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大木昌の雑記帳

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大坂なおみの優勝―笑顔と涙とブーイングの中で―

2018-09-16 09:16:16 | スポーツ
大坂なおみの優勝―笑顔と涙とブーイングの中で―

2018年9月8日(日本時間9日)、ニューヨークで行われたテニスの全米オープン女子シングルス
で大坂なおみ(20)が優勝しました。

全米オープンは、全豪、全英、全仏とならんで世界の4大大会の一つで、テニスを志す人ならだれで
も目指す、最高位の大会です。

私自身は、ずっと昔、少しやっただけのテニスのにわかファンです。それでも、今回の全米オープの
準決勝のマディソン・キーズ(23才 米国)との試合を見た時、ひょっとすると大坂は優勝するか
もしれない、と予感しました。

何よりも大阪の、身長180センチの長身から繰り出す時速200キロの超高速サーブのパワーに圧
倒されました。しかし私はテニスについては素人ですから、それ以外の技術的な面については全く分
かりません。

そこで、ここではまず、彼女の言動から彼女の強さの秘密や人物像を書いてみたいと思います。

大坂が決勝戦で対戦した相手は、四大大会での優勝は通算23回という、とてつもない記録をもつセ
リーナ・ウィリアムス(36才)でした。大坂にとってセリーナは子供の頃から憧れのスターで、彼
女を目指してテニスをやってきました。

大坂に続いて入場したセリーナはひときわ大きな歓声で迎えられました。セリーナは昨年9月の出産
を経てから初の復帰戦です。会場は彼女の「母でも優勝」、全米制覇を期待する観客の熱気に包まれ
ていました。

このような完全アウェーの中で決勝戦にのぞんだのに、大阪は終始冷静さを失いませんでした。

彼女はインタビューで、以前と比べて何が強くなったのかと聞かれて、メンタルが強くなった、と答
えています。

以前、彼女は試合中でも泣いてしまうことがしばしばありました。そんな「泣き虫」の彼女がネガテ
ィブ(否定的、悲観的)な感情をポジティブ(肯定的、積極的)に変えることができるようになった
のです。

その変化を大坂は後で「ポジティブになることでポイントが取れることを信じている。それができた
と思う」と振り返っています(『東京新聞』2018年9月1日)。

これは、コーチのサーシャ・バインが、彼女がネガティブになったとき、膝まずいて、見上げるよう
な位置から、“ナオミならできる”と、優しく語りかけてきたことで彼女を精神的に安定させ、自信
を持たせるたことに依るところが大きかったと思います。

サーシャは練習コートで大坂の横に座り、カウンセラーのように話しかける姿は毎日の定番だったそ
うで(注1)。

サーシャ(33才 ドイツ出身)は、昨年の12月に大阪なおみのコーチに就任したばかりですが、
その当時のランキング68位から今回の優勝で7位まで一気に上げさせました。

サーシャはコーチとして理想的な選手の育て方を示してくれました。上から目線で怒鳴ったりひっぱ
たいたりして選手を成長させる、これまでの日本のスポーツ界の方法とはまるで正反対です。

インタビューで、この大舞台でどのようにして冷静さを保つことができたのか、との質問に大阪は、
試合中は常に試合に集中することを第一に心がけたこと、一球ごとに“あなたならできる”(You can
do it)と心でつぶやきながら打っていた、と答えています。

サーシャの「魔法の言葉」が彼女の心と身体に、文字通り血肉化していることが分ります。

サーシャが大阪に会った最初の印象は「恥ずかしがり屋で愛らしい」、だったそうです(注2)。

確かに、大坂のインタビューの答え方もいつも控え目で謙虚です。

こんな彼女の性格は優勝の受賞式のスピーチにも現れていました。まだあどけなさの残る瞳からこぼれ
落ちたのは、世界の頂点に立った喜びの涙ではありませんでした。

優勝したのに、会場にはブーイングが鳴り響いていました。大坂は、このブーイングは観衆の期待に反
して優勝してしまったことに対するセリーナ・ファンの不満の表れだと感じ取ったのでしょう。

こんな中での、表彰式でのセリーナと大坂の言葉は、ある意味で今回の決勝戦で最も感動的でした。少し
長くなりますが引用します。
  「質問とは違うことを話します」と口にし、こう続けた。「みんな(観客)が彼女(セリーナ)を応
  援しているのは分かっています。こんな終わり方で残念です*」。会場は一瞬、静まりかえった。そ
  してS・ウィリアムズに「全米決勝で戦う夢がかないました。対戦してくれて、ありがとう」と声を
  かけ、小さく頭を下げた。普段は快活な大坂が見せた神妙な姿。ブーイングは収まり、観客は高々と
  優勝トロフィーを掲げた新女王に、温かい声援を送った。
 
  試合後の記者会見。大坂が声を詰まらせる場面があった。「彼女(セリーナ)が24回目の4大大会
  優勝をしたかったのは分かっていた。でも、私はコートに足を踏み入れたら別人のような気持ちにな
  る。セリーナのファンではない。でも、(試合後に)彼女をハグした時……」。約10秒間の沈黙後、
  かつてのアイドルの心中を思い、「また子供の時のような気持ちになったの」と涙をぬぐった。心の
  優しい20歳の女性の姿があった(注3)。
  
  *“I am sorry”を “ごめんなさい”という謝罪の言葉に訳すのはちょっと問題かもしれません。
  この文脈では、セリーナと審判との対立やセリーナへのペナルティーなどの問題を含んだ試合になっ
  てしまって残念です、と言うほどの意味だと思われます。

まだあどけなさが残る20才の女性が、これだけ自分を冷静に見つめ、相手に対する心遣いができるとは、
本当に驚きですし、感動しました。

ところで私はセリーナの言動について、少しだけ弁護しておきたいと思います。

日本のメディアは、セリーナは試合が思うようにゆかないことにイライラしてラケットをコートに投げつ
けて壊し、審判に八つ当たりしたかのような報道の仕方をしています。
確かに、祖の面は否定できません。ラケットを投げつけて壊したのは問題です。罰則としてまず審判が1
ポイントを大阪に与えたこともルール通りです。それにたいしてセリーナが激しい抗議をすると続いて1
ゲームのペナルティを課しました。

セリーナは審判に「泥棒」「謝りなさい」と激しい暴言を投げつけました。しかし、セリーナにも言い分
はあります。

試合後の会見で「私は男子選手が審判にいろいろ言うのをみてきた。私は女性の権利と平等のために戦っ
ている。男子選手が「泥棒」と言ってもゲームを奪わない、と抗議しています。

一方、ビリー・ジーン・キング*さんは、「女子が感情的になった時、その選手はヒステリックだと処分
される。男子が同じことをした時、率直だとして問題にならない」とセリーナを擁護しています(『東京
新聞』2018年9月11日)。

さらに彼は「黒人女性がリーダーシップに至るまでの道が、きょうほど閉じられていると思った日はない」
とし、「セリーナと男子選手との扱われ方には差がある」と批判しました。女子テニス協会(WTA)も、
その意見に賛同しています(注4)。

 *四大大会12勝、今回の会場の名前ともなっており、映画「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」のモデル
 でもある

私たちは、ともすると女性差別や、(今回は言葉には出しませんでしたが)、人種差別にあまり敏感ではあり
ませんが、国際社会ではとても重要な問題であることも理解すべきだと思います。

もう一つ、私がセリーナの抗議のなかでズシンと胸に響いた言葉がありました。それは、そもそも今回の抗
議の発端となった審判の判定についてでした。

決勝ではコーチはコートにでることもアドバイス(コーチング)することも禁止されています。ところが、
セリーナのコーチは観客席から、胸の前で両手の平を合わせるようなしぐさをしている姿が映像にあります。

審判はこれをコーチングと判断して警告しました。これに対してセリーナは、断じてコーチングではないと
抗議します。私は娘のためにも、そのようなずるいことは決していない(not cheating)と、審判に猛烈に抗
議します。(なぜか、日本のメディアはこの部分を取り上げません)

彼女の心の中には、女性差別、人種差別への怒りと、娘に対しても、お母さんは試合でずるいことをした、
ということは絶対に認めることはできない、という抗議が入り混じっていたのでしょう。

