安保法案は憲法違反(2)―墓穴を掘る自民の砂川判決の引用―
6月4日の憲法審査会において,参考人として呼ばれた三人の憲法学者が,全員,安保法案は憲法違反であることを明言したことにショックを受け,
自民と公明は,その釈明と火消しにあたふたとしています。
現在審議中の安保法案は,集団的自衛権を前提としており,その集団的自衛権そのものが憲法違反である,ということになれば,安保法案の審議
そのものが無意味になってしまうからです。
前回の記事でみたように,3人の憲法学者の見解は理路整然として,誰もが納得できる,安保法安が憲法違反であることの説明になっていました。
自民党執行部は翌5日に続き9日にも,安保法案の合憲性を訴える文書を所属議員に配布しました。
この文書も含めて,執行部はさまざまな場所で弁明におわれていますが,その弁明はほとんど支離滅裂といった感があります。
文書は,「日本を取り巻く安全保障環境が大きく変化する中,抑止力を高めて戦争を未然に防ぐ必要」を訴えています。
この種の主張の根本的な間違いは,では,安全保障環境が大きく変化した,と政府が判断すれば,憲法を逸脱して軍事行動を拡大することができ
るか,という点にあります。
日本は法治国家ですから,もし憲法を超えた軍事行動が必要なら,憲法そのものを変えなければなりません。
憲法を変えるのは大変だから,実質的に改憲と同じ効果を持つ,解釈の変更で突破してしまおう,というのが今の自民党の方針で,それを側面で
支えているのが,公明党という図式です。
今回は,安倍首相の代理を務める菅官房長官の言動を中心に見てみましょう。
4日の憲法審査会が行われた後の記者会見で,菅官房長官は,「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と述べました。
翌5日。それでは合憲を主張する学者名が誰かを問われて,「憲法学者全員が今回のことに見解を発表することはない」と答えています。
当たり前です。誰も全員が見解を発表すべき,などと言ってはいません。
これほど稚拙な釈明をしなければならないほど,普段はクールな菅氏が動揺していることを示しています。
ところが,菅氏と政府にとって,事態はさらに悪化してゆきます。
10日の安保法案に関する衆議院の特別委員会で,200人を超える憲法研究者が安保法案は違憲だと表明している,との指摘を受けて,
「数(の問題)ではない」と述べた後,「私自身が知っているのは10人程度」と,合憲論者も「たくさん」から「10人程度」と言い直しました。
ようやく実名を挙げた憲法学者が,百地章日本大学教授,長尾一紘中央大学名誉教授,西修駒澤大学名誉教授の,三人でした。
(この三人の見解については次回に紹介します)
同日の記者会見では,「憲法学者のどの方が多数派で,どの方が少数派ということは重要じゃない(違憲という憲法学者は)一方の見解だ」。
ここでも,菅氏の言葉には,自分でも気が付いていないかもしれない,矛盾があります。
当初は,合憲派の憲法学者も「たくさんいる」と数を強調していたのに,後になると,200人の憲法学者が違憲であると言われると,数は問題
ではない,という風に変わってゆきます。
数の問題では不利とみて,菅氏は衆議院特別委員会では「憲法の番人は最高裁だ」とし,最高裁の砂川事件判決(1959年)を念頭に,「われ
われは最高裁の判決を含め合憲だと思っている」と弁明しています。
政府は,砂川事件判決を,集団的自衛権が合法であることの,ほとんど唯一の法的根拠としています。
しかし,ここには大きな問題があり,自ら墓穴を掘る可能性があります。
砂川判決についてはマスメディアで詳しく解説されていますが,ここではごく簡単に示しておきます。
1957年7月,東京都砂川町(現立川市)の在日米軍の基地拡張に反対する住民が,米軍基地に入り込んだとして,7人が日米安保条約に基づく
刑事犯として起訴されました。
この事件を審査した一審の東京地裁は,1959年3月,在日米軍の存在は,「戦力の不保持」と規定した憲法9条2項に違反しており,7人は無罪
としました(伊達判決)。
しかしこの事件の審査は,通常の裁判手続とは異なり,なぜか東京高裁を飛ばして,いきなり最高裁に持ち込まれ,歳の瀬も押し詰まった12月
16日,最高裁の田中耕太郎裁判長は一審の判決を破棄し,東京高裁に差し戻す判決を下しました。
最終的に,起訴された7人は1961年に有罪となります。
最高裁の判決の要点は以下の4つです。
①憲法は固有の自衛権を否定していない ②国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを憲法は禁じていない
③したがって,駐留米軍は違憲ではない ④安保条約のような高度な政治性をもつ案件は裁判所の判断になじまない
