年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

皐月晴上野朝風 26ー2

2008年12月23日 | 福神漬
皐月晴上野朝風 26ー2
まとめ

 新富座で上演された皐月晴上野朝風は五代目菊五郎の興行宣伝の活躍で成功したが演劇改良と西洋の芝居に関する合理的な考えが浸透し歌舞伎役者が悩んでいた時期でもあった。中途半端となったこの芝居は結局七幕目の第三回内国博覧会の場がもし上演されていたならば当時現存していた関係者はどのように思っていたのだろうか。第十二代市川團十郎の本『團十郎の歌舞伎案内』によると歌舞伎とは『その時代その時代のお客様の嗜好によって変化し、左右されて発展してきた庶民の芸能』という。劇聖といわれ明治時代に活躍した九代目市川團十郎の悩みも尽きなかった時だった。
 寛永寺の輪王寺宮や榎本武揚もお忍びで新富座にて見物したようで当時のことを思い出して涙を流したと言う。事実による芝居の筋書きはどこかで省略しなければ時間に収まらず竹柴其水の苦労は大変だっただろう。
 浅草に住んでいた戯作者等の文化人が新富座のある銀座に移行していく時期でもあった。特に銀座に集中した新聞会社は庶民の読者を獲得するため定期購読を条件として劇場無料招待などをしていた。
 都新聞(今の東京新聞の前身・遊郭・歌舞伎・芸能情報に強い)は5月22日の初日興行を買い切り読者に提供したと言う。
コメント
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