十二支図鐔 (鍔の歴史)
十二支図目貫 古後藤
時代の上がる後藤の作と極められた目貫。古後藤とは、初代から三、四代くらいまでの、室町時代から桃山初期くらいまでの時代背景で捉え、作者の特定が出来ないものの、後藤家の特徴が現われている作のこと。同時代に古金工と呼ばれている類や、さらに流派も特定できない類があり、上手の作では時にはこれらと重なり合う部分もあることから、時代の上がる無銘物の極めは難しい。
この目貫は赤銅地一色で、鏨を効かせた彫口に後藤の魅力が溢れている。龍のほかに虎、牛、鶏などが後藤家でも良く見かける題材だが、これら総てが揃っているのは一粒で十二の味が楽しめるのと似ており、お徳感があると言ってはおかしいか。
十二支図鐔 山城國西陣住埋忠七左
七左は埋忠本家の通称であるが、専らこの銘を刻しているのは江戸時代中期の重義である。この鐔も重義の作であり、鐔の構成は全く後藤とは異なるが、配されている十二支の動物は後藤風。高彫に金色絵、毛彫も巧みである。
十二支図目貫 古後藤
時代の上がる後藤の作と極められた目貫。古後藤とは、初代から三、四代くらいまでの、室町時代から桃山初期くらいまでの時代背景で捉え、作者の特定が出来ないものの、後藤家の特徴が現われている作のこと。同時代に古金工と呼ばれている類や、さらに流派も特定できない類があり、上手の作では時にはこれらと重なり合う部分もあることから、時代の上がる無銘物の極めは難しい。
この目貫は赤銅地一色で、鏨を効かせた彫口に後藤の魅力が溢れている。龍のほかに虎、牛、鶏などが後藤家でも良く見かける題材だが、これら総てが揃っているのは一粒で十二の味が楽しめるのと似ており、お徳感があると言ってはおかしいか。
十二支図鐔 山城國西陣住埋忠七左
七左は埋忠本家の通称であるが、専らこの銘を刻しているのは江戸時代中期の重義である。この鐔も重義の作であり、鐔の構成は全く後藤とは異なるが、配されている十二支の動物は後藤風。高彫に金色絵、毛彫も巧みである。