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ガレージ「とんぼ玉」

愛機「TDM900A:千早」「XSR125:千景」「LTS125-C:千束」と共に歩むブログです。

福島城廻りツー(最終日)

2021-10-05 23:02:10 | 遠乗り道中記(「千波」編)

 本日は朝一番で福島三城巡りの最後、会津鶴ヶ城を攻略してスタンプラリーを制覇する予定ですが、その前に早起きをして朝日を見ることにしましょう。東の空が白み、段々と橙色に色付いていきます。


<猪苗代湖の向こうの山々の更に向こう側から昇る、素晴らしい朝日を望むことができました>

<背炙山キャンプ場のテントサイトの様子>

 ここ背炙山キャンプ場はその名の通り背炙山の山頂付近にあり、風の強いことが多いらしいのですが、昨夜も今朝も時折強風が吹き付けていました。実は、上の画像を撮影した直前、打っ付け本番で設営したタープが倒壊したのは内緒です(汗)。次回はタープの設営方法をしっかり予習してくることにしましょう。

 朝食を摂った後、テントとタープを撤収し、会津鶴ヶ城を目指します。7:30頃には到着しましたが、天守閣内の博物館は8:30開館らしいので、それまで城址公園内を散策します。


<会津鶴ヶ城天守閣と走長屋、鉄門の構図は定番ですね>

 そうこうしている内に開館時間となりました。


<天守閣5層からの本丸の眺望>

<同じく天守閣5層から、走長屋と鉄門、干飯櫓の配置がよく分かりますね>

 観光案内所でスタンプラリーの最後のスタンプを押印し、オリジナルクリアファイルとスタンプラリーの達成報酬であるオリジナルトートバッグも入手できました。

 会津鶴ヶ城を後にして、福島県道64号から同128号を繋ぎ、今回の福島城廻りの最後となる向羽黒山城を目指します。向羽黒山城は東北随一の山城ですが、岩崎山の中腹まで舗装路が延びているため、攻略は然程難しくありません。


<駐車場から岩崎山山頂へと続く階段と巨大な竪堀>

<向羽黒山城一曲輪(本丸)>

<一曲輪からの眺望>

 天気にも恵まれ、充実した2日間となりました。さあ、後は無事に帰宅するだけです。しかし、ナビの画面に表示された到着予定時間は凡そ9時間後。福島は本当に遠いと思い知らされます。しかし、前へ進まないことには帰宅できないので、頑張って走ります。国道118号から同121号を繋いで、只管南下します。

 実は、千葉から茨城、栃木、福島と北上するに連れてガソリンの単価が少しずつ上昇するのですが、帰路に於いてこの数円の差を出し惜しんだことで、危うくガス欠しそうになってしまいました(恥)。南会津で給油せず、先へと進んでしまったのが運の尽き、どんどん山深くなっていきます。とここで、案内標識に「川治」という地名を見付けました。ナビは別の経路を示していましたが、「川治って川治温泉の川治のことかな?」「温泉街なら、ガソリンスタンドもあるでしょう」と考え、一か八か、僅かな望みに賭けてみることにしました。果たして、途中で予備タンクに切り替わりましたが、川治に給油所があり、事無きを得たのでした。更に国道121号、同119号を繋いで宇都宮市街を抜け、そのまま国道4号へと乗ります。国道4号を直走り、同298号と同357号で無事に帰宅しました。


<会津鶴ヶ城・白河小峰城・二本松霞ヶ城のクリアファイルと、会津鶴ヶ城でアンケートに答えて貰った別意匠のクリアファイル(画像にはありませんが、オリジナルトートバッグも入手しています)>

<通常の御城印とは別に、本企画オリジナルの御城印3種と三城巡り達成之証も用意されていたのは嬉しい限り>

本日の走行距離:300km(2日間の合計:733km)

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福島城廻りツー(1日目)

2021-10-04 23:02:40 | 遠乗り道中記(「千波」編)
 管理人が昨年1月からやっているソーシャルゲームに登場する「城姫」と、福島県内に現存する三城―――会津鶴ヶ城・白河小峰城・二本松霞ヶ城を巡るスタンプラリーとがコラボしていることを知り、「これは是が非でも参加して、オリジナルグッズを獲得しなくては!」と考え、一泊二日でこれら三城を訪れる野営ツーリングを計画します。

