自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

日本と世界の半世紀(1960年~2010年代)~政治も経済も情報である⑪

2019-04-26 13:12:49 | 自然と人為
 古希を過ぎれば、1960年からの半世紀以上の歴史を青春から体験しながら生きてきたことになる。その経済と政治の日本と世界の動きを、当時はどう捉えていたかは別にして、今の私から眺めてみたい。

 人は他者との関係で生きている。しかし、他者という対象は見えるが、自己の姿は普通は見えないので、競争社会を意識すると、「自己に克」より「他者に勝」ことに熱心になる。厳密に言えば、「人それぞれの生き方には違いがある」が、「組織に生きる」と組織外の人を含めて、他者のためより自己のために生きるようになる。組織や国のためとは、その組織や国に住む全ての人民を含むが、往々にして「自分の考える組織や国」のために生きていることに気が付かない。そうして、物事の捉え方は、我々庶民と支配者では違うことを知ったばかりだ。
 今、時代は大きく変化しているが、国民にとって意味不明に政権が長期化すると、支配者は国民の真の幸せが見えず、自分の思い込みを大切にする弊害があちこちに噴出する。今はそういう時代だと思う。

 私にとっての半世紀の歴史は、「三種の神器」の「神武景気」を含めて、高度経済成長期(動画)の青春から始まる。
 1960年、安保闘争で倒れた岸内閣を引き継いだ池田内閣は、「所得倍増計画」で政治から経済の時代に転換した。1964年の東海道新幹線営業開始東京オリンピック開催は国家的事業として心に残り、堺屋太一(1961年)の「巨人・大鵬・卵焼き」も懐かしい。そして、1970年代の日本大阪万博に始まり、田中角栄の「日本列島改造論(72年)」と続くが、第1次オイルショック第2次オイルショック(73年、79年)で高度経済成長は終焉する。
 参考:慾望の経済史~日本戦後編~第2回 奇跡の高度成長の裏で~60s(動画)
     高度経済成長の前後解説
     日本経済『第2の転換期』
     【日本のエネルギー、150年の歴史④】
      2度のオイルショックを経て、エネルギー政策の見直しが進む
     慾望の経済史~日本戦後編~第3回 繁栄の光と影が交錯する~70s(動画)


 一方、アメリカは1960年に民主党のケネディが共和党のニクソンを破り、翌年43歳で第35代アメリカ合衆国大統領に就任し、1963年11月に暗殺されるまで、キューバ危機、東ドイツにより作られ、ケネディ大統領とフルシチョフの直接協議によっても除去されなかったベルリンの壁、ソ連優位の宇宙開発競争、人種差別反対の公民権運動が高まり、マーティン・ルーサー・キングの演説「私には夢がある。(動画)」で有名な「ワシントン大行進」(1963年8月)等を経験した。
 1970年代に入ると、ニクソン・ショック(71年)の「ドルと金の兌換停止」によって、ドルを基軸とする国際通貨制度(ブレトンウッズ体制:1944年)が崩壊した。その裏でドルと金の交換ではなく、エネルギー(石油)をドル基軸で支配する体制(ペトロダラーシステムペトロ(石油)とドルをくっつけた造語)をニクソンは用意していた。1973年に、イスラエル・エジプト・シリア間の戦争が原因で、サウジアラビアがイスラエルの同盟国である米国への原油輸出を停止し、石油輸出国機構(OPEC)加盟国は、原油価格を4倍に吊り上げ、世界にオイルショックを与えた。
 しかし、1974年にはアメリカはサウジアラビアとペトロダラーシステムの密約(ワシントン・リヤド密約)をし、さらにこのシステムは他のOPECのメンバーに拡大され、現在に至っている。
 参考:日本の金融史(12)ニクソン・ショックと石油・ドル本位制
     中国、「ペトロダラー再循環」体制への挑戦
     ユーロ:「基軸通貨」の夢でなく「多極化」への適応
     ロシアとドル:「新冷戦」か「歴史の始まり」か?
     サウジが45年ぶりに破ったタブー、原油の「政治的武器」利用示唆か
     谷口智彦「通貨燃ゆ」