セリーナは、試合直後に大阪を抱きしめ、「あなたは勝者にふさわしい」と称え、観客席に向かって、「も
うブーイングはやめて」と呼びかけました。

そして表彰式でも、セリーナは“彼女(大坂)はいいプレーをした”。自分を応援する会場からブーイング
が起こったことに触れ、“最高の瞬間にしましょう。もうブーイングはやめて。おめでとう、ナオミ!”と、
アスリートらしい素直さで大坂を称えています(注3とおなじ)。

表彰式でブーイングした観客以上に大坂なおみの優勝を傷つけたのは、この式で全米テニス協会会長のカト
リーナ・アダムスが「私たちが求めた結末ではなかった」「セリーナは王者の中の王者」と、あくまでもア
メリカの優勝だけを望んでいたことを口にしたことです。

『ニューヨーク・タイムズ』は「怒りとブーイングと涙が大坂なおみの素晴らしい勝利を曇らせた」と解説。
『ニューヨーク・ポスト』は、表彰式で観客が大坂にブーイング、全米テニス協会の会長の発言に、「勝者
を侮辱するような対応をした」と指摘し、また、同紙の別の記事では表彰式で泣き続けた大坂に同情し、
「覇者として純粋な喜びの瞬間であるべきだった」と指摘しました(注5)。

主催側の全米テニス協会会長という立場の人間がこれほど勝者を侮辱する発言をするとは驚きを通り越して
怒りを感じます。しかし、女性差別の問題と同様、なぜか日本ではこれをあまり問題にしていません。

テニス界にもトランプ流の「アメリカ・ファースト」が蔓延しているのでしょうか?

最後に、日本のメディアは「日本人の大坂なおみ」「日本人としては」という点をことさら強調しています。
もちろん、これは私にとっても誇らしいし嬉しいことです。しかし、彼女は日本人の母とハイチ人の父をもち、
アメリカで育っています。彼女のテニスを育てたのはアメリカ社会だし、もっとも重要な役割をはたしたサー
シャ・コーチはドイツ人です。まさに彼女自身が国際人、インターナショナルな存在です。

大坂は日本でのインタビューで、アイデンティティについて問われました。インタビューアーは、少しでも
「日本人」という言葉を引き出したかったのでしょうが、大阪は、「そういうことは考えたことはありません」
とあっさり答えました。これが素直な実感なのでしょう。

私にとっては、女子テニス界に大阪なおみという若いスーパー・スターが現れた、という印象も強くあります。
私の趣味の囲碁の世界では昔から、韓国、中国、台湾、香港の出身のトップ棋士がたくさんいます。しかし、
日本人だけを応援するといより、素晴らしい碁を見せてくれることに関心があります。

(注1)『毎日新聞』デジタル版(2018年9月19日)https://mainichi.jp/articles/20180910/spn/00m/050/009000c?fm=mnm
    『毎日新聞』デジタ版(2018年9月10日)https://mainichi.jp/articles/20180910/spn/00m/050/009000c?fm=mnm
(注2)『毎日新聞』デジタル版(2018年9月7日)https://mainichi.jp/articles/20180908/k00/00m/050/069000c#cxrecs_s
(注3)『毎日新聞』デジタル版(2018年9月10日)    https://mainichi.jp/articles/20180910/k00/00m/050/076000c?fm=mnm   
(注4)『日経ビジネスONLINE』(2018/9/14 6:30) 
     https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35259000S8A910C1000000/
(注5)『Gunosy ココカラネクスト』(2018年9月10日)https://gunosy.com/articles/RW1sh

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笑顔でインタビューを受ける大坂なおみ  『東京新聞』(2018年9月11日)より



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金足農業高の快挙―“純”なるものが呼び起こす感動―

2018-08-26 05:58:54 | スポーツ
金足農業高の快挙―“純”なるものが呼び起こす感動―

今年の夏の全国高等学校野球選手権大会(略して甲子園)は100回目を迎え、8月5日にスタート
しました。

優勝はすでに報道されているように、大阪桐蔭高でした。しかし、感動を与えてくれたのは、何とい
っても秋田県代表の金足農業高の大健闘でしょう。

恐らく多くの野球ファンは、決勝戦は大阪桐蔭高と横浜高になるだろう、と予想していたと思います。

しかし、金足農業が次々と勝ち進んで行くにつれて、“一体、何が起こったんだ”、という驚きと感
動が広がってゆきました。

今年の金足農業の何が人々を感動させたのでしょうか? これを考える前に、少しだけ金足農業の甲
子園での成績を振り返ってみましょう。

金足農業は、決して甲子園の“新参者”ではありません。昭和58年に初めて甲子園出場を果たして、
今年で9回目の甲子園です。もはや、常連校といってもいいでしょう。

今年の金足農業が決勝戦まで勝ち進んだのは、たまたま対戦相手に恵まれたからなのでしょうか?

そうとは言い切れません。というのも、一回戦の相手は、スポーツでは名門の鹿児島実業で、5対1
で破っています。二回戦の相手は、甲子園出場8回目の大垣日大高でした。出場経験は金足農業とほ
ぼ同じで、平成19年には準優勝もしています。その大垣日大高を6対3で破っています。

三回戦の相手は、名門横浜高校で、今年も優勝候補の一角を占めていました。実際、一回戦、二回戦
とも二ケタ安打で圧勝してきました。

この試合では、“奇跡”が起きました。それは、これまで公式戦ではホームランを打ったことがなか
った金足農業の高橋選手が3ラン・ホームランを打って逆転したことです。

もう一つ、金足農業のピッチャー、吉田輝星が最速の150キロを出し、横浜高を相手に14奪三振
を成し遂げたのです。金足農業は強豪横浜高を5対4で下しました。

この横浜戦に勝ったあたりから、人々は、金足農業について、俄然、関心を持ち始め、メディアは一
斉に、金足農業について連日報道するようになりました。

おそらく、普段は高校野球に関心などなかった人たちまで、金足農業というチーム、とりわけ投手の
吉田輝星君に関心を持つようになったようです。

金足農業は準々決勝で近江高と対戦しましたが、この時も、誰も想像できなかった劇的なツーラン・
スクイズを成功させて2点をもぎとり、3対2で逆転勝ちしました。

準決勝の対戦相手は日大三高でした。日大三高は今回、春夏の大会合わせて37回目の出場、優勝2
回という、大会屈指の強豪です。

この試合の結果は2対1で金足農業が勝ちましたが、その勝因はなんといても、吉田投手が、ヒット
を打たれながらも要所で相手を1点だけの最小得点で抑えたことです。

この時点で、決勝進出が決定し、世の中は、興奮の絶頂に達しました。“金農フィーバー”はもはや社
会現象といっても過言ではないほどの熱狂ぶりです。

スポーツ紙は6紙が、この「金農」(このように呼ぶようになりました)の快挙を大きく報じました。

以上みたように、ここまでの闘いそのものがドラマチックすぎるほどドラマチックでした。

秋田出身の小倉智昭氏は、朝の情報番組「とくダネ」で、“おれたちは100年待ったんだ”、と興奮
ぎみに語っていました。

決勝の相手は大阪桐蔭高でした。大阪桐蔭高といえば、優勝の常連校です。

しかし、恐らくこの試合に関心をもった人の8割以上が心の中で、金農に勝って欲しい、と願っていた
のではないでしょうか?

これは、金農への応援の気持ち込めた寄付が全国から寄せられ、あっと言う間に1億9000万円に達
したことからもわかります。

さて、試合ですが、吉田投手は、6回に、自分はもう投げられないから代わってくれ、と打川君に頼み、
マウンドを降りました。打川君は期待に応えて1点で抑えましが、結果は2対13の大差で敗けました。

これで大阪桐蔭は二度目の春夏連覇という偉業を達成したことになります。これは、大変な大記録です。
優勝して当たり前とのプレッシャーをはねのけて優勝した大阪桐蔭を称えるべきしょう。

金農ナインは、当然のことながら悔しさで泣いていましたが、球場で金農の応援をしていた人たちの間
にはそれほどの落胆ぶりは、見られず、むしろ晴れ晴れとした雰囲気が漂っていました。テレビ観戦を
していた人も同じでしょう。

さて、優勝校も決まって、高校野球の話題も一段落つくかと思っていたら、逆に終わってから後が大変
な騒ぎで、スポーツ紙だけでなく、一般紙までこれでもかというほど、大阪桐蔭の優勝よりも金農の準
優勝を称える内容を怒涛のごとく報じました。

通常は、準優勝校にたいしてこれほど注目が集まることはありません。しかし、メディアは、あたかも
金農が優勝したかのような扱いです。

しかし、この「金農フィーバー」はメディアが一方的に作り上げたものではなく、多くの国民が受けた
感動でもあったのです。

それでは、何が多くの人を、これほどまでに感動させたのでしょうか?

