中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

旅館の食堂(旧中山道を歩く 137)

2008年07月10日 05時35分38秒 | 4信濃(長野県)の.旧中山道を歩く(110~1


(座敷(食堂)の鴨居にかけられた長柄の槍と提灯、笠など入れた箱)

(和田宿 6)
風呂は一度に十人くらい入れるほど大きい。
長さ二メートル幅三十センチ厚さ5センチもあるような
木の厚い板で蓋がしてある。
蓋を取ろうとしたら、なんとその重いこと。
端を持ち上げようとしても持ち上がらない。
板の中ほどに手をかけて、隣の板の上に重ねる。
お湯に手を入れると熱くて手が真っ赤になるほどである。
ぬるくて風邪を引くようでも困るが、
十人も入れる大きな湯船に水を入れてぬるくするのも容易ではない。

水道の蛇口をいっぱいひねって最大に流しながら、
水を半分入れるようにして桶にお湯を入れ、体を流し、頭を洗う。
しばらくして手を入れるもまだ熱い。
温泉場の湯揉みよろしく、風呂板をお湯の中にいれ、お湯をかき回す。
お風呂の中とはいえ素っ裸で
重い風呂板で湯揉みをする姿を思い起こしてほしい。

ふんどしも着けず舟で櫂を操る男という感じ。
しかも海の男のように体格隆々ならいざ知らず、
貧相な70男がやっとの思いで、
櫂を操る図なんて落語家だって種にしない。

それでもしばらくしてやっと入ることができる温度になったように思う。
大体普段は、ボクはぬるい湯が好きだが、
カミサンは熱いのが好きだし、
第一、旅館のご家族の方も入るに違いない。
そう思うとうかつにお湯をぬるくするわけに行かない。
我慢して我慢して、熱いお湯にさっと入って出た。
体が真っ赤になるほどであった。


(高札)


(高札2)

次が食堂。
食堂に入ったら鴨居に長槍だの高張り提灯を入れる箱、笠(陣笠?)を入れる箱、
何かわからないが「御用」の箱など大小合わせて九個並んでいる。
また入り口には、正徳年代(1711)の高札の本物が五枚もかけられている。
木のふすまの鳥や木の絵、さらに後方の襖には、
松尾芭蕉とその弟子たちの絵と俳句が鮮やかに描かれている。


(襖に描かれた芭蕉とその弟子たち)


(中央の上、宗匠頭巾が芭蕉のようだ)

どこかの古美術館に入ったようである。
座敷の真ん中に座卓が二組用意されており、
別に一組お客様が来るようである。急な予約があったようだ。
その一方の食卓に就き、私たちは食事をいただくことになった。

浴衣がけで座るのが憚られる思いの豪華な食堂である。
本来なら裃つけて袴姿でなければ入れない部屋のように感じる。

食事は山家の野菜などふんだんに入った、
私たちにとっては山菜の珍味ばかり、
鮎か、いわなか、山女魚か、ボクには分からないが、
動物性のものはその唐揚げの他に茶碗蒸しだけであった。
少しのお酒で舌鼓を打って食事を終わらせた。


(食堂の襖)


(寝室の襖)


(寝室の襖2)

まず問題は階段、現存するお城、松本城、彦根城、丸岡城の階段のように、
一段一段の間隔が高く急で、手摺り無しでは登れない。
お城などの階段の一段が高いのは、万一敵が侵入してきたとき、
一気に駆け上がれないようにという配慮があってのことと思われるが、
庄屋の場合はどうして一段の間隔が高いのか理解できない。

そうそう、忘れてはいけない。
宿の方の姿が見えなくても挨拶だけはきちんとしましょう。
(挨拶は紳士淑女の第一番目の要件です)

風呂を出たら、
「お先にいただきました。」
食事を始めるときは
「いただきます」当たり前だが終わったら
「ごちそうさまでした」

帰り際に清算するときは、「お世話になりました」と声をかけると
宿の主人が出てきて、請求書をくれる。

ずいぶん世話になったのに、
チップを置いてくることを忘れたことが悔やまれる。
外国にいると忘れないのに、習慣とは恐ろしいものだ。
日本に居ると忘れてしまう。
お昼のお弁当まで(おにぎり)作ってもらって、
ひとり7650円であった。(お酒は別勘定で)

安いか高いかはサービスを受ける人の価値観と興味の持ちようによる。



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1 コメント

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こんなお宿、一晩くらいなら泊まってみたいな。 (salasala)
2008-07-17 15:54:08
こんなお宿、一晩くらいなら泊まってみたいな。
夜中に目が覚めたら、ちょっと怖い気もするけど。
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