 アメリカにとってお金がドル基軸で世界を回れば、莫大な貿易赤字(経常赤字)と財政赤字の双子の赤字があっても、お金(ドル)はいくらでも発行できる。アメリカの支配者にとっては、原子力をはじめとしてエネルギーと軍は必須なのだ。日本の貿易黒字も日本で使われないで、利益を求めてアメリカの資産、株、国債等に戻っていく。
 中国とアメリカの関係はベトナム戦争の終結と関係し、1972年にニクソン訪中、米中国交正常化が1979年にカーター政権下で実現した。
 なお、中華民国(台湾)の蒋介石は1975年に死亡しているが、中国にとっては激動の1976年であった。周恩来(1月)、朱徳(7月)が死去し、7月には死者25万人と言われる唐山大地震も発生し、9月には毛沢東が死去。10月には四人組逮捕により10年に及んだ文化大革命が終了した。そして、鄧小平は日本をモデルとした改革開放(動画)(2)を進め、今ではアメリカとの貿易、金融戦争(動画)(2)を始めている。
 参考:米国の歴史の概要 – 変動の時代:1960~1980年
     中国改革開放を支えた日本人(前編)(後編)
     アメリカvs.中国 前編 “情報・金融覇権”に挑む中国 ―ブロックチェーンめぐる攻防
     アメリカvs.中国 後編 “ハイテク覇権”をめぐる攻防 ―舞台裏に密着 そして日本は


 EC(European Communities:欧州共同体)が1967年に誕生し、1969年にイギリスの加盟に反対していたフランスのド・ゴール大統領が退陣し、1973年に第1次オイル・ショックが起きて、ヨーロッパ経済の統合の必要性がさらに高まったことが要因で、英国は1973年に加盟し、1981年にはギリシア、86年にスペイン、ポルトガルが軍事独裁政権が倒れ、民主化が進んだ結果ECに加盟し、12ヵ国体制となった。さらに、1993年にはECに加えて外交、内務の3つの柱を持ったEU(European Union:欧州連合)が発足している。ユーロ(2)は、1999年に決済用仮想通貨として導入され、3年後の2002年に現金通貨としてのユーロが発足した。ユーロはヨーロッパでは25の国で使用され、そのうち19か国が欧州連合加盟国である。英国は今でもポンドを使用しているので、ユーロによる通貨の世界基軸化には興味はないのだろう。それよりも、英国国民は「EU離脱」を選択した。移民受け入れに拒否反応を示し、統合よりも独立を求めるのは、アメリカを含めてエリートに反発する庶民の生活感覚から来るものだろう。国の独立は、個人の独立により守られる。エリートは庶民の幸せを守るには何が必要かを考え、混沌とした時代だからこそ、利害対立より共に夢を追う必要があろう。

 1979年、ソ連のブレジネフ政権が社会主義を掲げる親ソ派政権を支援するためにアフガニスタン侵攻したが、ソ連軍の駐留は10年に及び泥沼化した。このため1980年のモスクワ・オリンピックをアメリカのカーター大統領がボイコットを呼びかけ、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、日本などが不参加を表明した。結局、中国も含め60ヵ国が参加しないという、オリンピック史上政治に翻弄された最悪の大会となった。なお、日本には柔道の山下泰裕選手、マラソンの瀬古利彦選手などがいた。
 ゴルバチョフは1985年からソ連共産党書記長としてペレストロイカを掲げて改革にあたり、市場経済の導入を図り、1988年にアフガニスタン撤退を決定し、89年までに完了した。89年にはソ連首脳としては30年ぶりに中国を訪問し、中ソの国交を正常化させた。さらに、89年に東欧革命が起こった。同年11月にベルリンの壁が開放されて、ドイツ統一が実現したことを受けて、同年12月にブッシュ(父)・アメリカ大統領とのマルタ会談で冷戦の終結を宣言した。1990年のノーベル平和賞(動画)を受賞した。91年、ソ連邦初代にして最後の大統領となった。
 参考:ゴルバチョフ、87歳の自己評価【前編】
      「グラスノスチなくしてこの世界に自由はなかった」
     ゴルバチョフ、87歳の自己評価【後編】
      「プーチンに言ったよ、自分を神の代理だと思っているのかと」


