ぼくがこの世界で生きる価値
放送内容は、
デンマークへ幼児期に養子で来たアジア系のヤコブ君には脳性まひの障害があり、成長過程で様々な困難に立ち向かってきた。
27歳になった彼は自分の存在意義を求め、哲学者や科学者や舞台演出家などと共同し、自身の障碍を背負って生きてきた人生や考えについて、デンマーク王立劇場で公演を行うまでをドキュメンタリーで追うものだった。
主題は、健常人と言われる我々が心の奥底に持つ「自分がそうなった場合の恐怖」「マイノリティーに対する拒否」意識を自覚させた上で、障碍を持つ人を同じ人間として理解するよう求めるものであった。
冒頭で彼が私たちに突きつける「障碍者に接した際に、あなたたちは“逃げようとする”か“殺意”を抱く。」という言葉は胸を突く重い言葉であった。
人間社会全体で持っている心の闇なのだろう。
障碍は人間の「個性」なのだという言葉が思いだされる。
彼は舞台を通じて、自分の個性を、彼にしかできない方法で、他人よりもはるかに説得力高く世間に問題提示することができた。
この公演は彼にとって、負に思えていた部分が実は自分を発現・表現するための最大の武器であったことを知る瞬間だったと思う。
考えや行動を180度転換するためには並外れたエネルギーが必要なはずで、そのための葛藤も激しかったに違いない。
彼は手足や言葉が不自由だけど、ヘッポコ健常者など足元にも及ばない考えと行動力の持ち主なのだ。
健常者だって同じように、いろんな理由でそれなりに社会や周囲と闘っているのだから、少し立場を変えれば、彼らの気持ちを理解できないはずがない。
きかっけが無いとか、故意に目をそらしているだけなのだ。
彼に負けないよう頑張ろう。
最近気になっている他人のイラつく行動なども、それは社会の中でそれぞれ生きている人生が作り出した個性であって、案外、私自身も彼らから見ればイラ立つ人の可能性は高い。
行動を同化しないまでも「それはそれ」と許容する姿勢が重要だなあと感じた。
人それぞれ他人には判らない理由や原因を持っているものだ。