うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の世界 二十四

2009-08-21 04:48:24 | 日記

椿のおちる水のながれる<o:p></o:p>

この場に不似合いですが、この句に接して黒澤明の傑作「椿三十郎」をつい思い出していました。クライマックスで満開の椿の花をもぎ取って築山の小川に大量に流すシーンです。巨匠はこの句を読んでヒントを得たのではないでしょうか。<o:p></o:p>

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誰が来そうな雪がちらほら<o:p></o:p>

山頭火は生来限りない人好きの人です。淋しがり屋とも言えます。これに似た句は外にも多く見られるのです。何かにつけて孤独の寂しさから抜け出したいと、その徴候を見出すのです。雪がちらほら降り出してまいりました、誰か訪ねてくるといいですね。<o:p></o:p>

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寝ざめ雪ふる、さびしがるではないが<o:p></o:p>

いくら出家の身でも、草深い草庵の日々は寂しい筈と思います。山頭火は正直です。夜中にふと目覚めいつ降り出した雪か、そっと蒲団に首をすくめました。そしてこと無げに、淋しがるわけではないがと強がって見せます。<o:p></o:p>

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ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない<o:p></o:p>

梟よお前はなぜにそう鳴き続けるの、これは失敬、聞くだけ野暮というもの。お前にはどうでもいいことだが、わたしは今夜はお前と同じで眠れないでいるのだよ。人間は夜は眠る生き物だが、こういう夜もあるのさ。<o:p></o:p>

 

枯れたすすきに日の照れば誰か来そうな<o:p></o:p>

山頭火の人恋しさ募る句の一つです。誰か訪ねてやって下さい。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二十三

2009-08-20 04:49:18 | 日記

ここにこうしてわたしをおいてゐる冬夜<o:p></o:p>

悠然と座す不動の気合いが窺われます。同時に自然と対峙する峻厳な気持と裏腹に、自然に融和する優しさも感じます。自然にそっと身を預ける謙虚な山頭火、厳しい寒さを押し付ける冬に対して、そっと傍に置かしてくれていると、仏に帰依するようです。<o:p></o:p>

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焚くだけの枯木ひろへた山が晴れてゐる<o:p></o:p>

自然が与えてくれる生活の糧といえます。自然界に密接して生きる山頭火、動物が餓えを満たすだけの獲物しか捕らえません。それに似て見事に言ってのけます、焚くだけの枯木と。山は晴れ、明日も天気は良さそう、足腰鍛えるためにも明日も焚き木拾いに山に入りますか。<o:p></o:p>

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雪へ足跡もがつちりとゆく<o:p></o:p>

自然界と真っ向に向かい合う行乞の日々、生半可な精神では脱世俗の世界からは脱落です。雪深い街道か山道か、山頭火は気を引き締めて一歩を踏み出します。がっちりと足跡を確かめ、又一歩と雪を踏みしめます。<o:p></o:p>

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しんみり雪ふる小鳥の愛情<o:p></o:p>

つがいの小鳥でしょうか、小枝に寄り添うように止まっています。寒さに震えているよう素振りを見せますが、時折小首を傾げどちらともなくからだを寄せます。小さな胸が幾分膨らんだような様子です。小雪もしんみりと小鳥に降る光景です。<o:p></o:p>

 

雪のあかるさが家いつぱいのしづけさ <o:p></o:p>

しんしんと降り続ける雪で、辺りは静寂に包まれています。草庵を呑み込むような静けさと不似合いに、部屋には明るさが行き渡っております。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二十二

2009-08-19 04:39:58 | 日記

ぽきりと折れて竹が竹のなか<o:p></o:p>

実際にそんな光景を見たりしたことはありませんが、雪が降りしきる厳寒の日など、積もる雪の重みで地べたに這いつくばる竹が、それに耐えかねて、割れて弾ける音が竹林に響き渡ると聞きます。<o:p></o:p>

無残に折れた竹、その竹を雪の重みに耐えている仲間の竹が痛々しそうに見守ります。<o:p></o:p>

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とぼしいくらしの屋根の雪とけてしたたる<o:p></o:p>

貧しい農家の軒先に立っている山頭火です。懸命に喜捨を願って読経を続けます。一目で分かる極貧の暮らしぶりが、手に取るように分かります。いつしかそこの家族の安泰を願って念仏に熱がこもっていきました。藁葺き屋根の雪がとけて落ち、法衣の肩を濡らすのをものともしません。<o:p></o:p>

