中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

瀬田の唐橋までのたどり難い旧東海道(旧中山道を歩く 324)

2012年05月18日 06時37分51秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(一里塚跡の碑)

(大津宿)
2012年3月29日 快晴。気温18℃の予想。
日本橋を出てから48日目である。

JR瀬田駅近くのコンビニでおにぎりをいつものように二個調達して、
昨日の「一里塚跡」の石碑がある信号まで行き、右折する。
この「一里塚跡」について大津市教育委員会の説明、

ボクにとって最初の大津市の説明板がある。

「一里塚跡」、
(一里塚は、徳川幕府が旅人の目じるしに、
江戸の日本橋を基点として、
東海・東山・北陸の三道に一里ごとに設けた塚です。
ここにあった一里塚は、東海道の大津と草津の間に位置するもので、
大きな松の木が植えられた塚でしたが、
惜しくも明治末期に取り除かれました。
その場所は旧道と広い市道の交差しているこの地点に当たります。
現在の一里山という地名が一里塚のあったことを物語っています。)
(大津市教育委員会)とある。

昨日「いちりやまばし」を渡ったときに、
「一里山」というから「一里塚」に近いと思ったボクの想像は、
当っていたことが解る。
しかし、案内板の後では、誰も信用してもらえそうにも無い。
旧中山道を歩いてきて、やっと地域の感覚が分かるようになってきた、
と思わざるをえない。大津は中山道69次とした場合、
最後の宿場になり、この歩きが終わりそうになった今では、
(よくできました)と言えるものではない。

旧東海道はこれから京都まで、道路は非常に複雑になっている、
案内書を見る限り、複雑である。
間違えないよう、慎重に歩く必要がある。

一里塚の碑を右折した所に、新しい「道標」がある。
その「道標」には、「祈安全火車往来」とあり、
図の下には「江戸日本橋迄で百二十里余り」、
上に矢印で「三条大橋迄で五里余り」と、
書いてある。 まだ、20km余りあるという事だ。


(一里塚の碑を右折した所にある真新しい「道標」)

道路を旧東海道に沿って歩くと、道路は下り坂になっており、
特に目立った建物も無いが、しばらくして(大江四丁目)の信号に出る。
なお、道は下り坂になっている。
道なりに進むと今度は上りになり、
また下りになっていく。


(下り坂の街道)


(大江四丁目の信号、この先は下り坂)


(次は上り道)


(下り坂)

その内に段違いの交叉点に出るが、
ここには(旧東海道左折)の案内看板があるので、左折する。
次に出た交差点は直進する。少し行くと左に地蔵堂があり、
右に(南無〇〇〇〇〇)の髭文字の石塔があり、お堂が建っている。
その間を抜けて直進する。
次にT字路が横向きになった交叉点に出る。
ここも直進する。


(段違いの交差点、旧東街道左折の案内がある)


(次の交差点は直進)


(写真中央の川の右、道路左の地蔵堂)


(髭文字の題目塔のある阿弥陀堂を右に見て)


(T字路の信号も直進)

つぎはY字路に出るが、ここは右からご夫婦が出てきたのでお尋ねする。
この辺りからは、(瀬田の唐橋に行くのですが)とお尋ねすれば、
意味が通じる。
(旧東海道は右方向です)と回答がある。
右方向へ折れるとき、左側に案内板があるのに気づく。
「旧東海道」と案内はそうなっている。
この案内板がこの後ずいぶん役に立った。
その後も民家が続く旧東海道を進んでいく。
大きなケヤキの木があったり、桧山のバス停があったりして、
街中へ入ったのか大きな交叉点に出て突き当たる。


(先のY字路は右折、左角に旧東海道の案内看板がある。)


(旧東海道の案内)


(左のケヤキ)


(「桧山」のバス停)


(突き当たりの大きな交差点)

通りに出ると、道路向こうに(左旧東海道)の案内がある。
ここにある案内は(左旧東海道)(右旧東海道)の二つの案内があって、
左右どちらへ行けばよいのか迷う。
案内書の地図では、左が正しいが、矢倉立場のように(急がば回れ)で、
右に行った方が正解なのかここでわからなくなる。

通りがかりの叔母さんにお聞きすると、
左折が正解で案内看板にある右折を取ると、
かなり大回りになるとの回答であった。
土地の人にはどの道をとっても、
瀬田の唐橋に抜けることができるのだろうが、
旧東海道を行くには、
行かなければならない道順というものがある。


(左右どちらでも取れる東海道の矢印の案内、ここは左折する)

聞き終わって、左折しようとすると、
左側に案内看板が地図入りで建っている。
地図で確認すると図は、左折するようになっている。
左折するとすぐ信号があり、左向こう側にこんもりとした森が見え、
手前に川が流れ、土手はお城のような石垣が組んである。
森は「建部大社末社 檜山神社」とある。


(案内地図も左折している)


(左折してすぐの信号)


(信号向こうの城壁があるような森)


(直進すると「桧山神社である事がわかる。)

この道を直進する。右に正法寺があり、道路真ん中に石材店があり、
石造りの猫が戯れている石像があり、その手前の門に「左旧東海道」、
「右瀬田の唐橋」と刻まれている。
左の道路を取るとすぐ突き当たり、
左を見ると左手に「近江国一ノ宮 建部大社」があり、
右は瀬田の唐橋へ行く道路である。

よく見ると旧東海道の案内地図もある。
瀬田の唐橋まで、後30メートルとある。
右折して、直進すると瀬田の唐橋にでる。


(正法寺)


(道路の中の感じの石材店)


(「左旧東街道」「右瀬田の唐橋」の両案内の間は見ない事)


(突き当たりの左に「建部大社」が見える。)


(建部大社)


(案内地図)


(右折して直進する)

唐橋は丁度修理中で、欄干の外側に養生シートが掛けられている。
橋を渡る人には擬宝珠は勿論、橋の全容を見ることが出来る。
橋の左たもとに常夜灯がある。


(瀬田の唐橋の東のたもと)


(瀬田の唐橋のたもとに常夜灯がある。)