結論から言えば、多くの日本人は、金農の野球部、とりわけ吉田投手のひたむきさに、私たちが失って
しまった“純”なるものを感じ、感動したのだと思います。

いくつもの要因があるとおもいますが、思いつくままに挙げてみます。

①私学全盛の高校野球界にあって、公立高校である金農が決勝まで勝ち進んだことです。しかも、農業
高校という、スポーツとはあまり結びつかない高校です。

②金農の選手全員が秋田県の出身者であるという点です(つまり”純”秋田県産です!)。最近は、私
立の強豪高が全国から優秀な選手を集めて強化することは珍しくありません。

実際、優勝した大阪桐蔭は北海道から九州まで全国から選手を集めています。しかも、今回の大阪桐蔭
ナインのうち、6人までがU-18の日本代表になる選手であることが、これを物語っています。金農
はここまで、とにかく地元の選手を鍛え上げて、最善を尽くすことをモットーにしてきました。

③公立高校ですから、おそらく授業もしっかり出ていたのだと思われます。近年、野球の名門私立高で
は、選手は合宿所生活で、授業もあまり出ていない場合もあります。

企業でいえば大阪桐蔭は大都市の大企業で、金農は地方の中小企業のようなチームです。その金農が並
みいる強豪を倒して決勝まできたのですから、これは本当に快挙です

④1年のうち半年近くは雪のため、グラウンドで練習ができない不利な自然環境の中で、金高野球部の
選手たちは雑草のごとくただひたすら練習に励んできました。多くの人は、雪の中で長靴を履いて走り
込みをしている選手の姿を見て、一層、思いを熱くしたのでしょう。

⑤吉田投手が秋田の県大会か決勝までずっと一人で投げてきたことに対する驚きです。県大会ではすで
に5試合で636球、甲子園きにきてからも決勝までに749球も投げていたのです。しかも4試合連
続二桁奪三振、という素晴らしい結果を残していました。ちなみに大阪桐蔭には投手が16人もいます。

しかし、横浜戦が終わった時点で、「股関節が痛くて先発辞退しようか」と思うほど、体はボロボロ、
悲鳴を上げていました。それでも、決勝戦では、自らを奮い立たせて先発したことが、やはり胸を打ち
ます。(もちろん、これが良いか悪いかは別問題です)

⑥金農ナインは県大会からずっと、同じメンバーで闘ってきました。私たちは、そこで培われてきた信
頼関係、強いきずな、団結力を感じ取っていました。

⑦決勝戦で吉田君に代わって投げた打川君は、中学時代はピッチャーで4番でした。打川君は高校は別
の学校へ進学を考えていたのですが、吉田君に誘われて金農に進学しました。

この時、打川君は、“吉田と一緒ならエースにはなれないけど甲子園へはいける”との気持ちから、金
農のエースの座を吉田君に譲る決意で金農に進学した、という経緯があります。この二人の友情と相互
の信頼関係も私たちに、心温まる感動を与えてくれます。

以上を総合すると、公立高校という枠を踏み外さない金農野球部のあり方、選手それぞれが胸に秘めた
“純粋さ”、“ひたむきさ”に私たちは、“これこそ高校野球のあるべき姿だ、高校野球は、本来、こ
うでなくっちゃ”という思いを共有していたのではないでしょか。

一言でいえば、私たちが高校野球に求めていた“純なるもの”を金農の選手たちに感じ取ったからこそ、
多くの日本人は感動したのだと思います。

現実の大人の社会では“純なるもの”は、“青臭い”、“未成熟”と鼻で笑われてしまいますが、それでも
心の奥底では、“純なるもの”に対するあこがれを抱いています。

雪深い東北の「雑草軍団」にこれほどの称賛が寄せられたのは、心の奥底に眠っていた、このような日
本人の心情が呼び起こされたからでしょう。

例えは適切ではないかもしれませんが、かつて『冬のソナタ』という“純愛”を描いた韓国ドラマが大
ヒットしたことがありました。現実には、“純愛”なんてあり得ない、と思っている人でも、心のどこ
かで、純愛にあこがれを夢想していることの証です。

“純なるもの”"純粋”が私たちを惹きつけるのは、それが人間として、本来そうありたいと願う“原点”
だからでないでしょうか。





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貴乃花親方の理事解任―相撲協会・評議会の不公正な判断―

2018-01-07 08:47:00 | スポーツ
貴乃花親方の理事解任―相撲協会・評議会の不公正な判断―

2018年1月4日に開かれた、日本相撲協会の臨時評議員会で、貴乃花親方の理事解任が全会一致で決まりました。

この決定の問題については後に述べますが、一応、評議員会とはどんな組織なのかを確認しておきます。

委員会の構成は、全部で7人、うち外部委員が4名で内部(親方)委員が3名です。現在、議長は池坊保子(元文部
科学副大臣、引退前は公明党所属)、千家尊祐(出雲大社宮司)、小西彦衛(日本公認会計士協会監事)、海老沢勝
二(元日本放送協会会長)です。

そして、内部委員は、南忠晃(湊川親方 元小結 大徹)、佐藤忠博(大嶽親方 元十両 大竜)、竹内雅人(二子
山親方 元大関 雅山)の3名のです。

ただし、この委員会の議長や委員は、誰がどこで、どのような手続きで、どんな基準で選ばれたのかは、必ずしも明
らかでありません。

評議員会は、役員(理事 監事)の選任、解任の権限をもっている、公益財団法人日本相撲協会の最高決定機関とな
っています。今回の、貴乃花理事解任も、この権限を発動したことになります。

1月4日の臨時評議会では、委員7人のうち、海老沢氏と千家氏が欠席しており、評決は議長を除き4人で行われた
ことです(議長は、議決権は評決が半々の場合以外、ありません)。

海老沢氏の欠席理由は明らかではありませんが、12月の理事会の決定と、事前の報道などで、貴乃花理事の解任が
ほぼ既定路線となっていることが分かっていたので、海老沢氏は、出席をためらったのかもしれません。

また千家氏ですが、出雲大社の宮司という立場を考えれば、正月4日は現場を離れられないことは池坊議長も当然、
事前に分かっていたはずです。

史上、初めての理事解任という重要な問題を審議・決定するのですから、全員が出席できる日にちを設定すべきだっ
たと思います。池坊議長の日にち設定に疑問が残ります。

もし、二人が出席していて、それぞれの意見を言う機会があったら、評議会の雰囲気も審議も決定内容も変わってい
た可能性は十分にあります。

評議員会を急いだもう一つの理由は、1月14日の初場所までに、なんとか決着をつけてしまおう、という八角理事
長の意図があったのではないか、と推測されます。

私が納得できないのは、評議員でもない八角理事長と、協会ナンバー2の尾車親方(巡業部長)と高野危機管理委員
会委員長が同席していたことです。高野氏は、中間報告を書いた責任者ですから、評議会から質問を受ける可能性が
あるので、分かるとしても、八角理事長と尾車親方の同席は問題です。

内部委員の3人の親方は評議員としての経験も浅く、この二人の幹部の前ではとうてい自由に物が言える状況ではあ
りません。

実際、1月5日の上記テレビ番組で紹介された取材によれば、つまり、3人の内部委員のうち1人(テレビでは実名
は伏せてある)が、貴の花親方が提出した報告書にある、「12月巡業での診断書に関する部分は事実ですか」との
質問をしたそうです。

これは、貴の花親方が提出した報告書には、(貴の花または貴の岩)が一歩外に出れば報道陣に囲まれ病院にも行け
ず診断書が出せない、と理事会に説明したところ、八角理事長は「うなずき」、尾車親方は「わかった」、と言った
くだりを指しています。

この質問に激怒した八角理事長は声を荒げて「そんなこと言うわけないだろ。それだったら救急車を呼べばいいじゃ
ないか」と怒鳴ったということです。

その後、この委員は、シュンとなって何も言わなくなったようです。

以上はあくまでもテレビ局側の取材に基づくもので、事の真偽は分かりません。しかし、評議委員会の委員でもない
八角理事長とナンバー2が評議員会に同席すること自体(違法とはいわないまでも)やはり、異例のことで、もし、
そこで恫喝的な発言したとしたら、評議員会そのものの正当性にかかわる重大な問題です。

池坊議長は、貴の花理事会見の理由として、「巡業部長としての報告義務を怠ったこと」「その後協会の危機管理委
員会による事情聴取への協力要請を断り続け、理事として協会への忠実義務違反」を指摘しています。

また、会議後の記者会見で、八角理事長からの数回におよぶ電話にもかかわらず、まったく返信しなかったが、これ
は理事長という上司であり先輩に対して礼を欠いた行為である、と厳しく批判しました。

さらに池坊氏は、相撲道は『礼』に始まり『礼』も終わるのに、貴の花親方はこれを全く無視していた、という趣旨
の批判をし、そのうえで、「決議を厳粛に受け止め、真摯に反省し、今後は礼をもって行動してほしい、と厳しい批
判もしました。

池坊氏は、テレビの会見で「本当は日馬富士には引退してほしくなかった」と発言しています。下の者に暴行を加え
た調本人は礼を欠いていないとでもいうのでしょうか?