 初日は未明に自宅を出発し、県道64号から印旛沼を掠め、そして茨城方面へ向かう時に毎回のように利用している、お気に入りの県道12号へ。県道68号から若草大橋で利根川を渡河するのも定番ですね。その後は茨城県道68号から同121号、同5号、更に同48号と繋いで、国道408号を左折。国道6号バイパスに乗り、県道274号を左折して暫く行くと、再び国道408号となります。その後は国道125号から同294号へと繋いで暫く北上するのですが、この国道294号とその先に繋がる国道408号バイパスは自動車専用道路ではないながら、何と制限速度が80km/hに設定されています。早朝とは言え、こちらが80km前後前後で巡航していても、がんがん追い抜かされます(汗)。そんな速度感覚に慣れた頃、栃木県道10号を左折した後に国道4号へと合流するのですが、先刻までとは打って変わって交通量が増え、途端に平均速度が落ちて所々で渋滞するようになりました。暫くの間、低速走行と渋滞に堪え忍んで走行し、白河市街方面へ右折したら、この日最初の目的地である白河小峰城へと到着です。前回訪れた時は生憎の曇天でしたが、今回快晴となったのは幸いでした。


<二之丸から清水門跡と三重櫓を望みます>

<三重櫓と前御門>

<本丸からの三重櫓の威容>

<新型コロナウイルス感染症対策で、三重櫓の2階と3階へは上がれませんでした>

<築城に纏わる悲話が伝わるおとめ桜>

 JR白河駅前の観光物産協会でスタンプラリーのスタンプを押印し、城姫を意匠としたオリジナルクリアファイルを入手しました。三城巡りの白河小峰城を後にして向かうのは、三春城です。今回の福島三城には含まれてはいませんが、管理人が未だ訪れたことの無い続百名城の一つです。国道294号から同4号、福島県道17号と同296号、国道288号とを繋いで、一路三春町を目指します。三春城は山城ですが、二之丸跡の直ぐ下まで車両で行けるのが有り難いですね。


<三春城本丸跡>

 次に向かうのは三城巡りの二城め、二本松霞ヶ城です。国道288号まで戻り、同道を西進。再び国道4号へ乗り、同459号で二本松市街へと入ったら、二本松霞ヶ城は直ぐです。


<本丸石垣>

<東櫓台>

<東櫓台からの眺望>

<天守台>

<西櫓台>

<西櫓台から安達太良山を望みます>

 ここで本丸直下にある乙森駐車場から箕輪門近くにある第一駐車場まで移動します。実は前回訪れた際、箕輪門に立ち寄ることを失念してしまったのは内緒です(汗)。


<箕輪門>

 二本松霞ヶ城の出張観光案内所でスタンプラリーの2つめのスタンプを押印し、オリジナルクリアファイルを入手した際、窓口の女性から残る会津若松城はいつ行くのかと訊かれ、明朝に訪れる心算であると返答しました。何でもスタンプラリーの達成報酬であるオリジナルトートバッグが、二本松霞ヶ城では昨日の日曜日に沢山出たようで、残りが2個とのこと。今朝の時点で会津若松城では残り65個、JR白河駅前の観光物産協会では70個あるので、明日の朝なら多分大丈夫ではないかと言われました。

 それでは、本日の野営地を目指すことにしましょう。県道355号から国道459号、同4号、県道6号と繋いで猪苗代湖方面へ。国道294号で猪苗代湖の西岸を北上し、県道374号で少し登ったところに本日野営をする背炙山(せあぶりやま)キャンプ場はあります。15:00で予約をしていたのですが、到着は14:50頃。宿や野営場の予約をしていて、その予約時間より前に到着することは管理人にとって非常に珍しいことですね(笑)。管理棟で受付を済ませたら、キャンプ場の管理人が運転する軽トラックに先導してもらいながら、未舗装路を走行します。背炙山キャンプ場はその名称の由来にもなっている背炙山の山頂付近にあります。テントサイトへの車両の乗り入れはできませんが、直ぐ近くで幕営できるので問題はありませんね。また、キャンプ場の敷地は熊除けの電気柵に囲われているため、出入りの際は注意が必要です。テントサイト自体は全体が緩やかに傾斜しているため、なるべく平坦な場所を探してテントを設営します。この日は先日購入したばかりのタープも持参したのですが、打っ付け本番で何とか設営しました。

 無事に設営が済んだら会津若松市街まで下りて、一っ風呂浴びます。


<日帰り温泉富士の湯>

 こちらの日帰り入浴料金は大人1名450円と格安でした。キャンプ場へと戻る前にご当地スーパーで買い出しをします。この時、会津ソースカツ丼というご当地グルメがあることを知り、購入したのでした。キャンプ場で細やかな宴会をし、夜は更けていきます。

 福島城廻りツー(2日目)へと続きます。

本日の走行距離:433km
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茨城林道&石切山脈巡りツー(2日目)

