食料のために娘を売ったり、老人が自ら命を立とうとしたり、軍人が難民を見捨てて、「難民が死んでもそこは中国だが、軍人がが死んだら日本に土地を取られる」と、食料を渡さなかったり、腹黒い官僚が蔣介石政権がついに供給した臨時の調達食料を横流ししたり、ありとあらゆる中国人の醜い部分や、不条理なまでに権力に虐げられる絶望的に無力な庶民の姿が描かれる。これを助けようとするのは中国人でも日本兵でもなく、中国映画得意の白人のジャーナリストで、のちにピューリッツァー賞をとった(ただし中国取材でではない。のちの米大統領選の報道でだという)というセオドア・ホワイトというタイムの記者がわが身を省みず河南省で難民と一緒にいて日本軍の空襲を受けたり、米国人神父に相談したり、蔣介石に直接飢餓について報告、進言し、人間の遺体を食らう犬の写真を見せたり、宋慶齢(孫文夫人にして中華人民共和国名誉主席)に相談したりと、いろいろな手を使って、結局蒋介石をして河南省に緊急援助させる。
空襲のシーンでは体の一部がぶっ飛んだり、空襲で子供や老人が死に嘆き悲しむ肉親などが描かれる。

中国の絶望的なシーンが続くことで、観客は相当へこむみたいだ。馮監督は国民党政府の無策を描き続けることで、共産党を支援しているとは思えないが、現実の中国社会に対する批判をしているようにも見える。露骨にそれをやりすぎると、検閲で引っかかってしまうので、この映画では共産党の人間はまったく登場しない。

ただ、微博などでは、1942年には300万人死んだが、1962年は、なぜそれより餓死者が多いんだ、との書き込みがある。これは1958年から毛沢東が空想的な大増産運動を発動させた。1959年には農業生産はほどほどに、鉄鋼生産で英国を追い越せ、と農民に耕作を放り出させ、山の木を切り、粗鉄生産に従事させた。これによって中国の農業生産は激減、1960、61年ごろには数千万人もの餓死者を出した。62年、毛沢東は大躍進政策の失敗を認め、国家主席を劉少奇に譲り、劉少奇とトウ小平による経済調整政策、もうすこしいうと、農民の自主性を促す請負制度(三自一包)を導入して、生産性を高めた。1942年の飢饉は天災だが、のちに1960年代は「天災でなく人災」といわれた。「馮監督はこのときの飢餓こそ映画にしてくれ」との書き込みさえあった。



日中戦争中に日本軍が中国人民に食糧を与えて助ける、というある意味、親日的なテーマは、尖閣諸島問題で反日意識が強い今の情勢下では、中国の観客にはなかなか受け入れにくいのでは、ということなのか、食料を与えているシーンはない。
飛行機の中で日本の将校が「中国人に食料を与えてこちらの味方につけ、蔣介石軍と戦わせよう」と提案するシーンや、捉えた中国人が兵隊でないとわかると食料を与え、はねつけると惨殺してしまうシーンや、蒋介石が河南省主席に「日本人が難民に食料をやるとは思わなかった。日本人に味方し、われわれと戦う難民もいるらしい」と述べるシーンにとどまっている。このへんも検閲を意識していると見られる。

もちろん、原作の「温故一九四二」でも具体的に日本軍が難民に食料を与えているシーンが描写されているわけではなく、一言、日本人が食料を与えてくれたから生き延びた。だからといって日本に精神的に屈したわけではない、というような表現にとどまっている。

日本軍が食料を、という部分のみに注目してこの映画を観ると、がっかりすることこの上ないのだが、そもそも原作からして、またこの映画も、どうして難民は、中国の庶民はこんなにかわいそうで理不尽なのか、そして映画は、なぜ軍人や役人はこんなにも弱いものいじめばかりするのか、私利私欲を肥やすことばかりに一生懸命なのか、との怒りを描いているようだ。

日本で上映されるだろうか。残酷シーンも少なくないので、R指定は間違いないだろう。「唐山大地震」のように最後にそれなりに良い話が用意されていて、希望や安らぎも感じるものと違い、「一九四二」は何の救いもない絶望的な映画だ。「唐山大地震」は封切直前に東日本大震災が発生し、配給会社側が自主的に無期限延期を決めたが、「一九四二」はこの程度の「親日度」でとどまるなら、尖閣諸島とPM2.5問題が渦巻き反中意識が強い今の日本では封切はなかなか難しいのではないか。

「セデック・バレ」やっと見ることが出来た

2013-02-18 15:20:10 | 映画鑑賞
台湾で大ヒットした「海角七号」の魏徳聖監督が本当に作りたかったという、1930年の霧社事件を描いた映画「セデック・バレ(賽得克巴莱」をやっと見ることが出来た。太陽旗、彩虹橋それぞれ2時間ずつの完全版をDVDで鑑賞した。
ゴールデンウィークに日本でこの計4時間あまりの完全版が公開されるらしい。



映画の内容は、悪くない。中国大陸などでは抗日映画の位置づけだったらしいが、そんな単純な考え方ではないと思う。かなり日本人とその考え方を好意的に描いていると思う。

ただ戦闘シーンや人をぶった切るシーンはかなりえげつなく、日本ではR指定が付くのは間違いないだろう。魏監督はそれも含めてリアリズムを追及して、特に西洋の評論家や子供の観客などのことを考えてバイアスをかけるような映画にはせず、本当にあっただろう、台湾原住民の風俗や習慣を描いたのだと思う。