被害を受けた側を非難し、礼を欠いた加害者を露骨に擁護する、というのはたんに不公正であるだけでなく、池坊氏
個人の中で矛盾を感じないのでしょうか?

日馬富士は自ら引退したから、彼の罪はそれで帳消しになった、というのです。これほど、貴の岩や貴の花親方にた
いして礼を欠いた発言はありません。

日馬富士の引退は個人の判断ですが、理事会と評議員会は、刑事事件として有罪となった日馬富士の行為に対して、
当然、懲戒解雇を含む処罰の対象として審議すべきなのに、それをしていません。もはや、理事会も評議委員会もそ
の機能と責任を果たしていません。

実際、12月20に開かれた横綱審議委員会の臨時会合で、北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)は会見で、日馬
富士の暴行について「引退を勧告するに相当する事案だ」と述べています。これが普通の感覚でしょう。

会議の中で、池坊氏は、貴乃花親方から提出された報告書を全員で読んだ、言っていましたが、全体で59分しかな
かった審議時間のなかで、15ページもある貴乃花親方の報告書を、本当に全部読んだのだろうか? 私は信じられ
ません。

昨年の理事会の際には、理事の一人から八角理事長に、この報告書についてどう扱うかについて問われて初めて触れ
ましたが、貴の花親方に「何かありますか」と聞いただけで、まともに審議の対象にはしませんでした。

おそらく、評議委員会でも同様に、事実上この報告書を無視したのではないかと思われます。

審議会後の記者会見で池坊氏は、記者に、質問などはでなかったのかという質問に、正面から答えず、高野危機管理
委員長の最終報告もよく読んだうえで総合的に判断したと言っていました。

しかし、出席者の一人は、この報告の中の3か所だけに付箋が付けられており、全部読まれたわけではない、と言っ
ています(テレビ朝日 上記の番組)。

恐らく、貴の花親方に不利な部分だけを読んだのでしょう。

しかも、貴の危機管理委員長は、12月の中間報告で「すぐ貴の岩が『すみません』と謝ればその先に行かなかった」
と、被害者を悪者するという、とんでもない報告を書いた人物です。

私が相撲協会に不信感をいだくのは、例えば、八角理事長が事件後に関係者を集めて訓話を行ったさい、日馬富士の
暴力事件を念頭に、「何気ないちょっとした気持ちでやった暴力」と発言していますが、これも日馬富士の露骨な擁
護の姿勢がありありで、大いに問題です。

つまり、八角理事長は、こんなことは深刻に考える暴力ではなく、「ちょっとした気持ちでやった暴力」で、ことさ
ら大げさに取り上げるべき問題ではない、と言っているのです。

池坊氏がもし、「礼」の重要性を強調するなら、審判の判定に不満を示したり、優勝後に観客に万歳三唱を求めたり、
貴の花親方が巡業部長なら巡業に参加しない、日馬富士も貴の岩も二人とも土俵に上げたい、などという越権行為的
発言が行われた時、直ちに問題にすべきだったのです。

事件の5日後にはこの件について知っていた八角理事長が、直ちに問題の解決に乗り出さず放置しておいたことが大
きな問題です。つまり、現執行部は暴力体質を根本的に改める気はほとんどないようです。

もし、スポーツ紙にすっぱ抜なれなければ、内々に、うやむやにしてしまおうとしたのではないか、と疑われてもし
かたありません。

ところで、貴の花理事解任に関して、『朝日新聞』は5日の「社説」で、協会側の不手際を指摘しながらも、全体と
しては、貴の花親方に対しては、池坊氏の論調と同じ批判に重点をおいています。

また、5日の『毎日新聞』も、報告義務違反と、聴取に応じなかったという理事としての忠実義務違反を前面に出し
ています。やはり、記者クラブメディアの限界でしょう。

多くの力士も親方も、今、体制側につこうか中立を通すか、あるいは貴の花親方につこうか、じっと事態の推移を見
ている、といったところです。どちらにしても、相撲という伝統に自己保身や自己利益などをめぐる政治的な要素が
持ち込まれ、一相撲ファンの私としては不愉快です。

ところで、メディアは「貴の花親方は、少しでもみんなの前で言いたいことを言うべきである」と言っています。

これは一見、しごく当然のように聞こえますが、私は必ずしもそうだとは思いません。

協会幹部、危機管理委員会、評議員会や、テレビや新聞などのメジャーなメディアはこぞって、貴の花親方に批判的
であり、話しベタな貴の花親方が話しても、良い結果は生まれない、と貴の親方は考えているのでしょう。

貴の花親方にとって、もっとも賢いのは、批判も処分もしたいだけさせておいて、いつかの時点で、弁護士を通して
法廷で一挙に反撃にでることを考えているのかも知れません。


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イチローの本当のすごさ(3)―人間イチローとアメリカ社会―

2013-09-06 05:20:10 | スポーツ
イチローの本当のすごさ(3) ―人間イチローとアメリカ社会―


イチローにかんして前回まで,主にアスリートとしての類いまれな運動能力と成績について書いてきましたが,今回は,
人間イチローについて考えてみたいと思います。人間イチローの問題は,彼の社会的な影響と,個人としての苦悩と克服
の物語との二つの側面から考えてみたいと思います。

まず,イチローの社会的な影響から見てみましょう。それは,人々の関心や注目をどの程度集めたのか,簡単に言えば人気
という形で表れます。

アメリカに渡る前のイチローは,1994年に年間安打記録更新しました。そして,彼が属するオリックス・ブルーウエ-ブは
96年には巨人を破って日本一になりました。この時,新生オリックスの象徴は,20才そこそこのイチローだったのです。

この年の観客動員数は179万6000人で,東京・大阪の人気チーム,の巨人・阪神を上回りました。

しかし,このブームが過ぎると,翌97年からは観客数は激減し,1人1人の観客が数えられそうなほど閑散とした状況
になります。

それでもイチローの飛びぬけた能力に対する世間の評価は非常に高く,オールスター選には94年から7年連続で出場し,
その間に集めた票は630万票近かったのです。同時期に松井秀喜選手が獲得した票の1.5倍以上でした。名実ともに
日本のスーパースターでした。しかし97年以降,このスーパースターを見るためにわざわざ球場に足を運ぶ観客は減り
続けました。(注1)

このように,日本においては,天才的な(イチローはこう呼ばれることをとても嫌いますが)野球選手として,誰にも負け
ない評価を得ているものの,社会的な存在感はまだまだ低かったのです。

一つには,日本で世界最大の発行部数を誇る読売新聞社と,日本テレビという日本最大の民放の影響で,巨人の人気が圧倒
的に強かったのです。

人々の関心は再び,その巨人のヒーロー松井秀喜選手に戻っていったのです。松井選手は,連日のようにマスコミでイチロー
よりも大きく扱われていました。それは,1996年に巨人がオリックスに日本シリーズで負けた時でさえそうだったのです。

「僕が四割打ったとしても,観客は見に来ないだろうな」とイチローは不満を述べていました。(注2)

これが,アメリカに渡る前の日本におけるイチローの社会的なポジションでした。イチローは決して口に出しませんが,
彼がメジャーに移ることを強く望むようになった理由の一つは,全てが巨人中心に仕組まれている日本のプロ野球界に
対する絶望と反発だったのではなかと,私は推測しています。