現在の政府は,①と②をもって,集団的自衛権は合憲であることの法的根拠にしていますが,これは,あまりにも暴論です。
国が自衛権をもつことは当たり前で,そのために必要な措置をとることも認められています。
ただ,この場合,の自衛権は個別的自衛権で,日本と同盟にある他の国の戦争に参加できる集団的自衛権を認めたものではありません。
この判決後,岸信介首相は,集団的自衛権の行使について「自国と密接な関係にある他国が侵略された場合,自国が侵害されたと同じような立場
から他国に出かけて防衛することは憲法においてできないことは当然(1960年2月10日 参院本会議で)と,集団的自衛権を,はっきり否定していま
す(『東京新聞』2015年6月11日)。
この根本的な点を,政府は意図的に無視しています。さらに深刻なのは,「砂川判決」自体がアメリカの圧力で作り上げられたものであることがほぼ
明らかになりました。
これまで,当時の事実関係について正確な事情は分かりませんでしたが,最近,当時のアメリカの公文書が許可され,そこで砂川事件裁判の背景
を明らかにされています。
これを考える前提として,1959年12月という年月が持つ意味を確認しておく必要があります。
すなわち,翌年の1960年には安保条約の改定が予定されていたのです。
そのような背景の下で,アメリカの公文書によると,伊達判決が出るや否や,駐日アメリカ公使と最高裁の田中裁判長が非公式に会談し,田中氏は
「裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ,世論を不安定にする少数意見を回避する」と伝えました(注1)。
また,この文書を読んだ中島岳志北海道大学準教授によると,一審の伊達判決がでるとすぐに,駐日アメリカ大使は外務省に出向き,高等裁判所を
飛び越えて,審理を直ちに最高裁に移し,駐留米軍に関して合憲判断をするよう圧力をかけことが記されています。
この経過を知れば,なぜ,一審から二審の高等裁判所を飛び越えて一気に最高裁に移したのかが理解できます。
つまり,安保条約の改定に間に合わせるために,直ちにアメリカの望む判決を出すよう圧力をかけたのです。
そして,最高裁の判決前日に田中裁判長はアメリカ当局に,駐留米軍は合憲とすることを伝えていたことも分かりました。(注2)
つまり,当時の日本では司法権の独立しておらず,1959年の最高裁判決は,アメリカの脚本と振り付けと圧力で,日本の最高裁判所の田中裁判長
(実際には日本政府)が脚本どおりに演ずる,という日米合作だったのです。
しかし,マスメディアも憲法学者も(私が知る限り中島氏を除いて)はこうした経緯には触れません。アメリカまで行って公文書を読でない
のかも知れません。
アメリカの圧力と介入という側面の他にも問題はあります。最高裁判決は,米軍の存在が合憲か違憲かだけを判定し,集団的自衛権には一切触れ
てはいません。
したがって,59年の最高裁判決集団的自衛権の法的根拠にはなりません。
そして,このように政治性を帯びた案件は裁判にはなじまない,と裁判長が判決で述べており,中島准教授がいうように,この判決はいかなる意味
でも日本政府に,何らかの「お墨付き」を与えたものではありません。
以上に述べたように,59年の最高裁判決は,どこから見ても集団的自衛権の法的根拠にはなりえません。
それどころか,アメリカの圧力で作り上げられた判決であることが明らかになってしまいました。
菅官房長官は,それでも,「最高裁判決」をもって,集団的自衛権を前提とした今回の安保法案は合憲であると言い張っています。
これにたいして,自民党内部からも木村義雄参院議員は,砂川事件の最高裁判決を集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈について「短絡的だ。
後で傷口を広げるので言わないほうがいい」と求めました(『東京新聞』2015年6月10日)。
木村議員が言うように,砂川事件の最高裁判決の正当性,公平性に疑義がでて否定されれば,自民党の主張は一気に崩れてしまいます。
その時,この最高裁判決を持ち出すことは,「傷口を広げ」自ら墓穴を掘ることになります。
『朝日新聞』6月11日の社説は,「また砂川とは驚きだ」と題して,「3人の憲法学者の指摘に、安倍政権が50年以上前の最高裁判決を持ち出して
反論しているが、その主張は牽強付会(けんきょうふかい)(注4)というしかない」と書いています。
安倍首相はG7サミット後の記者会見で、「今回の法整備にあたって憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない。この基本的論理は、砂川事件
に関する最高裁判決の考え方と軌を一にする」と語りました。