ただ、CGを多用していて、ややあざといなあ、つかれるなあ、という感じも否めなかった。

この辺からネタばれになるので、見ていない人はご注意。
霧社事件は日本の植民地下にあった台湾で原住民による最大にして最後の抵抗運動であり、その後、日本側も台湾統治のやり方を改めて、日本語と日本名を強制し、日本の先進的な文明を含めて台湾に導入し、その結果、今の台湾の繁栄の基礎を作った、ともいえるのだが、霧社事件を経て、明治維新以降、日本人が「忘れてしまっていた」という「武士道」を思い起こすきっかけになった(と映画は訴えているように見える)という筋になっている。

もちろん、第二次世界大戦の東南アジアの戦場で、ジャングルでのゲリラ戦が得意な台湾原住民出身の「日本兵」は、その幼いときから置かれてきた環境と身上を活かして大活躍するのだが、霧社事件での戦い方にそれを彷彿とさせるものもある。

また、日本の文明に触れ、日本人として生きていこうとする一部の原住民の苦悩も描かれていて、中国では間違いなく撮れない映画、台湾でなければ撮れない作品に仕上がったと思う。

出てくる日本人と、原住民、そしてそこに寄生している漢人の描き方を見ても、漢人への描き方が一番情けない風にしていることも含めて、台湾と大陸が一体でない、別な存在だ、ということを主張しているように思える。日本人の中にも原住民の言葉を操り、彼らと交流している警官を描いている。彼らのような日本人の苦悩を描くだけでも、全然中国大陸とは違う扱いだということがわかる。

いかんせん、暴力シーンがあまりに残酷なことが、国際的な賞から遠のいたと見られる。また、欧州などで見られているのは大幅にカットして短くした簡略版で、それでは原住民と日本人の交流や悩みがうまく描けていないとの指摘もあった。

全体を通じて、ほとんどが原住民の言葉と一部日本語なので、それを中国語字幕で見るのもちょっとつらい。原住民語を日本語字幕で読むと、また少し印象が変わるかもしれない。ゴールデンウィークの上映が楽しみだ。


嘉義農林が映画に

2012-12-01 17:01:34 | 映画鑑賞
台湾からの報道によると、台湾が植民地だった時代の台湾人と日本人の交流や争いを描いた「海角七号」や「賽徳克巴莱」(セデック・バレ)を撮った魏徳聖監督が11月はじめに、次回作「KANO」のクランクイン会見を行ったという。今度は1931年に当時の台湾の嘉義農林学校(現・国立嘉義大学)が当時の全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の高校野球大会)に出場し、甲子園で準優勝したという快挙を映画化したものだという。嘉義農林のプレーは当時の日本でもブームとなるほどの話題になったと聞いたことがある。

嘉義農林の選手たちは漢族だけでなくアミ族など台湾の原住民も少なくなく、彼らのDNAをついだ選手たちが、リトルリーグの世界大会で優勝して台湾の名を世界に知らしめたり、多くのプロ野球選手を排出して日本でも郭泰源らが活躍するなど、台湾の野球の歴史のルーツとなっている。

「賽徳克巴莱」は日本で上映される気配はないが、野球好きの日本人ならこの「KANO」には食いつくのではないか。2014年の封切り予定だという。

映画「最愛」観た。

2012-06-15 14:25:56 | 映画鑑賞
カメラマン出身の顧長衛監督の2011年の作品「最愛」を観た。薄煕来問題でマスコミ相手に訴訟を起こしたアジアン・ビューティーこと章子怡(チャン・ツィイー)と香港四大天王の一人、郭富城(アーロン・コック)の共演。

売血でHIV患者が大量発生した村での出来事を映画化した。中国で実際に起きている問題を取り上げ、HIVへの無知から差別を生む中国社会に一石を投じようとした意図はよくわかる。ただ、社会派チックな展開を期待していたが、美しい章子怡とかっこいいが、映画ではちょっと抜けたような表情の田舎男、アーロンの純愛物語に落とし込んだ。いろいろと検閲がかかる可能性がある中国映画の場合は、今回のように愛情物語に落ち着かせたほうが、問題は少ないのだろう。
田舎の風景にアーロンと、特に章子怡が、美しすぎて溶け込めない。田舎の服を着ているが、あんな腰の細い足の長い、スタイルのよい、なおかつ色の白い田舎のお姉さんはいないだろう、と違和感はある。ただ、二人とも熱演していて、そんな違和感は小さなものだ。
特に、藤原紀香と付き合ったといわれた時期もあったマッチョでワイルド系のアーロンが、髪の毛をボサボサにして田舎のにーちゃん臭ささ満載の演技をしたのは、なかなかよかった。

で、村人から差別を受けて村から離れた石組みの小屋に二人で住んでいながら、赤い服を着て結婚証を手にするなどのところは、中国社会でイリーガルにならないように、「結婚」という社会システムの中で落ち着いた関係を描いて、中国社会を混乱させることなく、得てして封建的な考えを持つ観衆をも納得させるような意図を持って描かれたのではないか。