イチローがアメリカに渡った当初,多くの日本人は,メジャーリーグの他の選手と比べて体格が劣るイチローがどれだけ
活躍できるかについて疑問視していました。

しかし,このような疑念を振り払うかのように,イチローがシアトル・マリナーズで大活躍をするようになると,日本で
急にイチロー・ファンがふえました。

ほとんど全てのマリナーズの試合は日本で放映されるようになりました。また新聞などのマスコミは,イチローの一
打席一打席を詳しく報じるようになりました。「今日のイチローはどうだった?」という会話がサラリーマンの間で挨拶
代りに交わされるようになったのです。

当時,長く続く不景気にあえぐ日本には明るい話題はなく,アメリカで活躍するイチローは,一躍,日本人に誇りを取り
戻してくれたヒーローとなったのです。そこには多分に,ナショナリズム的な感情も含まれていたに違いありません。

株価は暴落し,出口の見えない不景気は一向に回復の兆しがない。これにより凶悪な事件,犯罪も増加傾向にありました。

こんな時,海外に出たアスリートの活躍は,日本人が失っていた「自信」や「誇り」を思い起こさせてくれたのです。(注3)

イチローに対する日本人の関心は,記録を塗り替えるたびに再燃し,それをこれまで繰り返してきました。そのもっとも
最近の出来事が,前回の記事で扱った4000安打の達成でした。しかも,一般的にはアスリートとしては峠を越えたと
思われている39才という年齢でこの記録を達成したことは,多くの日本人に驚きと,畏敬の念を呼び起こしました。

一言でいえば,「イチロー」という存在と彼の活躍は,ベースボールという世界を超えて,一種の社会現象になったのです。
それでは,現地のシアトルあるいはアメリカ社会では,イチローはどんな存在となったのでしょうか?

日本のマスコミの巨人びいきとは異なり,アメリカに移った後のイチローは,最初はシアトル社会で,そして次第に全米
で大きな関心を集めることになってゆきました。

イチローがマリナースに移った2001年,チームは快進撃を続け,ついに地区優勝さえしました。この間のシアトルにおけ
るイチロー人気は,日本では想像できないほどの高揚ぶりでした。

前に紹介したNHKで放映された,「イチロー・イン・USA」では「夕食を作る主婦の手を止めさせるのはイチローが
はじめてだ」と驚きをもって紹介しています。イチローが登場する試合が始まる夕方になると,主婦までもテレビの実況
にくぎ付けになってしまったのです。

小柄な(といっても身長は180センチ以上はあります)日本人が,右に左に打ち分けたり,俊足を飛ばして内野ゴロ
を安打にしてしまう,しかも,時にはホームランさえ打つ,という多才ぶりにシアトル市民は熱狂したのです。

太平洋に面したシアトルには多数のアジア系の住民がいますが,彼らはイチローの活躍に,同じアジア系の住民として,
自信と誇りを与えてくれた,と口々にいっています。

日本でもイチローの活躍が,自信喪失に陥っていた日本人に自信と誇りを思い起こさせたことを書きましたが,シアトル
では,日本人以外のアジア系住民にも自信と誇りを与えたのです。

確認できたわけではありませんが,同様のことはシアトル以外の地域に住むアジア系住民も多かれ少なかれ感じたのでは
ないでしょうか。

日本ではあまり知られていませんが,イチローは子どもたちに絶大な影響を与えました。彼が小学校を訪れた時の映像を
みると,イチローが登場する前から,子どもたちは興奮を抑えられず,騒然となります。

イチローは子供たちに,「目標をもって努力しましょう」という内容のメッセージを述べた後,試合の映像を一緒に見る
ために子供たちの中に入ってゆくと,興奮した子どもたちが一斉にイチローに抱きついてゆきます。

なにしろ子ども達にとって,イチローはあこがれのスーパースターでした。ネクストバッターボックスで,屈伸運動に
続いて,バッターボックスで行う,あの侍が剣を抜くときのような一連の儀式は,大人も子供も魅了し,リトルリーグ
の子供たちは,みな真似していました。

手元に資料がないので確実なことは言えませんが,(多分)シアトルの子供たちにもっとも尊敬する人物はだれか,とい
うアンケートをとったところ,イエス・キリストに続いて2位か3位になっていました。(これについては後日,資料を
確認して報告します)

いずれにしても,イチローが野球の選手として第一級の選手であることは,シアトルを離れても今やだれも疑いません。

しかし,イチローへの関心は,人間としての魅力に負うところが大きいのです。

イチローが元TBSアナウンサーの福島弓子さんと婚約した時,アメリカのマスコミに言わせれば,アメリカのニュース
は“ロイヤルウエディングなみ” に派手に報じたのです。(注4)このことからも,イチローの婚約が,すでにシアトルと
いう地方都市を超えて,アメリカの社会現象になっていたことがわかります。

次に,私がイチローの本当のすごさを感じるのは,社会的な評価や人気とは別に,彼個人のすさまじい自己抑制と精神力
です。

イチローが4000安打を達成した時,多くの選手は,彼が13年間もずっとメジャーリグで活躍し続けてきたことに大
きな尊敬の念をいだいていました。しかし,その道のりは決して簡単だったわけはなく,むしろ修行僧のように厳しい状
況の中で闘ってきたといえそうです。

私は,精神的な強さことが,彼の本当のすごさだと思っています。

まず,オリックス時代のイチローを考えてみましょう。

前に書いたように,オリックスが日本一になった1996年を別にすれば,オリックスという球団はまったくのマイナー・チー
ムで,「観客の1人1人が数えられるほど」しかいない閑散とした状況で試合をしていたのです。

また,オリックスの試合が全国ネットでテレビ放映されることは,年に数回しかなかったのです。これは,巨人をはじめ
セントラル・リーグの属する球団では考えられない状況です。

こうした厳しい環境でも,気持ちの上で投げやりになったり腐ったりせず,イチローはひたすら自らの技術を磨き,コツ
コツとヒットを重ね,次々と記録を更新していったのです。

優勝を望めず,自らを奮い立たせるファンの応援もほとんどない状況で,普通なら野球への意欲は薄れがちになってしま
います。

それでもモチベーションを維持し続けたところに,私はなみなみならないイチローの精神力を感じます。

同じことは,マリナーズに移ってからのイチローにも言えます。移籍当初こそは地区優勝もして黙っていてもモチベーシ
ョンは上がりましたが,チームは次第に下位に低迷してゆきました。そんな中でも,彼は手を抜くことなく常に全力でや
るべきことを実践してゆきました。

この間ずっとモチベーションを維持し,メジャーリーグ史上の記録を次々と塗り変えていったのは,やはり並の精神力で
はありません。

その心境をイチローは,「ペナントレースに参加できないチ-ムというのは,集中するために,自分でアプローチしないと
いけない」と語っています。(注5)

つまり,日本でいえば「日本シリーズ」に参加できないチームにいると,モチベーションを維持し高めるには,自分自身
でそこへ意識をもってゆかなければならない,と言っているのです。

人材豊富なヤンキースに移ってからも,競争相手が多く,球場入りしても毎回試合に出れるかどうかは,その日の朝にな
らないと分からない,という状況の中でモチベーションを維持することは,非常に難しい,と述べています。

折れそうになる気持ちを奮い立たせて,おそらく40才を過ぎてもユニフォームを着て,野球少年のように,必死でボー
ルを追いかけているイチローが目に浮かびます。

最後に,ひとつだけイチローに関するエピソードを紹介しておきます。それは,私が野球通のアメリカ人二人と食事をし
たときのことです。

私が,「イチローと松井とどちらがすごいと思うか」と聞いたとき,彼らはそろって、「そんな質問はイチローに対する侮
辱だよ」と答えました。

つまり,イチローは松井とは次元の違う優れたアスリートで,二人を比べること自体,イチローに対する侮辱だ,というこ
とです。私も,同感でした。

もし二人を比べるなら,メジャーリーグの打者としてタイトル(最高打率,最多安打数)を,守備ではゴールデングラブ
賞を獲ったかどうか(イチローはこれら全てのタイトルを獲っています),また松井のように長距離打者ならば,年間ホー
ムラン王を獲ったかどうかが問題です。

こうした実績を考慮して初めて比較する意味があるのではないでしょうか。



(注1)小西慶三『イチローの流儀』(新潮社 2006):38-41。
(注2)ロバート・ホワイティング『イチロー革命』(松井みどり訳,早川書房,2004):88-89。
(注3) :同上書:94-95。
(注4)同上書:57。
(注5)イチロー監修『自己を変革するイチロー262のメッセージ』(ぴあ,2013):34。さらに,イチローの精神面まで含めて,
    渡米初期のイチローの内面を知るには,石田雄太『イチロー,聖地へ』(文芸春秋,2002)を読むことをお勧めしま
    す