自民党は泥沼に足を突っ込んでいっています。しかし,無理にでも,砂川判決を持ち出さなければならないほど,政府の安保法案は根拠がないこと
をはっきりと物語っています。
先の憲法審査会で自民・公明推薦の憲法学者,長谷部氏は15日にの会見で,政府が砂川判決を手段的自衛権の根拠としていることに対して「わら
にもすがる思いで砂川判決を持ち出してたが,国民を愚弄している」と痛烈に批判しました(『朝日新聞』2015年6月17日)。
これが,国民の正常な感覚というものでしょう。
(注1)Yahoo News 2015年4月8日(2015年6月11日アクセス)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20130408-00024312/
このニュースで引用されている NHKニュースは現在アクセスできない。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130408/k10013746941000.html
(注2)2015年6月10日,テレビ朝日「報道ステーション」での中島氏の説明。
(注3)『朝日新聞』デジタル版(社説) 2015年6月11日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11801925.html
(注4)「牽強付会」とは,道理に合わないことを無理にこじつけ、理屈づけること。
---------------------------------------------------------------------------------
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/61/ebc208f3a18904b609d73f981c5a42ba.jpg)
フランボオアーズの収穫は今が最盛期です。家の片隅に生えている木から毎日,これほどの実が採れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/52/8e7c2e5c52342a9ed607f017f627a80f.jpg)
今年の収穫から最初に作ったフランボアーズ・ジャムです。今回は4ビンできました。今年中には,あとどれくらいの
ジャムができるか楽しみです。
6月4日の憲法審査会において,参考人として呼ばれた三人の憲法学者が,全員,安保法案は憲法違反であることを明言したことにショックを受け,
自民と公明は,その釈明と火消しにあたふたとしています。
現在審議中の安保法案は,集団的自衛権を前提としており,その集団的自衛権そのものが憲法違反である,ということになれば,安保法案の審議
そのものが無意味になってしまうからです。
前回の記事でみたように,3人の憲法学者の見解は理路整然として,誰もが納得できる,安保法安が憲法違反であることの説明になっていました。
自民党執行部は翌5日に続き9日にも,安保法案の合憲性を訴える文書を所属議員に配布しました。
この文書も含めて,執行部はさまざまな場所で弁明におわれていますが,その弁明はほとんど支離滅裂といった感があります。
文書は,「日本を取り巻く安全保障環境が大きく変化する中,抑止力を高めて戦争を未然に防ぐ必要」を訴えています。
この種の主張の根本的な間違いは,では,安全保障環境が大きく変化した,と政府が判断すれば,憲法を逸脱して軍事行動を拡大することができ
るか,という点にあります。
日本は法治国家ですから,もし憲法を超えた軍事行動が必要なら,憲法そのものを変えなければなりません。
憲法を変えるのは大変だから,実質的に改憲と同じ効果を持つ,解釈の変更で突破してしまおう,というのが今の自民党の方針で,それを側面で
支えているのが,公明党という図式です。
今回は,安倍首相の代理を務める菅官房長官の言動を中心に見てみましょう。
4日の憲法審査会が行われた後の記者会見で,菅官房長官は,「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と述べました。
翌5日。それでは合憲を主張する学者名が誰かを問われて,「憲法学者全員が今回のことに見解を発表することはない」と答えています。
当たり前です。誰も全員が見解を発表すべき,などと言ってはいません。
これほど稚拙な釈明をしなければならないほど,普段はクールな菅氏が動揺していることを示しています。
ところが,菅氏と政府にとって,事態はさらに悪化してゆきます。
10日の安保法案に関する衆議院の特別委員会で,200人を超える憲法研究者が安保法案は違憲だと表明している,との指摘を受けて,
