鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

投桐透図鐔 西垣勘四郎

2009-10-14 | 
投桐透図鐔 西垣勘四郎


 

 投桐(なげきり)あるいは踊桐(おどりぎり)と呼ばれる意匠がある。枝桐を投げ置いたような、不安定な、微妙な均衡が魅力の、専ら透かし鐔に採られたデザインの一つで、肥後金工林又七(はやしまたしち)の創案になるものと考えられている。投桐の呼称の背景にあるのは、筆者が鑑賞した上での印象だが、浅鉢に枝桐を投げ生けたような、茶と生花の美意識を見出せる点にあろうかと考えている。だが、写真例のように丸窓から眺めた桐樹の作、また、幔幕を想わせる引両と桐を組み合わせた作もあり、優れた意匠や作品も多いことから、意匠に固執せず各金工の個性と資質による発想とその展開を楽しんでほしい。
 肥後金工の中で桐を題に印象的な透かし文様を表現した工として著名なのは又七よりも西垣勘四郎(にしがきかんしろう)とその一門、後の肥後金工、肥後金工の影響を受けた赤坂鐔工、土佐明珍派などで頗る多い。
 写真例は西垣勘四郎の投桐透図鐔。勘四郎は慶長十八年豊前国中津に生まれ、細川家お抱え金工平田彦三の門下で学び、独立して自らも細川家の抱え工となる。寛永九年には細川家の肥後国移封に伴って八代に移住し、独特の風合いのある平面世界を追及した。勘四郎もまた、利休に茶を学んだ細川三斎忠興の美意識を基本理念とした工である。
 又七の投桐透鐔は、耳によって囲まれた画面が丸く簡素に造り込まれ、鉄地の所々に鉄骨が現われるなど、古風でしかも武骨、緊張感に満ちみちた趣がある。ところが勘四郎の同図には歪(ひずみ)を配した空間構成が試みられていることが窺い知れる。歪とは手捻りの茶器にみられるように、微妙な安定感を突き詰めたところに美観として漂いくるものがある。
 緊密に詰み澄んだ良質の鉄地を、勘四郎に特徴的な泥障(あおり)風に下半が脹らんだ造り込みとした自然味横溢の作。鉄肌は色合い黒く光沢強く、微細な石目地仕上げとされた表面に自然な錆が均一に付き、肌合い引き締まって堅固な質感、覇気が感じられる逸品。ごくわずかだが歪とも抑揚とも感じられる耳の線によって切り取られた平面には、飾り気のない空間に華を感じさせる肥後金工の美が漂っている。

花桐九曜紋桜花散図鐔 西垣

2009-10-13 | 



 



 埋忠派の作風とは趣が異なるも、同様に真鍮地の渋い色調を作品の要とした肥後金工(ひごきんこう)の作品を紹介する。作者は江戸時代前期の西垣勘四郎(にしがきかんしろう)である。勘四郎が鏨で表わした茶に通じる作品には、侘びや寂びのみならず華があることに気付く。この鐔がその典型で、渋い色合いの真鍮地を土手耳仕立ての竪丸形に造り込み、唐草文を平滑な薄肉に彫り表わし、これを背景に動きのある花桐文を主に桜花紋と九曜紋(くようもん)を薄肉に浮かび上がらせている。土手耳の表面には、切り込んだ鏨の痕跡を活かした唐草文と桜花文を毛彫で廻らせ、鐔全体に黒漆(うるし)を擦り込んで古調な風合いを高めている。時を経て滑らかになった地面、ごく浅く彫り込んだ地に施された漆、耳の毛彫の線刻など、いずれも指先を心地よく刺激する要素である。
 これも古典的な文様を近世の美意識に変質させた一例。肥後金工の美意識の背景には千利休に学んだ細川三斎の茶がある。茶を通した肥後金工の芸術は、たとえ肥後という地方において発展したとは言え京の文化を色濃く残しており、さらに、他の誰もが真似をできなかった三斎独自の世界が展開されているのである。

