中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

苦労して読んだ伊砂砂神社の説明(旧中山道を歩く 321)

2012年05月05日 10時42分33秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


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(左の高架は東海道線)

(草津宿)
左手に東海道線の高架が近づき、
葉山川を渡ると左手にトンネルが見える。
案内書では、狭いトンネルをくぐると説明がある。
このトンネルは、車が一台通れる程度の広さで、
人が歩いていると車は止らなければならないほどである。
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(葉山川の隣のトンネル)

しかしこのトンネルをくぐってはならない。
ボクはこのトンネルを潜り抜けて、進んだが、
中山道としては道が違うように感じて、
角のガソリンスタンドの方に地図を見せながら訊くと、
この人はボクのもっている地図の見方がよく解らないようで、
つまり何所にいようとも、彼にはどこへでも行ける道路なので、
始めて訪ねるボクには上手く説明が出来ないようだ。

道が間違ったと感じて、小さなトンネルをくぐって元に戻り、
広い道(中山道)を進むと、50mも進まないうちに、
草津宿左の案内図があるので、左を見るとなるほど小さな、
ボクでさえ背をかがめないと通れないようなトンネルがある。
案内書のトンネルはこのトンネルのこと指していた。
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(草津宿の案内図)

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(地図の拡大)

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(小さな中山道の案内)

お恥ずかしいが、後で案内地図を見たら、間違いやすい場所であるらしく、
わざわざトンネルの写真が付いていた、
しかも、守山宿側から見たトンネルの写真と、
草津宿側から見たトンネルの写真である。
うっかり見落としていた。うっかりでは済まない、
これでおよそ1kmは歩き損である。
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(守山宿側のトンネル)

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(草津宿側のトンネル)

今度は正しい、左に小川の流れがあるトンネルをくぐり出ると、
中山道右の矢印があり、人しか通れない小路を行く。
右に折れると小路は線路と平行しているので、
くぐってきたトンネルの天上のうえは東海道線であることが解る。
20mも進むと、道路へ出るので直進する。
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(「中山道 右」 の案内)

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(人しか通れない小路)

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(この道を20mも行くと広くなる)

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(広くなった中山道)

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(左からの道と合流し直進)

橋を渡ってからは、旧中山道の上に、東海道線が敷かれたようだ。
しばらく東海道線と平行して歩くと、左から来た道と合流する。
なお直進するとインターチェンジへ進入する高架自動車道のガードをくぐる。
さらに進むと、左手にこんもりした神社らしき森が見える。
近づくと「伊砂砂(いささ)神社」である。

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(高架のガードをくぐる)

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(古い家の先に神社の森らしきものが見える。)

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(伊砂砂神社)

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(伊砂砂神社2)

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(伊砂砂神社の本殿)

国の指定重要文化財になっている「伊砂砂神社本殿」は、
(当社は天大将軍社と称され、雨乞いの神として崇められてきたが、
明治初年社号を改める。
本殿は一間社流造り、桧皮葺で棟札によって、
応仁二年(1468)の建立であること立証される建築物である。
身舎柱(もやばしら)は円柱で漆喰塗りの亀腹上に立ち、
三方に高欄を廻らし脇障子で仕切られた珍しい社殿である。
正面の浜床は狭く、向拝柱は角柱で、
柱上斗拱などの仕組みはすっきりとしており、
蟇股には宝相華唐模様の透かし彫りが施されている。
社殿内外共に素木造りで、彩色は無く全体に細身作りではあるが、
量感にあふれた建物で、室町時代の作風を、
今日に伝える重要な文化財である。)(草津市教育委員会)とある。

こんな説明板で説明が出来たと草津市教育委員会の方は考えているのだろうか?
宮大工が使う建築専門用語が、一般の人たちに理解できると思っているのだろうか?
文章とは出来る限り平易に書かれたものが、優れた文章であるとボクは思っている。
結局、この案内板を理解するのに、かなりの時間がかかった。
不明文字を帰宅後調べて、やっと理解できるのでは、案内説明板とは言えない。
読み方さえも分からないのだ。

太字にした部分は意味がわからず、下記の通り調べて注釈をつけました。
(*1)身舎(もや)=母屋。寝殿造りで、庇に対し、家屋の主体をなす部分。
     http://www.architectjiten.net/(参照)
(*2)亀腹(かめはら)=建築物の基礎部分、 鳥居の柱脚部などを、
白漆喰などで固めてまんじゅう形に造ったもの。
(*3)浜床(はまゆか)=寝殿造りの母屋に置かれた方形の台。
畳を敷き、四隅に柱を建て帳(とばり)を垂らして寝所などとする。
(*4)向拝(ごはい)=神社や寺院の正面に設置されている屋根を前に張り出した部分。
(*5)斗拱(ときょう)=斗(ます)と肘木(ひじき)でできている組み物で,必ず柱の上にあります。
     http://www4.airnet.ne.jp/sakura/gosinji07.html(参照)
説明の説明になってしまった。
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(この先中山道はカラー舗装がしてある。)

中山道に戻すと、この神社から先、中山道はカラー舗装がしてあり、解りやすい。
少し行くと左手に「佛乗寺」があり、
中山道はカラー舗装の上を行く。
次いで光明寺の門前を通り、少し行くと「やすらぎ」と題した婦人像がある。
像の前には子供たちの絵が数点置かれて、
渋川東地区街つくり推進協議会の案内がある。
(この道路は旧中山道であり、渋川のまちづくりの一環として平成八年に、
地域の特色を生かした景観形成道つくり事業を実施したものです。
通行に支障となる迷惑駐車はやめましょう。)と書いてある。
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(佛乗寺)

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(カラー舗装)

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(光明寺)

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(やすらぎ婦人像)

この先に交差点があり、直進は「きたなか」商店街のアーケードとなる。
その手前の交差点の中に「中山道 一里塚跡」の木杭がが置かれている。
この辺りに中山道最後の、129番目の一里塚があったとは、案内所に出ていたが、
地元の方が木杭を打ち付けて分かりやすくして下さったのであろう。
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(「きたなか」アーケード街)

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(アーケード街入り口左の一里塚跡)

商店街のアーケードを通り抜けた所に、トンネルがあり、
壁面に浮世絵の茶店の風景が描かれたところあたりでトンネルの出口になる。
いよいよ草津宿である。
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(長いアーケード商店街)

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(アーケード街終点にあるトンネル)

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(トンネル内に書かれた浮世絵を真似た絵)

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(いよいよ草津宿)