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ことしもこんやぎりのみぞれとなつた<o:p></o:p>

今年も今日が最後の一日となりました。別にこれといった感慨も湧いてまいりません。あさから止む気配もなく雪が降り続きます。窓の外を見やれば、雪はいつしか霙に変わったようです。この分だと元旦は雨の一日になりそうです。<o:p></o:p>

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なんといふ空がなごやかな柚子の二つ三つ<o:p></o:p>

抜けるような青空が広がっています。爽やか空気が蔓延しています。久しぶりの和やかな、気持のよい街道を行きます。そんな悠然とした気分にさせるのも、広がる青空の故だけではありませんでした。<o:p></o:p>

道筋に繁る柚子の木に生る柚子の実が二つ三つ、思わず鼻うごめかさずにはいられぬ色合いです。空の色にマッチして山頭火の詩心を刺激していきます。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二十一

2009-08-18 05:17:00 | 日記

やつと郵便が来てそれから熟柿のおちるだけ<o:p></o:p>

待ちに待った郵便が届きます。現代と違って通信事情といえば一枚のハガキか封書、「モシモシ、元気かい」と気楽にはまいりません。その分振り込め詐欺なんてことも無いわけですが。山頭火、自分が筆まめだけに、友の便りがなによりの楽しみです。ときには嬉しい嬉しいカンパもあるのです。そんなとき熟柿が落ちて、嬉しさに花を添えてくれます。<o:p></o:p>

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人を見送りひとりでかへるぬかるみ<o:p></o:p>

久しぶりに俳友が訪ねてくれました。俳談に熱が入ります。友人たちの近況、噂話に笑いがこぼれます。そして別れの時間となり、別れ難く一寸そこまでと見送りに出ます。村の四辻で会釈をしての別れとなりました。一人かえる路上はぬかるんでいて、思わず足を取られてよろめきます。<o:p></o:p>

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お月さまが地蔵さまにお寒くなりました<o:p></o:p>

月が煌々と田舎路を照らしています。空気はあくまで澄んで冷たい夜気が流れていき、道端のお地蔵様が親しげに月を見上げているようです。月もそれに応えて、「お晩です、お寒くなりましたね」。<o:p></o:p>

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落葉を踏んで来て恋人に逢ったなどといふ 或る若い友<o:p></o:p>

庭先の落葉をせわしげに踏んで若い友人が訪ねて来ました。思いなしか息が弾んで頬を紅潮させております。家に入る間も惜しげに、途中で恋人に逢ったと言ってのけます。話題は専ら恋人のこと、山頭火は聞き役に徹していました。初老ともいえる山頭火にとって、若い友の話は生々しく、若き日の自分はどうしても蘇えりません。次第に苛立たしさが募ってまいります。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二十

2009-08-17 05:20:32 | 日記

酔へなくなつたみじめさはこほろぎがなく<o:p></o:p>

山頭火は虫のいろいろを句の題材に使います。草庵の庭先にしろ、旅の途次の草叢にしろ、一斉に鳴きだすこほろぎも例外ではありません。<o:p></o:p>

今夜の山頭火は異常です、酒が一向に進みません。昨夜の飲みすぎが体に祟っているのか、酒好きの口に盃を運べぬ惨めさは一入です。そんな山頭火をこほろぎが嗤うでなく、慰めるように励ますように鳴き出しました。<o:p></o:p>

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はだかではだかの子にたたかれてゐる<o:p></o:p>

喜捨を願って軒先に立ちます。破れ障子の向こうで、子供が大声で何かねだって泣いています。裸の体を汗まみれにして、父親の背中を叩きながら泣き続けています。叩かれる父親も裸です。父親の目はやさしく笑みさえ浮かべております。子供の願いを承知するのはもう直ぐのようです。<o:p></o:p>

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ほんとによかつた夕立の水音がそこここ<o:p></o:p>

実感がこもっています。山頭火いつも農民の日常に想いを馳せております。特に稲作の出来具合にあれこれ心配です。ここ稲の成長期というのに連日の日照りがつづいています。田圃の土に地割れが走って、行き交う農夫たちの眉間にも険しい皺が走っているのです。それが一転空が俄かにかき曇りといったところです。そこここの田畑に水が溢れます。<o:p></o:p>