山水図鐔 有田源右衛門貞次

2009-10-09 | 
 

 長州鐔工には、京都から移住した埋忠(うめただ)派の影響を受けたと思われる作品がある。初期の埋忠派の作品は極めて少なく、筆者も鑑賞したことがない。おそらく、京都の埋忠派の作風に近いのもと推測していたところ、ここに紹介する、まさに光忠などに似た作品にであうことができた。ただし、時代は下って江戸中期と考えられている。
 作者は有田源右衛門貞次(さだつぐ)で、中井派の工。銘は「長州萩住有田源右衛門貞次作」江戸時代中期の中井(なかい)派の鐔工の一般的な作風は、伝統的な植物図や山水風の風景図であり、本作は図柄からその特徴も窺いとれるのだが、地金が古埋忠にみられるような真鍮地を打返耳に仕立てて景色とし、地荒し風に質朴な風合いを漂わせているところに埋忠派を強く意識した作品であることがわかる。
 真鍮地を打ち返して抑揚のある地面に仕上げ、金布目象嵌の手法で帰雁に干網を主題としている。とろけそうな曲線の耳によって切り取られた空間は、桃山頃の山城国金家の鉄鐔にも通じるところがあるも、ここでは真鍮という素材を巧みに利用し、色合いの変化を画中に取り込んでいる。技法は明壽の平象嵌とは趣は異なるが、毛彫と消え入りそうな布目象嵌による線画が殊に古調である。真鍮地の肌合いも、時を重ねて古寂な趣を生み出しており、この鐔においても、微妙に凹凸が設けられた肌が指先を心地よく刺激する。

九年母図鐔 埋忠明壽

2009-10-08 | 






 桃山時代の埋忠明壽(うめただみょうじゅ)が、江戸時代に隆盛した諸金工の技術的に、表現においても強い影響を与えた琳派の芸術家の一人であることは言うまでもない。また、室町時代に隆盛した墨絵を金工上で模倣するという表現を試み、見事に独創世界を生み出したことでも良く知られている。ところが、現在では琳派の創造者というと、絵画や工芸分野の本阿弥光悦や俵屋宗達のみ多く採り上げられて知名度が高く、金工世界における美意識の変革をもたらした明壽の影が薄れているのは寂しい。
 作品は真鍮地に赤銅の平象嵌(ひらぞうがん)を施して破墨の如くに表現した九年母(くねんぼ)図鐔である。平象嵌とは鐔などの表面を平滑に仕上げ、その面とほぼ同じ高さに、しかも平面的に描画する象嵌技法のこと。図柄は説明するまでもないので、ただただ堪能してほしい。実際に手にすると、表面に施された石目や鑢目や腐らかしによる微妙な凹凸と、その上に描かれた平象嵌の線の凹凸も微妙に指先に伝わりくる。真鍮や赤銅の肌合いは鉄のそれとはもちろん異なる。写真でどこまで伝えられるか心許ないが、また、微細な線がモニターではモアレを生じてしまい、不明瞭な点も多いが、部分拡大を鑑賞してほしい。
 本作は、次に紹介する同じ埋忠明壽の、同じ九年母を素銅地で表現した鐔と共に『鐔Tsuba』で紹介している。

桜花文図鐔 光忠(埋忠派)

2009-10-06 | 
 



 季節に合わないが、埋忠(うめただ)系統の時代の上がる作例として光忠(みつただ)の鐔を採り上げた。図柄は文様化された桜花で、山銅とも真鍮とも判断し難い古調な地金に鮮やかな金と渋い銀の布目象嵌を簡潔に施した作。同趣の作例が幾つか確認されていることから、無銘光忠と極められている。光忠は、明壽と同じ桃山頃あるいは少し時代の上がる京都の工とみられている。
 素朴な色合いの地金を打返耳と打ち込み強く働かせて抑揚変化のある地面に仕立て、表面には鑢目を施して金と銀の布目象嵌にて桜花文を散らし、叢に漆を塗り施して意図せぬ景観を造り出している。桜花文には、墨染の桜というわけではないが、金や銀一色で表現せずに、対極の色調でもある黒い金属などを用いて陰の表現になる桜を交えることがある。これによって金の桜花が視覚的に映えることは明らか。本作でも、文様化の独創と同時に、色彩を考慮した表現意識を鮮明にしている。この背後に、京都の織物産業と深く結びついた文様文化が存在したことも想像される。
 また、茶にあるような侘び寂びの美意識も忘れることができない。朝鮮渡来の雑器などの、土を母とする自然な肌合いを視覚だけでなく掌中や指先で鑑賞するような、華美とはかけ離れたところに魅力のある作である。一般に金属工芸品は素手で触ることは禁じられているが、この鐔はむしろ指先で表面に施された漆や布目象嵌象嵌、さらには浅く切り施されている鑢目の微妙な凹凸を感じとってほしい作品である。

