中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

安養院とかんかん地蔵(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 17)

2013年09月26日 13時16分44秒 | 日光・奥州道中ひとり歩る記
(安養院)


(千住宿3)
千住新橋へ出る手前に安養院がある。
赤い山門はいつも閉まっているが、右手前に安養院の石塔があり、
左手には三体の地蔵尊が立っている。
中央は地蔵さんであるが、
手前の二体は庚申塔で青面金剛(しょうめんこんごう)に、
足元には三猿が彫刻されている。

(門前の三体の地蔵尊)

庚申塔は、60日に一回巡ってくる庚申の日の夜、
人の胎内にいるといわれる三咫(さんし)の虫が、
人が眠ると胎内から抜け出て、
天帝に犯した悪事を告げに行くと言う教え(*)から、
この庚申の日の夜を眠らないで明かす行事が催された記念碑という。

(*)この教えは道教の中にあるといいます。
当初、貴族の中で流行したものが、庶民にまで浸透しました。
貴族は詩歌管弦で徹夜をしたが、庶民にはこのような嗜みが無かったので、
勢い飲み食いを持ち寄ってのドンちゃん騒ぎで徹夜した、と言われます。
お寺では、庚申塔に青面金剛が、神社では猿田彦神が彫刻されているようです。
ここで言う悪事とは、アジやサンマの命を食べたとか、
キュウリやネギの植物の命を奪ったとか、
蚊や蝿を殺したとかもは入っていて、
その悪事が300を越すと天帝が命が奪うという。

安養院の山門をくぐると解かり易いが、門は閉まっているので、
左手の通路から入ると、正面に庫裏がありその手前に芭蕉の句碑がある。

・ゆくはるや 鳥啼きうをの 目に泪  芭蕉翁  
とある。
(芭蕉句碑)

その右手、山門を入ってくれば正面に本堂がある。
また、左手に延びる南門に通ずる道があるので南門に向うと、
右側に三体の地蔵尊が建っている。
(本堂)

(三体の地蔵尊、右手奥に見えるのが山門)

右の二体は、「仲直し地蔵(なかよしじぞう)」と、
可愛らしい名前のついたお地蔵さんで、
製作年代も古く、左が寛文4年(1664)、右側が寛文10年(1670)とあります。
足元にあるのは道祖神で、夫婦がに並んでいるようにみえます。

(なかよし地蔵)

左の一体は「かんかん地蔵」といいます。
名前も奇妙であるが、地蔵本体も頭から胸にかけて、
剥ぎ取られているという奇妙な地蔵です。
石で叩くとかんかんと音がして、叩いた石で地蔵のかけらが落ちると、
それを財布に入れて置くと願い事がかなうそうです。
叩いてみたくなりますが、まだ叩いていません。

安養院を後にして、荒川土手に向います。
旧日光道中の道標に書いてあるように、左に向うと荒川の土手にぶつかる。
芭蕉が歩いた時代には、荒川もこの土手も無かった。
洪水が多い荒川の河川工事で放水路が作られ、今の荒川になっており、
荒川はこのまま河口まで流れて海にそそぐ。
本来の荒川は、隅田川と名を変えて海にそそいでいる。
後で出来た荒川放水路がなかった頃は、
まっすぐ道路が繋がっていただろうと推測される。

(日光街道はこの道を左折)

(右カドに道標「西へ旧日光道中」)

(荒川土手)

街道は土手に沿って進むと国道4号線のガードをくぐって、
出たところにある螺旋階段を登り、土手の上に出る。
見晴らしがきく河川敷では、元気に野球をやる子供の姿が見える。
目の前に立派な千住新橋があり、その橋の歩道を渡り、
対岸の土手の上を左折するのが旧日光街道である。

(国道4号線のガードをくぐる)

(螺旋階段を登って出た荒川土手)

(河川敷の野球)

(千住新橋)

(千住新橋の歩道)

(千住新橋)



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