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月夜、あるだけの米をとぐ<o:p></o:p>

男の独り住まいの夜は何かとわびしいもの、まして煌々とした月夜に、夕餉の支度は端から見てもふと哀れさが滲んでまいります。それに底に米粒が並んで見えるような、微量の米をとぐのです。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 十九

2009-08-16 05:48:09 | 日記

まことお彼岸入りの彼岸花<o:p></o:p>

彼岸花とはよく名付けたものです。多少の早め遅めはあっても、彼岸の季節には、あの世と現世の橋渡しを、律儀に行ってくれます。お寺さんや墓場への道筋に咲く彼岸花を見ると、人々は息を整え多少なりとも、先祖を意識するのではないでしょうか。<o:p></o:p>

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一つもいで御飯にしよう<o:p></o:p>

草庵の片隅の、僅かな空き地に作った畑でしょうか。茄子かトマトか胡瓜が食べごろ、一つもいで昼御飯のおかずにともぎます。それなら長閑な草庵の昼下がりの情景なのですが、もしかして、まさか米櫃が空っぽで御飯の代わりではないかと心配させられます。<o:p></o:p>

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山のあなたへお日さま見おくり御飯にする<o:p></o:p>

何の変哲もなく、静かな一日が終わるようです。彼方に夕焼けに燃えるお山が控えています。真赤なお陽さまが悠揚と姿を隠していきます。厳粛な面持ちでそれに手を合わせ、さあ、夕食です。お膳の上にはお神酒が鎮座しているのでしょうか。<o:p></o:p>

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昼もしづかな蝿が蝿たたきを知つてゐる<o:p></o:p>

暑い昼日中、団扇で風を送るていどでは涼はとれません。汗をぬぐいます。そんな頭上を一匹の蝿が旋回してます。羽も震わさず無音の旋回をして暑さを倍加させます。ときおりこちらを窺うように畳に着地といったところです。手を擦り合わす仕草もせずに微動だにしません。団扇を置き、そっと蝿叩きに手を伸ばします。しめしめと柄を握りました、一撃と振り上げました。待ってましたとばかり天井近くまで飛び立ちました、静かな蝿は。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 十八

2009-08-15 05:03:25 | 日記

日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ<o:p></o:p>

暑い日も寒い日も、道いく人にやさしく笑みで接するお地蔵様。今日は格別暑さ厳しい夏の日盛り、石のお体が熱気にさらされ燃えるようです。でもお地蔵様は常に自然体で、ニコニコ、今日もニコニコです。<o:p></o:p>

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待つでも待たぬでもない雑草の月あかり<o:p></o:p>

一瞬「宵待ち草」なる唄が頭に浮びました。山頭火の一面を見たようです。雑草の広がる原っぱを月が照らしています。こんな夜は人はロマンティックになります。出家の身であろうと、人恋しの気分になるのではないでしょうか。しかし漂泊の身です、「待たぬでもない」の一言が泣かせます。<o:p></o:p>

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蚊帳へまともな月かげも誰か来そうな<o:p></o:p>

独り身の男が、蚊帳の中に所在無げに横たわっています。開け放った戸障子を、涼風が微かに揺らします。月影が淡い光となって男の体を照らします。女人の一人も訪ねてきても、ふしぎのない舞台装置と言えるのではないでしょうか。<o:p></o:p>

江戸情緒満点といったところです。<o:p></o:p>

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こほろぎよあすの米だけはある<o:p></o:p>

馬鹿に今夜のこほろぎは鳴き声が騒々しいのです。なにをそんなに鳴くのか、山頭火思わず苦笑いといったところです。「お前たちも同じ草庵の住人、私の台所が火の車であるのを知り、心配で騒ぎ立てているのか。ありがとよ、心配ない、明日炊く米だけはあるよ。」<o:p></o:p>

しかしその後の手配は皆無の山頭火です。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 わたりと渡り

2009-08-14 21:08:41 | 一言

不適切昇給141市町村<o:p></o:p>

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 人間長生きはするもんですな。色んな世間を見させて頂けるといったことです。今問題の高級官僚の天下りや「渡り」で目を白黒させているってえのに、今度は渡りならぬ「わたり」です。渡りは漢字、こちらは平仮名でわたりと区別されると言うんだから、笑っちゃうよ。どちらも公務員の呆れた待遇といったもんです。<o:p></o:p>