虫喰に蔓象嵌図鐔 埋忠

2009-10-05 | 


 

 真鍮地とも山銅(やまがね)地とも思われる古色溢れた素材を肉厚く造り込み、繊細な阿弥陀鑢(あみだやすり)を施した上に、金銀のこれも古様式の線象嵌を加え、虫喰いの様子をも意匠に採り込んだ大胆な作。
 明壽に代表される桃山時代の埋忠(うめただ)派には、真鍮地に文様を布目象嵌の手法で表わす光忠(みつただ)などが知られている。光忠は明壽と同時代あるいは少し時代の上がる工と見られているが、さらに時代の上がる古埋忠などにも京の雅を充満させた作があり、同派の作品群から文様表現の完成されてゆく様が窺い知れる。
 江戸時代の絵画や工芸において大きな流れとなった琳派は、ちょうど明壽の時代に始まる。本阿弥光悦、俵屋宗達などと共に、王朝時代の雅な題を得て文様風の作品を生み出し、銀地の時と共に変質してゆく様子そのものが絵画の要素として採られたと同様、金属の変容する様をそのまま作品中に生かした鐔などを製作したのが明壽であった。それと同時代あるいはその前の代に当ると考えられるのがこの鐔。美しさや洗練味は明壽に譲らざるを得ないが、鉄鐔に施された鑢目を真鍮地に採り入れ、朽ち込みを想わせる虫喰状の鋤き込みなどの装飾の技法に古風な味わいがあり、鉄鐔から金工鐔への変遷の過程も覗いとれるのである。(図柄に極めて細い放射状の鑢の線が刻されていますが、パソコンのモニターではモアレが生じて不鮮明な場合もあります、ご容赦ください)

花鳥十二ヶ月揃小柄 堀江興成

2009-10-01 | 小柄






九月 尾花に鶉


十一月 枇杷に千鳥



 今年の10月18日まで、徳島城博物館(徳島市)において《阿波刀の世界…刀、刀装具の美・刀剣を愉しむ》展が開催されています。蜂須賀家の旧蔵品が主に展示されるようです。時間がありましたらご鑑賞下さい。装剣金工では『花鳥十二ヶ月揃小柄』をお薦めします。以下は筆者自らが手にとって鑑賞した記録からの、簡単な解説です。

 阿波蜂須賀家に仕えた堀江興成(ほりえおきなり)の十二点揃いの小柄です。十二点の揃い物は、『新古今和歌集』の撰者として知られる鎌倉時代の歌人藤原定家の、自選和歌集『拾遺愚草』の中巻に収録されている『詠花鳥和歌各十二首』から歌意を得て表現したものです。
 興成の得意とした、赤銅魚子地に高彫、金、銀、素銅、朧銀の色絵を華麗に施し、裏板を金哺で鮮やかに彩るという後藤流の表現技法を駆使した、興成にとっては最高傑作の一つです。『詠花鳥和歌各十二首』は琳派の絵師にとっては好画題であったためか、絵画作品は間々見られます。もちろん興成のこの作品も琳派の美観を背景に独創世界を追求したもので、繊細緻密な彫刻表現になる季節の花と鳥の表情はWebでは満足できないでしょう、ご容赦ください。技法は、高彫に色絵だけでなく、露象嵌、魚子地の表面に施されたケシと呼ばれる霞か朧のように淡い金色絵なども鑑賞のポイントです。十二点揃いの豪華さには目を奪われることでしょう。
(表面が均等に揃った点の連続であるため、パソコンなどのモニターで鑑賞するとモアレが生じて不鮮明になることがあります)

徳島城博物館