2021-08-03 23:24:05 | 遠乗り道中記(「千波」編)
 今回のツーリングでは、先立って買い増しした野営用品を試用するという目的も含まれていました。これらの野営用品に関して、夜半に不意の出来事が起きたのですが、この件については別に記事を上げたいと思います。


<朝の上小川キャンプ場、これから撤収作業です>

 この撤収作業ですが、ワンタッチテントを折り畳むことの簡便さは驚愕の一言。折り畳み傘を畳む要領で、あっと言う間に収納袋へ収まってしまいます。これには、作業の様子を見ていたT氏も驚いていました。一方のコットに関しても、分解して収納袋へ入れるだけ。インフレーターマットのように空気を抜きながら丸めるという手間は掛かりません。これまで撤収作業に要していた時間が半分以下にまで短縮されますね。

 キャンプ場を出発して、今回の野営ツーリングの最たる目的地のある笠間方面を目指します。国道118号を南下して県道21号、ビーフラインと繋ぎ、国道123号を左折。更に県道61号、国道50号と繋いで暫く進むと、目的地の石切山脈へと到着です。

 簡単に説明すると、笠間は稲田石と呼ばれる花崗岩の産地であり、石切山脈とはその採石場の跡地のことす。ここでは見学ツアー(要予約)に参加することで、採石場の跡地に水の溜まった、通称「地図にない湖」をツアー参加者のみが立ち入ることができる場所から見学できたり、現採掘現場も見学することができます。以前の職場の先輩A氏からこの見学ツアーを勧められ、管理人とT氏とで参加することにしたのでした。

 受付を済ませ、保護帽を借りて被ったら、出発時間まで待機します。



<地図にない湖>

 尚、上の2枚は一般入場者も立ち入れる場所から撮影した画像です。ここからは、ツアー参加者のみが見られる景色となります。また、この日は平日でしたが、朝一番のツアーの参加者は管理人とT氏の2人のみだったため、案内人の方が通常のツアーでは廻らない箇所へも行くと言ってくれたのは大変僥倖でした。それでは愈々見学ツアーへと出発です。


<前2枚の画像の対岸、高所からの眺望>

<現採石場、周囲では重機が稼動して、稲田石を切り出していました>


<石を切り出した跡が市松模様のように見えて綺麗ですね>

<地図にない湖の湖面近くまで下りたところ。凪になると湖面に周囲の風景が映り込み、えも言われぬ眺めになるとか>

 とても楽しく、濃密な1時間でした。さてここで、石切山脈で人気の甘味を頂くことにしましょう。


<プレミアムモンブラン(コーヒー付き)>

 1,800円(税込)と少々お高いですが、地元笠間産の栗をふんだんに使った贅沢な一品です。石切山脈を訪れたら、是非食べて欲しいですね。

 石切山脈を後にして、笠間稲荷へと移動します。今年3月に訪れた際、有り付くことができなかったあの料理を食べるためです。


<きむらやの笠間稲荷寿司(今回は茗荷と蕎麦、胡桃の各稲荷寿司にしました)>

 更に前回目を付けていた、近くの菓子工房福へ。


<頼んだのは勿論、笠間産の栗を使った栗シュークリーム>

 今回の任務は全て達成できたので、少々早いですが帰路に就きます。暑い日でしたが、大変充実した二日間でした。

本日の走行距離:203km(2日間の合計:477km)
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茨城林道&石切山脈巡りツー(1日目)

2021-08-02 23:41:18 | 遠乗り道中記(「千波」編)
 先日Amazonで購入した野営用品を試用してみるべく、野営ツーリングを計画します。野営と「千波」での林道走行に加えて、数ヶ月前に以前の職場の先輩A氏から教わった某ツアーも織り交ぜた、一寸欲張りな企画になりました(笑)。

 当日は、職場の同僚T氏邸にて集合してから出発します。印旛沼を掠めて北上し、若草大橋で利根川を渡河して目指すのは、本日最初の目的地である土浦。管理人は何度か来たことがありますが、T氏は初めての訪問となる、土浦魚市場食堂です。この日は平日で、鮪食べ放題の献立をやっていないことは承知していたのですが、開店時間も遅くなることをすっかり失念しており、気温の高い中、1時間近くも待つ羽目になってしまいました。T氏、すみません…(汗)。


<管理人が注文したのは日替わり定食(この日は鮪と鰹の叩き、鰹の叩きはその場できちんと炙っていました)、何と550円也>

 腹拵えが済んだところで、本日の野営地へと向かう道すがら、RB土浦とRB茨城へと立ち寄ります。T氏が大型二輪免許を取得したので、初の主力戦闘機を物色するためだったのですが、残念ながら運命の出逢いはありませんでした…。