ただ、章子怡の赤い服はあまりにきれい過ぎて、また中国の田舎にはそぐわない風景。あんなきれいな赤い服を入手できるのだろうか、などと思ってしまう。

また、高熱を発したアーロンを、自分が水風呂に入って体を冷やして、アーロンに抱きついて体温を下げ看病したシーンなど、エロティックなはずだが、顧長衛のカメラワークがいいのか、いやらしく見えない。ただ、章子怡の体当たり演技は大変だったろうなあ、と思う。
章子怡、まじめでいい仕事してるじゃないか、と薄熙来問題で嫌な思いをさせられたこともあり、同情し、応援したい。

ストレートに売血によるHIV被害の村を描いて、弱いものの味方になって体制側を告発するような社会派のドキュメンタリー作品が撮れないのなら、このような方法がもっとも中国の観客、中国社会に受け入れられるのだろう、と思った。

ところで、田舎なのに違和感を持つほど美しく着飾って演じさせた章子怡に対して、顧長衛監督の妻で女優の蒋雯麗も出演しているが、これはNHKドラマ「大地の子」で主人公の陸一心の妻を好演したが、今回は章子怡を引き立てる対象なのか、思いっきり汚れメイクをしていた。自分の奥さんなら何でも出来る、ということか。

映画「月満軒尼詩」見た

2012-03-19 10:59:34 | 映画鑑賞
李安(アン・リー)監督作品「色、戒(ラストコーション)」で、映画デビュー、梁朝偉(トニー・レオン)との大胆な濡れ場ばかりが強調され、一時中国大陸ではバッシングを受け、CM出演も締め出され、不本意な中で香港居住権を得たが、なかなか2作目が見られなかった女優、湯唯(タン・ウェイ)の第2作「月満軒尼詩(CROSSING HENNESSY)」を見た。
共演は香港四大天王の一人にして最も実力派で性格俳優としても活躍する張学友(ジャッキー・チュン)。

脚本家、岸西(アイビー・ホー)の監督2作目、2010年作品。
「色、戒」の役とは正反対な、ちょっとダサい商店街に働く女性。ダサい風の中に、ふとみせる髪をかき上げるしぐさや笑顔、本を読む姿が可愛らしく、ちょっと艶っぽく、なかなかいい女優だなあ、と再認識した。これで、「色、戒」のタガが外れて、どんどん映画に出られるようになればいいなあ、と期待している。

ストーリーは(この辺からネタばれです)、父親を早くに亡くして母親が経営する電気屋を手伝う40過ぎの頼りない男、ジャッキーが周りから結婚をせかされて心配され、道(軒尼詩道)をはさんだところにある便器屋さんで働いている湯唯と、お見合いの食事をして、そのあと、お茶を飲んで本の貸し借りだけで特に進展しない。
それぞれに実は元カノ、彼氏がいて、張学友はすでに別れたカメラウーマンで、個展を開くなど成功してるにもかかわらず、彼女のほうが張学友に未練があるらしい。また付き合ってくれ、ともいわれるが、張学友は湯唯のことが気になっているのか、いないのか、煮え切らない返事をする。
湯唯の彼氏は、刑務所にいて、なんかワイルドな感じ。出所して一緒に暮らし始めるが、本が好きな湯唯とは実はあまり趣味が合わず、テレビでスポーツやカンフー映画を見て喜んでいる教養なさげな感じで、徐々に湯唯はもてあまし始めてくる。

ポスターに書かれた字を見てなるほど、と思ったけど、宅男(オタク)の張学友と剰女(独身女)。現実的にいえば、張学友演じるさえない、たよりない歳を食った男に、「書呆子」で地味とはいえどもなかなか可愛い若い湯唯ちゃんがくっつくのはありえないだろう、と思ってしまうが、これは湯唯ちゃんのヌードにノックアウトされた香港のオタクが見て、希望を抱く映画なのだろうか。はたまた張学友ファンの剰女が現実を感じる映画なのか。
脇役たちも芸達者で、ファッショナブルだったり暴力的だったりITを多用するような今の香港映画ではなく、なんだか一昔前の香港映画を見たような懐かしさを感じだ。

それは、映画の舞台が香港島側の「湾仔(ワンチャイ)」だからだろう。懐かしい懐かしい。オフィス街で埠頭や議会棟など植民地っぽさがある「中環(セントラル)」や「金鐘(アドミラリティー)」と、大ショッピング街「銅鑼湾(トンローワン)」にはさまれた、雑多な地域だ。返還前から中国大陸に関する店や安くてうまい食堂、特に北京系の食堂などが少なくなく、大陸からの移民者が多かったのだろうか。
海側に行くと香港返還式典を行った会議展覧中心(コンベンションセンター)があるなど開発されているが、その辺を外れるとごちゃごちゃした下町風のところが多い。中国大陸へのビザ発給を受ける外交部の出店がある入境大楼や、確か、時々大陸映画を見に行った映画館もこの辺にあった。香港では珍しい北京餃子のうまい安食堂もあったなあ。映画の舞台となる店があるところは、ヘネシーロード(軒尼詩道)とジョンストンロード(荘士敦道)が交わるところ、ああ、電車(トラム)が金鐘(アドミラリティー)から一度ヘネシーロードを外れて、またヘネシーロードに戻るところだなあ、「298」と看板がかかった電脳市場があるところだ、と懐かしく感じた。
しかし、あんなに人の多い湾仔でよくロケできたなあ、とも思う。香港映画のいい意味で泥臭さも感じる。
がんばれ湯唯。次の作品も期待してます。

