雲龍図鍔 (鍔の歴史)
雲龍図鍔 一陽斎就昌
就昌は江戸時代後期の埋忠派の流れを汲む江戸金工。古典的な葵木瓜形に造り込みながらも、南蛮鐔の複雑な彫口を手本としていることが良くわかる。図柄や構成は南蛮を手本としても、表現手法は全く異なり、南蛮の鋤彫に比較して高彫による量感と立体感が追求されている。布目象嵌については埋忠派もよく取り入れている手法である。77.2ミリ。
雲龍図鍔 一陽斎就昌
就昌は江戸時代後期の埋忠派の流れを汲む江戸金工。古典的な葵木瓜形に造り込みながらも、南蛮鐔の複雑な彫口を手本としていることが良くわかる。図柄や構成は南蛮を手本としても、表現手法は全く異なり、南蛮の鋤彫に比較して高彫による量感と立体感が追求されている。布目象嵌については埋忠派もよく取り入れている手法である。77.2ミリ。