 国道6号から県道38号、国道118号と繋いで、本日の野営地である上小川キャンプ場へ。管理人は2019年7月同年8月に利用し、今回で三度目となりますが、同キャンプ場は2019年10月の台風19号で甚大な被害を受け、暫く休業していたようです。復旧工事を終えて営業を再開してからは初めての利用となりますが、大分様相が変わっていました。前回、前々回と活用させてもらった屋根付きの炊事場や、川堤沿いに林立していた簡易宿泊施設等の建物は流出してしまったのか、跡形もなくなっており、被害の大きさが窺い知れます。営業再開までは大変な苦労があったことと思いますが、お気に入りのキャンプ場をまたこうして利用できる、その喜びを先ずは噛み締めたいと思います。

 早速、Amazonで新規購入した天幕を設営してみますが、杭打ちを完了するまで5分と掛かりませんでした。もっと早く購入すれば良かったと後悔すること頻りです。

 天幕の設営を終え、野営用品を降ろして身軽になったところで、給油と買い出しを先に済ませてから、本日1本目の林道、舟生沢林道へ。最初は民家が点在し、暫く舗装路が続きます。段々と路面が荒れ始め、未舗装路となって直ぐ、二股に分岐したと思ったら…。何とどちらも通行止めでした(涙)。仕方が無いので引き返します。

 気を取り直して本日2本目、本命でもある横川林道へと向かいます。国道118号を南下して県道29号を左折、同36号と繋ぎます。国道349号を左折、同461号を右折して直ぐ、田圃の中を突っ切って、愈々横川林道へ。杉林が立ち並ぶ渓流沿いの、比較的平坦な走り易い道です。しかし、「千波」では車体と車輪の剛性が高過ぎるせいでしょうか、路面からの衝撃を吸収し切れず、えらく疲れますね。暫く走ると、ご覧のような二股の分岐へ行き着きました。


<画像では分かり難いのですが、左右どちらにも鎖が張られていて、またしても先へ進むことができませんでした(涙)>

 来た道を引き返し、キャンプ場へと戻る途中で一っ風呂浴びます。


<月居温泉滝見の湯>

 仮令真夏であっても、夜は焚火を嗜むのが我々流(笑)。焚火を眺めながら、夜は更けていきます。

 茨城林道&石切山脈巡りツー(2日目)へと続きます。

本日の走行距離:281km
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御城印に嵌まる

2021-06-03 23:05:17 | 遠乗り道中記(「千波」編)
 千葉県内にある日本続百名城の一つ、本佐倉城へ職場の同僚T氏と一緒に行くことにしました。京成佐倉駅前の観光案内所で待ち合わせますが、少し早く着いてしまったため、近くのコンビニで時間を潰し、開所とほぼ同時に建物の中へ。T氏の到着を待っている間に見た、佐倉城と本佐倉城の御城印が気になって仕方がありません(笑)。

 「百名城・続百名城のスタンプに加えて御城印も集めたなら、これからの城廻りの楽しさが倍増するよ(天使の声)」
 「いやいや、百名城どころか続百名城だって全然訪れていないのに、更に御城印なんて集め始めたら、また一から始める訳だから地獄を見るよ(悪魔の声)」

 管理人の頭の中で二つの声が鬩ぎ合っていましたが、T氏が到着した時には心を決め、ふと気が付いたら二城の御城印を購入していました。この様子を見ていたT氏からは「人が沼に嵌まっていく様を目の当たりにした気がする」と言われました(汗)。

 それでは本日最初の目的地、本佐倉城へと向かいます。少々道に迷いましたが、本佐倉城跡案内所へ到着。続百名城印を押印したら、本佐倉城へと攻め入ります。


<本佐倉城跡の碑>

<東山から北方を望みます>

 印旛沼は遥か遠方に位置しており、上の画像で視認することはできませんが、当時は香取の海と呼ばれて本佐倉城の直ぐ近くまで迫り、水運に防御に活用されていたようです。


<東山馬場から見える、段々になった平坦地は家臣団の屋敷跡でしょうか>

<城山と奥ノ山を隔てる大堀切>

<愈々本丸である城山へ>

<主殿があったと推定される場所>

<城山から下ってくると、妙見社がありました>

<南にある向根古谷から城山方面を望みます>

<セッテイ山へと繋がる虎口>

<道中には、稈(かん)に緑と黄の縦縞模様が入った金明竹が群生していました>

 本佐倉城を一通り散策して、時間は11時過ぎ。沢山歩いたせいで、お腹も空いてきました。T氏と相談し、今日の昼食は食堂「幸」にします。


<今回はウルトラジャンボ海老フライ定食…ではなく、C定食(普通の海老フライとヒレカツ2枚)にしました>

 お腹も満たされたところで、腹熟しに国立歴史民俗博物館を訪れることにします。四度目の訪問にして、漸く館内を一通り廻ることができました。

本日の走行距離:70km
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千葉林道&隧道ツー

2021-05-09 23:44:53 | 遠乗り道中記(「千波」編)
 「千波」のタイヤを未舗装路走行用に換装したので、近場の未舗装路へ行くことにしましょう。

 千葉県内で未走破の林道について情報を収集していくと…。林道金谷元名線という、県内では割と有名らしい林道が見付かりました。また、折角なので、その近辺にある素掘りの隧道も訪れることにしましょう。

