Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

07年5月29日-6月1日客家土楼、泉州、アモイ(2)

2007-05-31 11:43:07 | 歴代中国旅行

5月31日
朝いちばんでバスで泉州へ。泉州は「海のシルクロード」のスタート地点。ベトナムやアラブ諸国とも交易し交流があった。マルコ・ポーロは「東方見聞録」で泉州を「ザイトン(「刺桐」の福建音」の名称)と紹介している。
バスターミナル前はタクシーの呼び込みが激しいが、「海外交通史博物館に行って」というと、華僑博物館に連れて行きやがった。地図を見せると、地図の見方も分からないようだ。けんか。「分からなかったら金は要らない」とのたまいやがったので、どうするか見ていたら本当に分からないようだ。道を指図して到着。当然金は払わない。「お前が金は要らないといったんだろう」というと諦めて帰った。

見たかった宋代の発掘木造船は「開元寺」の敷地内の泉州湾古船陳列館にあるというので、移動。1982年に泉州湾でほぼ完璧な姿で発掘された。でかい。全長24.2㍍、幅9.15㍍とのこと。鄭和の南海遠征もこんな船で大船団を作っていったのだなと思うと感激。船底はたけのこの断面のように何枚も板が張られ、船底に穴が開いても浸水を最小限に食い止める工夫がされている。現代の造船技術に通じているものだそうだ。博物館内には帆をつけた復元模型もあった。開元寺も2つの塔が立派な雰囲気のいい寺だった。

アラビア半島との交流の証拠を示すイスラム寺院「清浄寺」も門だけはちゃんと残っていた。門の中はドーム状になっていて、いわゆるモスクだ。敷地内には墓標がたくさんおいてあった。メッカ時間を示す時計やお祈りができる施設もある。

07年5月29日-6月1日客家土楼、泉州、アモイ(1)

2007-05-29 03:20:26 | 歴代中国旅行

GW休みを利用して、福建省厦門(アモイ)と永定県の客家土楼、泉州を見てきました。
5月29日(1日目)
NH935成田10:05-アモイ13:20
バスターミナルで竜岩行きに乗る。
竜岩に5時ごろ着、タクシーに交渉して100元で、永定県の最大の土楼・承啓楼に。

到着は7時ごろ。入り口の前にいたおじいさんに泊めてもらう。
夕食も用意してもらった。インゲンと豚肉の炒め物、筍の煮物(酢を加えたようだ)、青菜の炒め物。ご飯は圧力釜で炊いたのか、日本の米のようにふっくらモチモチ。

部屋は相当汚い。風呂やシャワーもないので、たらいにお湯を入れてもらい、かぶる。トイレは外と、廊下にあるオマル。足を何カ所もダニにやられた。

5月30日
四角形の方楼の周りに円楼が花びらのように並ぶ田螺坑土楼群。永定客家土楼民俗文化村内にある振成楼、これは観光地の土楼のようで、こぎれいで土産物屋ばかり。円楼のど真ん中に立って声を出すと、声が反響する土楼もいくつもあった。
運転手さんの紹介で入った裕昌楼には、自らお茶を育て、摘み、茶葉に加工しているおじさんから、お茶を振舞われた。部屋の中に井戸がある。なかなかおいしかったので購入。でも3杯目ぐらいまでで、すぐ味がなくなってしまう。
竜岩まで車で送ってもらい、飛び込みでバスターミナル前のホテル泊。

外に夕食を食べに行き、福建風麺というのがあったので注文。これがまさにチャンポンのルーツといった麺だった。海鮮や野菜がたっぷり。日本のチャンポンほどスープは多くなかったし、豚骨ダシでもなかった。でも麺の太さやコシもまさにチャンポン。
実は今回の旅行で、「福建語で『吃飯(ご飯を食べる)』ってなんていうの?」とあちこちで聞きまくった。「ジャンポン」というそうだ。
なるほど、長崎・四海楼の主人は、故郷のこの麺を日本の材料で再現させようとしたに違いない。それを中国人留学生たちに「ジャンポン(ご飯だよ。食べな)」といいながら食べさせ、それでなぜかその麺そのものが「チャンポン」と呼ばれるようになったのでは。