中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

琵琶湖畔の古城たち(旧中山道番外記 26)

2012年05月11日 11時11分02秒 | 中山道番外記

0027
(安土城天守閣(文献により復元)

0029
(天守閣内部、上段の床)

(安土、長浜、小谷、彦根、佐和山の古城たち)

戦国時代、天下取りを夢見た名将たちが居城を築いて、
戦った逸話が数々残る滋賀県。
とりわけ琵琶湖の東岸では、
名だたる武将の城跡をたどることができます。

「第六天魔王」などの異名で恐れられ、
武力で天下統一を推し進めた織田信長。
その信長が、天下取りの拠点として築いたのが「安土(あづち)城」でした。
琵琶湖東岸のほぼ中央(現在の滋賀県蒲生郡安土町)にある、
湖を見下ろす安土山の山上に築かれていた安土城。
五層七重の巨大な天守閣は、最上部の6階が正方形、
その下の5階が正八角形という特異な形状だったそうです。
0028
(正方形の天守閣とその下が八角形であることが判る)

1579年に完成した安土城ですが、3年後の1582年、
本能寺の変で信長が討たれて間もなく、謎の失火によって、
天守閣や本丸などが焼失してしまいます。
以後、安土城は再建されることなく廃城となり、
安土山には石垣と城跡を残すだけです。

築城時の図面はおろか、
城を描いた絵なども見つかっていないため、
安土城は「幻の名城」とも呼ばれ、
真の姿は謎に包まれています。
ただ、文献などをもとに、
安土城の5・6階を原寸で再現したという「安土城天主 信長の館」が、
安土町に開設されています。
安土城の発掘調査は今も続いているそうですから、
いつの日か、その全容が明らかになる日がやってくるかもしれません。
0032
(信長の館、この中に安土城は復元されている。)

浅井長政が、悲運の最期を遂げた「小谷(おだに)城」は琵琶湖の北東岸、
滋賀県東浅井郡湖北町にあった山城です。
標高約495mの小谷山の最高峰から南へ延びる尾根伝いに、
本丸など小谷城の主要な城郭が築かれていました。
浅井長政は信長の妹お市の方を妻に迎え、信長と同盟を結びます。
ところが、信長は、浅井と縁の深い朝倉氏を滅ぼそうと出兵します。
信長との同盟維持か、朝倉とのきずなを守るかで悩んだ浅井長政は、
信長に対抗する道を選びました。
1573年、織田軍に攻め込まれた浅井長政は、
降伏を勧める羽柴(のちの豊臣)秀吉にお市の方と3人の娘たちを託して、
自刃して果てます。享年29歳でした。
浅井家が滅んで、小谷城は廃城となりました。
今は石垣など城の遺構のいくつかが、
小谷山の山中に残っているようです。

落城寸前の小谷城から、お市の方とともに脱出した浅井長政の3人の娘。
そのうちの1人が、
のちに豊臣秀吉の側室となる茶々(淀殿:よどどの)でした。
秀吉と淀殿との間には、後継者となる秀頼(ひでより)が誕生します。
ところが、秀吉の死後、幼い秀頼を総大将に豊臣家を支持する勢力と、
徳川家康とが対立し、
豊臣方(西軍)と徳川方(東軍)が天下を二分して対決する
「関ヶ原の戦い」がぼっ発することになります。

関ヶ原の戦いで、西軍の参謀として家康に挑んだのが、石田三成でした。
その石田三成の居城「佐和山(さわやま)城」もまた、
琵琶湖の東岸にありました。
佐和山は、JR琵琶湖線で安土町から湖北町へと向かうちょうど中間あたり、
滋賀県彦根市にある標高約232mの山です。
佐和山城はその山上に建っていました。
築城は鎌倉時代とも伝えられていますが、
石田三成が城主になって大規模な改修を行い、
五層(他説では三層とも)の天守閣を備えた
壮大な山城に生まれ変わったのだそうです。
0042
(彦根城の天守から見た佐和山)

石田三成が、関ヶ原の戦いに敗れ、一族が滅亡したあと、
佐和山城には家康の側近、井伊直政が入城します。しかし、
井伊直政は新たに「彦根(ひこね)城」を築いて居城としたため、
佐和山城は廃城となりました。
彦根城は、国宝に指定されている天守閣をはじめ、
重要文化財となっている天秤櫓(てんびんやぐら)など、
現在でも往時の姿を目にすることができますが、
佐和山城は、今では石垣の一部が山間に埋もれて残るだけだそうです。
0037
(彦根城入り口)

0043
(彦根城)

0055
(彦根城を借景にした玄宮園)

琵琶湖の東岸にはこのほか、
豊臣秀吉が築いた「長浜(ながはま)城」(現在は天守閣を模擬復元して長浜城歴史博物館に)や、
秀吉のおいで、のちに養子となるものの、
最後は切腹させられてしまう豊臣秀次(ひでつぐ)が築いた
「八幡山(はちまんやま)城跡」などが残っています。
0059
(復元された長浜城)

戦乱の世に天下統一の野望を抱きながら、
夢かなわずに散っていった武将たち。
道半ばで倒れた城主と運命をともにするかのように、
城もまた、あるものは焼け落ち、
あるものは朽ち果てて歴史のかなたに埋もれて消えてなくなりました。
滋賀県の琵琶湖畔に、戦国時代を駆け抜けた英傑たちの足跡をたどる旅。
今はもうない城で繰り広げられた物語を歴史書片手にひもときながら、
皆さんも歩いてみませんか?
0061
(美しい琵琶湖)

0063
(竹生島)

0066
(宝巌寺へ登る信者群)

0067
(この中へ行くと、鶯廊下があり、観音堂があり、信者の皆さんが般若心経を詠まれる。)

0071
(竹生島神社)

0068
(竹生島の西国三十番札所、観音堂)