鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

双龍図縁頭 平戸住國重 Kunishige Fuchigashira

2012-01-13 | 鍔の歴史
双龍図縁頭 (鐔の歴史)


双龍図縁頭 平戸住國重

 このように異風な、龍と呼んで良いのかと思えるような頭の図柄が西洋の剣金具に見られる。中央は十字架であろうか、何らかの西洋渡来の文物を手本としたものであろう。仕立ては我が国の縁頭そのものであり、決して西洋の剣金具ではない。縁の図柄は、古代中国の文様にも見える。素銅地高彫金銀色絵。

波龍図鐔 平戸住國重 Kunishige Tsuba

2012-01-12 | 鍔の歴史
波龍図鐔 (鐔の歴史)


波龍図鐔 平戸住國重

 これも意匠は異なるが國重の波に龍の図。朧銀地を丸形に仕立て、耳を雲に意匠し、背景の波に龍が巴状に廻るように構成している。深彫の波に高彫の主題が浮かび上がるような手法は國重の得意とするところ。処々に金、素銅、銀の色絵を加えている。國重作中の名品である。表の上中央に描かれている宝珠の表現が特異である。70.5ミリ。□

波龍図鐔 平戸住國重 Kunishige Tsuba

2012-01-11 | 鍔の歴史
波龍図鐔 (鐔の歴史)


波龍図鐔 平戸住國重

 龍の図といえば南蛮鐔を避けて通れない。鐔に冠されている南蛮とは、その呼称の通りに中国南部を経路として我が国に渡来した西洋の文化のこと。鉄砲の伝来に伴って、さらにそれ以降江戸時代を通じて伝播した様々な文物の西洋の意匠や、器物そのものを指す。鐔においては西洋の剣に用いられた鐔を基礎とし、そのものの伝来もあるが、むしろ西洋の意匠を取り入れ、我が国で製作された西洋風意匠の鐔に興味深い作例が多い。製作地は、江戸時代において海外に開かれていた平戸、長崎などが良く知られているが、この南蛮鐔はかなり流行したと推測され、江戸や京都、大坂などの大都市でも盛んに製作され、地方の金工も製作していたようだ。また、我が国の嗜好に合わせ、中国で製作した南蛮鐔も輸入されている。南蛮鐔のほとんどが無銘である理由は、南蛮渡来と宣伝されたためではなかろうか。
 我が国で、南蛮の意匠を独創的作品に仕上げたことで有名なのが江戸時代中期の平戸金工國重。図柄の多くは西洋鐔に間々みられる異風な双龍。これを我が国の金工作品に多い波龍に仕上げているのが、写真例。真鍮地を太刀鐔風の厚手の木瓜形に仕立て、深く彫り込んで文様を浮かび上がらせる手法。処々に金色絵を施している。この鐔では地荒らし風に表面処理が為されており、波の様子に一際動きが感じられ、龍の図の背景にはぴったり。頗る面白い世界が展開されている。72ミリ。

這龍図目貫 舟田一琴 Ikkin-Hunada Menuki

2012-01-10 | 鍔の歴史
這龍図目貫 (鐔の歴史)


這龍図目貫 舟田一琴

 一琴は、京後藤の一つである八郎兵衛家六代後藤一乗の門人。その点では後藤家とは関わりがあるも、本作を見る限り、後藤に図を倣いながらも雰囲気が異なっていることに気付くであろう。赤銅地容彫の身体の周囲を透かし抜いた造り込みで、裏に銘を刻んだ短冊を装着している。特に顔の表情、曲線を多用した総体の構成及び鱗などの細部の描写に、曲面を巧みに採り入れている点に個性が感じとれる。
 一琴は甲鋤彫を駆使した梅樹図を得意としたことでも知られているが、本作のような格式のある作品を遺している。名工の一人である。

這龍図小柄 菊岡光政 Mitsumasa-Kikuoka Kozuka

2012-01-08 | 鍔の歴史
這龍図小柄 (鍔の歴史)



