快傑!!児雷也 

2023-09-26 10:03:06 | 懐かしいアニメ・TV主題歌
舟木一夫




走る走る走る走る
稲妻に乗りドロンロン
今日も来る来る 今日も来る来る
人か魔物か あれは児雷也
右手(めて)をかざして
切る九文字(くもんじ)に
妖気ただよう ガマが棲む
父母のうらみに 燃えたつ瞳
めざす仇は 大江戸の空
頑張れ頑張れ児雷也 敗けるな児雷也

響く響く響く響く
雷(いかづち)の中ドロンロン
馳(か)けて来る来る 馳けて来る来る
人か魔物か あれは児雷也
銀の剣は 正義の光
続け愛する綱手姫
結ぶ心に みなぎる力
敵をけちらせ 大蛇(おろち)を倒せ
頑張れ頑張れ児雷也 敗けるな児雷也

荒(すさ)ぶ荒ぶ荒ぶ荒ぶ
嵐をついてドロンロン
飛んで来る来る 飛んで来る来る
人か魔物か あれは児雷也
天地ゆるがす 変幻もよう
進め児雷也 悪を切れ
広い世界の 果てない空に
夢をつかんで 夜明けを告げろ
頑張れ頑張れ児雷也 敗けるな児雷也




舟木は以前より特撮ヒーロー物が好きで、特撮ヒーロー物の主題歌を歌いたいという意向があったのですが、スタッフにより却下されていたそうです。

後にこの快傑!!児雷也の舞台を踏むにあたって、音楽を担当していた渡辺宙明(「人造人間キカイダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」などで知られる)に、

舟木が「ぜひ特撮ヒーロー物っぽい曲を作って欲しい」と頼み込んでこの曲が生まれ、かねてよりの夢が実現しました。

児雷也の物語は、リアル(?)な「忍者もの」以前のファンタスティックな「忍術」もの。

巻物を口にくわえて印を結んで「どろん」と消えるあの忍術です。

もっとも、児雷也の師匠は「仙素道人」。

「道人」は「仙人」なので、日本風に「忍術」というより中国風に神仙の術、「仙術」というべきかもしれません。

もともと、姿を消したり何にでも変身したり雲に乗って飛行したりする「忍術」は、孫悟空の術にも通じる「仙術」イメージなのです。

だから普通人の目には、児雷也はただの「忍者(=人間)」ではなく、恐るべき妖術を使う「魔物」のごとくにも映ります。
 
実は児雷也の起源も中国なのでした。

児雷也の元祖は宋代の小説に登場する盗賊「我来也」、神出鬼没、盗みを働いた家の壁に「我来也」(我来たるなり)と大書して去ったといいます。

この伝説をもとに、江戸後期、文化年間(1800年代)に読本作者が『報仇奇談 自来也説話』で「自来也」(自(みずか)ら来たるなり)を登場させます。

この「自来也」は蝦蟇の妖術を使う大盗賊です。

(ただし、蝦蟇の妖術を使うのは自来也が最初ではありません。歌舞伎では「天竺徳兵衛」の方がずっと早く、「自来也」登場に50年も先立つ1750年代、

宝暦年間に作られた芝居の中で、蝦蟇の妖術を使って日本転覆をたくらみました。天竺徳兵衛は蝦蟇の妖術で国家を盗まんとする大盗賊だったわけです。

その意味で、「自来也」のイメージの原型は歌舞伎の天竺徳兵衛なのだといえるでしょう。)
 
さらにこの「自来也」が「児雷也」となって物語世界を膨らませて行きます。

「児雷也」になると、盗賊の名乗りだった「我来也」「自来也」とは、名前の意味がまったく変ります。「雷の児」です。
 
名を「児雷也」とした最初の物語『児雷也豪傑譚』(天保十二年初編刊)では、少年時代に雷獣(落雷をイメージ化した怪獣)を生け捕りにしたので「児雷也」。

だから舟木の児雷也も「稲妻に乗り」「雷の中」「嵐をついて」「ドロンロン」と「参上」します。

「ドロンロン」は忍術使いが「どろん」と消え「どろん」とあらわれる「どろん」であると同時に、少年コーラスたちの「ドンドロドンドンドロドロン」とともに、

雷の音をあらわしてもいるでしょう。)
 
児雷也は雷を捕えた少年なのでした。
 
さて、この想定の当否はともかく、『児雷也豪傑譚』では、この少年が悪人に親を殺され、仙素道人から蝦蟇の仙術を授かり、蛞蝓(ナメクジ)の術を使う

綱手を妻として、大蛇の術を使う大蛇丸(おろちまる)と妖術合戦を繰り広げて仇を討ちます。

ここで児雷也の「世界」の基本設定が確立しました。

以後、脚色は変ってもこの基本設定はほぼ変りません。
 
彼らの術は人間ならざる生き物の特殊能力を使う術でした。

アニミズムやトーテミズムの自然観に由来する想像力です。(現代ならスーパーマンではなくスパイダーマンでしょうか。)

さきほどの雷神捕獲伝説を加えて一般化すれば、この想像力の背後には、自然の神秘的な力への畏敬と憧憬に発するなにか壮大な自然観、宇宙観が

あるように感じられます。

「仙術」を作り出した古代中国の神仙思想も道教の自然観・宇宙観の表現なのでした。

そこが、同じく荒唐無稽な「忍術」を使うとはいえ、真田十勇士のヒーローだった猿飛佐助や霧隠才蔵とは大きく異なるところです。
 
蝦蟇(ガマ)と蛇(ヘビ)と蛞蝓(ナメクジ)はいわゆる「三すくみ」の設定です。

ヘビはカエルを呑み込んで勝ち、ナメクジはヘビを溶かして勝ち、カエルはナメクジを呑み込んで勝つのだそうです。

したがって、児雷也(蝦蟇)は単独では大蛇丸〈大蛇〉に勝てず、綱手(蛞蝓)と協力して初めて勝てるのです。
 
「三すくみ」は身近にはグー(石)チョキ(鋏)パー(紙)のジャンケンの発想に生きています。

少々大げさながら、世界の諸力を三つに代表(象徴)させる発想だといえるでしょう。

つまり、世界は相克し合う三つの力の果てしない抗争で動いているという世界観の表現なのです。

善悪(神と悪魔)二元論ならぬ三元論です。
 
児雷也の場合、その三つが動物で表現されているのです。

そうすると、ガマとヘビとナメクジというちょっと奇妙な選択の背後にも、古代的な自然観・宇宙観に由来するなにか本質的な意味があったのかもしれませんが、

残念ながらその意味はもう不明になってしまいました。

ただ、単純な二元論ではないこの三元論、絶対的な勝者のいない、つまり独裁者の存在できない「三すくみ」の世界観はマスター好みです。(笑)






























































































この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夢飾り    | トップ | 武蔵野エレジー »
最新の画像もっと見る

懐かしいアニメ・TV主題歌」カテゴリの最新記事