スパイ映画「秋喜」を見た

2011-12-26 14:10:05 | 映画鑑賞
2009年10月の国慶節休み期間に上映された国民党と共産党のスパイ映画「秋喜」をネットで見た。この時期は中国建国60周年の「建国大業」や、やはりスパイ映画の「風声」が封切られた年だ。


監督は孫周。と言えば、かつてとても気に入った「心香」(邦題・心の香り)の監督だ。これは京劇役者の父母の確執で、田舎のおじいちゃんに預けられた京劇のうまい男の子の話で、田舎でおじいちゃんに嫌々四書五経を読まされたり、同年代の女の子と知り合ったり、おじいちゃんといい仲の近所のおばあちゃんにかわいがられたり、その死を目の当たりにするなど、成長する物語。
これ以外には「漂亮媽媽」(邦題・きれいなおかあさん)、「周漁的火車」(同・たまゆらの女)などを撮っているらしい。いずれもコンリーかあ。実はジャッキー・チェン主演、プロデュースの「神話(THE MITH)」とか、「荊軻刺秦王」(同・始皇帝暗殺)などに出演しているらしい。

中国ではテレビドラマの「潜伏」や、あるいは李安(アン・リー)監督の映画「色戒 ラスト・コーション」が大ヒットしてから、中国では抗日戦争期や国民党と共産党が争っている時代のスパイ映画、ドラマが目白押しになっている。

ここからは作品の中身に触れるネタばれになるので、ご注意。

「秋喜」も、中華人民共和国の成立を毛沢東が宣言した1949年10月1日以降も、国民党が支配していた広州で、放送局処長にして国民党幹部のもとで放送局部下として忠誠を誓うフリをして情報収集する共産党のスパイ(郭暁冬)の話。
どうやら国民党は台湾に逃げなければいけないらしい、と、いうときに、共産党の指示で台湾に潜入して諜報活動をし続けるように決まり、北京に行く気満々だった妻(彼女も共産党の活動員)だが、泣き叫び、結局広州を離れさせる。
「秋喜」とは二人が雇っていたメイドさん(江一燕)の名前で、夫婦が党の活動について密談しているときに、サンダルを履かず裸足で食事などを持ってきて、ドアの外で耳を澄まして二人の話を聞いている。二人は情報が洩れるかも、と秋喜を叱責し、今後はサンダルを履け、と命じる。

一方で、主人公は台湾に潜入することになり、「私も処長についていきます」と、相手を安心させて書類などの情報を入手、共産党の連絡員に伝える。処長は共産党のスパイに疑心暗鬼になり、多くを見つけ出し殺す。自分の部下に対しても疑いを持つが、主人公は同志の処刑を目の当たりにして、ぎりぎりで切り抜ける。

妻が広州を離れた後、主人公は身の回りの世話を秋喜にしてもらうが、秋喜はご主人に愛情を感じるようになる。最後に台湾を離れる前に、処長と銃を撃つ練習をした際、的の布の裏側に秋喜が縛られていて、我知らず主人公が秋喜を射殺してしまうことになった。

最後におそらく主人公は上司と相撃ちになって死ぬのだろうが、台湾に潜入して諜報活動を続けていたのなら、それはそれで面白かったなあ、とも思う。実際に、台湾に潜入している(していた)共産党の諜報員もいたのだろうが。

それと、秋喜は、田舎の父親が自分の船に共産党の人間を乗せた、というだけで殺された、という身の上で、国民党に憎しみを持っているが、共産党の関係者だったのだろうか。あくまでも濡れ衣、あるいは主人公を陥れるために、処長が捕らえて殺させたのか。立ち聞きしていたのも、実は情報員だったのか、まったく関係ないのか、秋喜の背景、というか状況が謎のままで、ちょっとすっきりしない。まあ、謎の女として描きたかったのかもしれないが。彼女は「南京!南京!」に出演していた。日本兵の慰安婦に、と自ら一番最初に手を上げた気の強い売春婦を演じた。薄幸の女性を演じるとハマるタイプかもしれない。

広州の雰囲気がいろいろ出ていて、撮影はどんな風にしたのだろうか、とセットや風景を見ていても楽しい。


映画「関雲長」見た

2011-12-19 11:38:03 | 映画鑑賞
中国のGW映画で1番の集客だったという三国志の関羽と曹操を描いた「関雲長」を見た。アクションスターとしていま一番アブラがのっている甄子丹(ドニー・イェン)が関羽を演じ、曹操を姜文が演じている。関羽が思いを寄せる劉備の妻役に孫儷。

この映画には劉備も諸葛孔明も出てこない。関羽と曹操の男の友情と義、生きていくために殺生をしなければならない無常を描いているようだ。

この辺からまたネタばれです。映画を楽しみたい人は読まないほうが。

映画は関羽が孫権軍に捕らえられ首をはねられて、その首が曹操のところに運ばれてきたところから始まる。棺おけの中に木で作られた体の部分に届けられた頭を合わせて葬り、曹操が送るところから始まる。

