
昨晩からの車泊位置
後ろが乗船待ちのターミナル。そりゃうるさいはずですわ。
真後ろの街路灯にも拡声器が付いておる。
でも睡眠不足だったにも関わらず、一応体調は回復しておりました。

9時ころまですることはないのでお散歩
青函トンネルって鉄道だけで、現在も北海道へ車で渡るにはフェリーが必須
この港へ車を置いてチャリだけ手荷物で渡る方々が結構いた。

泊まっていた港近くにある、駐車枠が無料の十和田丸資料館へ移動
1954年の台風で青函連絡船フェリー数隻が乗客と共に全滅した。
このことで安全対策など大変だったそうだ。ほとんど知らんかった。

昭和52年7月11日の深夜、私は青函連絡船へチャリンコ一式抱えて乗り込んだ。
当時乗ったのはこの船だったのかな?

ボタンを押すと「津軽海峡・冬景色」を大音量で演奏してくれました。

国鉄青森駅から連絡船へ至る通路
48年前にここを先を争って必死で歩いたような気がする。
ランドナー+テントなど30kg近かったと思うよ。
今や足腰弱ってしまって、情けない。

乗船

ブリッジ。父親が船乗りだったので見慣れた風景です。

艦内は遭難当時の解説の他、戦後まもなくの青森市内のジオラマなどが展示されている。

機関室特別案内ツアーに参加

防災を主目的に再開発され、当時フェリーとしては世界でも最新鋭の設備を誇っていたそうです。

機関室。重油の匂い。

ディーゼルエンジン
機関部へはあんまり入ったことがなかったのでちょっと新鮮
国鉄の威信をかけての開発

係留中の列車群 この塗装は懐かしいですね。

こちらはディーゼル
遭難した旧型フェリーはこの甲板の構造が悪く浸水し転覆したそうだ。

案内していただいた国鉄OBの方の若かりし頃の写真

艦内ではJRのイベントを開催中

主としてマニアによるジオラマではありましたが。

続いてお隣の「ねぶたの家 ワ・ラッセ」へ

バエる迫力満点のお出迎え。

こんなのが所狭しと置いてある。

作るの大変そう。電力供給もね。

怖いね。

中はこんな感じ。

掲載数がいくらあっても足りんのでここらで脱出

おしまいです。

天気悪いけど本日は屋内中心なのでOK

橋脚も凝ってますねぇ
昼からはいよいよ今回の旅のメインである三内丸山遺跡へ。
長くなったのでブログを分けます。