 国道16号と同127号を只管南下し、浜金谷港の手前で右折して、富津館山道の富津金谷IC方面へ。浜金谷隧道の手前左側に林道金谷元名線の入り口があります。


<林道金谷元名線の入り口(金谷側)>

 意を決して突入します。暫くは舗装路が続きますが、途中で未舗装路へと変わります。事前に情報収集した通り、路面は概ね平坦な箇所が多く、総じて走り易いですね(…と言いながら、ライディングレコーダーで録画した映像を後で見返してみると、かなり速度を落としており、びびっているのが分かります 笑)。だからでしょうか、CB250Rと思しき二輪が立ち乗りで走り抜けていきました。それにしても、未舗装林道で完全な舗装路走行用二輪車と遭遇するとは、吃驚です。


<林道金谷元名線を一旦走破したら、今来た道をもう一度走ります>

<たった今走ってきたとは言え、ガレている場所もあるので油断はせず、慎重に…>

 何とか無事に往復することができました。二輪でただ道を走り抜けるだけのことなのに、本当に爽快なこと。二輪走行はスポーツだと熟思います。

 気持ち良い汗を掻いたところで、本日のもう一つの目的である隧道巡りへ行くとしましょう。先ずは、燈籠坂大師へ。


<燈籠坂大師>

<燈籠坂大師の切り通し隧道>

 ここは2013年に「千早」と今回と同じく「千波」で訪れて以来、凡そ8年振りですが、何度来ても絵になる、素晴らしい光景ですね。

 続いて向かったのは、2015年に元同僚M氏と訪れた、あの隧道です。



<三島湖畔にある、通称直角隧道>

 そのまま三島湖畔を南下し、次の隧道へ。


<奥米隧道>

 先刻の直角に曲がった隧道も珍しいのですが、ここは上から見ると逆S字に曲がっており、これまた珍しい隧道です。

 3つの隧道を制覇したところで、お腹が空いてきました。予てから訪れてみたかった、超大盛りで有名な住吉飯店へ。


<住吉飯店>

<海老そばを注文、ご覧の通り具材は溢れんばかりで、味も大変美味しゅうございました♪>

 腹拵えも済んだところで、隧道巡りを再開します。ここからは、大多喜町にある隧道3連発です。


<向山隧道と>

<共榮隧道(下側)の2階建て隧道>

 ここも2013年を初めとして何度か訪れている、絵になる隧道ですね。

 続いて向かうのは、養老渓谷から程近い、小田代にある隧道です。


<ご覧の通り全長が短く、名前は無いため、小田代素掘り隧道(仮)としておきます>

 小田代素掘り隧道(仮)の直ぐ近くに、本日最後となる清水代隧道がありました。隧道を通過した先で振り返ると…。


<地層と徐々に狭まっていく隧道の開口部とが織り成す滑らかな曲面を眺めていると、異次元にでも吸い込まれそうな錯覚を覚えます>

<隧道の途中にて、中の狭さが分かりますね>

 さあ、これで本日の隧道巡りは終了です。最後は、続日本百名城の一つ、大多喜城へと立ち寄ります。


<大多喜城、城印も捺印することができました>

 嘗て、大多喜城の二ノ丸にあった遺構にも立ち寄ります。


<大井戸>

<薬医門>

 とても充実した一日を過ごすことができました。

本日の走行距離:203km
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SSTR2020(最終日)

2020-10-28 23:57:57 | 遠乗り道中記(「千波」編)
 昨日程ではありませんが、本日も早起きをして宿を後にします。


<ベルビューニシウラ、小綺麗な良い宿でした>

 本日最初に向かうのは、魚沼スカイラインです。昨年は冬期通行止めの解除が間に合わず、断念せざるを得なかったため、嬉しさも一入です。スカイラインの南側に位置する十二峠入り口から入り、標高が上がるに連れて管理人の気分も昂揚してきます。