 1980年には日本の自動車生産量がアメリカを抜いて世界一となり、ジャパン・アズ・ナンバーワンの夢(動画)を追っていたが、米英仏独が日本に円高を迫り、アメリカとの貿易摩擦の過熱を解消するために、為替レートを円高に誘導することを容認した1985年9月のプラザ合意により、中小企業を中心に円高不況に見舞われた。日本政府は円高を憂慮し、通貨量を増大させた。通貨発行量を増やしても円安にはできなかったが、円高を食い止めることはできた。そして、通貨発行量が増大したことで、お金が行き場を失う。それが、バブル景気を招くことにつながった。しかし、石油や鉄鉱石などの原料は輸入に頼っていたため、当初は原料を安く仕入れることができるという円高メリットもあった。急激な円高にも関わらず金融緩和もあり、日本経済は不動産バブルを含めて好調であり、1989年末(昭和最後の年)は株価が最高値を付けた。
 参考:日本は2度「敗戦」した?プラザ合意が産業界に落とした影【書評】
     プラザ合意


 一方、1981年にアメリカの大統領に就任したレーガン大統領は、アメリカの経済力と軍事力の強化を図ろうとした。それまでのケインズ政策とちがって「小さな政府」を主張したレーガンは、政府支出の抑制、大幅な減税、規制緩和などのレーガノミクスと呼ばれる政策を行った。 
 しかし、一方で、軍事支出の激増によって財政赤字は拡大し、アメリカは高金利政策をとったのでドル高になり、アメリカの輸出競争力を弱めた。1980年代のアメリカは財政赤字と経常収支の赤字が同時に進行する「双子の赤字」 に悩まされ、アメリカ国内では保護主義が台頭し始めた。
 参考:レーガノミクスとは何か:バラ色のシナリオ
     レーガノミクスで減税と公共事業は高金利の悪影響に勝てなかった
     トランプはレーガンと似ている?1980年代のアメリカに学ぶ今後の見通し


 1990年代に入ると日本は「平成」となり、バブルに浮かれ、バブルが弾けても「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と集団で動き自己の確立ができず、失われた10年、20年、そして30年と、新しい日本の進むべき道が見えないまま、平成は終わろうとしている。それを象徴しているのが、儲け第一主義により経営破綻し、自主廃業?!した「山一証券(動画)」だと思う。これと比較し、日本の実績と収入に甘えることなく、自分の投球方法に拘り、世界の野球で通用することを目指して、ノーヒット・ノーランを成し遂げ、身体に変調を感じながらもリーグを移ってまでやり直し、2度もノーヒット・ノーランを達成した「野茂英雄(動画)」は、これまでの「日本人の殻」を破った「新しい日本人」だと思う。
 参考:マーケットの歴史 1983~2017年
     バブル経済と平成不況
     慾望の経済史~日本戦後編~
      5 崩壊 失われた羅針盤~90s
      最終回「改革の嵐の中で~2000年代
     平成史スクープドキュメント
      第1回 大リーガー NOMO~“トルネード” 日米の衝撃~
      第2回 バブル 終わらない清算~山一証券破綻の深層