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イチローの本当のすごさ(2)―ベースボールに「野球」を持ち込んだ男―

2013-09-01 06:36:36 | スポーツ
イチローの本当のすごさ(2) ―べ-スボールに「野球」を持ち込んだ男―

イチローは2001年,シアトル・マリナースに入団しました。

イチローは日本を代表するバッターであるということは,アメリカでも一応知られていました。

しかし,体格からいっても,ホームランを量産する長距離ヒッターになるとは期待されてはいませんでした。

シーズンが始まってみると,イチローはコツコツとヒットを量産しつづけ,初年度が終わってみると,692打数
242安打,打率3割5分(第一位),という驚異的な成績を残しました。

2004年のシーズンには262本のヒットを放ち,1920年にジョージ・シスラーが打ちたてた257本という記録を
84年ぶりに更新しました。さらに,2001年から2010年まで,200安打連続10年というとんでもない記録を達成し
ました。

それまではウィリー・キーラが1894年から1901年までに打ちたてた連続8年間が最高記録でした。こちらは116年
ぶりの記録更新です。

これらに加えて,今回の日米通算4000本安打という大記録です。

イチローは以上の他にも数々の記録を塗り替えてきましたが,いちいち数え上げるときりがないほどたくさんの記録
をもっています。

今回は,これらの数字に表れた記録の話ではなく,文化としてのベースボールに対してイチローが果たした意義につ
いて書きたいと思います。

というのも,イチローの評価に関して,日本とアメリカではかなりの違いがあり,日本では正しい評価が行われて
いないと思われるからです。

イチローは渡米以来,アメリカのメジャーリーグのベースボールそのものに大きな影響に与えましたが,それ以外にも,
アメリカへの社会的な影響も非常に大きかったのです。これらの点について,これまで日本の野球解説者もスポーツ
ジャーナリズムもほとんど関心をもってこなかったし,したがって実際に取り上げていません。

今回は,イチローがマリナーズに移った翌年に制作され,NHKのBSで放映された,『イチロー・イン・USA』
というドキュメンタリーを参考に,ベースボールへの影響について考えてみたいと思います。ちなみに,このドキュ
メンタリー映像は,シアトルのシアトル新聞記者でスポーツ担当の新聞記者の目を通して作成されたもので,アメリ
カのスポーツ界の目から見たイチロー評となっています。

まず,イチローのアメリカでの活躍を語る前に,アメリカで発展した「ベースボール」と日本の「野球」とでは,
大きく異なることを理解する必要があります。

『菊とバット』の著者ロバート・ホワイティング氏は,日本の「野球」の特徴を,「和」を大事にする集団主義,精
神主義(武士道)という視点で捉えました。(注1)

この本の詳しい内容は上記の書を読んでいただくとして,この本は基本的に日本人論,日本文化論を論じるために,
日本の野球を題材としてかかれたものです。

それは,本のタイトルが,日本文化論を書いたルース・ベネディクトの『菊と刀』をもじったものになっていること
からも分かります。

さて,近代アメリカのベースボールでは,バッターなら,極端に言えばホームランを何本打ったかが評価されます。

ピッチャーなら,剛速球でバッターをねじ伏せてしまうことが高い評価を得ます。あるいは,相手に投げるボール
の球種が分かってしまっていても,得意なボールで勝負します。

たとえば,イチローが4000安打を記録した時のピッチャーは,ナックルボールを得意としていたので,イチロ-
がそれを待っていることは分かっていました。それでも彼はナックルボールで勝負し,イチローは見事に打ち返し
てヒットにしました。

ベースボールは,もともとは,イギリスの貴族的・紳士的なスポーツであったクリケットが,アメリカの社会・労
働環境に合わせて次第に庶民,特に労働者のスポーツへと発展してきたものです。

その当初の特徴は,投げて,打って,走って,という単純明快なスポーツで,ある意味では大らかなものでした。

しかも,盗塁,ホームスチール,ダブルスチール,隠し球など,あまり紳士的ではないプレイもルールとして認め
られていったのです。

しかし,次第に,ホームラン至上主義の,大ざっぱで大味なスタイルに変化してゆきました。ホームラン・バッタ
ーがべ-スボールのヒーローとなったのです。(注2)

イチローが渡米したころには,まさにマッチョな選手のホームランがもてはやされていました。これにたいして日
本の「野球」は,データに基づく緻密な作戦の下で,犠牲バンド,盗塁,ホームスチール,ヒット・エンド・ラン,
ダブルスチール,隠し球などの小技を駆使して勝つことを目指します。

時にはベンチにいる監督がバッターに,一球一球指示をあたえることさえあります。

日本のピッチャーは,自分の得意とする球を投げることも重要ですが,それと同時に,あるいはそれ以上にバッタ
ーの苦手なボールやコースを狙います。

小技を駆使する日本のような「野球」は,アメリカでは「スモール・ベースボール」と呼ばれ,あまり良い評価を
与えられていませんでした。

しかし,イチローがマリナースに移籍したことによって,結果としてアメリカのベースボールに大きな変化を引き
起こしたのです。

イチローは日本的な緻密な野球の良いところに加えて,俊足,抜群のバッティング技術,守備力を1人で体現して
いる,希な選手です。

イチローが引き起こした変化を一言で言えば,ベースボールに「野球」を持ち込んだこと,といえまず。これによ
って,アメリカのファンは,忘れていた昔のベースボールのスリルと興奮を思い起こさせられたのです。以下,具
体的に見てゆきましょう。

渡米の当初,ほとんどのマスメディアはイチローの内野安打をまったく評価せず,むしろ軽蔑さえしていました。
しかし,ファンはたちまちイチローに魅了されてしまいます。

まず,バッターとしてのイチローがファンの心をとらえたのは,長打ではなく内野安打でした。上に紹介したシア
トルのスポーツ記者は次のように言います。

    だれもイチローがホームランを打たないことは知っている。そうではなくて,ファンはイチローのゴロを
    見に来るんだ。普通なら簡単にアウトになってしまうゴロが,イチローが俊足を飛ばせばセーフになるの
    ではないか,というそのスリルをファンは期待して興奮するんだ。

何でもないゴロがスリルを生む。これは,アメリカのファンにとって,今までのベースボールでは味わえなかった
新しい楽しみとなったのです。しかし,日本のスポーツ界やマスコミは,ベースボールの歴史や文化的な背景には
ほとんど関心を示しません。

このため,イチローのこのように大きな貢献も正当に評価できないのです。

イチローのゴロに衝撃を受けたのは,選手も同様です。現役最多の3808安打を放っているヤンキースのジータは
    
    相手としては,バックハンドではアウトにはできないから浅めに守っていた。
    初めての対戦はニューヨーク(2001年4月24日)だったと思うが,いきなりショートにゴロが飛んできて捕
    ったら,もうほとんど一塁の近くにいた。その時,どれだけ速いかが分かった」と述べています。

こうした事情はさらに,もう一つの効果を生みます。

ある選手は,イチローがゴロを打つと,イチローは足が速いので,守備の選手はあわてて捕球し,一塁に投げようとし
て,捕球しそこなったり,投げそこなったりして,結局イチローをセーフにしてしまうことがあるんだ,と告白してい
ます。なにしろ,バッターボックスから一塁まで走る時間が,メジャーリーグ最速の3.6秒だったのです。「球を打
つ前に走り出しているようだ」というジョークも生まれるほど早かったのです。

ピネラー監督も,イチローには積極的にゴロを打たせるよう指示していました。数字で見ると,これによってマリナー
スの得点力ははっきりと上昇したのです。

メジャーリーグの試合を実況している現地のアナウンサーは,塁から塁へ走るイチローを見て,まるで足に羽が生えて
いるようだ,と驚きの声を発していました。

イチローの走る姿には無駄がなく,美的ですらあります。私は,速さだけでなく,走るフォームの美しさも,プロとし
ては大切だと思います。

イチローの俊足は守備のあり方をも変えていったのです。次に,守備についてみてみましょう。

イチローの名を全米に轟かせたのは,渡米初年の2001年4月11日のアスレチック戦でした。イチローがライトの深いと
ころで守っていた時,彼の前にボールが飛んできました。

