日曜日は短歌の日、なのですが、きのうどうでもいい話を書いてしまったので、きょうは月曜日ですが、祝日なのですてきな歌集のご紹介。
河野美砂子歌集『ゼクエンツ』。 音楽を聴いたり、絵画や写真を見るとき、自分の言葉の限界を感じてがっかりしてしまうことがあるのですが、言葉は使う人によって、一対一で届けられる豊かな道であるなぁとこの歌集を読んで思いました。
・さきほどは不在のdolce再現部に見つけてブラームスと少し会話す
私はピアノを中学で辞めているので、作曲家とこんなふうな近さで楽譜を読むことはありませんでした。 「再現部」だから、さっき弾いたものとよく似た旋律を弾いていて、よく似ているけれど、そこに「dolce」と書いてあったのですね。dolce(ドルチェ)はデザート用語のほうが最近はよく使いますが、甘いもの、 甘く、優しく という言葉です。 ブラームスが書き加えた思いを弾く人がちゃんとキャッチしています。「少し会話す」というところが羨ましい。「不在のdolce」がかっこいいです。
・胸もとに白毛ひろげふあんなりわれを見上ぐる犬の顔つき
・あしもとに眠れる犬の夢のなかわがねむりたり犬のあしもとに
・人間に話す代りに話すとき神妙といふ顔つきで聞く
・冬の夜くらがりに聞こゆみづからの身を時かけて舐めてゆく音
・月わたる大きな夜を呼ぶ声の犬の名しだいに犬でなくなる
・来たときはこの階段ものぼれずに黒耳垂れてゐたよおまへは
犬の歌にであうと、切なくなってしまいます。 犬との時間、ご両親との時間。 あとへ行くほどそれぞれの時間がかけがえのない時間となって深いところへ沁み渡っていきます。
・わすれてね。時がすぎればこの場所でだまつてくらす 菊を咲かせて
この場所がどこなのか、なんで菊なのか不明だけれど、とても大切なことが書かれている歌だと思いました。 唐突に菊のでてくるのは河野裕子さんの「夢の中はもつとさみしい 工場のやうな所で菊の世話して」を少し思い出しましたが、ほかになにもはっきりとしたことはわからないのに、「菊」だけがくっきりとたちあがってくる、そこに二人の歌に共通する「意志」のようなものを感じました。
・蟬の音の遠くひろがる午前中みづがながるる白い食器に
・午後ずつと歩いてゐたり音たてて耳の中をゆく水路に添ひて
・覚めぎはのからだなまなまと寝がへれば口にあふるるのは波だつた
・岬まで電線のびてゆく春の雨ふるたびに鉄の匂ひす
・よるはながれからだをめぐる液体のいとなみ苦く胸あはせたり
・花傘のした小暗くて入りて来しその子そのまま帰らなかつた子
・闇と闇もみあふ音す十歩ほどで渡り終へたるこの橋の下
歌集全体を柔らかな水ととろっとした闇が流れているようです。
・要介護老人となつた父がゐてパパと呼べば杖に支へられて立つ
・よごれたる手鏡のこりかぎろひのひと月は過ぐぬぐふことなく
・階段が段々であることなどもかなしければまた掃除機かける
・最後までママと呼びゐしその人を母と書くたびゐなくなるママ
お母さんが亡くなったことを読者はふいに知るのですが、お葬式とかお別れの具体的なことがないぶん、よけいに寂しさが際立っているように思いました。
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