そういえば、魏の曹操の本拠地、河南省洛陽の駅から南下し、龍門石窟に向かう途中、左側に関林(関帝廟)があり、その中に関羽の首塚があった。映画のこのシーンで関羽の首を葬ったところがこの首塚なのか。石碑に小さな穴が開いていて、そこにコインを入れると、関羽のうなり声が聞こえる、という言い伝えがあるという。当時、いまは日本の500円硬貨よりちょっと小さい1元コインがあるから、それなりに投げ入れた後の反応もあるのだろうが、最初に行った80年代は、中国のコインといえばイ分か1イ分ぐらいだったか? 風が吹けば飛んでしまうようなアルミ硬貨だった。音も聞こえたかどうか。関羽のうなり声というより、風が吹いた音が聞こえただけのようだった。

で、話は過去にさかのぼり、関羽が曹操の義理を受けて人質というか、曹操のもとに身を寄せることになり、そこで、曹操は関羽の人柄をいたく気に入ったので、ここに残れ、劉備のところに帰るなとしきりに進めるのだが、劉備のところに戻るという考えは変えない。曹操は未練はありながらも関羽を尊重して、途中の通行手形を出す。しかし、関羽を暗殺しようと企てた魏皇帝の追っ手が、あちらこちらに散らばっていて、それらを倒しながら戻っていく。

三国志の中の中国人にとっては誰でも知っている一場面のようだ。日常会話でも使うような、ことわざになるような趣深いせりふもでてくる。

ブルース・リーの師匠を演じた「葉問」とはまた違った、青龍刃を使っての甄子丹のアクションは見事。みてくれは貧相な若い兄ちゃんのようで、とても関羽のイメージではないが、まあ、それはご愛嬌。

姜文が演じた曹操も人間味あふれた魅力的な人物として描かれていて、最近の傾向として、たんなる残酷な悪役、という曹操像から離れ始めているようだ。

孫麗は映画の中のきれいどころ、というかイロモノ的に美女を配したのだろうが(美女といえるのかどうか)、あまり効果的とは思えない。

レッドクリフの成功以降、三国志の部分部分を映画化するのが増えるのかもしれない。ただ、この映画は三国志を知らない外国人らにとってはちょっと苦しいかもしれない。ストーリーは単純なので、背景を事前に理解していれば特に難しい映画ではないと思う。

映画「西蔵往事」見た

2011-12-12 16:01:34 | 映画鑑賞
会社で留守番の泊まりだったので、ネットで映画を2つ見ることが出来た。2つ目は「西蔵往事」。西蔵とはチベットのこと。漢族の女性監督、戴瑋による今年4月の作品。


日中戦争終結前の1944年、連合国側は抗日戦争を戦う蒋介石の中国軍を支援するため、インドからヒマラヤを越え雲南省や重慶に物資を運んでいた。険しい気象環境と山々に阻まれ、1500機の輸送機が墜落、3000人近くの犠牲者が出たという。そんな時代のチベット人の村の物語。当時のチベットは、一時期、清朝から保護区とされ、辛亥革命後の中華民国時代は英国軍が駐留するなど、半独立状態にあった。

ここから映画のあらすじにも触れます。ネタばれです。ご注意。

主人公の米国人パイロット、ロバートは中国へ向かう途中、輸送機が墜落、目を傷め山の中をさまよい、ただ一人、チベット族が住む村にたどり着く。村人は西洋人を見たことがなく「紅毛鬼」と恐れ、そこで「妖女」と仲間はずれにされていたチベット人女性、雍措が世話をすることになる。外国人の殺人犯を調査するため国民党の兵士が村に来て、捜索を命じる。村の長は農奴の江措に「殺人犯を捕まえたら自由の身にしてやる」と約束する。雍措はロバートに身の危険が及んでいると感じ、逃がすが、江措はロバートこそが殺人犯だと思い込み、追う。

チベット族の話を漢族の監督が撮るという奇妙な感じ。中華人民共和国成立(1949年)直後の1950年に人民解放軍がチベットを侵攻(共産党側は「和平解放」と呼ぶ)、1963年製作の「農奴」という映画も、チベット政権下で圧制に苦しみ、共産党による“解放”で奴隷の身分から自由のみになった、というプロパガンダ映画だ。学生時代に池袋文芸座でやっていた中国映画祭で見た。当然、オールモノクロ、体制側がどのようにチベットを治め、洗脳しようとしているのか、垣間見られる映画だった。45年たって現代になったが、この映画も、農奴や女性を村八分にする封建的、後進的な地域として当時のチベットを描いている。作品としてはわかりやすいが、恣意的な感じがする。

中国辺境に米軍の輸送機が墜落して、現地の女性と・・・・、というのは、1986年に香港の厳浩(イム・ホー)監督が撮った「大菩薩」というのがあった。物語の取っ掛かりは同じだ。「大菩薩」の場合は米兵が雲南省の少数民族、イ族の村にたどり着き、奴隷として扱われるが、同じ奴隷の境遇の女性と結ばれ、子供も出来るが、戦後、彼を捜索しに来た軍により、村を離れなければならなくなる・・・・という話だった。

