Takepuのブログ

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「セデック・バレ」やっと見ることが出来た

2013-02-18 15:20:10 | 映画鑑賞
台湾で大ヒットした「海角七号」の魏徳聖監督が本当に作りたかったという、1930年の霧社事件を描いた映画「セデック・バレ(賽得克巴莱」をやっと見ることが出来た。太陽旗、彩虹橋それぞれ2時間ずつの完全版をDVDで鑑賞した。
ゴールデンウィークに日本でこの計4時間あまりの完全版が公開されるらしい。



映画の内容は、悪くない。中国大陸などでは抗日映画の位置づけだったらしいが、そんな単純な考え方ではないと思う。かなり日本人とその考え方を好意的に描いていると思う。

ただ戦闘シーンや人をぶった切るシーンはかなりえげつなく、日本ではR指定が付くのは間違いないだろう。魏監督はそれも含めてリアリズムを追及して、特に西洋の評論家や子供の観客などのことを考えてバイアスをかけるような映画にはせず、本当にあっただろう、台湾原住民の風俗や習慣を描いたのだと思う。

ただ、CGを多用していて、ややあざといなあ、つかれるなあ、という感じも否めなかった。

この辺からネタばれになるので、見ていない人はご注意。
霧社事件は日本の植民地下にあった台湾で原住民による最大にして最後の抵抗運動であり、その後、日本側も台湾統治のやり方を改めて、日本語と日本名を強制し、日本の先進的な文明を含めて台湾に導入し、その結果、今の台湾の繁栄の基礎を作った、ともいえるのだが、霧社事件を経て、明治維新以降、日本人が「忘れてしまっていた」という「武士道」を思い起こすきっかけになった(と映画は訴えているように見える)という筋になっている。

もちろん、第二次世界大戦の東南アジアの戦場で、ジャングルでのゲリラ戦が得意な台湾原住民出身の「日本兵」は、その幼いときから置かれてきた環境と身上を活かして大活躍するのだが、霧社事件での戦い方にそれを彷彿とさせるものもある。

また、日本の文明に触れ、日本人として生きていこうとする一部の原住民の苦悩も描かれていて、中国では間違いなく撮れない映画、台湾でなければ撮れない作品に仕上がったと思う。

出てくる日本人と、原住民、そしてそこに寄生している漢人の描き方を見ても、漢人への描き方が一番情けない風にしていることも含めて、台湾と大陸が一体でない、別な存在だ、ということを主張しているように思える。日本人の中にも原住民の言葉を操り、彼らと交流している警官を描いている。彼らのような日本人の苦悩を描くだけでも、全然中国大陸とは違う扱いだということがわかる。

いかんせん、暴力シーンがあまりに残酷なことが、国際的な賞から遠のいたと見られる。また、欧州などで見られているのは大幅にカットして短くした簡略版で、それでは原住民と日本人の交流や悩みがうまく描けていないとの指摘もあった。

全体を通じて、ほとんどが原住民の言葉と一部日本語なので、それを中国語字幕で見るのもちょっとつらい。原住民語を日本語字幕で読むと、また少し印象が変わるかもしれない。ゴールデンウィークの上映が楽しみだ。



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