![P10701781](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/9a/fd456e5a7e8e2c74abfaf5cedc6bf2f1.jpg)
(上の木戸跡)
![P10701811](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/49/583856112b754f26e2dd4f4a62240493.jpg)
(八幡神社)
(坂本宿5)
坂本宿の街はずれに「上の木戸」があり、その先に八幡神社の赤い鳥居が見える。
鳥居の前に芭蕉句碑があり、常夜灯の台石だけがある。
芭蕉句碑には
ひとつ脱ひて 後ろにおいぬ 衣かへ (芭蕉)
「寛政年間、坂本宿の俳人春秋白雄先生に依頼して選句、書いてもらったもので、
句の内容は碓氷峠のものでなく、木曽路下りのものである。
句碑は碓氷峠の刎石山にあったものを明治年間に移動のため現在地に移転した。
当時の宿駅文化の盛況を知る上でよい資料である」(松井田町教育委員会)
ボクが碓氷峠を登った経験から考えると、芭蕉の句の意味は
(坂道が急勾配過ぎて、汗を流したので、衣服を一枚脱いで、
背負ったリュックから別のものを取り出して、着替えましたよ)となる。
当時はリュックは無かったであろうから笈(おい)でも背負っていたのであろうか?
![P10701791](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e8/cc91944736e2eff727e0ae0e8bcb847f.jpg)
(芭蕉句碑)
![P10701771](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f0/56f173e300885f34fceed3d05c27f46c.jpg)
(常夜灯台石)
![P10701821](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/35/fb7b06c1c17d081186d0b1cad1631259.jpg)
(双体道祖神)
八幡宮前の道路をはさんだ向側に、青松寺の阿弥陀堂があることになっているが、見当たらない。
阿弥陀堂と書いた門はあり、お墓が並んでいる。
享保八年の念仏供養塔と並んだ地蔵尊、寛政十一年の庚申塔が目に付いた。
![P10701871](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/91/5a87ea26ac64fe51406ff62d18f83128.jpg)
(阿弥陀堂の門、念仏供養塔と地蔵尊)
![P10701881](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/5b/891a2debc27d579d51577cd7733d9b71.jpg)
(庚申塔)
この先国道18号は、大きく右にカーブしていくが、旧中山道は左脇の道に入る。
直進すると浄水場の中を抜ける土の道になり、
すこし進むとU字溝の上を歩くことになる。左側は杉林で、これが旧中山道かと疑わしくなるような道だ。
U字溝は崖に突き当たる。上を見上げると国道18号のガードレールが見えるが、
いずれこの国道を横切ることになる。
![P10701891](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/9f/683b8d307d9ad9d944e27edb05ea503d.jpg)
(国道の左脇に入る道)
![P10701901](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a3/b7f8419b1da2b289e513911e792689fb.jpg)
(左脇は杉林、U字溝の上を歩く)
![P10701911](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/3c/9c6306ebab66be623cbd3b556f9de4d8.jpg)
(突き当たり地点を直角に左折)
![P10701921](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ae/5b60e88c8c6ca1d00a703b4f921eccd3.jpg)
(道なき道を進む)
ここで直角に左折し、おおげさであるが草むらの道なき道を歩く。
6~70mほどで右側に上る木の階段があるので、ここを右折し階段を登る。
ここで決して直進してはならない。
(ここでボクは直進して、100mも進まないうちに道は下りになった。
碓氷峠へ上りのはずだから、間違ったと思い引き返した。
この箇所については、旧中山道の案内書のどれにも詳しく記されていない。
山と渓谷社の「中山道を歩く」では(国道18号を採るコース)になっているし、
学研文庫の「中山道を歩く」では、「草むらの道になる。右手に浄水場を見て登る」としか載っていない。
浄水場を右に見て進む道は、地図を見ると、坂本宿の南側への下り道で、坂本宿へ戻って行ってしまう。
正しい地図は群馬中山道街道ルネッサンス協議会発行の地図が正しいのであるが、
地図が大まかで浄水場の中の路を歩くとは記されていない。
いずれも「帯に短し 襷に長し」である。いずれ浄水場の中は通れぬようになるかもしれない。
そうすると国道18号を右に大きく迂回することになる。)
![P10701931](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/4b/b4e4d763ac1a77b4edb452927f1216fc.jpg)
(100m以上進んだら行き過ぎ、右手の階段を上がる)
足元をよく見ると丸太で作った階段下の草むらに、(この階段の方へと)白線で矢印が記されている。
最近(安中の遠足)が実行された名残りと思われる。
白線など雨が降れば消えてなくなるので、階段目当て以外に注意する目標物が無い。
その階段を登り、鬱蒼とした木の間の坂を、すこし進むと「アプトの道」の看板があり、
前方が開けて国道18号のガードレールが見え、
道路の向こう側に「中山道口」のバス停が、そして待合所が見える。
「日本の道100選 旧中山道」の標柱もある。
峠の熊野神社までのハイキングコースの案内地図もある。
![P10701941](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a9/98e22f5854449c7fdbf4f5df6d5d0d27.jpg)
(アプトの道の先に見えるガードレール)
間違いない!これが旧中山道入り口である。
ここで横断する道路は、坂本宿の阿弥陀堂から右に迂回していた国道18号が曲がりくねってきた道である。
国道18号を横断してバスの待合所で昼食にする。
![P10701951](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/21/38b0e572b546f91d88133360e82b1418.jpg)
(中山道口のバス停と待合所、日本の道100選旧中山道の標柱)
![P10701961](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/4b/01387587595afc39e93f7c046fa2e212.jpg)
(ハイキングコースの案内看板)
時刻は11:40分。
初めての山登り、旧中山道最大の険路、横川を午前10時にスタートして史跡見学しながらとは言え、
すこし時間が過ぎている。
案内書では、峠まで6時間ともあるが、70歳を過ぎ、生まれて初めての山登り、
足が上手く動いてくれるか心配で、一時間余裕を持ってスタートしたのであるが・・・
10分で昼食をすませ、峠の山道を進む。
峠まで8.3kmという案内看板が出ている。
安中藩が始めた「安政の遠足」の碓氷峠登り口である。
この先碓氷峠まで、この「安政の遠足」「侍マラソン」の案内矢印がところどころにあり、峠まで迷うことは無かった。
2kmを1時間で歩いても4時間かかる距離である。峠には予定通りなら午後16時に到着できる。
![P10701971](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/df/7db10d8021be485067d833bfdcd7cc4d.jpg)
(峠まで8.3km)
山道では 私は行動食として 小さく握ったおにぎりをラップに包んでいっぱい持ったり SOY JOYのようなものを持って行きます。 ゆっくりですが 滅多に座りません。 水分補給も立ち止まってします。 おなかいっぱいにしないことも 苦しくならないコツかもしれません。
個人差があると思いますが 私はあまり体力ないので 何があってもペースの変わらない歩き方を心がけています。
ハイキングコースにしては 長丁場ですね? 日が落ちると 身動きが難しくなるので 16時には降りてくるように心がけます。 秋になれば余計そうです。 ヘッドランプお忘れなく。