中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

千住新橋から国土安穏寺へ(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 18)

2013年09月27日 10時36分47秒 | 日光・奥州道中ひとり歩る記
(千住新橋南口)

(千住新橋の歩道)

(千住新橋の北詰、交通案内板)

(草加宿へ)
千住新橋を渡り終えると、「直進 草加 春日部」「斜め左西新井 西加平」の
案内看板がある。国道4号線で行けば直進して草加へ行くが、
旧街道をたどるには、橋の北詰めを左折して土手の上を行くことになる。
右側に高速道路が走っているが、その道路の高架が土手と水平になるあたり、
河川敷から上がってくる左側の階段が土手の上にやってきて、
そのまま土手を横切って右へ降りていく、
そんな場所に下りの階段がある。
(千住新橋の北詰を左折した所を土手の上から)

(荒川土手を行く)

(右手の高速道路と土手が平行になるところ)

(土手の左の階段)

(右手の階段を降りて旧日光街道へ)

階段をおりきると、信号のある交叉点になっていて、
道路向こう角に、お寺―善立寺がある。
振り返ると、今降りてきた土手の階段がよく解かる。
(階段下の交差点、右手に見えるお寺)

(お寺は善立寺という)

(振り返って見える階段)

先に進むと、信号があり道路は旧日光街道らしく、穏やかで静かな感じがする。
しばらくすると、左手に阿弥陀堂のような建物があるのに気づく。
お堂の横には赤い帽子を戴いた地蔵尊が白い衣を着込んでこちらを向いている。
お堂は、東を向いて建っており、石不動尊とあり、
右手にお地蔵さん、左側に石柱がある。
石柱には、「八彦尊道 是より二丁」とある。

(穏やかな旧日光街道)

(「八彦尊道 是より二丁」の石柱)

「八彦尊道」って何だろうと疑問に思いながら先に進む。
交差点があり、逆Y字路になっていて、「Y」の間に標柱が建っている。
今来た道が旧日光街道を指している。
向こう側の道路はというと「左東武鉄道旧線路跡」とある。
旧日光街道を直進すると、東武「梅島駅」のガードを潜り抜けるが、
東武鉄道の線路が以前ここを通っていた跡らしい。
(旧日光道中の石柱)

(反対側に「左東武鉄道旧線路跡」とある)

(東武梅島駅ガード)

右角に交番があり、年配のお巡りさんが居たので、
先ほどの「八彦尊道」についてお訊ねしたが、
場所を聞いたと勘違いされて、
地図を持ち出して先ほどのお堂の場所を教えてくださった。
そうではなくて「八彦尊道 是より二丁」の
「八彦尊道」はどの道を指すのかを知りたいと聞くと、
「多分、お堂を左へ行く道と思います。」の回答であった。
お礼を言って、しばらく世間話をしたら、
手帳のようなものを持ち出して、
「この先国土安穏寺があり、三代将軍徳川家光が鷹狩や日光参詣の折、
立ち寄ったお寺であり、御成門やお手植の松などがあるし、
その先に俳句寺と地元の人が呼んでいるお寺もありますよ。」と教えてくれた。
お礼を言って、旧街道を進む。

梅島駅を過ぎて1kmほど歩くと、
歩道の左側に石碑があり、左折する道路がある。
左折する道路の入り口両側に石碑があり、
左側には、「国土安穏寺」の文字が見える。
右側の石碑は「南無妙法蓮華経」とある。
その手前に足立区教育委員会が建てた黒い標柱に、
「将軍家 御成橋 御成り道松並木跡」と書いてある。

(左折する道路の両側にある石柱)

(左の石柱に国土安穏寺と刻まれている)

(右手の石柱「南無妙法蓮華経」と「将軍家 御成橋 御成り道松並木跡」の標柱)

標柱のお隣りで、年配のご主人が庭木の手入れをなさっていたので、
「この当りに松並木があったのでしょうか?」とお訊ねすると、
「良く知りませんが、私のお婆ちゃんの時代には、
近辺は一面の田んぼで、田に水を引く川がこの道路にあったのだそうです。
その道路脇に松並木があったのではないかと・・・」という話。
旧日光街道沿いに小川が、今は地下を流れているようで、
松並木があったのかもしれない。

左折して「国土安穏寺」へ向う。
かなり歩いてもお寺が見えないので、
丁度庭先の枯葉を掃除している年配のご婦人に聞くと、
「国土安穏寺は、もっとさきでしょうか?」
「安穏寺さんは、この先の石の垣根のあるところです」と答えられた。
お礼を言いながら、オヤッと驚いた。
最近聞きなれない言葉「安穏寺さん」と「さん」付けされたことにである。

少し東京を離れると、お寺は偉大な場所であるに違いない。
町で名士は、町長さん、お寺さん、学校の先生、駐在のお巡りさんなどが、
お祭りや、運動会の役員席に今でも収まる。
尊敬の意味を込めて「さん」付けで呼ばれるのであろう。

国土安穏寺は直ぐ先の右手にあった。
手前に通用門があり、その先に立派な仁王門が見える。
門扉には徳川家の葵の紋がついていて、扁額には「天下長久山」とある。
お寺の正式名称は「天下長久山国土安穏寺」という。
日蓮宗の寺院である。
足立区観光交流協会によると、
(応永17年(1410年)に日蓮ゆかりの日通聖人が開いたと伝える古刹です。
開基は室町時代後半に、
足立の領主の一人であった千葉氏一族の千葉満胤と伝えられています。
葵の寺紋を許され、朱印を賜るなど、
徳川将軍家から厚く信任されていた寺で、
旧日光街道に近く、歴代将軍が位牌所や御膳所として立ち寄りました。)とある。

(安穏寺の通用門)

(安穏寺の仁王門)

(葵のご紋)

(仁王門裏の大わらじ)

通用門から入り、仁王門の裏側へ出ると大きな草鞋がかかっており、
朱塗りの門には葵の紋が入っている。
通用門の正面は方丈で、柳の木が枝をたれている。
その柳の木の根元には、今時珍しい二宮金次郎像があり、
例の薪を背負って本を読む姿で、
戦前の小学校には必ず勤勉な金次郎の銅像が在ったものだ。
中学に入って国語の時間に読んだ、
二宮尊徳の訓え「それ実地実行を尊ぶ」の考えを、
今でも忘れていない。
その左横に、「徽軫灯篭(ことじとうろう)」がある。

(*)徽軫灯篭=形が楽器の琴の糸を支え、音を調整する琴柱(ことじ)に似ているため、その名が付いたと言われています。)

これを見ると金沢の兼六園の灯籠が有名で、思い出す。

(方丈とその前にある柳の木)

(柳の根方の二宮金次郎像)

(「徽軫灯篭(ことじとうろう)」)

さらに進むと、右手に本堂があり、
本堂手前に家光お手植えの立派な手入れの行き届いた松がある。
その左側に鐘楼があり、観音さま、旧本堂の巨大な鬼瓦が置かれている。
さらに進むと、墓地に進入するが、
目に付くのは掃除小僧と居眠り小僧の石像。
いかにも愛くるしい、それでいて穏やかな表情をしている。
この小僧の像の左に古い建物があり、近づくと祖師堂とある。
この堂の後ろにある朱塗りの門が御成門であったらしい。
面から見ると葵の紋付きの扉があるようであるが、見損なった。
堂の右に高村光雲作の祖師像が置かれている。
(本堂)

(徳川家光お手植えの立派な松)

(鐘楼)

(旧本堂の鬼瓦と観音像)

(掃除小僧)

(居眠り小僧)

(祖師堂)

(高村光雲作の祖師像)




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