「数(の問題)ではない」と述べた後,「私自身が知っているのは10人程度」と,合憲論者も「たくさん」から「10人程度」と言い直しました。
ようやく実名を挙げた憲法学者が,百地章日本大学教授,長尾一紘中央大学名誉教授,西修駒澤大学名誉教授の,三人でした。
(この三人の見解については次回に紹介します)
同日の記者会見では,「憲法学者のどの方が多数派で,どの方が少数派ということは重要じゃない(違憲という憲法学者は)一方の見解だ」。
ここでも,菅氏の言葉には,自分でも気が付いていないかもしれない,矛盾があります。
当初は,合憲派の憲法学者も「たくさんいる」と数を強調していたのに,後になると,200人の憲法学者が違憲であると言われると,数は問題
ではない,という風に変わってゆきます。
数の問題では不利とみて,菅氏は衆議院特別委員会では「憲法の番人は最高裁だ」とし,最高裁の砂川事件判決(1959年)を念頭に,「われ
われは最高裁の判決を含め合憲だと思っている」と弁明しています。
政府は,砂川事件判決を,集団的自衛権が合法であることの,ほとんど唯一の法的根拠としています。
しかし,ここには大きな問題があり,自ら墓穴を掘る可能性があります。
砂川判決についてはマスメディアで詳しく解説されていますが,ここではごく簡単に示しておきます。
1957年7月,東京都砂川町(現立川市)の在日米軍の基地拡張に反対する住民が,米軍基地に入り込んだとして,7人が日米安保条約に基づく
刑事犯として起訴されました。
この事件を審査した一審の東京地裁は,1959年3月,在日米軍の存在は,「戦力の不保持」と規定した憲法9条2項に違反しており,7人は無罪
としました(伊達判決)。
しかしこの事件の審査は,通常の裁判手続とは異なり,なぜか東京高裁を飛ばして,いきなり最高裁に持ち込まれ,歳の瀬も押し詰まった12月
16日,最高裁の田中耕太郎裁判長は一審の判決を破棄し,東京高裁に差し戻す判決を下しました。
最終的に,起訴された7人は1961年に有罪となります。
最高裁の判決の要点は以下の4つです。
①憲法は固有の自衛権を否定していない ②国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを憲法は禁じていない
③したがって,駐留米軍は違憲ではない ④安保条約のような高度な政治性をもつ案件は裁判所の判断になじまない
現在の政府は,①と②をもって,集団的自衛権は合憲であることの法的根拠にしていますが,これは,あまりにも暴論です。
国が自衛権をもつことは当たり前で,そのために必要な措置をとることも認められています。
ただ,この場合,の自衛権は個別的自衛権で,日本と同盟にある他の国の戦争に参加できる集団的自衛権を認めたものではありません。
この判決後,岸信介首相は,集団的自衛権の行使について「自国と密接な関係にある他国が侵略された場合,自国が侵害されたと同じような立場
から他国に出かけて防衛することは憲法においてできないことは当然(1960年2月10日 参院本会議で)と,集団的自衛権を,はっきり否定していま
す(『東京新聞』2015年6月11日)。
この根本的な点を,政府は意図的に無視しています。さらに深刻なのは,「砂川判決」自体がアメリカの圧力で作り上げられたものであることがほぼ
明らかになりました。
これまで,当時の事実関係について正確な事情は分かりませんでしたが,最近,当時のアメリカの公文書が許可され,そこで砂川事件裁判の背景
を明らかにされています。
これを考える前提として,1959年12月という年月が持つ意味を確認しておく必要があります。
すなわち,翌年の1960年には安保条約の改定が予定されていたのです。
そのような背景の下で,アメリカの公文書によると,伊達判決が出るや否や,駐日アメリカ公使と最高裁の田中裁判長が非公式に会談し,田中氏は
「裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ,世論を不安定にする少数意見を回避する」と伝えました(注1)。
また,この文書を読んだ中島岳志北海道大学準教授によると,一審の伊達判決がでるとすぐに,駐日アメリカ大使は外務省に出向き,高等裁判所を
飛び越えて,審理を直ちに最高裁に移し,駐留米軍に関して合憲判断をするよう圧力をかけことが記されています。
この経過を知れば,なぜ,一審から二審の高等裁判所を飛び越えて一気に最高裁に移したのかが理解できます。
つまり,安保条約の改定に間に合わせるために,直ちにアメリカの望む判決を出すよう圧力をかけたのです。
そして,最高裁の判決前日に田中裁判長はアメリカ当局に,駐留米軍は合憲とすることを伝えていたことも分かりました。(注2)