当然、家の中に掲げられているはずのダライ・ラマの肖像画も、詳細なチベット仏教の祈りの様子もない。ただ、マニ車を回し、五体投地をしながらラサを目指す様子を映し出すぐらい。チベット人がこの映画を見たら、どう思うだろうか。

映画「東風雨」を見た

2011-12-11 15:33:22 | 映画鑑賞
2010年の中国映画「東風雨」を見た。
戦前に摘発された国際スパイ事件「ゾルゲ事件」で死刑となった尾崎秀実(ほつみ)も出てくる上海を舞台としたスパイ映画だ。
范冰冰(ファン・ビンビン)も女スパイ役で、中国で有名となった日本人俳優、矢野浩二や、竹本孝之も特高役で出てくる。


ここからはネタばれです。ご注意を。

尾崎が拘置所で死刑になるところから物語は始まる。映画では1941年12月8日の真珠湾攻撃について、日本が米国を攻撃するという情報を尾崎が中国に送った、としている。これは史実に合うのだろうか。尾崎は1941年10月に逮捕されている。時制が前後するのではないか。

もうひとつ、取り調べに対して尾崎は「私は中国共産党員だ」と答えているが、これも疑わしい。資料によると、尾崎は大阪朝日新聞の上海特派員として1928年11月から32年2月まで上海で勤務している。この間、中国共産党とも接触があったのは間違いない。朱徳を描いた「偉大なる道」や「女一人大地を行く」を著した中共党員で米国人ジャーナリスト、アグネスス・メドレーと交流を持った、というかもっと深い付き合いだったことは良く知られている。が、その後、情報の連絡については、日本では無線機を使っておそらくモスクワのコミンテルンに直接行っていることから、コミンテルン本部の機関に属しているとは考えられても、中共党員という、その当時はコミンテルンの下部組織という低い身分だったとは考えにくい。
また、わざわざ内閣の書類を写真にとって、そのフィルムを(感光してオジャンになってしまう可能性もあるのに)現像しないで(現像はしてたのかもしれないけど)船で上海に運ぶという、のんきにゆっくりと情報をつたえるなぞ、当時でもスピードが遅すぎでは。中国に船で送るより、無線か電話か、何かほかの方法でソ連に直接送ったはずだ。

当時の中共は、1927年に蒋介石の上海クーデター(4・12クーデター)で攻撃を受けて国共合作が崩壊し、コミンテルンの指導下にあったいわゆる「李立三路線」の時代だ。天下の毛沢東大先生もまだ実権を握っておらず、ソ連のいうことを聞いて都市で蜂起しては失敗し、今では「右翼日和見主義」と批判されるなど、勢力が弱体だった時代だ。毛沢東らが江西省瑞金に「中華ソビエト共和国臨時政府」を樹立したのが31年11月。その後、34年に瑞金を放棄し長征と呼ばれる大逃亡の途中、貴州省遵義での会議(1935年1月)で、半ばクーデター的に毛沢東が政治と軍事の最高権力を握ることになる。

尾崎の仕事として特筆されるのは、日本の「南進」政策をコミンテルンに情報として送ったとされることだ。南進が実際に行動にうつされたのは40年のフランス領インドシナへの進駐。当時のソ連としては日本の関東軍が満州・ソ連国境から攻めてくるのか、あるいは米英などの経済封鎖で資源が入りにくくなってきたため、特に石油確保のため、それから援蒋ルートを断つために東南アジアに進出するのか否か、が焦点になっていたはず。それによって、ソ連にとっては欧州戦線のナチスドイツに当たる軍備を増やすか、極東に大きな戦力を保持しておくのかどうか、大きな戦略上の選択だった。尾崎はときの首相、近衛文麿のブレーン(映画では「秘書」となっているが、誤り)として第1次近衛内閣の嘱託となり、また近衛主催の朝食会に参加(ここは映画も正しい)、近衛の政策決定に大きな影響を与え、あるいは情報を入手できる立場になっている。37年には朝日新聞を退社、39年には満鉄調査部嘱託職員となっていた。

映画を見ている人たち、というか映画評論家、あるいは中国の映画担当者は、おそらく尾崎秀実が実在の人物で、物語の一部が実話であるということを知らないのだろう。中国映画(もちろん、あくまでもエンターテイメントですから)に良く見られる、歴史の歪曲、というか事実誤認が、この映画にも見られる。時代考証をきちんと行うのか、あくまでも娯楽作品なのか。

ところで、この映画の監督は柳雲龍という俳優で、監督兼主演、だという。初監督作品だとのこと。だとすれば、1970年生まれとまだ若いが、ゾルゲ事件なんて知っていたのか。あるいは脚本か、プロデュースがこういうことを考えていて、それを映像的に実行に移しただけなのか。

映画「1911」見た

2011-12-01 02:44:29 | 映画鑑賞
辛亥革命100周年の記念映画「1911」を見た。郊外のシネコンで18時からの部を見たが、観客は全部で8人程度か。
そもそも中国語の題名は「辛亥革命」。日本の観客がこれではわからないだろう、とマヤ文明の伝説で地球が滅亡しそうになる「2012」やキムタクが出ていた香港映画「2046」みたいに、年号を出せば何となく興味を引くだろうという魂胆か。訳のわからない題名にすれば、目を引くだろう、という考えか。
中国の歴史的な事件を描いた映画、というよりジャッキー・チェン(成龍)作品だ、という位置づけだろう。ジャッキーは総監督で、息子も出演している。
ジャッキー・チェンは黄興という日本の一般の人はほとんど知らない辛亥革命の総司令官を演じている。が、人物設定は映画を見ていてもよくわからない。

