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いつでも君のこと好きだったよ

美しい日

2023-11-25 01:27:51 | 日記
 今朝、出勤してすぐに両親のいる施設から連絡があり、父の容態が悪いことを知って、施設へ向かった。

 急にお金が必要かもしれないから、ATMでお金をおろし、きょう司会の当番だった神楽岡歌会のもうひとりの司会のHさんに電話をし、事情を話し、どうにかしていま持っている詠草集をどこかで受け渡すかFAXしたいことを告げる。会場は京都駅近くだから受付に預けようかとかいろいろ考える。そして妹にも知らせる。
 
 もし京都駅で電車の時間があったらそうしようと思う。歩きながら乗換情報を見ると、京都駅では5分しか時間がない。ああ、これは無理だなと思って、とりあえず後から考えることにする。

 たまたま夫が振り替え休日で自宅にいたので、一番早いのは城陽駅から車で向かえば10時30分には施設に着ける。

 そのうちにHさんから連絡があって、きょうの詠草集はHさんが作るから大丈夫、心配しないでということだった。涙がでそうなくらいありがたかった。こういうとき、共通のGmailを使っているのでいざというときに助かる。皆さんの歌は私もHさんもふたりが確認できる。きょうはいざというときだからお願いした。

 空は晴れていて、泉北で高速を降りて、見慣れた道を進む。私と妹の高校の前も通る。

 イチョウや楓がきれいに色づいて、ああ、なんてきれいなんだろうと思う。こんなに美しい日に父はこの世から、私たちから離れていくんだなとぼんやりと考えていた。父らしい日だ。

 施設に着いたのは10時30分くらいで、父は9時55分に息を引き取っていた。

 小さくなった父のベッドがとても広く白く感じられた。がんばったね、お父さん。覚悟はできていたし、これからやらないといけないことを考えると涙はでなかった。葬儀屋さんやお墓の管理会社に連絡をする。

 12時すぎに妹夫婦がやってきて、お別れをする。13時にお迎えの車がきて、斎場の霊安室へ父は運ばれていった。それから私と夫は葬儀会社の事務所で打ち合わせ、妹夫婦は施設の部屋の片づけと実家の郵便物のチェックに行ってくれた。葬儀は家族だけですることにした。母には話していない。認知症が進んでいるので、話せば何度も父の死を知り、何度も悲しむことになるだろう。

 父と最後に会ったのは両親の結婚記念日の10月26日。あの日も微熱があるとかで、母と記念写真を撮ってすぐに自室へ運ばれていった。

 眠れないわけじゃないけれど、なんとなくきょうが終わるのが寂しくて起きている。新しい日が始まったら、もう父のいない時間が始まるんだなと思うと。

 長い間、生きていてくれてありがとう。 冷蔵庫に入っているものの消費期限の数字。みんな父が生きていた時間に買ったもの。だけど消費期限は父のいない近い未来。これからは父のいない時間に買ったもので埋まっていく。11月24日までの時間。干し柿、本の付箋、スマホのなかのたくさんの写真、冷蔵庫の扉にマグネットでとめたレシート。父といっしょに生きていた時間が新しい過去になっていく。

 あしたからは父のいない時間が流れていく。
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