![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/0c/e16f2e9c45fa6142e408d967815af938.jpg)
(旅館を出てすぐの道路)
(和田宿 7)
翌朝、6月11日、AM7:30出発。
ポットントイレが気になったカミサンが、
向かいにあるバスターミナル?の水洗トイレに駆け込んだ。
ボクは田舎に疎開した経験から、
肥溜めに渡した板の上から用を足した経験もあり、
まったく気にならなかったが、戦後も上等な(?)生活をしたらしいカミサンには、
ポットントイレは都合が悪いらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/02/f2160e02663b3b044ed1727956e013ae.jpg)
(お隣のお店の「うだつ」)
十数分して朝の澄み渡った空気の中を歩き始める。
隣の駄菓子屋さんは屋根瓦の工事か、
前面にブルーシートをかけているが、
二階から「うだつ」が揚がっている。
隣の古ぼけた庄屋との境の防火が気になったのか、
戦後相当な稼ぎでもあったのであろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/c0/3365bfcde4b1cc7dd2f519aed3314473.jpg)
(「和田鍛冶足」の信号)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/64/f3e23462426f9ae35ca5bd923ca72fcd.jpg)
(一里塚の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/ef/aef50d08d38e7256a32cb50de1c9d153.jpg)
(道しるべ)
道路を南下すると、まもなく町並みが消え左側が開けて山が見え信号にぶつかる。
「和田鍛冶足」の信号の先 右側に一里塚跡の碑がある。
江戸から五十番目の一里塚、日本橋から約200kmの地点になる。
一里塚跡に、「右諏訪街道、左松沢歩道」と道標がある。
和田から下諏訪に抜けるので、右に折れる。
京都方面から来たお客様にわかるようにであろう
「本亭旅館」の看板が大きく出ている。
和田宿で唯一の旅館である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f0/27610ca6e826962970131adb194808ab.jpg)
(本亭旅館の看板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/c3/8d94fc474bde0d064f3e6c4381a04ef5.jpg)
(「大出」のバス停)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/e2/f3fb7a773518afab50ace1fb35610406.jpg)
(右に見えるバス停の前を左に入る)
右折してすぐ右側に茅葺の「大出」のバス停があり、
その前で旧中山道は左に分かれる。
ブルーの「中山道」と書いた案内板があるので解りやすい。
この案内板は和田峠を越えるまで続き、間違えることがないので、
この案内を探し探し進むのが安全である。
バス停を左に分かれるとすぐ清らかなせせらぎの川が左側にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/aa/1710edcd75ffc61b92d7175a972852c5.jpg)
(左側に清らかな川を見て進む)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/14/abe36692881157c5128172bb16043ba4.jpg)
(注連縄(しめなわ)のある道祖神)
まもなく国道142号線に合流し、
途中左手にドライブインがあったりパーライト工場があったり、
道祖神があったり、すこし曲がりくねって牛宿地区を抜けると、
右側に作業所なのか民家なのか解らないが、
集落があって、大きな灯篭が見える。
(案内書ではこのあたりに茶屋本陣跡があることになっているが見当たらない。)
この灯篭を見たら、国道の左脇に草が生い茂る土の道があり、
入り口に和田峠5.3kmの案内看板があるので草の道に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/ae/3acef0cfcfe580b34e7c68724333eac0.jpg)
(少し変わった形の石灯篭)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/13/41a4544de02e8378f71cc50cbc1a47cd.jpg)
(左脇に入る草道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/09/d1d1e11bf42576e06de9a0f7f6e71a68.jpg)
(急坂の草道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/02/33138543d5985fd9b98821200ad2a1c1.jpg)
(案内表示)
いよいよ峠に通じる山道と気合を入れて進む。
途中ブルーの案内板に助けられながら進むが、
案内は江戸方面からと京都方面からとの、
二つの案内が重なっているので注意が必要だ。
草の道は、橋を二回ほど渡って登り坂を行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/70/369619a6cacbf7bf12adbc5a1c47555d.jpg)
(ブルーの案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/77/5ee2081a34931290fe34d27d92ce8300.jpg)
(草道2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/f9/beca0530d956193b16f6a959051936e1.jpg)
(草道3)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/69/f0fc77d1b5c5c57fc9b617f8549f209c.jpg)
(唐沢の一里塚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/9b/c59493579855c2e28fe4c6c60ec63c05.jpg)
(左右に格好よく並んだ一里塚2)
ここらで一休みしたいと思うところに一里塚があり、
木陰で風があり休憩にはもってこいの場所に出る。
唐沢の一里塚で道の両側に小山が並んでいる。
幅約9m、高さ3mが一里塚の基準であるが、
忠実に守られているように思える。
さて中山道であるが、この一里塚に手前に道路は右方面に下る
自動車のわだち跡があるが惑わされないように、
この一里塚の間を抜けて直進する。
その後、道は下り坂になり国道に合流する。
振り返ると、「中山道 唐沢の一里塚」の案内看板が、
右矢印と共にでかでかと掲げてある。いつも思うのであるが、
案内表示は京都側からのほうがシッカリしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/13/30acb02f8ef1944b4682cd8a0b07d122.jpg)
(京都側から見た一里塚の案内表示)
国道に合流するとすぐに(旧街道を思わせる)左折できそうな砂利道があるが、
ここは無視して国道を歩くとY字路に出る。
Y字路の真ん中に案内看板があり、
「右美ヶ原高原、霧が峰高原」とあるので右奥を覗くと、
中山道のブルーの案内看板があるように見えるので、そちらへ進む。
道は突き当たるような形で、さらに右に曲がっているが、
突き当たりに中山道の案内がある。
ボクは案内に助けられて道路を歩いているが、
昔の人にも案内があったのであろうか?
案内がなければ、この曲がりくねった山道を旅することは出来ない。
聞くところによれば、中山道第一の宿場――板橋宿――で、
旅する人と見送る人は、今生の別れのような宴席を持ったというが、
中山道を京都まで行くとなると命がけになったことがよく判る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/ca/c2851ff3d3b99fb5d64e5af6cd64b3ee.jpg)
(「右美ヶ原高原、霧が峰高原」の看板のあるY字路、奥にブルーの案内がかすかに見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/f9/13983c0a4ee2f7464bf7e2dd136a6f64.jpg)
(ブルーの中山道の案内)
暑さを避けてでしょうか、朝はずいぶん早い出発ですね。これからもますますお気をつけて。