孫文役のウィンストン・チャオ(趙文宣)はアン・リー(李安)監督の「ウエディング・バンケット」でゲイの青年を演じるなど、活躍してきたが、97年の「宋家の三姉妹」(メイベル・チャン監督)や、「孫文100年先を見た男」【原題=夜・明(Road to Dawn)】でも孫文を演じており、ちょっと二枚目過ぎるが、孫文役が続いている。

この辺からネタばれですので、映画を見ていなくて、映画を楽しみたいという人は読まない方が・・・・

映画の中では、孫文と黄興は悪役にも不まじめな役にも描けず、結局聖人君子のように辛亥革命の成功に向けて突き進む、そして二人の熱き友情、みたいなくそまじめなテーマで見ている方はちょっと恥ずかしい気もする。ジャッキー演じる黄興と妻となる徐宗漢(李冰冰)との関係も全体のストーリーの中で十分に描けてはいない。

辛亥革命を描いていることについては、革命の行方を大急ぎでなぞっているだけで、ある程度知っていればそれなりにストーリーを追っていけるが、そうでなければ、退屈な映画なのでは。一番最初に女性革命家の秋瑾が処刑される場面が出てくるが、日本人だけでなく、中国近現代史に疎い中国の若者さえも、よく意味がわからないに違いない。
特に中華人民共和国による制作ゆえ、台湾側から見たヒーローであり、大陸的には大敵の国民党の蔣介石、彼は袁世凱と戦う孫文の晩年から活躍したが、蒋介石は出てこないうちに物語は終わってしまう。結局辛亥革命はどうなったんだ、袁世凱が掌中に納めた中華民国はどちらに行くんだ、という疑問には答えられないまま、消化不良のまま物語は終わってしまう。
一番最後に、字幕スーパーで、「孫文の遺志を継いだ中国共産党によって・・・・」とあるが、蒋介石も出さずにいきなり共産党かよ、と苦笑せざるを得ない。

劇中では中国では裏切り者、親日派、として評価が低い汪兆銘(精衛)はしばしば出てきたが、再評価なのか、あるいは孫文たちを引き立たせるために出て来させたのか。最近の中台接近で、蒋介石を悪く描くことは遠慮しておこう、それなら汪兆銘に悪いところは全部持っていってもらおう、ということか。

で、結局この映画で一番生き生きと描かれているのは、袁世凱だろう。辛亥革命の成果をかすめ取った男とは言えるが、朝廷と革命派の間で現実的な駆け引きを続け、自らが大総統となる道を探っていく。その生臭さや人間臭さは、教科書の中の聖人としか描けない孫文や黄興に比べて、魅力的に描かれている。

実際、最近の学会では袁世凱が清朝を退位させ欧州列強に中華民国(帝国)の存在を認めさせたことが、その後の中華民国も現在の中華人民共和国も、版図として清朝の領土を踏襲している正当性を維持している理由になっているとの考え方があるようだ。
孫文が共和制云々と理想論を語れば、中国統一は遅れ、欧州列強は中華民国を承認せず、また、清朝も政権を譲渡しなかったろう。そうすれば、清朝の領土をそのまま引き継ぐのは不可能で、おそらく日本や欧州列強は中国の領土を「正当に」かすめ取っていたに違いない。

レッドクリフのスタッフを動員した、というが、孫文の映画としては、孫文生誕120周年の1986年に日中合作で制作された映画「孫中山」の方が、もっと人間味が描かれていたような気がする。大和田伸也が宮崎滔天役で、中国で当時人気が高かった中野良子がその妻役で出演していたし、熊本県荒尾市の宮崎滔天故居がロケ現場になっていた。いまの日中関係では、当時のような日本側の協力者について描くことは難しいのだろうな。孫文が金集めをするシーンもほとんどが華僑か欧米相手だった。

辛亥革命100年で、しかも全国政治協商会議がバックについているのなら、また、ジャッキー・チェンが総監督(事実上はプロデュースだろう)ならもうちょっとドラマチックな映画になるのでは、と期待していたが、やはり愛国お勉強映画の域を出ないようだ。残念。



「賽徳克・巴萊」地元・台湾のアカデミー賞でもいまいち

2011-11-28 02:23:16 | 映画鑑賞
27日、台湾のアカデミー賞である第48回「金馬奨」の各賞の発表があり、魏徳聖監督の「賽徳克・巴萊」(Seediq・bale=セデック・バレ)は、最優秀劇情映画賞と最優秀音楽賞、最優秀音響効果賞、最優秀助演男優賞、年度台湾傑出映画制作者賞の5冠にとどまった。

