すでに冬学期の授業期間が終っていることもあり、もともとあまり顔を出さなかった大学にますます行かなくなっていたのですが、久しぶりに神学部へと向かいました。旧約聖書学のコンラート・シュミート教授 (Prof. Konrad Schmid) とランチの約束をしていたからです。
シュミート教授の写真は、神学部のホームページから拝借しました。すでに公開されているものなので、ここで紹介しても差し支えないでしょう。
写真からもわかるように、シュミート教授は1965年生まれ、今年40歳になるという、まさに新進気鋭の学者です。チューリヒ生まれで、博士号も教授資格もチューリヒで取った後、1999年から3年間、ドイツのハイデルベルク大学で教授をしていましたが、2002年からチューリヒに戻ってきました。詳しい経歴や業績などは、神学部ホームページで見ることができます。神学博士号はエレミヤ書、教授資格は創世記と出エジプト記の歴史記述に関する研究で取得しています。
神学部近くのレストランに行き、昼の定食を食べながら雑談。最近EU圏(この場合はスイスも含む)の大学を揺るがしている「ボローニャ宣言」の話から始めました。
北米や日本の大学は、学士・修士・博士の3段階に教育課程が分かれていますが、こちらでは、6年から7年(あるいはそれ以上)かけて大学の卒業資格を取ります。さらに研究を続けたい場合は、博士候補生 (Doktorand) として、教授の指導の下に博士論文の作成に励むことになります。つまり、基本的に2段階です。
神学部の場合、大学の卒業資格を得ると、牧師補 (Vikar/in) として働くことが認められ、その後また試験を経て、正式に牧師の資格を得ることができます。
「ボローニャ宣言」は、大学の課程を基本的に3段階に分けることを趣旨としています。つまり、北米式にするわけです。大学の課程と評価方法をできるだけ統一することによって、大学間での学生の移動をスムーズにしようということらしいのですが、カリキュラム改革が甚だ面倒な上に、そもそも3段階で統一する理由がよくわからない、ということで、現場の教員には不評を買っているようです。シュミート教授は、神学部におけるこの作業の担当者なのですが、彼もこの改革案には不満一杯のようでした。どのみち第2段階、すなわち修士課程まで行かないと牧師になれないのだから(この点が日本の神学部とは違いますが)、学士課程で止める学生なんてほとんどいないはずで、だったらわざわざ学士課程なんぞ設ける意味がない、というわけです。
シュミート教授は、とくに親日家あるいは知日家というわけではないのですが、スイスやドイツとは違う、日本の大学のあり方には少なからず興味があったようで、僕が自分の大学のことを話すといろいろ質問してきました。僕が、毎学期の終りに1000枚くらいの試験答案を見るという話をしたら、目を丸くしていましたが。「助手はいないの?」と尋ねるので、「いないよ」と返事したら、さらにびっくり。
こっちの教授には助手や秘書がついていますが、これは実に羨ましい制度です。常勤の助手や秘書、さらには助手補までついていることも珍しくありません。我々のような、自分で何でもやる教員というのが想像できないようです。ときどき、真剣に助手や秘書がほしくなるときがあるのですが、学部長にすら付けられていない秘書を、一介の助教授に大学がつけてくれるはずもありません(それどころか、自分が助手なのではないかと錯覚してしまうような場合もあります)。わが大学では、秘書は、相当「エライ」役職の人にしかついておらず、逆に言えば、秘書がつくような仕事にはならないほうが幸せである、という逆説的状況が存在するわけです。僕の場合は、業務の一環として僕の仕事を助けてくれる有能な補佐の人が学部の中にいてくれるだけでも感謝すべきところです。
ハイデルベルクのことや、旧約・新約それぞれの学会の話を色々楽しくしゃべっているうちに1時間半ほどが過ぎました。ランチはご馳走になったのですが、自分より年下の人にご馳走になるのは、彼が正教授だとわかっていても、なんとなく悪い気がします。
それにしても、シュミート教授といい、あるいはベルン大学で新約聖書学を講じているマルティン・コンラット教授といい(彼はドイツ人ですが)、自分より年下の人が正教授として聖書学をリードしているのを見ると、その才能に驚くことはもちろんですが、自分もまだまだ努力が足りん、という気持ちにもなってきます。そういえば、我が師匠フォレンヴァイダー教授も、ベルン大学の員外教授として招聘されたときは35歳の若さでした。
今学期は、旧新約聖書学の博士候補生・助手が集まる研究セミナーに参加しましたが、その層の厚さにはびっくりでした。スイスでは若い新約聖書学者が育っていないという話でしたが、研究セミナーを見る限り、後進の育成は着実に進んでいるように思われました。