彼は走りながら前進し,3塁に向かって走っているランナーを見ると,素早く3塁手に向かって投げました。このボー
ルは地上1メートルの高さを維持したまま真っ直ぐに3塁手のグラブの収まり,ランナーをアウトにしました。

これが後にイチローの「レーザービーム」と呼ばれる名プレーで,このプレーひとつだけでもベースボール史上に残る
だろうと言われました。

また,イチローは,ホームランになりそうなボールを,垂直な壁を駆け上がって捕ってしまうことがあります。イチロ
ーは,1年に一回あるかないかのプレーのために,日頃何十回も練習をしているのだそうです。決して偶然ではないの
です。

さらにフェンスギリギリのファウルボールや,守備の前の方に落ちそうなボールを全力で走って捕ってしまうこともし
ばしばありました。

こうして,イチローの守備範囲は,彼のマリナース時代の背番号の「51」を採って,敬意を込めて「エリア51」と
呼ばれるようになりました。

「エリア51」にボールが飛ぶと,バッターもあきらめたり,ランナーはアウトになることを恐れて先に進むことを思
いとどまるようになってしまいます。

これは,イチローの流れるような送球技術と肩の強さという個人的な能力の高さによるものですが,やはり彼が新たに
ベースボールに持ち込んだスリリングな要素でした。

もうひとつ,イチローの,これぞプロと思わせる光景が,毎試合ごとにみられます。彼は,試合前や,試合の途中でも,
時々,守備位置周辺の芝を手で触って長さや硬さ、滑りやすいかどうかをチェックしています。これは,前に突っ込ん
で捕球したりスライディングしながらボールを直接捕ろうとするときなど,滑ったり,手や足が芝に引っかかったりし
ないように用心しているからです。

以前,松井秀喜選手が打球を追ってスライディングしながら捕球しようとしてグラブが芝に引っかかってころび,腕を
逆にひねって大けがをしたことがありましが。

もし,イチローのように芝の状態を確認しておけば怪我を避けられたかも知れません。

いずれにしても,イチローの守備が,ある意味で攻撃的なプレイとして注目され,ファンはそこに新たなスリルと興奮
を味わうようになったのです。

最後に,イチローの盗塁について触れておきます。盗塁はイチローに限らず,メジャーリーグの選手ならば,塁に出れ
ば誰でも試みます。

しかし,イチローの場合,少し事情が異なります。

一塁から二塁への盗塁は普通ですが,イチローの場合,続いて二塁から三塁への盗塁を狙っています。

彼は塁に出ると,常に一つでも先の塁へ行こうとします。しかも,イチローの足が速いことは誰も知っているので,例
えばイチローが一塁にいると,一塁手はイチローが塁を離れ過ぎた時にアウトにするべく,塁についていなくてはなり
ません。

また二塁手もイチローが盗塁で走ってくるのを阻止するために二塁ベースから離れられません。こうして,一塁と二塁
の間を守りが手薄になり,次のバッターのヒット・ゾーンが広くなります。

同様に,イチローが二塁にいると,二塁と三塁の間の守備が手薄になり,次のバッターはその空間へのヒットがしやす
くなります。

また,ピッチャーはイチローの盗塁を警戒して,バッターへの投球に集中できなくなってしまいます。

マリナースの監督は,こうした目に見えないイチローの貢献を常に強調していました。

バントを積極的に行い,内野安打で出塁し,素早く盗塁することなどの小技を多用することは,当時のアメリカのベース
ボールとは異なる,日本で発達した「野球」のスタイルです。

日本は,アメリカのベースボールというスポーツ文化ををそのまま「模倣」するのではなく,自分たちの感性に合うよう
に,変化と加工を施してきました。

これを「文化の再解釈」と言います。

「文化の再解釈」はほとんどの国や地域社会で行われてきたことで,それは食文化,ファッション,音楽,絵画,スポー
ツなど,全ての領域についていえます。

日本の「野球」は,アメリカのベースボールというスポーツ文化を「再解釈」して出来上がったものです。もし,イチ
ローの登場によって,アメリカのベースボールが少しでも変化したとしたら,今度はベースボールが「野球」の影響を
受けて自分たちのスタイルを「再解釈」したことになります。

やや大げさに言えば,イチローは,「野球」をベースボールに持ち込むことによって,ベースボールを「再解釈」させ
たと言えます。

私が「イチローの本当のすごさ」を感じるのは,ベースボールというアメリカのスポーツ文化に対して,「文化の再解釈」
を1人でやってしまったことです。

これが,まさしくホワイティンブが言う,「イチロー革命」の本質なのです。

この点は,日本のスポーツ界では全く評価されていいません。その理由は,マスコミも含めて日本のスポーツ界は,勝
ち負けにとらわれすぎ,「野球」を「文化」としてとらえる視点が希薄だからではないでしょうか。



(注1)ロバート・ホワイティング『菊とバット(完全版)』(松井みどり訳,早川書房,2004年)英語の初版は1977年出版。
(注2)ベースボールの成立に関する詳しい説明は, 小田切 毅一『アメリカスポーツの文化史:』(不昧堂,1982)を参照。
(注3)ローバート・ホワイtゲィング『イチロー革命:日本人メジャー・リーガーとベースボール新時代』(松井やよい訳,早川書房,2004年):64-66ページ。


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イチローの本当のすごさ(1)―4000安打に込められたメッセージ―

2013-08-27 15:57:34 | スポーツ
イチローの本当のすごさ(1)―4000安打に込められたメッセージ―


2013年8月21日(日本時間22日),ニューヨーク・ヤンキースのイチローは,2番ライトで先発出場し,
ついに日米通算で4000安打(ヒット)を達成しました。

前日のダブルヘッダーの第一試合で3999本のヒットを記録し,第二試合では,打席に立てなかった
ので記録達成のチャンスはありませんでした。

それだけに,21日の試合では4000本目の歴史的なヒットが出るのではないか,というファンの期待
は最高潮に達していました。

果たして,1回の裏にイチローに打順が回ってくると,抑えきれないファンの熱い期待と興奮は,テレビ
を通じて見ていてもはっきりと伝わってきました。

現地で観戦していた日本人アナウンサーによれば,イチローが2球目を空振りした時には,声にならない
ため息が球場に充満したそうです。

そして,ついに見事なヒットで4000安打を達成した時,観客は大声援と拍手,スタンディング・オベ
ーションで,イチローの偉業を称え,味方の選手はグランウドに飛び出してイチローを祝福しました。

この時,試合はイチローの祝福のために中断したのです。

普段は冷静なイチローも,この時ばかりは「半泣き」し,子どものような笑顔で喜びを爆発させていました。

ヤンキースに移ってからは,試合当日日にならなければ自分が試合に出れるかどうか分からないという,
複雑な気持ちで毎日過ごしてきたと告白しているように,ここまでの道のりは決して平坦ではなかったはずです。

だからこそ,4000安打の達成はうれしかったに違いありません。

今回の4000安打は,日米の合算ですからアメリカの公式記録ではありませんが,アメリカのファンは,
それでも4000安打という数字がいかにすごいかは,ある意味日本人以上に分かっているかもしれません。

何と言っても,アメリカのベースボール史上,4000本以上の安打を打った選手は,ピート・ローズ(42才
11カ月),タイ・カップ(40才7カ月)のわずかに二人だけなのです。(ちなみにイチローは39才10
カ月で達成です)

日本の投手のレベルが高いことは,かつての野茂,最近ではダルビッシュやヤンキースの黒田など素晴らしい
活躍を見て知っています。また,

日本国内でもこれまで4000安打を記録した選手はいないのです。したがって,日本での安打が含まれていた
としても日米通算4000安打がどれほど難しい大記録かは野球ファンならだれでも理解できます。

もうひとつ,イチローの安打には多くの内野安打が多い,という批判的な意見があります。これについては次回
で説明するつもりですが,内野安打には大きな意味があります。

つまり,日米合算の4000安打であることと,内野安打の多いことをもってイチローの記録に疑問符を投げ
かけているコメントもありますが,当地アメリカではおおむね,好意的です。

アメリカ殿堂館のアイドルソン館長は,日米合算での4000安打を偉業とたたえたうえ,「現時点でどれほどの
価値があるかは判断できないが,一連の記録として扱うことに意味はある。決して軽視してはいけない偉業だ」
と説明しています。