<右側の視界が開け、南魚沼市街が一望できました>

 そして時間が経過するに連れ、雲海がはっきりと視認できるようになってきたため、何度も停車しては記念撮影をします。





<雲海と「千波」>

 晴天で道もくねくね、景色も最高となれば、往復しない手はありませんね(笑)。往復して、昨年の分もしっかりと堪能させてもらいました。

 来た時と同じく十二峠入り口を通って国道353号を左折、同17号を少し南下したところにある温泉に立ち寄ります。


<湯元共同浴場山の湯、越後湯沢で一番古い共同浴場だとか>

 二輪車で来る場合、直前の坂道が最恐級なので充分注意して下さい。

 温泉に浸かって気分を切り替えたら、後は国道17号を只管南下します。道中、今年の7月に寄った際、遊歩道の復旧工事中で接近できなかった、棚下不動の滝を再訪します。




<棚下不動の滝(雄滝)はご覧の通り、滝を裏側から眺められる裏見の滝です>

 その後は国道17号、同50号、同122号、同298号と繋いで、千葉を目指して直走ります。途中、道を間違えたりもしましたが、19:30頃には無事に帰宅できました。


<今回の戦利品、画像右上より時計回りに完走者バッジ、参加賞の特製コースター、完走者Tシャツ>

<画像左より時計回りに能登金剛で購入した蜻蛉玉、朝日町のヒスイ海岸で拾った石(翡翠ではありません)と道の駅で購入した翡翠の原石>
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SSTR2020(4日目)

2020-10-27 23:23:23 | 遠乗り道中記(「千波」編)
 翌日は或る場所で日の出を拝むため、夜明け前にスパ・アルプスを出発します。或る場所とは、帆船海王丸が碇泊している海王丸パークです。事前に日の出予定時刻は調べてありましたが、到着が限り限りになってしまい、駐車場から同僚T氏と2人で全力疾走しました(汗)。


<海王丸と新湊大橋を臨むことができる有名な撮影場所へと到着した直後、日が昇ってきました>

<太陽を背に浮かび上がる、海王丸の美しい船影>

<更に日が昇ると、白い船体が日の光を浴びて輝いていました♪>

 いやあ、神々しい物を見ることができ、清々しい気分ですね。

 続いて向かうのは、日本百名城の一つであり、去年は時間が足らず、寄ることができなかった高岡城です。海王丸パークから南下して国道8号を越えたら、県道322号、同44号と繋いで、高岡古城公園へ。


<高岡城跡の碑>

<本丸跡>

<同じ本丸内には射水神社があります>

 城内には射水神社の他にも護國神社や博物館、市民体育館や動物園等もありました。博物館で城印を押印したら、これまた去年訪れることが叶わなかった高岡大仏へとそのまま歩いて移動します。


<日本三大大仏(諸説あります)の一つ、高岡大仏>

 高岡城を後にして、県道24号から国道8号へ乗ったら、只管東進。T氏の要望で、朝日町にあるヒスイ海岸へと立ち寄ります。その名前の通り、運が良ければ天然の翡翠の原石が拾えるかも知れません。


<ヒスイ海岸では大きめの石が波に洗われて、独特の音を立てていました>

 気が付いたら一時間以上もの間、大の男2人が時間が経つのも忘れて石拾いに興じてしまいました(汗)。近くにあるヒスイテラスでは、翡翠採り名人と思しき方が我々の拾った石を鑑定してくれたのですが、管理人は一つも拾えませんでいた…(涙)。一方のT氏はと言うと、しっかり翡翠を拾っていました。悔しかったので、続いて寄った道の駅親不知ピアパークで、露天商が売っていた翡翠の原石を購入したことは内緒です(汗)。


<道の駅親不知ピアパークで、名物の鱈汁を食べました>

 親不知から更に東進し、楚蟹の直売所がある道の駅能生へと立ち寄ります。


<直売所では1杯購入したらもう1杯お負けしてくれました♪海を眺めながら、T氏と2人で食べた楚蟹は美味しかったです>

 この日最後に立ち寄ったのは、これまた日本百名城の一つである春日山城。


<上杉謙信公の銅像>

<天守閣跡からの眺めは壮観の一言>

 登城を開始したのが遅かったため、駐車場へ戻る頃にはすっかり日も暮れてしまいました。さて、実は二輪用経路誘導装置(バイクナビ)の電源線が断線したようで、日中から使用できなくなっていました。上越市内にある車用品量販店に寄りましたが、二輪用経路誘導装置の電源線の在庫は残念ながらありませんでした。ここ上越市から本日の宿がある南魚沼市までは、国道253号と同353号を繋いで70km余り、暗い山中の道を直走ります。結局、本日の宿ベルビューニシウラに到着したのは20:30近くでした。宿に荷物を置いて手続きを済ませたら、近くの居酒屋で細やかな夕餉を摂り、就寝します。さあ、明日は最終日です。
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SSTR2020(3日目)