つまり,当時の日本では司法権の独立しておらず,1959年の最高裁判決は,アメリカの脚本と振り付けと圧力で,日本の最高裁判所の田中裁判長
(実際には日本政府)が脚本どおりに演ずる,という日米合作だったのです。
しかし,マスメディアも憲法学者も(私が知る限り中島氏を除いて)はこうした経緯には触れません。アメリカまで行って公文書を読でない
のかも知れません。
アメリカの圧力と介入という側面の他にも問題はあります。最高裁判決は,米軍の存在が合憲か違憲かだけを判定し,集団的自衛権には一切触れ
てはいません。
したがって,59年の最高裁判決集団的自衛権の法的根拠にはなりません。
そして,このように政治性を帯びた案件は裁判にはなじまない,と裁判長が判決で述べており,中島准教授がいうように,この判決はいかなる意味
でも日本政府に,何らかの「お墨付き」を与えたものではありません。
以上に述べたように,59年の最高裁判決は,どこから見ても集団的自衛権の法的根拠にはなりえません。
それどころか,アメリカの圧力で作り上げられた判決であることが明らかになってしまいました。
菅官房長官は,それでも,「最高裁判決」をもって,集団的自衛権を前提とした今回の安保法案は合憲であると言い張っています。
これにたいして,自民党内部からも木村義雄参院議員は,砂川事件の最高裁判決を集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈について「短絡的だ。
後で傷口を広げるので言わないほうがいい」と求めました(『東京新聞』2015年6月10日)。
木村議員が言うように,砂川事件の最高裁判決の正当性,公平性に疑義がでて否定されれば,自民党の主張は一気に崩れてしまいます。
その時,この最高裁判決を持ち出すことは,「傷口を広げ」自ら墓穴を掘ることになります。
『朝日新聞』6月11日の社説は,「また砂川とは驚きだ」と題して,「3人の憲法学者の指摘に、安倍政権が50年以上前の最高裁判決を持ち出して
反論しているが、その主張は牽強付会(けんきょうふかい)(注4)というしかない」と書いています。
安倍首相はG7サミット後の記者会見で、「今回の法整備にあたって憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない。この基本的論理は、砂川事件
に関する最高裁判決の考え方と軌を一にする」と語りました。
自民党は泥沼に足を突っ込んでいっています。しかし,無理にでも,砂川判決を持ち出さなければならないほど,政府の安保法案は根拠がないこと
をはっきりと物語っています。
先の憲法審査会で自民・公明推薦の憲法学者,長谷部氏は15日にの会見で,政府が砂川判決を手段的自衛権の根拠としていることに対して「わら
にもすがる思いで砂川判決を持ち出してたが,国民を愚弄している」と痛烈に批判しました(『朝日新聞』2015年6月17日)。
これが,国民の正常な感覚というものでしょう。
(注1)Yahoo News 2015年4月8日(2015年6月11日アクセス)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20130408-00024312/
このニュースで引用されている NHKニュースは現在アクセスできない。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130408/k10013746941000.html
(注2)2015年6月10日,テレビ朝日「報道ステーション」での中島氏の説明。
(注3)『朝日新聞』デジタル版(社説) 2015年6月11日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11801925.html
(注4)「牽強付会」とは,道理に合わないことを無理にこじつけ、理屈づけること。
---------------------------------------------------------------------------------
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/61/ebc208f3a18904b609d73f981c5a42ba.jpg)
フランボオアーズの収穫は今が最盛期です。家の片隅に生えている木から毎日,これほどの実が採れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/52/8e7c2e5c52342a9ed607f017f627a80f.jpg)
今年の収穫から最初に作ったフランボアーズ・ジャムです。今回は4ビンできました。今年中には,あとどれくらいの
ジャムができるか楽しみです。