中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

処刑された住蓮坊と大宝神社(旧中山道を歩く 320)

2012年05月01日 09時46分03秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(閻魔堂の信号)

(守山宿 6)
今宿の一里塚を過ぎると、(閻魔堂町)の信号にでる。
ここは直進すると左手に真新しい石柱で
「住蓮房母公墓」の石碑が建っている。


(「住蓮房 母公墓」の碑)

法然上人説く浄土仏教は、「南無阿弥陀仏」を唱えれば、
阿弥陀様は、誰でも極楽浄土へいざなってくれる、
という非常にわかりやすい仏教だったので、
天皇から貧しい庶民にいたるまで、
多くの人が信者になったといわれる。

(法然の弟子に安楽坊と住蓮坊という二人の美男の坊さんがいた。
この二人は「六時礼賛」という念仏会を行っていた。
後鳥羽上皇の二人の侍女が、
上皇留守の間にこの「六時礼賛」に参加し、
安楽坊と住蓮坊はこの二人を剃髪、出家得度させた。
これを知った上皇は、安楽坊を六条の河原で、
住蓮坊を近江の馬渕村で処刑、法然は土佐に流罪となった。

息子住蓮が捕えられ、処刑されることを知った母公は、
息子住蓮に会いたい一心で馬渕村へ急いだが、
ときすでに遅く、住蓮は処刑された後であった。
母公は、最早これまでと閻魔堂の池に入水自殺した。
その母公の墓が市村家 
屋敷内にあり、今も供養されている。)という。
(守山宿歴史文化保存会)


(閻魔堂)

その先右手に、閻魔堂がある。
門前右側に「閻魔法王小野篁御作」の石柱、
左側に「五道山十王寺」の石柱が建っている。
小野篁作 地獄の法王閻魔大王像が、
お堂の中に納められているというが見ることが出来なかった。
閻魔堂の左には諏訪神社がある。

この先1kmほどは長い田舎道で特筆するものは何も無い。

(淡々とした田舎道)


(諏訪神社の鳥居)

左手に神社の森らしきものが見えてくる。
道路左は川の流れがあり、流れの左手には鳥居があり、
その奥は公園になっている。
鳥居をくぐると公園の横が参道になっており、
進むと右側にさらに鳥居がある。
鳥居脇に「この奥に芭蕉句碑あり」と刻んだ石柱が建っている。
奥に目をやると、句碑らしきものがある。


(神社の鳥居と狛犬)


(句碑の案内)


(芭蕉句碑とその由来の碑)

句碑の由来とともに、句碑があり、

・へそむらの まだ麦青し 春の暮れ  はせを(芭蕉)

と刻まれている。
句碑の由来には、
(この句碑は栗太郡内唯一の芭蕉の句碑であう。-中略。
滋賀県内に、93本の句碑があるが、この句は芭蕉の句の
存疑の部に入れられていて、今後の研究課題の一つとされています。)
(綣行政区(うそぎょうせいく)とある。

しかし芭蕉俳句集(岩波文庫、中村俊定校訂2008年発行)によると、
存疑の部にも入っていない。
どの研究書によって存疑の部へ入れたのであろうか。

話を戻す。
鳥居のある神社は、大宝神社で、参道が奥へ続いている。
入り口の立派な四脚門は、宮中からの寄進であることを現す、
築地塀に五本の白い線が入っている、という。
また、社宝の二対の木造狛犬の内、
一対は平安時代のもので国指定の重要文化財となっているそうである。
木造狛犬は見ることができなかった。
広い森には年代ものの大木が生えていて、
都会とは違う森の深さを感じる。


(大宝神社の鳥居)


(四客門の五腺入りの築地壁)


(本殿)

中山道は綣(へそ)町を過ぎ、右手の佛眼寺の地蔵堂を見て進み、
(栗東駅西口)の信号を過ぎ、左に八幡宮の鳥居を見て、
旧街道らしい街並みを歩くと、

草津市に入って行く。


(佛眼寺の地蔵堂)


(栗東駅西口)の信号)


(八幡宮の鳥居)


(街道らしい道)


(草津市の案内)