2020-10-26 23:12:12 | 遠乗り道中記(「千波」編)
 羽咋市内のビジネスホテルを出発して本日最初に向かったのは、同じ羽咋市内にある宇宙科学博物館コスモアイル羽咋です。その存在は知っていたものの、昨年は日程の都合上寄ることができませんでした。


<屋外展示されているのは本物のマーキュリー レッドストーン ロケット>

<マーキュリー宇宙船>

<ヴォストーク宇宙船>

<アポロ司令船>

<ヴォイジャー惑星探査機>

<アポロ船外活動用宇宙服>

<ヴァイキング火星探査機>

 訪問する前は、正直に言って「一度来れば充分」「30分もあれば一通り見て回れるだろう」と考え、余り期待していませんでしたが、中々どうして非常に見応えがあり、館内で上映されている宇宙に関する番組を堪能するには時間が足りませんでした。再訪は決定ですね。

 次の目的地へ向けて国道249号を走行中、それに気付きました。何と、「千波」の速度計と走行距離計が動いていません。「千波」の計器類は電纜による機械式なので、何処かの歯車が壊れた可能性が高いですね。それにしても、SSTR完走後のこの時機での故障だったことは不幸中の幸いでした。また、今回は同僚T氏が伴走しているので、走行距離や燃費も計算できるので助かります。道中、行き付けのRBへ連絡し、事の経緯と帰葉後の入渠予定を伝えます。

 それでは気を取り直して、次の目的地へ向かうことにしましょう。実は、昨年のSSTR2019当日にも立ち寄ったのですが、その時は日没間際で暗かったのと、時間が押していてゆっくり見て回れなかったので、再訪です。


<巌門>

<鷹の巣岩>

<機具岩>

 続いては、昨年は暗くて立ち寄らなかった琴ヶ浜へ。


<海が荒れた後だったのでしょうか、砂浜には漂着物が多く、裸足で歩いてみましたが「鳴き砂」を体験することはできませんでした>

 琴ヶ浜の近くには、某アニメの登場人物(!?)によく似ている岩があります。


<剱地権現岩(通称:トトロ岩)、成る程トトロにそっくりですね>

 昼を過ぎてお腹も空いてきました。剱地権現岩から程近い道の駅赤神に立ち寄り、SSTRにちなんだ献立を食することにしましょう。


<倍食うカレー(税込950円)、2個のメンチカツは二輪車の車輪を表現しているそう>

<また、SSTR参加者には、SSTRの意匠文字をあしらった輪島塗の取っ手付茶碗に淹れたコーヒーが無料で提供されます>

 そして、ここで僥倖に巡り合いました。819(バイク)にちなみ、一桁目が1・8・9人目となる訪問者には景品が当たるらしいのですが、管理人と同僚T氏が揃って○8人目と○9人目になってしまいました。2人同時に、というのが肝要ですね。どちらか一方だけだと喧嘩になってしまいますから(笑)。


<景品はゴーゴーカレーと塩煎餅でした♪>

 さて、腹拵えが済んだら来た道を少し戻り、県道50号を左折。能登半島を一周している時間は無いため、横断して半島の東側へと出ます。国道249号を南下して向かうのは、能登島です。ここからはSSTR2019の翌日の道中と全く同じ経路ですね。


<ツインブリッジのと、昨年とは違う角度から>

<同じく能登島大橋>

 「お食事処みず」にも立ち寄りたかったのですが、昼食を食べてから余り時間が経過していなかったので、今回は泣く泣く諦めます。代わりに、昨年は時間が押して行けなかった、和倉温泉総湯へと向かいます。


<何と営業していませんでした(涙)。定休日は毎月25日であることは事前に調べていたのですが、土日と重なる場合は翌月曜日が代休となることを把握していませんでした…>

 この日の宿は昨年と同じスパ・アルプスです。宿へと向かう途中、これまた昨年同様に雨晴海岸へ。


<昨年よりも空気は澄んでいましたが、立山連峰は雲の中…。富山湾越しの立山連峰が望めるのは年に何日も無いそうなので、仕方ありませんね>


<スパ・アルプスでは幸いなことに屋根下の駐車場が空いていました>
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SSTR2020(本番当日、2日目)

2020-10-25 23:32:57 | 遠乗り道中記(「千波」編)
 さあ、SSTR2020の本番開始です。旅館を後にして、今回の出発地点に設定した、知多半島の先端である羽豆岬を目指します。ここで今回同行することになった梅村氏とその友人既知氏(梅村氏が既知と呼んでいるので、それに倣うことにします 汗)と合流。お互いの自己紹介もそこそこに、愛車を並べて日の出を待ちます。