もっとも注目される最優秀男優賞、同女優賞はベネチア映画祭で女優賞をとった「桃姐」(A Simple Life)の劉徳華(アンディ・ラウ)と葉徳嫻(デニー・イップ)に、最優秀監督賞も「桃姐」の許鞍華(アン・ホイ)監督で、魏徳聖監督は、金集めのために撮った「海角七号」で5部門で賞を獲ったのに対して、今回、満を持して撮りたい映画を撮った「賽徳克・巴萊」は地元・台湾の映画祭で5部門もとどまるという皮肉な結果になった。観衆が選ぶ最優秀作品賞も獲ったようだ。中央通信は6冠と書いている。
このほか、中国大陸の映画で、体制批判を含めた風刺的で暗示的なセリフにあふれている、と評判になった「譲子弾飛」も最優秀脚本賞と最優秀撮影賞を獲得したのが注目だ。甄子丹(ドニー・イェン)や金城武、「ラスト・コーション(色戒)」の濡れ場で注目された湯唯も出ている「武俠」も最優秀視覚効果賞と最優秀アクション賞、最優秀美術賞を獲っている。

魏監督は監督賞や新人賞などを落としてがっくり、という感じか。中央通信によると、ベネチアで賞をとった余勢をかって、桃姐の評判がいいことからあきらめムードだったという。

日本の植民地時代の台湾で起きた、最大にして最後の反日暴動といわれる霧社事件を描いた映画で、台湾と日本の歴史について学んでもらえたら、と思ったが、台湾の人々もそういう重い、かったるいテーマの映画には、ちょっと触れにくい所もあったのかもしれない。それよりお手軽で音楽と男女の恋愛などをユーモアを含めて描いた「海角七号」のほうが簡単なのかな。

このなかでは「譲子弾飛」は見たが、当方の乏しい中国語力では、映画が比喩、暗示するさまざまなテーマを聞き出すことは出来なかった。もう一度真剣に見てみよう。それから早くセデック・バレや桃姐を見てみたいものだ。

2011第48屆金馬獎得獎名單
★最佳劇情片:賽克‧巴萊
★最佳男主角:劉華/桃姐
★最佳女主角:葉嫻/桃姐
★最佳導演:許鞍華/桃姐
★最佳原創電影歌曲:完美落地/詞、曲、唱:乱彈阿翔(陳泰翔)/翻滾吧!阿信
★最佳原創電影音樂:何國杰/賽克‧巴萊
★年度台灣傑出電影工作者:王偉六
★最佳原著劇本:席然, 秦海璐, 楊南倩, 葛文, 勇星/到阜陽六百里
★最佳改編劇本:郭俊立, 危笑, 李不空, 朱蘇進, 述平, 姜文/讓子彈飛
★最佳新演員:柯震東/那些年,我們一起追的女孩
★最佳攝影:趙非/讓子彈飛
★最佳視覺效果:姜鍾翊、翁國賢/武俠
★最佳動作設計:甄子丹/武俠
★最佳新導演:烏爾善/刀見笑
★最佳女配角:唐群/到阜陽六百里
★最佳紀錄片:金城小子/三三電影製作有限公司
★最佳音效:杜篤之/賽克‧巴萊
★最佳剪輯:陳曉東/尋找背海的人
★最佳美術設計:奚仲文、孫立/武俠
★最佳造型設計:郝藝/刀見笑
★最佳創作短片:小偷/陳杰
★最佳男配角:徐詣帆/賽克.巴萊

SeediqBale(賽徳克巴莱)ベネチアならず

2011-09-11 08:34:49 | 映画鑑賞
10日、ベネチア国際映画祭の各賞が発表され、金獅子賞(優秀作品賞)には、ロシアのソクーロフ監督の「ファウスト」が選ばれたという。銀獅子賞(優秀監督賞)には蔡尚君監督の「人山人海」(中国・香港)が選ばれた。これは上映直前まで情報が伏せられていたサプライズ作品だったという。中国の検閲を通っていないことから、今後国内での上映は不明だ。
このほか、香港の許鞍華(アン・ホイ)監督の「シンプル・ライフ」に出演した葉徳嫻(デニー・イップ)が優秀女優賞を獲った。この映画はプロデューサーとして成長した男(劉徳華=アンディ・ラウ)を子供のころから世話していた乳母の物語だということで評判にも上っていた。アン・ホイ作品ゆえなかなか興味深い。
このほか、日本から園子温監督「ヒミズ」の染谷将太と二階堂ふみが新人男優・女優賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞した。
ということで、ベネチア国際映画祭に出品していた「賽徳克巴莱(SeediqBale=セデック・バレ)」は無冠に終わった。

一方、台湾からの報道によると、9日台湾の68の映画館で初映となった「賽徳克」は、1日の売り上げとしては2300万台湾ドル(約7000万円)と記録を作ったらしい。すでに英国、フランス、北米と日本での上映が決まったという。台湾紙「中国時報」では、南投県仁愛郷清流でひそかに上映したときには、日本からの出演者も台湾に来て鑑賞したが、そのときには日本語字幕はなかった。このような抗日をテーマにした映画が日本で上映されるなら歴史文化の包容性がさらに深まるだろう、と期待している。

台湾ではこの映画が台湾映画のあらゆる記録を塗り替えるのでは、と期待されていて、契約を結んだ飲料メーカーが「巴莱」の名前をつけた飲み物をつくるなど、便乗商法も生まれてきそうだ。

写真は聨合報サイトにあった動画で、かつて事件が起きた霧社、現在の南投県仁愛郷での地元原住民との上映イベントに参加した魏徳聖監督(左から2人目)。台湾をあげてのこの映画のブームが起きそうだ。