1985(昭和60年)から1989年(昭和64年)の間、中富良野町の前富良野岳山麓に在住していたので、十勝岳の噴煙の見える風景を描き、版画作品を創った。
1926年(大正15年)に大噴火があってから90年目に当たるので、十勝岳噴火に注目して十勝岳の噴煙の見える風景を展示するささやかな展覧会を開いている。
1926年(大正15年)の十勝岳大噴火上富良野町に甚大な被害をもたらした。
好んで十勝岳登山をした頃は、噴火がおこるはずがないと信じていたが、気軽に十勝岳登山を楽しんでいた1962(昭和37年)に爆発がおこった。
1926年(大正15年)の十勝岳大噴火から36年後のことだった。
火口付近の硫黄鉱山宿舎の岩石が落下し5人の死者を出し、山麓の白金温泉帯は立ち入り禁止になった。
爆発のあった6月29日は金曜日で、翌30日の土曜日に十勝岳登山を予定していたが、当然中止にした。
それでも30日の土曜日には、山麓近くまで行けないことを承知で、友人の車に便乗して立ち入り禁止地点まで行ってみた。
恐ろしいほどに黒々とした噴煙が、空高く勢いよく噴き上がって、噴煙はもくもくと空一面を覆いつくしたいた。(後に噴煙の高さは、約12,000mにも達していたことを知った。)
警官が行く手を制止し警戒する目前で、持参したスケッチブックに緊張しながら素早く10枚近く描いた。
そのスケッチは、1枚を残した他は他人の手に渡ってしまった。手元に保存した大事な1枚はどこかにしまい込んでしまい、今のところ見当たらないので展示できず残念だ。
1985年〜1989年の間、中富良野町在住になったころは、山麓沿いで間近に見える噴煙の絵を描く機会が増えた。
噴火活動が活発になってきたころ
1988年(昭和63年)12月10日から翌年3月5日までに断続的だが28回の小爆発があった。1962(昭和37年)から26年後のことだ。
1989年1月制作
どうやら30年前後の周期で噴火していることになるので、噴火の兆しが噴煙から予知できるかもしれない。
噴火前のボコボコとした噴煙が見え出すころが予兆だと、勝手に信じている。旭川市内からでも遠望できる噴煙が多量に増える様子に注意深く観察することになるだろ。
十勝岳の噴煙が見える風景画の展覧会には、小品を含め25点の木版画等の作品が展示されている。旭川市神居7条13丁目「はぎわらギャラリー」で7月24日(日)まで。
素晴らしかったです。