 日本の国際的地位は90年代以降大きく低下し、「国際社会に名誉ある地位を占めるための7 つの提言」では、「グローバルな視点から日本の行方を考える」とし、90年代の「失われた10年」に続く低迷の長期化と財政事情の悪化により、その世界的な役割に「かげり」が出ているとし、高齢化問題や人口減少問題への前向きな対策が必要と提言している。「平成5年(1993年)年次経済報告 バブルの教訓と新たな発展への課題 経済企画庁」においても、長引く景気の低迷、浸透するバブルの崩壊の影響、経常収支黒字の急増など、1992年から93年前半にかけての日本経済は,多くの課題に直面することとなった。・・・まさに日本経済にとって大きな試練の時期だったと言えよう」としている。
 「経済成長」よりも「生活の質」が問われる時代になったが、これは政治状況にも影響し、宮澤喜一政権(1991年11月5日-1993年8月9日:644日)の後、自民党が分裂して細川内閣、羽田内閣、村山内閣の非自民・非共産連立政権が出現した。この自民党からの政権移行は麻生内閣(2008年9月24日- 2009年9月16日(358日)後の鳩山、菅、野田内閣(2009年9月16日-2012年12月26日(888日)でも続いた。しかし、その後は安倍内閣(2012年12月26日-)の長期政権が続き、「生活の質」を問うよりも「政治の質」が劣化しているように思う。
 参考:トランプ経済が「レーガノミクスの再来」ではない理由
     レーガノミクス vs トランポノミクス
     バブルを招いた「レーガノミクス」 はたしてトランプ氏は?
     レーガノミクスとの共通点と相違点 トランプノミクスが日本に与える影響は?
     トランプの政策はレーガノミクスと異なる
     アベノミクスとレーガノミクスとの相違と類似
     レーガノミクスはインフレ退治法、アベノミクスはデフレ退治法


 日本が低成長にあえいでいる間にアメリカは高成長を謳歌し、ヨーロッパは通貨統合を成し遂げ、中国は躍進した。97年から98年にかけて深刻な経済危機を経験したアジア諸国さえ、急速に回復している。ただ、ロシアの市場経済への移行はもたついているそうだ。アメリカでは1990年代後半に入って、マイクロソフト、アップル、グーグル、アマゾンが台頭した。今ではグーグル、アマゾン、フェイスブック、マイクロソフト、アップル(5社まとめてGAFMA)というそうだ。いずれも無国籍大企業であり、マイクロソフトがアップルから世界首位を奪ったそうだが、フェイスブックやスマホを使いこなせない「老いぼれ」には論評の資格はないし、どう評価すべきかはもう少し考えたい。ここでは、今の時代を考える資料を紹介しておきたい。
 参考:「明日の日本を神奈川から考えるつどい」
     第一部 「これからの日本のリベラル政治」講師 寺島 実郎
     第二部 シンポジウム
        「アベノミクスで本当に経済は良くなるのか」 水野 和夫氏
        「今、私たちに求められていること」 山口 二郎氏
     多摩大学創立20周年記念シンポジウム
       寺島実郎学長基調講演 1/42/43/44/4
     1990年代日本をとらえなおす - 東京大学
     90年代以降の日本と世界- 鹿児島国際大学
     3月11日の東日本大震災をきっかけに一気に急落。
     金融大崩壊―「アメリカ金融帝国」の終焉 著者インタビュー(1)(2)
     「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」水野和夫
     見えたり、金融資本主義の正体
     藻谷浩介氏:データで見る日本経済の本当の病状
     なぜ日本経済の一人負けが続くのか
     日銀が株価を維持 安倍首相が自慢する「株価が高い」
     何故か日本ではお金持ちが急増中!


 21世紀の資本
 資本収益率(r)は経済成長率(g)よりも大きい。資本から得られる収益率が経済成長率を上回れば上回るほど、それだけ富は資本家へ蓄積される。そして、富が公平に再分配されないことによって、貧困が社会や経済の不安定を引き起こすということを主題にしている。
  実はみんな読み切れないトマ・ピケティ『21世紀の資本』
  21世紀の資本主義はどこへ ~トマ・ピケティに問う~
  21世紀の経済社会を構想する -政治経済学の視点
  21世紀のドイツ 政治・経済・社会からみた過去・現在・未来
  21世紀のガバナンス:日本の課題とアメリカの経験総括論文


初稿:2019.4.26 更新 2020.2.23(ブログ目次削除)

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