チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

アインジーデルンの修道院教会

2005年01月17日 04時55分18秒 | キリスト教
休日を利用して、アインジーデルンの修道院教会を訪ねました。

アインジーデルン(Einsiedeln)は、チューリヒから約50分。ガイドブックなどにも載っていないか、あるいは簡単にしか紹介されていませんが、一度は行く価値のある場所です。とくに、キリスト教の教会や修道院に関心があれば、行かずには済まない場所でしょう。なにしろ、スイスで一番のカトリック巡礼地なのですから。

チューリヒからは、ヴェーデンスヴィル(Waedenswil)というところで乗換えて約30分。駅前からすでに修道院教会の塔が見えますから、道に迷うことはありませんが、駅自体は極めて質素な造りです。

標識にしたがって歩いていくと、10分足らずで修道院前の広場に出ます。日曜にもかかわらず、やけに店がよく開いていると思ったら、どうやらこの日は特別なお祝いの日だったようです(詳しくは明日の項をご参照)。広場に出ると、それは壮大な修道院教会の姿が目の前に現れます(冒頭の写真)。古くからの巡礼地というだけあって、広場は立派な観光地と化していました。教会の前にはレストランやお土産物屋がいっぱい。

教会内部は撮影禁止だったので、写真で紹介できませんが、内部は、18世紀前半に現在の形になったというだけあって(元来は、828年にこの地に来た聖マインラートによる遡るそうです)、当時のバロック様式に則った造りになっています。天井にはあたり一面、それは立派な絵が描かれていました。

この修道院教会で有名なのは、「恵みのチャペル」(Gnadenkapelle) に飾られた「黒いマリア像」です。


黒いマリアというのに、大いに興味があったのですが、元来は、すすや汚れで黒くなったマリア像にアインジーデルンの人々が親しみを覚えていたことに理由があるとのことで、「黒人イエス」などとはどうやら無関係のようです。このマリア像は、多くの巡礼者を集めていたことから、スイスがナポレオン率いるフランス軍がこの地を占領した際に奪おうと試みたのですが、関係者の必死の努力で難を逃れたという話。教会堂の中には、このマリア像の前で黙祷する人、マリア像の前に膝をついて祈りを捧げる人がたくさんいました。

教会の前の広場にある土産物屋で絵葉書を見ていたら、何種類もの服を着た「黒いマリア像」の葉書を売っていたので、どうやら季節ごとに着替えているようです。マリア信仰をプロテスタントは否定してきましたが、カトリックでは今でも多くの人々をひきつけていることが、ここに来ると改めてよくわかります。

礼拝堂を見学したあと、右手に回って、修道院の中庭などを見ました。ここには、ワイン販売所もあるのですが、残念ながら昼休みの時間にあたったので、ここで修道院ワインを購入することは断念(あとで、街中の店で買いました)。

日曜日にもかかわらず(日曜日だから?)多くの人が街と修道院教会を訪れていたのでしょうが、それにしてもやけに多くの客がいるし、店は開いているし、おまけに焼きソーセージを売る屋台まで出ていて、どうもにぎやかすぎる、と思った我々の勘は当たっていました。この日は特別な日だったのです。(続く)

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2 コメント

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Unknown (名無しの商学部製)
2005-01-18 02:48:41
私は今日からテストがはじまりました。初日のできはボチボチです。これからが正念場です。



時差もあってそちらは日曜だったみたいですが、こちら日本では月曜ですがある意味特別な日でした。

阪神大震災から早くも10年が過ぎ去りました。僕は当時は関西にはいなかったので直接被害を受けたわけではないのですが・・・。

親戚が神戸にも多く小さいころから幾度となく訪れており、少なからず愛着があったのですが、ブラウン管を通して伝わってくる変貌した神戸の姿に言葉を失った記憶がよみがえってきました。

近頃スマトラ沖地震や中越地震はじめ災害が多く沢山の方々が亡くなられたりしているのをみて、改めて生死について考えさせられました。

とりあえずのうのうと毎日を過ごしている僕ですが、平穏な暮らしを遅れてるだけでもありがたいことだと思う今日この頃です。



さて、勉強がんばります・・・。

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実は (tsujigaku)
2005-01-18 04:57:32
名無しの商学部生どの



僕は、神戸生まれの宝塚育ちなのですが、スイスに留学した4年間が、生まれて初めて阪神間を離れた時でした。そしてその時に阪神淡路大震災は起こったのです。スイスでテレビにかじりつき、燃え上がる神戸の街を映すCNNの放送で腰が抜けたのを思い出します。



中越地震や、スマトラ沖地震で多くの命が失われたことを思うたび、本当に、命は決して当たり前に与えられているのではないと思います。



修道院教会の中、黒いマリア像の前で頭を垂れて熱心に祈っている人が何人もいました。マリアの「執り成し」を願う気持ちが少しわかるような気がしました。
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