<SSTR2020の幕開け。画像右からCT110@同僚T氏、TDR125(EU)@管理人、CT125@梅村氏、MD90改@既知氏、そして偶々居合わせた(笑)御仁のハーレー>

 多機能携帯電話で出発時の登録を済ませたら、愈々出発です。管理人・T氏・既知氏・梅村氏の順で隊列を組んで、海沿いの国道247号で知多半島を北上し、先ずは名古屋を目指します。途中で国道155号、同19号と繋いで更に北上していくと、名古屋城の直ぐ傍を掠めるのですが、時間が早いため今回立ち寄ることは諦めます(涙)。ちらりと見えた名古屋城を横目に国道22号、同156号で更に北上を続けていくと、今度は真正面の急峻で高い山の頂上に岐阜城が見えましたが、ここも時間の兼ね合いで立ち寄ることができませんでした(涙)。近くの犬山城も含めて、再訪したいと思います。途中、道の駅美濃にわか茶屋にてSSTR2020点数獲得と、宿「花乃丸」で持たせてもらった弁当で腹拵えをします。

 小休止の後、長良川に沿って伸びる国道156号を快走し、本日最初の目的地である郡上八幡城へと立ち寄ります。郡上八幡城を訪れるのは15年振り、「千波」で来るのは初めてですね。この日は休日だったこともあり、結構混雑していました。郡上八幡城へ寄ったのは日本百名城の御城印を押印するためだったのですが、郡上八幡城は日本「続」百名城であり、ここで白状しますと、管理人は日本百名城であると思い込んでいました(恥)。この時はまだ続百名城の御城印帳は持っておらず、従って押印もできませんでした(涙)。


<郡上八幡城天守閣>

 ここで時刻は正午少し前、しかし、本日走行予定距離の半分も消化できていません(汗)。滝や棚田に寄る計画を立て、昼食を食べる店の目星も付けていたのですが、これらに寄っていると日没までに千里浜へと到着するのはかなり厳しそうなので、T氏と梅村氏、既知氏に事情を伝え、先を急ぐことにしました。SSTR2020の指定道の駅である上平での登録も無事に済ませ、後は終点の千里浜へ向かって直走るだけ。しかし、急いでいる時に限って想定していなかったことが起きるものです。先ず、白川郷の手前で渋滞に巻き込まれました。白川郷は大型観光地であり、今日は休日であることをすっかり失念していました。国道156号は基本的に山中の一本道で、我々原付二種編隊では高速道路にも乗れないので、忍の一字です。やっと渋滞を抜けて先を急いでいたところ、事件は起きました。五箇山トンネルを抜けた後、殿を走行していた筈の梅村氏の姿が見えません。心配した既知氏が引き返し、暫くして梅村氏からCT125の後輪がパンクしたとの連絡がありました。修理に関しても梅村氏なら心配ありませんが、問題は刻一刻と迫る日没時間です。梅村氏と既知氏は正式参加ではなかったため、管理人と同僚T氏の2人で千里浜を目指すよう、背中を押してくれました。千里浜到着後の再開を期しつつ、千葉組の2台で千里浜を目指して走ります。国道304号から県道42号を繋ぎ、石動ループ橋を通って国道471号で北上する経路は昨年と同じですね。途中、数台のカブ(!?)軍団に抜かれましたが、彼等が良い速度で先行して我々を引っ張ってくれたお陰で、随分と時間の短縮になりました。そんなこんなで日没まで30分を切ってはいましたが、時間内に完走することができました♪しかし、最後の最後で想定外の出来事が待ち構えていようとは思いませんでした。


<まさか、千里浜なぎさドライブウェイへの進入禁止とは…>

 残念ですが、流石に天候ばかりはどうしようもありません。仕方が無いので、参加賞と完走記念品を受け取るため、能登千里浜レストハウスへと向かいます。そこでは、本来千里浜の砂浜上に設置される筈だった終点の門があり、通過の記念撮影が行われていました。


<走行できなかった千里浜、来年こそは…>

<終点の門>

 参加賞と完走記念品を受け取ったら、梅村氏と既知氏に連絡を取ります。パンク修理も完了し、こちらへ向かっている模様です。途中で落ち合い、焼肉屋で夕食を食べることにしました。食べる暇も惜しんで朝から走り通しだったので、焼肉の美味しいこと、この上ありません。腹拵えが済んだところで、梅村氏と既知氏とはここでお別れ。あちらは距離を稼ぐべく、もう少し西進して野営するとのこと、お互いの道中の無事を祈ります。我々は羽咋市内のビジネスホテルに投宿です。
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