暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Paul van Kemenade

2007年10月21日 11時55分51秒 | ジャズ
Paul van Kemenade Quinted with South African Friends

Sun. 20 Oct. '07 at Burcht in Leiden, Tne Netherlands

Paul van Kemenade (as)
Pieter Bast (ds)
Wiro Mahieu (b)
Rein Godefroy (p, fender)

Feya Faku (tp, fh)
Sydney Mnisi (ts)
Ferhan Otay (g)

1st Set
1) Soul'Afrique
2) South African Connection
3) Pom Hera
4) Pleased to meet you again

2nd Set
5) Just Flirting
6) Tembisa, people
7) Major Download
8) ja ja ja, Mr. Mingus
9) Song For My Father

Encore


このアルト奏者は二十歳でプロとなり30年間ジャズのフロントラインを様々な音楽のジャンル、人々を巻き込んで疾走しつづける当人今年50歳の記念公演ツアーである。 ツアーといってもその間にこの何日か前、アムステルダムの港に面するミュージックホールでシンフォニー・オーケストラをバックに自筆の作品を数々の友人達とともに大ホールに響かせ、自分が育った街で教え、ジャズフェスティバルを組織し、ヨーロッパ、アフリカ、アジア各地に飛ぶという八面六臂の活躍なのだが、根っからのジャズ屋なのであり、この日、地元のジャズ同好会が主催する地下会議場に集った平均年齢45歳を越える100人ほどの聴衆に淡々と軽い冗談を交えてこれまでの行き越しを話す中、ころがる石には苔むさず、の謂いが実感できる飾り気のなさである。

主催者の誕生日プレゼント、片手では持ちきれぬ数キロのチーズを小脇に抱え南アフリカから招いたゲストたちとのこの20年ほどの交流を話す後ろでゲスト達が笑顔でPvKのオランダ語に反応する。 ゲスト達の国、南アフリカはオランダ語「アパルトハイト」がこの間まで幅を利かせていたところでその国の公用語であったアフリカーンスはオランダ語から派生した言葉である。 それで思い出すのは、日本のジャズの大御所でアルトを吹く文化功労者も30年ほど前からカメラを手にアフリカをテーマにしていたこともあり、10年以上前に国際交流基金を通じてアムステルダムでコンサートが開かれた時に招かれ、当日券を入り口で買って入った一般客とまざる立ち見のホールでアフリカからのドラムバンドをバックに久しぶりに聴くと30年前のと変わりなくアルトを吹くのだがフレーズのバリエーションは弱く少なく、途中退場者も多くでて寂しい思いをしたのだがこれはPvKのアフリカンアプローチとは異種のものであり、アパルトハイトを経験してきた強さと一方、草原での夢物語の根付かぬエキゾチズムの違いだと今はその違いを実感する。


この日のレパートリーは既に昨年何枚目かのCDに結実したPaul van Kemenade Quintet ;Mexi Cosy; KEM06 で聴かれる。

彼のホームページではサンプルがいくつもありその音楽の概要に触れることができる。 ミンガスバンドに多く負っていると自ら語るように実際の聴き所は曲が始まって2分以降なのだが、それはそれとして、かれのCD群の中で趣を異にして大オーケストラをバックに気持ちよく吹くアルバム「Freeze!」もこの人のキャリアの中では欠かせない。 

Paul van Kemenade Home Page
http://www.paulvankemenade.com/index.htm


ほぼ2年ほど前にこのバンドについて記したものが下のサイトに。

2006-1-20
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/23190865.html
 
2005-11-29
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/17863675.html

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