シュミート教授の写真は、神学部のホームページから拝借しました。すでに公開されているものなので、ここで紹介しても差し支えないでしょう。
写真からもわかるように、シュミート教授は1965年生まれ、今年40歳になるという、まさに新進気鋭の学者です。チューリヒ生まれで、博士号も教授資格もチューリヒで取った後、1999年から3年間、ドイツのハイデルベルク大学で教授をしていましたが、2002年からチューリヒに戻ってきました。詳しい経歴や業績などは、神学部ホームページで見ることができます。神学博士号はエレミヤ書、教授資格は創世記と出エジプト記の歴史記述に関する研究で取得しています。
神学部近くのレストランに行き、昼の定食を食べながら雑談。最近EU圏(この場合はスイスも含む)の大学を揺るがしている「ボローニャ宣言」の話から始めました。
北米や日本の大学は、学士・修士・博士の3段階に教育課程が分かれていますが、こちらでは、6年から7年(あるいはそれ以上)かけて大学の卒業資格を取ります。さらに研究を続けたい場合は、博士候補生 (Doktorand) として、教授の指導の下に博士論文の作成に励むことになります。つまり、基本的に2段階です。
神学部の場合、大学の卒業資格を得ると、牧師補 (Vikar/in) として働くことが認められ、その後また試験を経て、正式に牧師の資格を得ることができます。
「ボローニャ宣言」は、大学の課程を基本的に3段階に分けることを趣旨としています。つまり、北米式にするわけです。大学の課程と評価方法をできるだけ統一することによって、大学間での学生の移動をスムーズにしようということらしいのですが、カリキュラム改革が甚だ面倒な上に、そもそも3段階で統一する理由がよくわからない、ということで、現場の教員には不評を買っているようです。シュミート教授は、神学部におけるこの作業の担当者なのですが、彼もこの改革案には不満一杯のようでした。どのみち第2段階、すなわち修士課程まで行かないと牧師になれないのだから(この点が日本の神学部とは違いますが)、学士課程で止める学生なんてほとんどいないはずで、だったらわざわざ学士課程なんぞ設ける意味がない、というわけです。
シュミート教授は、とくに親日家あるいは知日家というわけではないのですが、スイスやドイツとは違う、日本の大学のあり方には少なからず興味があったようで、僕が自分の大学のことを話すといろいろ質問してきました。僕が、毎学期の終りに1000枚くらいの試験答案を見るという話をしたら、目を丸くしていましたが。「助手はいないの?」と尋ねるので、「いないよ」と返事したら、さらにびっくり。
こっちの教授には助手や秘書がついていますが、これは実に羨ましい制度です。常勤の助手や秘書、さらには助手補までついていることも珍しくありません。我々のような、自分で何でもやる教員というのが想像できないようです。ときどき、真剣に助手や秘書がほしくなるときがあるのですが、学部長にすら付けられていない秘書を、一介の助教授に大学がつけてくれるはずもありません(それどころか、自分が助手なのではないかと錯覚してしまうような場合もあります)。わが大学では、秘書は、相当「エライ」役職の人にしかついておらず、逆に言えば、秘書がつくような仕事にはならないほうが幸せである、という逆説的状況が存在するわけです。僕の場合は、業務の一環として僕の仕事を助けてくれる有能な補佐の人が学部の中にいてくれるだけでも感謝すべきところです。
ハイデルベルクのことや、旧約・新約それぞれの学会の話を色々楽しくしゃべっているうちに1時間半ほどが過ぎました。ランチはご馳走になったのですが、自分より年下の人にご馳走になるのは、彼が正教授だとわかっていても、なんとなく悪い気がします。
それにしても、シュミート教授といい、あるいはベルン大学で新約聖書学を講じているマルティン・コンラット教授といい(彼はドイツ人ですが)、自分より年下の人が正教授として聖書学をリードしているのを見ると、その才能に驚くことはもちろんですが、自分もまだまだ努力が足りん、という気持ちにもなってきます。そういえば、我が師匠フォレンヴァイダー教授も、ベルン大学の員外教授として招聘されたときは35歳の若さでした。
今学期は、旧新約聖書学の博士候補生・助手が集まる研究セミナーに参加しましたが、その層の厚さにはびっくりでした。スイスでは若い新約聖書学者が育っていないという話でしたが、研究セミナーを見る限り、後進の育成は着実に進んでいるように思われました。
どうもご来訪いただいた上に、貴BLOGでもご紹介いただいてかたじけない。最近開店休業状態なのですが、ちょっとまた思い出話でも書き足していくことにしましょう。
ドイツでもそうでしょうが、博士候補生(Doktorand/in)は「学生」には分類されないようです。(学生の一部としての)大学院生という概念をどうもお持ちでないみたいで。Doktorandinだと言えば一発で理解してもらえます。