這龍図小柄 菊岡光政(花押)

 菊岡光政もまた後藤家とは直接的なつながりはない。図柄や作風は、後藤に倣いながらも後藤を超えようとし、後藤なにものぞという意識が鮮明。綺麗な魚子地に金無垢地高彫の塑像が据紋されており、色合いはもちろん鱗の処理が綺麗で高彫の隅々まで美しい。祐乗極めの同図と比較されたい。
 光政は、兄光行と共に横谷系の柳川家三代直光の門人。独立して菊岡家を興した兄とは別に菊岡分家を興している。

剣掴龍図小柄 江川斎桂宗隣 Sorin-Egawa Kozuka

2012-01-07 | 鍔の歴史
剣掴龍図小柄 (鍔の歴史)


剣掴龍図小柄 江川斎桂宗隣(花押)

 一見して後藤に倣った作ではあるが作風に後藤とは異なる要素が窺え、違いは容易に判断できよう。宗隣もまた後藤家とは直接的な関わりはないが、この作例のように、後藤に挑んで見事に成功している。後藤家の創案した龍や獅子などの図の装剣小道具は、江戸時代の高位の武家の式正の拵には必要な金具でもあり、後藤で揃えられない場合には町彫金工の作品を用いたものであろう。綺麗な赤銅魚子地に金無垢地を龍がくっきりと浮かび上がって見える。美しいだけでなく貫禄も備わっている。
 宗麟は水戸の生まれ。横谷英精に学び、後に桂永壽の養子となり、永壽の名跡を襲い久留米藩有馬家の抱え工として幕末頃の江戸に活躍した名工の一人。

十二支図鐔 埋忠七左 UmetadaShichiza Tsuba

2012-01-06 | 鍔の歴史
十二支図鐔 (鍔の歴史)


十二支図目貫 古後藤

 時代の上がる後藤の作と極められた目貫。古後藤とは、初代から三、四代くらいまでの、室町時代から桃山初期くらいまでの時代背景で捉え、作者の特定が出来ないものの、後藤家の特徴が現われている作のこと。同時代に古金工と呼ばれている類や、さらに流派も特定できない類があり、上手の作では時にはこれらと重なり合う部分もあることから、時代の上がる無銘物の極めは難しい。
 この目貫は赤銅地一色で、鏨を効かせた彫口に後藤の魅力が溢れている。龍のほかに虎、牛、鶏などが後藤家でも良く見かける題材だが、これら総てが揃っているのは一粒で十二の味が楽しめるのと似ており、お徳感があると言ってはおかしいか。


十二支図鐔 山城國西陣住埋忠七左

 七左は埋忠本家の通称であるが、専らこの銘を刻しているのは江戸時代中期の重義である。この鐔も重義の作であり、鐔の構成は全く後藤とは異なるが、配されている十二支の動物は後藤風。高彫に金色絵、毛彫も巧みである。

富士越龍図小柄 後藤光美 Mitsuyoshi-Goto Kozuka

2012-01-01 | 鍔の歴史
新しい年が始まりました。まだしばらく続けられそうですので、今年もお付き合い下さい。
龍の図で連続しているので、お正月らしく吉兆の図を。



富士越龍図小柄 後藤光美(花押)

 後藤宗家十五代光美の作。波間から姿を現した龍が富岳を目差しているところを捉え、赤銅魚子地高彫に金銀朧銀の色絵で彫り表わしている。波に銀の露象嵌を加えて波飛沫を表現している。金の色調は、雲と龍の身体でわずかに違えており、様々な部分で表現を試みていることが理解できよう。
我が国では最も標高の高い富士、そのさらに上を目差す意識が示されていることから、江戸時代には好まれた図柄の一つでもある。ところが、その画題の歴史については全く不明。せいぜい江戸初期にまで遡るであろうかという程度。誰が創案した図なのか判っていないのである。□