 今朝の読売新聞の第一面記事で、かなり大振りの紙面です。読売、気合いが入ってるのが分かります。先ずは「わたり」の定義からいきますか。<o:p></o:p>

 わたりとは実際の職務に対応する給料表の級より、支給額が高い給料を支給することなんですって。そんなわけで同じ役職の職員が、複数の級にわたって存在する様子に由来するとあります。<o:p></o:p>

 そして、こうした不適切な人件費は約9200人分、年間33億円に上るんですって。しかし総務省は、この事実を今知ったのかどうか、知ってても頬っかぶりしてたのかよくは分からないが、言うことは言ってるんだよね、もっともらしく。<o:p></o:p>

 「給与は職務と責任に応ずる」と定めた地方公務員法に違反するとして、初の、初のですよ、言っておきますが、初の実態把握に乗り出した。9月にも是正指導する方針だ。と、冗談じゃないよ、あたしが地方公務員の当事者だったら、「ふざけんなよ、そんなこと言える立場かよ。てめえたちだけ好き勝手やらかしといて、いまさら違反もないもんだ!」て啖呵きりますよ。<o:p></o:p>

 まあこんな話は政官界・地方と、どこにも転がってる話なんだろうね。まあ口直しに笑って貰いましょう。「わたり」について新聞は本紙調査と銘うって載せてるんですよ。<o:p></o:p>

 係長のほかに、これって勝手に作っちゃうんだね、凄いよこれって。人の金だからと思ってんだろうな。「係長」3級、「相当困難係長」4級、「特別困難係長」5級といった状況であります。漫才やってんじゃないってえの<o:p></o:p>

 民主党の言うようにマニフェストの裏づけはあるんだよね。探せばいくらでも、そうでもないか。いずれにしても隠された鉱脈は脈々と脈打っているわけですな。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 十七

2009-08-14 05:34:10 | 日記

家を持たない秋がふかうなるばかり<o:p></o:p>

漂泊の人の哀歓が漂う一句です。この句を冒頭に配して山頭火一文を記してます。<o:p></o:p>

行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなくさまよひあるいてゐたが、人つひに弧ならず、欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。<o:p></o:p>

昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに移り住むことが出来たのである。<o:p></o:p>

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曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ<o:p></o:p>

私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであつた。今日は酒が好きな程度に於いて水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかも知れない。<o:p></o:p>

「鉢の子」には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かつた。「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句がチャンポンになつてゐる。これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水、それが私の境涯でなければならないから。<o:p></o:p>

(昭和八年十月十五日、其中庵にて 山頭火)

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山行水行<o:p></o:p>

山あれば山を観る<o:p></o:p>

雨の日は雨を聴く<o:p></o:p>

春夏秋冬<o:p></o:p>

あしたもよろし<o:p></o:p>

ゆうべもよろし<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 十六

2009-08-13 05:05:16 | 日記

びつしより濡れて代掻く馬は叱られてばかり<o:p></o:p>

農業のことは皆目分かりませんが、想像を交えて書きます。田植え前に田圃の土を掻き起こすといいますか、鍬を入れます。昔は馬が鋤きを装備して農夫が掛け声かけて稲代を耕したのでしょう。田に水を入れる前の大仕事ではと思います。<o:p></o:p>

馬は鼻息も荒く、主人の叱咤励ましにその体は、噴出する汗でびっしょりと濡れてます。汗は湯気となり叱咤は続きます。<o:p></o:p>

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はれたりふつたり青田になつた<o:p></o:p>

山頭火は草庵にあっても放浪の日々にも、常にお百姓の生活に温かい目を向けています。雨が続けば続いたで、日照が続けは続いたで作物の出来に一喜一憂といったところです。晴れたり降ったりの天候を案じましたが、見事に田植えは終了し、山裾まで青々とした田園が広がっています。<o:p></o:p>

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ほととぎすあすはあの山こえて行こう<o:p></o:p>

いいですねえと、羨望と感嘆の一句です。漂泊行乞の身に明日に確固たる道筋はありません。今日の行乞は終わりました。夕暮れの宿の窓に山が迫っています。ふとホトトギスの鳴き声が耳に響きました。そうしよう、明日の進路は決まりました。<o:p></o:p>

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朝露しつとり行きたい方へ行く<o:p></o:p>

この句も前の句と同じく、雲水の日常をくっきりと焙りだしています。いいですねえ、ここでも感嘆詞が口からこぼれました。<o:p></o:p>

今朝は早朝の出発となりました。玄関先からの道が、両脇の草花が、露を孕みきらきら朝日に光ります。<o:p></o:p>