また,内野安打の多さを批判する人たちもいるが,全体の2割にすぎないのです。

また,イチローと最多の216試合を対戦した,エンゼルスのソーサ監督は,「日米通算とはいえ,4000安打
を達成するのはとてつもないことだ。・・・日米通算として日本の安打数をカウントする是非を論ずるまでもなく,
彼はもう,メジャーで2700安打以上しているのだから,それだけでもすごい」と評価しています。『日刊スポーツ』
(2013年8月23日)。

また,ヤンキースのジーターは「リトルリーグでの4000安打だとしても私は気にしない。誰よりも短い期間でヒット
を重ねてきた」と言い,投手のリベラは「日米にまたがっていても4000安打は多い。常に最高であろうとするのが
イチローだ」と絶賛しています。『スポーツニッポン』(2013年8月23日)

ところで,イチローは,たんなる一人の野球選手であると同時に,社会的な存在でもあります。

彼は,野球以外の分野について直接発言することはめったにありませんが,それでも,彼の野球観には,社会一般に
ついてもあてはまる,深い洞察が含まれていることが多いのです。

以下に,今回の4000安打の後に彼が語った発言から,4点だけ取り上げてみたいと思います。

ただし,イチローの言葉は直接的,説明的ではなく,しばしば禅問答のような表現をとることがあります。

そこで,以下の文章は,かなり私の「翻訳」が加わっていることを断っておきます。

①4000安打の裏には8000回の悔しさある。(成功体験より失敗体験から学ぶ)

「切りのいい数字というのは1000回に1回しか来ない。それを4回重ねられたことは満足している。」原動力は
8138度の凡打にある,と言っています。
「4000のヒットを打つためには僕の数字では8000回以上は悔しい思いをしている。それと常に向き合ってきた。
誇れるとしたらそこじゃないかと思います」。これは並のアスリートが言える言葉ではありません。

イチローは,うまくいった打席にかんしてはあまり語りません。彼は直接には言いませんが,それは相手ピッチャーの
失投もあるだろうし,守備の乱れもあるだろうし,たまたまタイミングが合ったかもしれません。飛んだコースが良か
っただったからかもしれません。つまり,幸運のためのヒットの可能性があるのです。

しかし,凡打や三振などは,確実に自分の中に失敗の原因があるのだから,彼はそれを逃げないで真剣に向き合ってき
たのです。それが4000安打につながったと言いたいのです。

分野は全く違いますが,囲碁の世界でも同じような考え方をします。ある対局で勝ったとしても,それは相手のミスや
勘違いのためかもしれません。プロ棋士は,勝った碁よりも負けた碁について真剣に検討します。

この一手のために碁を敗勢に導いた着手を敗着と呼びますが,プロは「失敗の原因」,敗着を見つけるまで徹底的に検討
をします。

私たちは,成功体験に酔ってしまいますが,なかなか失敗体験から学ぼうとしません。

イチローは若い時からこの姿勢をずっと持ち続けてきたのです。そして,失敗の原因をつきとめ,それを修正する努力
を続けてきたのです。

彼が「誇れるとしたらそこじゃないですか」と言うとき,この普段の反省と修正を逃げずにずっと続けてきたのです。

彼は「天才」と呼ばれることを非常に嫌います。なぜなら,この反省と修正の血の出るような努力を評価しないで,
結果だけをみて,あたかも天から与えられた才能のように言われるからです。

彼が強く反発するのは,こういう背景があるからなのです。

「失敗から学ぶ」ことは「成功に酔う」ことよりずっと辛いことですが,非常に大切で実りの多いことです。

イチローの野球にたいする姿勢は,私たちの日常生活全般についてもいえます。

以上の言葉は私たちにも大いに参考になるメッセージでもあります。私たちの成功体験の多くは本当の実力よりも,「幸運」
のたまものであることの方が多いのです。

しかし,失敗からはなかなか学ぼうとしません。大きな話でいえば,日本はいまだに「敗戦の原因」を徹底的に検証し,
失敗から学ぶ作業をしていないのです。これは将来,大きな禍根をのこすことになるでしょう。

②年齢にたいする偏った見方をしてしまう人に対してお気の毒だな,と思う。
イチローにたいして,39才という年齢的な限界,たとえば,動体視力が衰えてきたとか,パワーが落ちてきた,走るスピード
が遅くなったとか,加齢からくる肉体的な衰えがしばしば指摘だれます。

これにたいしてイチローは「お気の毒だと思う」と反論します。

客観的にみて,彼の肉体的な衰えは確実に進行しているでしょう。しかし彼はアスリートとして必要なトレーニングを怠らず,
常に年齢に合った肉体の手入れをしています。現在彼が使っているトレーニングマシーンは筋力の増強を目的としたものはなく,
関節の可動性を広げ,筋肉の柔軟性を高め,疲労を軽減するものだけだそうです。

その一方で,肉体的なマイナスを補うために,たとえばバッテイング・フォームの改造などを常におこなってきました。
彼は決してあきらめません。これを,彼独特の言葉で「あきらめない自分をあきらめた」と表現しています。

そういうふうに,目指すものをあきらめない自分を変えることはできないので,変えることをあきらめた,と言っているのです。

また,「昔できたことで,今できないことは見当たらない。自分を客観的にみても否定的なことはない」とも表現しています。

私自身も,ともすると物事がうまくゆかない理由を年齢のせいにしてしまいがちですが,イチローの発言に痛いところを突かれ
た思いです。

③プロの野球選手とは
「学生時代から,プロ野球選手は,打つこと,走ること,守ること,考えること,全部できる人がなるものだと思っていました。
でも実はそういう世界ではなかった,というだけのこと。それが際だって見えることがちょっとおかしいと思います。僕にとって
それは普通のこと。そうでないといけないですね。」

イチローにしては珍しく,プロ野球選手にたいして苦言を呈しています。ここで彼が「プロ野球選手」と言うとき,日本の選手か
アメリカでプレーしている選手かは分かりません。

いずれにしても,イチローは,打つ,走る,守る,考えることは,当然のことで彼はそれらすべてができるように全力でやってきた,
プロならばそれが「普通のこと」,当たり前のことだと考えてきた。しかし,現実には多くの選手はそうではなかったことに気が
付いたというのです。

つまり,打者ならば,ホームランやヒットをたくさん打てば,走ることや守ることが多少できなくてもかまわないと考える選手が
たくさんいたということに気が付いたのです。

だから,これら全てができるイチローが際立ってしまう(目立ってしまう)のですが,そのこと自体がおかしいと言っているのです。

この言葉には,それまでのアメリカのホームラン至上主義に対する批判も含まれているかもしれません。

④満足したら終わりというのは,弱い人の発想ですよね。
長くすごい成績を残していても,そこで満足せず続けているのか,という試合後のインタビューの問いかけに,
「いやいや,僕満足していますからね。今日だってものすごく満足してるし。それを重ねないとだめだと思うんですよね。
満足したら終わりだとかよくいいますけど,それは弱い人の発想ですよね。僕は満足を重ねないと次が生まれないと思っているので。」

イチローは,あたかも苦行僧のようにストイックで,満足することを拒否しているような印象を与えてきました。しかし,グラウンド
での彼の姿やプレーを見ていると,野球をすることが楽しくてしかたがないという,まるで野球少年がそのまま大人になったような
雰囲気を常にたたえています。

「満足したら,そこで進歩は止まる,終わりだ」というのはいかにも分かりやすく,日本のスポーツ界やそのほかの分野でもしばしば
聞かれる精神論です。しかしイチローはそのようには考えません。

彼は,反省や苦しさがあっても,最終的には自分を肯定して満足しなければ次に進めないと考えます。このように言えるのも,自分は
常にベストを尽くしている自負があるからでしょう。

たとえ失敗して思い通りに行かないとしても,その原因をとことんまで追求し,それを克服する努力をしてゆけば,失敗は自分が成長
するための貴重な経験になる。そして,自分の弱点を少しでも克服した時,大きな満足が得られるし,野球がさらに楽しくなるという
考えです。

これは究極のポジティブ・シンキングです。しかし,ここまで言いきれるだけの努力ができる人は,それほど多くはありません。

かつて五木寛之氏は,「努力ができるということ自体,それは天賦の資質なのだ」と書いていました。

この意味では,イチローも努力ができる能力を与えられた幸運なアスリートであるといえそうです。

それを差し引いても,野球に人生をかけるイチローのストイックな生き方は,理想ではあっても,正直に言うと,私には無理だと思
いました。

次回は,イチローのすごさを,ベースボールに日本の「野球」を持ち込んだ男という観点から考えます。

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